化けの皮
「さてはて、どうしましょうかねぇ」
軽薄な声が海中に木霊する。
青髪の青年は泡に包まれたまま寝ころび、古びた本をめくっていた。
ここは魔物の体内。
海水の影響を受けず、リューリュは悠々とページをめくる。
足元には水晶玉。透明なはずの球には青い稲妻を纏う少年が、空へ飛び立つ姿が映っている。
ひどく、海に揺れた画だった。それは魔物の視界を映した映像が、足元に転がる結晶球へ投射されていた。
「まあ、いいでしょう。予定が早まっただけですし。
閣下も十分はしゃいだでしょう。ミーもそろそろお仕事をしましょうか」
リューリュは寝ころんだ態勢から起き上がる。
懐から大量の符を取り出し、それぞれに赤黒く光る泥が蠢きながら灯った。
本を閉じる。リューリュが懐から取り出した筆を本の上に刻めば、草子が符になった。符を大事そうに懐へ納めると、リューリュは手首を回す。
「<獣涜の儀式>の準備を、進めていきましょうか」
泡が浮上し、魔物の胃袋からリューリュの姿が消えた。
※※※
影が、空から晴れていく。
雲の上。イルクに肩を貸したまま、僕は空を飛んでいる。
「…………っ」
肌を裂くような冷たい風が顔を撫でる。
空の上は、まだ寒い。耐熱の術式は積んでいるが、耐冷の術式も積んでくるべきだったか。
眼下には溶解し、バナナの皮みたいに裂けた護摩壇。神殿の一部も先の戦闘の余波で吹き飛び、破砕していた。
「――はは」
イルゲルムが口を開く。
「ははははははっ! 何たる僥倖! まさか、貴様から我のもとへ飛んでくるとはな!」
目を手で覆い、魔族は僕に手の甲を向ける。
外れた手袋からは大きな目が覗く。うねるように泳ぐ目が僕を凝視し、喜悦に歪んだ。
「そりゃ、助けに来るでしょ」
聖劍の切っ先を向け、片手で正眼の構えを取る。
「兄貴分のピンチなんだから」
法力の稲妻を滾らせ、【天璽聖劍】に意識を向ける。
力の溶岩流が、聖劍から流れ込んでくる。熱を帯び、過ぎた力となって僕を飲み込もうと荒れ狂う。
「――すう」
大きく息を吸った。
膨大な力の流れを、《統巡》でもって支配する。聖劍が際限なく魔力を吸い上げてくる。一瞬で干からびそうになるが、リモルさんから注がれる魔力を充填。
飛行魔法もそうだ。ただ、魔力を風に変えて飛んでいる。普段の僕なら数秒ともたない超級の魔力消費を、莫大な魔力供給によって成立させていた。
「ならば、証明して見せよ」
イルゲルムが声の調子を上げる。
イルクと戦っていた時のそれよりも、高ぶった声。
イルゲルムの魔力が動く。
影の代わりに光を全身に纏わせ、残り少ない魔力を五体に惜しみなく注ぎ込む。
両刃槍を双剣に切り替え、空を。空中に設置した結界を蹴った。
「貴様がこの戦いに割って入るほどの強者であるとッ!」
双剣が眼前に迫る。
左からの袈裟切り。潤沢な威力が乗せられた刃を、片手で握った聖劍にて受け流し、はじき返す。
続く第二撃。上半身を引いて回避。身を翻して放たれた第三撃に、切っ先を翻した劍で応対。
弾く、弾く、流し、弾く。
すべての刃は受けられない。
刃すべてに、乱れたやすりのような魔力が纏わりつき、高速で循環している。
一撃でも食らえば傷を抉り、治癒魔法を阻害することは明らか。
そこに、一足をねじ込む。
「……む」
<蒼輝強化>の法力の稲妻を纏った踏み付けを奴の足元にねじ込む。
執事服の鬼は先読みしていたように後方へ跳躍。
遅れてねじ込まれたつま先は、足場にあった魔力結界を一瞬で焼き潰した。
「――やっぱり。足場を魔力結界で作っていたか」
再度、着地した魔力の結界を《蒼眼》で眺める。
イルゲルムが空に浮いている原理は単純。足場に小さな魔力障壁を張り、その上に立っている。
「即座にそこまで見抜くか。やはり、貴様は侮れん」
イルゲルムは両腕に力こぶを造る。
筋肉が膨張し、奴の身体が一回り大きくなる。圧が増し、全身に鉛のような戦意が纏わりつく。
……能力以外の肉弾戦も、二千年の蓄積があるってことか。
「エディン……それ……」
肩に抱いたままのイルクが唇を開いた。
僕を見る目には、信じられないものを見るような彩が宿っていた。
「イルクに追いつきたくて。少し、無茶した」
肩を組んだままイルクの目を見る。
「今度は一緒。大丈夫」
<蒼輝強化>の青い雷光を目に迸らせ、イルクの目の奥に語り掛ける。
「もう、足手まといになったりしない」
<生命賛歌>の魔法を描く。
イルクの身体に宿るやすりのような魔力。攻性魔力と呼ばれるそれを、強引に魔法効果で洗い流す。
彼の五体の傷に緑の光が宿る。裂傷、打ち身といったそれが癒えていき、イルクの身体に力が宿る。
「――ああ。そうだね」
イルクの瞳が潤んだ。眉間にしわは寄ったまま、眩しいものを見るように、僕を見ていた。
それもほんの僅か。イルクはすぐにかぶりを振り、《統巡》の力場を展開する。
「征こう、エディン。今度は、一緒だ」
イルクが僕に握り拳を差し出す。
分厚く、節くれだった大きな手。僕の顔ほどの面積を有する、大人の手だった。
「うん!」
「――征こう!」
大きな拳に、拳を打ち付けた。
※※※
イルゲルムの手に魔法陣が浮かぶ。
白い、光が一点に収束。凶悪な熱量を秘めたそれが、無数の矢になった。魔力の弦に番えられ。
「――行け」
射出。
攻性魔力を乗せた日光の矢が、直線の軌道を描いて迫る。
「はあ……ッ!」
空を駆ける。
膨大な魔力を足裏から吐き出しながら、【天璽聖劍】を噴かす。
まばゆく迫る光の矢。されど、熱によって束ねられた、高々音速の矢。
<蒼輝強化>で魔法効果を越えた強化を施した今ならば、恐るるに足らず。両手で握った聖劍によって叩き落とす。
「――イルク!」
背広の狩人が加速する。
こじ開けた光線の弾幕の間隙、イルクは縫うような軌道で天を走る。
「来るか!」
イルゲルムの声が跳ねる。
奴の指が曲がる。それに従い、光線が直角にねじれ、イルクのもとへ迫る。
僕に迫っていた光線もまた、それに従った。
――いまだ。
「<蒼輝強化>!」
術式を唱える。魔力を奪い、術式の稲妻がさらに猛る。
意識が、手足が、速度が音を越える。【天璽聖劍】を担ぎ、一直線にイルゲルムの元へ、光の弾幕を抜ける。
「むう……っ!」
飛び蹴りを叩きこむ。
直撃の瞬間に、イルゲルムは腕を差し込んでいた。
相手の骨が、大きく歪む感触。鉄板入りの靴越しに、喉奥に秘められた苦悶が伝わってくる。
「しぃ――ッ」
防がれた手を足場に跳躍。
イルゲルムの頭上に、僕が跳び移った。大上段に聖劍を構え、意識を刃に集中する。
聖劍。
「解錠――!」
聖劍の刃が切り替わる。
刃の形が細身の直剣から、幅のある聖剣へ。黄金の極光を宿す、死の聖劍へと変わった。
即ち、【幽輝剣】へと変わった。
イルゲルムの目に焦りが浮かんだ。
【天璽聖劍】はすべての聖剣の頂点であり、聖劍たちのマスターピース。
故に、この聖劍はすべての聖剣へと成りうる選定の刃。それは、迷宮特典であろうと例外ではない。
破滅の黄金光が、牙を剥く――。
「俺を忘れてる、ぜ!」
寸前、イルクの蹴りがイルゲルムの腹に突き刺さった。
強烈な蹴りが衝撃波を突き抜け、魔族の腹部ごと弾き飛ばす。
イルゲルムの身体が浮き、刃の射線に奴の体が入った。
「【幽輝剣】!!」
迷い無く、極光を撃ち放った。
上から、下へ。イルゲルムの軌道を先読みし、光斬を置いておく。
「ふんっ!」
イルゲルムは空中に複数の結界を展開。
一枚、二枚、三枚。結界が何枚も砕け、蹴り飛ばされた勢いを殺していく。
破砕音が鳴り響き、空中でイルゲルムの軌道が変わる。
イルゲルムの結界、薄皮一枚を隔てた先に極光が落ちた。
……くそ、読み合いで負けた!
あいつ、吹っ飛ぶはずの距離を結界を設置することで縮めたんだ。
飛ぶ場所を予測して放った光が、これで無効化された。
「まずは貴様から片づけてくれる!」
イルゲルムが、上空の僕めがけて跳躍。
コマ送りのような速さの双剣。空を切り裂き、雲を引いた連撃は精緻そのもの。
「疾ィ――ッ」
視える。
中央、左、斜め右、最後に蹴り。繰り出される剛撃に刃を差し込む。
刃には刃を。蹴りには蹴りで。小細工の一切を排した、究極の殴り合い。
イルゲルムの技量は比ぶるまでもない。剣は実直。技は狡猾。体の芯を、軸を使った技は、僕の体幹にまで響く。
「おぅるぁあっぁぁぁ!!」
それを、身体能力によって凌駕する。
「くたばれやぁあああぁぁっ!」
突き出された一撃を躱す。
踏み込みと同時に、【天璽聖劍】へ魔力を最大まで注ぎ込み。
「な、にぃ――っ」
イルゲルムの双剣の剣先を、真っ二つに折った。
彼の顔は、驚愕に染まっている。額からは汗が噴き出し、彼の体臭にわずかな鋭さが。焦りの香りが混ざった。
それもほんの刹那の時。イルゲルムは足に全体重をかけ、後方へ跳んだ。
「かくなる上は……っ!」
イルゲルムの身体に刺青のような紋様が浮かぶ。気魄が全身から噴出し、全身の血管や魔力経絡から内出血が起きていた。
代償に、彼の足元には影が渦を巻いていた。はかなくも、僅かな源流の力。影をなくした鬼に、暗き闇が舞い戻った。
焼ききれた源流能力を、気魄と生命力を燃やして強制的に再起動したのだ。
「エディン!」
その隙を、僕らは見逃さない。
イルクが吶喊する。
《統巡》で自分の身体を運び、加速。青空を背景に獣のような勢いで加速し、イルゲルムの首元へと突っ込む。
イルクと、目が合った。
「徒手空拳で我に挑むか!」
イルゲルムが吐き捨て、刃に影を纏わせた。
双剣の片割れを、すさまじい速度で振るう。
返礼代わりの影の斬撃。衝撃波を伴った真空の刃を紙一重で躱し、体内の気魄を練り上げる。
イルクは、すでに拳を構えていた。
魔力も何もない。その膂力は平均的な超越者のそれ。治癒で癒せる範疇のダメージしか与えないであろう、弱弱しい一撃。
ゆえに、イルゲルムの集中は僕一人に向いていた。
右手に握る【天璽聖劍】。【幽輝剣】の力を宿した、極光の刃を彼は注視している。
僕も宙を蹴り、イルゲルムの元へと跳ぶ。
加速の風が冷たく肌を走り、【天璽聖劍】で切りかかる。
――チャンスは一度きり。
その勢いで、僕はイルゲルムへと吶喊し。
【天璽聖劍】を、宙に置いた。
イルゲルムの視線が、吸い寄せられる。
落ち行く【天璽聖劍】は重力に従い、弧を描いて地面に落ちていく。
イルゲルムの視線は、そこにすべて集中していた。
「――っ!」
その隙間に潜り込む。
イルゲルムの間合いのうち。双剣を振るうには近すぎる、拳の間合いへ。
背後にも、同じ構えを取ったイルクが拳の間合いへ入り込む。
――体内で気魄を練り上げ、枝葉のように放出する。
《流月》。
――《流月》の枝葉を通して力場を作り、自然魔力を取り込む。
《統巡》。
――自然魔力を体内で高速循環。原素を取り除いた純粋な魔力と混ぜ合わせる。
思考が断続的に加速する中で、丁寧に動作を追う。
描くのは奥義。イルクと僕しか使えない、<蒼仙法>の秘奥。
イルクと僕、二人の拳に青い稲妻が灯る。
奴は焦ったように両手を交差させ、魔力で防御を重ねる。
もう遅い。
拳が、同じ勢いで前後から放たれていた。
高潔にして卑劣な魔族よ。僕らを追い詰めし、偉大なる敵よ。
――我らが雷霆を、仰ぎ見よ。
「「――《蒼霆》」」
青い雷鳴が、挟み込むようにイルゲルムの体内を蹂躙した。
※※※
静寂の雷鳴が、肉体を駆け巡った。
流し込まれた青い稲妻が荒れ狂う。腹を、臓物を焼き潰す。魔力経絡から超級のエネルギーが逆流し、霊魂を打ち抜いた。
「見……事」
イルゲルムが血を吐く。
喀血混じりの口元に、わずかな笑みが浮かんでいる。
奴の身体から力が抜け、僕の身体にもたれかかってきた。
もう、大丈夫だ。
動悸が、僕の胸板を揺らした。
「はあ――っ、はぁ――ッ……!」
息ができない。
肺が痙攣したような小刻みの収縮が起きている。
「は……はは。その齢で、よくも我と渡り合えた……ものだ」
浅く、漏れるような息をしながらイルゲルムが僕の目を見る。
イルクは油断なく息を整え、鋭い目つきでイルゲルムを睨んでいる。
だが、イルゲルムを引きはがすだけの体力が残っているようには視えない。
もうイルクの体力の残数も芳しくない。魔力線がリモルさんと繋がったままの僕は、まだ回復が早い。
「……アルフェウスに挑み、亡き陛下の御許へ向かうはずだった。が」
イルゲルムは眉間を柔らかくし、僕の髪をゆっくり撫でた。
「次代の【勇者】たちに、戦士として敗れるとは……。
やはり……、貴様らは我の見込み以上で……あった。二千年もの間、生き恥を曝した……甲斐があった」
…………見たことがないほど、イルゲルムの顔は穏やかだった。
僕はイルゲルムが思うほど何かをしたわけではない。イルクがいたから、みんながいてくれたから出来た戦働き。
だけど。
「――それなら、よかった」
少し硬い声で、イルゲルムに返答を返す。
「やったことを許すつもりはない。仲間に行った卑劣な行いも、全部だ。でも」
拳を握りしめ、彼に目を向ける。
「あなたは、尊敬できる戦士だった」
これだけは、本心。
魔族イルゲルムは優れた戦士だった。強く、誇り高く、そして勝つためならば手段を択ばない。彼は、勝利に貪欲だった。
「そう……か。ならば、勝者には報いねばな」
僕の身体にもたれかかったまま、彼は最期の意地で立ち上がった。
毅然とした貌で、まっすぐ僕を見る。
その命の灯火を一際強く輝かせながら、イルゲルムは懐に手を伸ばした。
彼の懐から取り出したるは、何かの箱と巻物。
「【伯方】の冒険者本部から盗み出した物と、我が編み出していた魔物化を治療する魔法の研究だ。これも、持ってい――」
――悪寒。
体を捩る。何かの強烈な悪意を感じ、半身になって飛び退いた。
「ダメダメ~。ダメですよぉ、イルゲルム閣下ぁ」
悪意の声が、空に木霊する。
遥か海中から伸びた、長い手。
それが、イルゲルムの胸を貫き。
「大事なものを、敵に渡してはぁ」
心臓と、何かの遺骸を握りしめていた。




