神話の死闘
時は遡り、【出雲】都市部。
【出雲】の上空には極光が飛び交っていた。
<荒神祭>の儀式により、二度も呼び寄せられた暗雲。分厚い積乱雲の上空での死闘を遮るには十分な壁だ。
だが、超越者は凡夫の予測などはるかに上回る。
「………………」
リーリエ・アモンは片手で組んだ印を維持したまま、険しい面持ちで上空を睨む。
三度、<神鉄結界>に衝撃の余波が襲来する。
戦術規模の魔法ですら防ぎきる、迷宮都市国家の誇る結界が幾度となく揺れ動く。
「師匠!」
隣に侍る彼女の弟子、石上モーリスが彼女に力強く呼びかける。
「結界の維持は僕が変わります。師匠はほかの重要な場所へ……」
「阿呆。お前らじゃ逆立ちしたってこの結界を維持できんわ。一層ならともかく、五層の並列起動。ここの陰陽師プラスに100人いたって無理。
まずは自分の身を案じろ」
「しかし……」
モーリスは心配そうに上空を、海の向こうを見る。
上空の怪獣決戦。海からの百鬼夜行。【出雲】どころか、迷宮都市国家すら滅びかねないほどの暴威が、同時に押し寄せていた。
「それにな、モーリス。【出雲】を、民草を護ること以上に大事な任務が此にあるのか?」
リーリエは冷徹な表情を崩さない。印を組んでいないもう片方の手でモーリスの頭を撫でる。
少年が恥じ入るように視線を下へ向けた。
「納得できたのなら結構。やれることは全部やった。為政者としては失格かもしれないが」
白髪の超越者は上空と海を一瞥し、不敵に笑った。
「あとは、あいつらに任せるしかないのさ」
※※※
雲の上に嵐があった。
金の稲妻が、破壊の鉄球が、瘴気を飲み込んだ槍の一撃が黒い鬼へ殺到。それが、影を纏った斬撃にて切り伏せられる。
「ぬるい」
槍撃一閃。
イルクから見て上空。大気が両断される。
空間に小さな軋みが発生し、曇天を断ち切りながら一人の男へ迫る。
「……っ!」
黒い背広を着崩した男、イルクは空中を踏みしめて振り下ろされた影の斬撃へと跳ぶ。
衝撃が幾重にも走る。音の壁を生身で乗り越え、関節を力ませ、腰に力を籠める。
「月輝一刀流――」
全身を脱力させる。
行き場を失った超常の膂力が、握られた黒い刀に収束する。
風が刃に集う。規格外の暴が込められた刀身に、風が円筒となって集う。
「――『銀夜』」
空の傷が解き放たれた。
集った風が振り下ろされた刃から押し出され、影を殺し切る。
千々に絡み合った風の牙は風切り音を奏で、イルゲルムへと殺到。
「《幽妙影無》」
イルゲルムは下方からの攻撃を、正面から受けきる。
無傷。一切の傷がない。代わりに、雲海に浮かぶ長大な影の一部が削られていた。
「――ァッ!」
短く呼気を切る。
イルクは身をよじり、片足にぶら下げた鉄球鎖――【グリルザガン】をイルゲルムへと撃つ。
「読めているぞ、若造」
影の鬼は首を傾げ、顔面目掛けて飛んできた鉄球を回避。
「読ませてんだよ、老兵!」
奇怪な破砕音。
イルゲルムのすぐ後ろ、首の後ろの空間が砕けていた。
空間に鉄球が埋まっている。じゃらら、と鎖が引かれる音と共に、背広の狩人が高速でイルゲルムへと迫る。
「ほう」
硬い音を響かせ、両刃槍を双剣へと分解。
加速したイルクは【グリルザガン】を腕輪の中に収納し、代わりに取り出したのは極光の聖剣。
極白に輝く刃を振りかぶり、惜しみなく気魄を注入していき。
「【幽――」
迷宮特典の御名を先んじて唱える。
音速を越えたイルクより二手、三手遅れて空気が振動。手に握った聖剣が輝きを増した。
狙いは上空。影を踏みしめ、空に立っているイルゲルム。
「――輝剣】ッ!」
極光を振りぬく。
イルゲルムの張った影が蠢き、ドームの防壁を作った。
極光が影と衝突。焼き焦がすように影と光がしのぎを削る。
「――む」
イルゲルムの身体が反応する間もなく極光に包まれた。
黄金級迷宮特典、【幽輝剣】。
刃が放つ白光の断層が絶つのは、物質だけではない。
気魄や魔力といった、物質ならざるものすら焼く滅びの光。
その速度は光速。故に、対応できる超越者は多くない。
「――ッ!」
鳥肌。
イルクの第六感が警鐘を鳴らし、全力でその場から飛び退く。
雲海より来る影の斬断。
彼の首があった場所を寸分違わず黒き斬撃が通過し、天を大きく震わせた。
「今のを避けるか」
空下から迫る、複数のイルゲルムの声。
仕留めたはずの神話の魔族が複数に分かれ、雲に浮かぶ影を足場として駆けていた。
その数、8。
すべてが同じ長さの影、同じ武器を保持し、高速で空を跳んでいるイルクに追随していた。
「例の分身体か……!」
背広を翻し、イルクは空中を二重に蹴って空を飛びながら考える。
(確実に仕留める間合いだった。いかに神話の魔族とはいえ、いきなり光速軌道をかけられるわけがない)
イルクは思考と同時に【幽輝剣】に気魄を籠める。
瞬間、イルゲルムたちは空へ両刃槍を投げる。
「【幽輝剣】」
極光が、雲肌を撫でる。
対応すら困難な、予備動作のない光の奔流がイルゲルムの群れを飲み込み。
「《幽妙影無》」
イルゲルム達が、両刃槍のもとに現れた。
(そうか。両刃槍の影。あれに転移したのか)
猪口才な、とイルクは苦々しく思う。
理屈は単純。己を影に置換し、上空に投げた両刃槍の下に浮かんだ影へ、転移したのだ。
(能力の拡大解釈が過ぎるだろ……! これだから千年規模で生きてるやつとやるのは嫌なんだ)
ため息をこぼす。
イルクは手に握っていた刀を一瞬で収納。代わりに取り出したるは、白銀に輝く砲弾。
「はじけろ。【破速崩弾】」
砲弾が光に包まれ、大気の壁を貫いて飛翔する。
音の壁を貫き、ジグザグとした軌道を描いてイルゲルムへと食らいつく。
「ふむ」
影の一人が、あえて身をさらした。
瞬間、影に潜む間もなくその身が爆散。影ごと分身の一体が砕け散る。
「《幽妙影在》」
寸前で付近を疾走していたもう一人の影が遺影を飲み込む。
飲み込んだイルゲルムの影が伸び、すべての分身体を影に溶かす。
分身体が消える。
すべての影が、一人に収束。
強大な圧を発するようになった、長大な影を持つイルゲルムは両刃槍へ己の影を纏わせる。
「ふんっ」
両刃槍の柄を折り、双剣へと変えた。
影を飲み込んだ一体は片割れを大きく振りかぶり、イルクへと投擲。
音を、遥かに超えた速度。黒い閃光となった双剣が狙い過たず背広の彼へと届く。
「ちぃっ!」
イルクは【幽輝剣】を振るい、飛んできた曲剣を叩き落とした。
イルゲルムが、曲剣の影から現れる。一気に間合いを詰めた執事服の鬼は投げた曲剣の影を掴み、双剣の片割れをイルクへ振るう。
「んにゃろ……っ」
極光と影がぶつかり、火花が散る。
影の剣は洗練された獣の剣技。野性と直感、身体すべてをバネとして振るわれる一撃は、重く鋭い。
「だからこそ、隙だらけなんだよ――っ!」
青い稲妻を――。法力を纏った蹴りがイルゲルムの腹へ伸びた。
並みの超越者ならこの一撃で内臓が粉砕され、大きな隙を曝す。一般人なら鎧の上から肉の霞に変える、強烈な一撃。
迫る絶死の蹴り。触れる一瞬で、イルゲルムの身体が影に変わった。
影が渦巻く。宙に浮いた双剣の影から卑劣な魔族が現れ、影を纏っていない二連撃。
「こんの……っ!」
イルクは左右から迫る高速の斬撃を一本で凌ぎ切り――。
「《影流し》」
――左肩から右わき腹まで、赤い一文字が滲んだ。
イルクを襲った影の斬撃。双剣の高速斬撃は囮であり、この袈裟切りを通すためのものだった。
「……ぐ……ッ!」
だが、致命傷には遠い。
音速でイルゲルムを追随していた【破速崩弾】が遅れて影の鬼を襲い、彼の姿が陰に消える。
「く……っ」
イルクの顔には脂汗が浮かんでいる。
あふれ出る血を筋肉によって止めているが、内臓へのダメージは如何ともしがたい。
「両断したと思っていたが、硬いな」
それなりの超越者でも必殺の一撃だったのだが、とイルゲルムは語っていた。
イルクは相手にせず、 【破速崩弾】を格納し、七色に光る盃を取り出した。
盃からあふれる水を傷口へかけると、イルクの傷は刹那の間を置くこともなく快癒した。
すでに魔族は遥か彼方へと後退し、刃にこびりついたイルクの血を舐る。
「そうか。貴様」
鬼の執事の口元が邪悪に歪んだ。
「魔力がないのだな?」
イルクの肩が揺れる。
「魔力探知にひっかからぬワケを考えていたが、なるほど。
迷宮特典のほとんどは魔力ではなく、魂のエネルギーたる気魄を用いたもの。
貴様は肉体と魔力の親和性が高い。いや、高すぎるのだ。
貴様の魂や魔力経絡がどれほど魔力を生成しようが、貴様の肉体はそのすべてを吸収し、強化に回す。違うか?」
背広姿の狩人は眼を細め、イルゲルムを睨む。
「………………」
それは、回答の答えを言っているようなものだった。
イルクの肉体は潤うことのないスポンジのようなものなのだ。
魔力と肉体の相性が良すぎる影響で、生成された魔力を際限なく肉体が吸い上げる。
故に、イルクには魔力というものが存在しない。
「さらに、これは……」
刃に残った血をなめとり、イルゲルムは随喜の表情を浮かべた。
「はっ、はははははは!
我が怨敵、アルフェウスの右腕たるリヴェータ・ロット・アイネイアスの末裔か!」
イルゲルムは至極愉快そうに腹を抱える。
その目には弓なりに歪み、背の高いイルクを大上段から見下ろしていた。
「はっ! 彼のアイネイアスの。リヴェータの血筋がこのざまか! 魔法師の極点たるあの女の一族から、魔力を全く持たぬ出来損ないが生まれるとは!」
嘲りが止まらない。
イルゲルムは呵呵と笑い、鬼の顔満面に喜悦を浮かべてイルクの目をのぞき込んだ。
「お前の存在自体がリヴェータの名誉に関わるだろうなぁ」
『お前の存在そのものが、リヴェータ様の名誉を汚すのだ!』
イルクの目が、今を遡る。
それは、走馬灯のそれだった。
よみがえる過去の記憶。魔法の的にされ、追い回された記憶。両親からも疎まれ、足蹴にされた記憶。
リヴェータに救い出された記憶。そのリヴェータが、自分のせいで嘲笑われた記憶。
血管が収縮し、イルクの目に青筋がはしった。
「貴様ごときを相手にしている暇はない。
我はエディンに用がある。ここで死ぬがよい」
影が振るわれる。
縦波を彷彿とさせる鉄砲水のような刃。
すべての悪しき記憶。そこに眠っていたイルクの傷が、イルゲルムへ投影される。
そして。
「――ッ!」
記憶は繰り返される。
表情が嚇怒に飲まれた。目つきは刃のように鋭くなり、腕に巻き付けた拳へ気魄を回す。
「《恩赦》――!」
聖剣を手放し、鎖が赤熱する。
――迷宮特典、【罪】と【罰】。
煩雑な条件こそあれ、指定した概念を封印する強力な代物。
イルクは普段、天才のような怪力を。敏捷、頑強さといった身体能力を封じることに用いている。
今の解放率はたったの15%。
「50%!」
イルクを縛る戒めの箍が音を立てて外れ。
イルゲルムの目の前に、イルクが転移する。
音が消えた。
大気が、空間がひび割れる。
イルクの身体がすべてを轢き裂き、怒れる戦車となってイルゲルムのもとへと駆け抜けた。
遅れて、大気が爆裂する。
熱が、衝撃が、音がイルクの遥か後方で発生。
【罪と罰】の鎖が悲鳴を上げる。灼熱にさらされ、本気のイルクの膂力に耐えかねているのだ。
膨張した拳が振り上げられる。
「――っ!」
イルゲルムが血相を変え、影を両腕に纏わせた。
が。
「――月輝無刀流」
すべてが遅きに失した。
拳が大気のすべてを捉えた。断熱圧縮により、拳が極点の温度に達する。
音速など、とうに彼方。雷光すら置き去りにする拳を、魔力強化によって音速域へ踏み込んだにすぎないイルゲルムでは捉えきれない。
拳に異常な重力が宿る。
ただの拳、ただの人智人能によって大気がスパークを放ち、プラズマとなる。
天空の熱を味方につけたイルクの拳に、イルゲルムは巨大隕石の幻影を見た。
転瞬。
「『銀流』」
天空に小さな太陽が生まれた。
※※※
閃光。
衝撃。
極熱。
イルゲルムを襲ったのは、破壊の嵐。
絶対的な威力を誇る滅びの槌。それはイルゲルムを塵のように吹き飛ばし、背後にある曇天を快晴に変える。
強烈な日差し。否。イルクの膂力の生んだ太陽の光が地上を照らす。
その顕現は1秒に満たない。しかし、劫火と天の牡牛の蹄のごとき鉄槌が地上を襲うには、十分な由であった。
【出雲】全域を半球状に覆った五層の『神鉄結界』と、破滅の風が衝突する。
一層目――。濡れ紙を破るように容易く消滅。
二層目――。刹那の抵抗の後、蒸発。
三層目――。過分に魔力が供給された結界が勢いを弱め、破砕。
四層目――。炎と衝撃を結界がなんとか受け止め、数秒の後に決壊。
五層目――。最大出力で魔力の籠められた結界が、拮抗を演じる。
ぴしり、と五層目の結界にひびが入った。
亀裂は瞬きするたびに増え、そこから余波の熱が漏れ出る。
「バカイルク――! こっちのことを、ちったあ考えて戦えや!」
地上にいるリーリエは青筋を浮かべながら、もう片方の手で複雑な印相と魔法陣、歩法を刻む。複数の術式をリーリエが重ね合わせていく。
緑色に輝く神鉄の結界が、人々を護る高度のぎりぎりに展開される。
護摩壇や神殿の一部は結界外。しかし、背に腹は代えられない。
この程度の余波でも、普通の人は死ぬ。
超越者と人は、違う存在なのだ。
被害を増やすだけなら猿でもできる。
この程度の破壊規模、リーリエならば小手調べに出すことが可能。
「だけど、人民を護るのが超越者の所以であり、使命でしょうが!」
リーリエが吠え、魔力を最大出力で注ぎ込む。
破滅の嵐は随分と弱まった。
五層目が破られる。
天を衝く護摩壇が粉砕され、溶解する。
イルクの放った余波は太陽から炎の渦にまで弱まった。結界の面と熱風がぶつかり合い、強烈な高音を奏でる。
まるで、世界の悲鳴であった。
鉄を裂くような悲鳴が上がり、神鉄結界が圧迫される。
暴威の熱が、だんだんと威力が弱まっていく。
最後の一層が、砕け散った。
同時に、摂氏で数えられるほどの熱になった熱風が地上に襲い来る。
「<水蛟>!」
リーリエは迷わずに符を天へ抛る。
符は空を覆うほどの水蛇となり、リーリエにとっては余裕の、しかし市民にとっては致命的な熱を術ひとつで防ぎ切った。
瞬間。
「創世侵食」
ありえざる声が空に響き。
「――《影劫円頓自在天》」
暗黒の影が、天球となって空を覆った。




