第13章 エピローグ
エピローグ
バリー候のアルマニャック伯領侵攻計画は事前に発覚し、瓦解して終わった。
十数年来の愛人だったオルレアン公の死後、アルマニャック伯と手を組んでいだイザボー王妃は、バリー侯討伐の国王命令を出した。
バリー候は戦死したが、遺体は死んだ途端に骨だけとなり、埋葬した神父はまるで侯爵は何年も前に死んでいたかのようだったと語った。
ギュンターは突然狂ったように新妻と側近を切り殺し、父親の手で幽閉され狂死した。死ぬ間際まで、「殺したい。誰でもいいから殺したい」と呟いていたと言う。
ラーベンは国王シャルル六世の直轄領となり、サンジュアン卿の臣下が領地管理人として赴任した。フィーリアは難民たちと共にラーベンに戻され、管理人の下で暮らした。
ファンは、父親となった。結婚以来十二年間子宝に恵まれなかったが、ラーベンに戻るや妻のオデットは妊娠し、生まれてきたのは黒髪と黒い瞳の驚くほど美しい女の子だった。
俺には全く似ていない、妻にはもっと似ていない。だが娘は可愛いと思いながら育てているうちに、娘のアニエスの顔に見覚えがあることに彼は気がついた。
アニエスは料理好きで、二歳にならないうちから粉をこね、厨房に入り浸っている。
グレイは何度かラーベンを訪れたが、フランスとイングランドの戦争が再び始まり、サンジュアン卿と共に戦地に赴いた。
そしてフィーリアとカミールが別れて4年が経ち――――。
14歳になったフィーリアは、新しい領主が決まったと聞かされ、領地管理人の前で茫然とした。
「どのような方なのです?」
と唇を噛む。新しい領主――すなわち夫だ。領地管理人は、首を振った。
「手紙には国王の決定としか書かれていない。今日か明日には到着される」
フィーリアの胸が、重く沈んでいく。夫――どんな人だろう。どうか心優しい人でありますようにと願うしかない。4年前のギュンターを思い出すにつけ、乱暴な人は嫌だと思う。
その日のうちに慌しく結婚式の準備が始まり、翌日の昼過ぎに新しい領主が到着した。
馬上の領主は重装備の鎧と兜に身を包み、顔が見えない。
フィーリアは召使いたちを引き連れ、新しく建てた館の中庭で領主を迎えた。彼女が深々とお辞儀をすると、領主は馬から降りて兜をとり、彼女に微笑みかける。
「グレイ!」
彼女は叫び、立ち尽くした。18歳のグレイは精悍な騎士となり、サンジュアン卿の信頼厚い側近だ。それでも優しい緑の瞳は変わらない。グレイは静かに歩み寄り、鎧越しにフィーリアを抱き寄せた。
「僕と結婚してくれるかい、フィーリア?」
「もちろんよ。喜んで」
彼女は、涙ぐんだ。
「国王陛下があなたを選んでくださって、よかった。陛下に感謝しなくては」
本当は他の男の名前があがっていたのだが、グレイがあれこれ画策して自分が選ばれるようにしたのである。
彼は、会心の笑みを浮かべた。――フィーリアは、僕のものだ。
すぐに神父が呼ばれ、結婚式が始まった。グレイから贈られた薔薇色のローブに身を包み、フィーリアは彼の妻となった。近隣の小作人たちが集まり、饗宴は日没後も続く。
「フィーリア、腕を見てごらん」
グレイの視線の先にあるものを見て、フィーリアははっとした。彼女の腕に黒の斑点模様の入った白い蛍が留まり、淡い光を放っている。
「ラス?」
彼女は小さな叫び声をあげた。
「ラスね! 来てくれたのね?!」
「ガイヤルド卿夫人に、贈り物でございます」
聞き覚えのある声に振り返ると、コナリーが立っている。
「コナリー!」
フィーリアは涙ぐみ、コナリーの腕に飛び込んだ。コナリーはにっこり微笑んで彼女を抱きしめ、後ろにいたピエールが彼女に箱を差し出した。中を開けると、サファイアの首飾りが入っている。
「『永遠の幸福』と呼ばれるサファイアでございます。ガイヤルド卿ご夫妻の永遠の幸福を願っているとの、セルヴァ伯爵ご夫妻よりの伝言でございます」
「伯爵とカミールはお元気? また会えるわよね?」
フィーリアの問いかけに、コナリーは笑顔で答えた。
「勿論ですとも」
「強く願えば会える」
グレイが、優しくフィーリアの肩を抱き寄せる。
「君はいつも、そう言っていただろう?」
彼女は彼に微笑みかけ、うなずいた。
ファンが妻子を連れ、近づいて来た。騎士に取り立てられた彼は、立派な身なりだ。ピエールがファンの三歳になる娘に歩み寄り、膝をつく。
「幸せになってね、アネッタ」
娘は一瞬きょとんとし、にっこりした。
「その子の名前はアニエスよ」
むっとするオデットの隣で、ファンはピエールの顔をじっと見ている。
「子供がもう一人いてもいいなあ」
ファンの言葉にピエールは顔を輝かせ、満面の笑顔で応えた。
フィーリアの腕から蛍が飛び立ち、夜空に舞い上がった。淡い光を放ちながら、蛍は空高く消えていく。フィーリアは蛍を見送りながら、「天上に戻るのかしら」と呟いた。
「かもしれないな」
フィーリアを腕に抱きながら、グレイは謙虚な気持ちになった。
ラーベンの館を見下ろす小高い丘の木の上で、セルヴァ伯爵とカミールもまた空を見上げ、蛍を見送っていた。
「とうとう戻る気になったのね」
カミールが言う。
「奴のことだ、また戻ってくるさ」
伯爵は笑い、彼女を見つめた。黒地に銀を織り込んだ膝丈の上着を着て、タイツを穿き、腰のベルトから剣を吊るしている。足もとは鹿革のブーツ。長い金茶色の髪をゆったりと三つ編みに束ね、まるで美しい少年のようだ。
豪華なローブとガウンに身を包んだ優雅な伯爵夫人も魅力的だが、少年とも少女ともつかない普段の彼女が彼は心底気に入っていた。
4年たってもカミールに魅せられている。その奇跡のような事実に、彼はもう驚かなくなっていた。
「愛してると、今日はもう言ったかな?」
伯爵の言葉に、カミールは笑った。
「ええ。目覚めてすぐに」
「心から愛してる」
彼は彼女を抱き寄せ、口づけた。
「心から愛してるわ、キリアン」
彼女は満ち足りた吐息をつき、彼の胸にもたれて視線をラーベンの館に戻した。フィーリアの姿が見える。幼かった姫君は、今では堂々とした領主夫人だ。
「会わなくていいのか?」
彼女の心中を察し、伯爵は尋ねた。
「もう会わない方がいいような気がするの」
人間の振りは出来ても、影を作ることはできない。フィーリアを守るためには、近づかない方がいいのかもしれない。
「それに……」
カミールはにっこりして、彼を見上げた。
「わたしには、あなたがいるわ」
4年経っても彼は変わらない。蒼い瞳は謎めいて神秘的で、怒ると横柄になるところも傲慢で尊大なところも変わらない。
でも、険しい表情を浮かべることはなくなった。彼女を見つめる顔は優雅で、愛情に満ちている。
伯爵は彼女の手を取り、指先に口付けた。左手の薬指にはめられた結婚指輪は、黒地に金色の半円形が重なった珍しいブラック・ダイヤだ。金色の部分が暗闇で発光することから、『月光』と呼ばれている。
「お前は城に戻ってくれ」
彼は、唐突に言った。二人はイタリアにある彼の領地に住んでいる。彼女は、嫌な予感がした。
「私はインドへ行く。お前にふさわしいエメラルドがあるらしい」
やっぱり――。彼が贈り物魔だというのは、エリザベートの嘘だった。だが結婚した途端、彼は彼女に宝石を贈り続ける贈り物魔になった。
「わたしを置いて行けると思ってるの?」
カミールは、目を細めた。
「コナリーとピエールを頼む」
「使い魔を出して、二人に伝言を届けるわ」
伯爵の血を飲んだ後のコナリーとピエールは、生きた人間に見える。二人でインドへの船旅を楽しむだろう。
ピエールは動物さえそばにいれば満足するし、コナリーは見かけによらず美女好きだ。
今もラーベンの領主館の庭で、大柄な金髪美女とダンスを楽しんでいる。
カミールはふわりと浮き上がって伯爵の背中に飛びつき、彼は声をあげて笑った。
「インドは、危険な国だぞ」
「知っています」
「道中、墓場で寝泊りすることになるぞ」
「慣れました」
伯爵が、カミールを抱き寄せる。
夜の闇が二人を包み、二人の影は一つになって鳥のように飛んだ。
闇の彼方にある、光に向かって――――。
完
長らくご愛読くださいまして、ありがとうございました。
本作品は、これにて完結とさせて頂きます。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
セリ