告白
「いやー! 地味に今回の迷宮探索はざっくざくだったのですよ!」
帰り道は、湿気の多さにもかかわらず陽気さに満ちていた。
アルターは相変わらずの様子。
ツルハシを担いだまま、ほくほくの笑顔を浮かべるアルターは、先頭を進むイルクの隣を歩いていた。
「アルターさんの相手をさせられる鑑定士は可哀想ですね~。でも、今回はウツボだけでしょう? そんなにいい値にはならないと思うんですよ~」
「いやいや、ところがどっこい。あの骨と鉄を加工する知識ってのは、間違いなく鍛冶師からすれば垂涎ものなのですよ。この情報だけで、うまく捌けば100万テレスも狙えるのですよ~!」
対するイルクも、気楽な様子でアルターと話している。
左手の、【罰】と刻まれた拳から伸びる鎖が触手のように空中を泳ぎ、そこから気魄の枝が伸びていた。
さすがは僕の兄貴分。
迷宮特典を使用したうえで、《統巡》による周囲の警戒も忘れていない。
「――失礼。リリア、少しいいですか」
僕の後ろを歩いていたリリアに、ログマが駆け寄った。
……何かに気づいた様子。
ログマから害意は感じない。非常に友好的な態度。イルゲルムとの繋がりあり。同行目的は、僕らの情報収集と推定。警戒は怠れない。
《蒼眼》の視点を上空からの俯瞰に切り替え、刀の鯉口へこっそりと手をかける。
「<治癒活性>」
ログマはリリアの手を取ると、その指についた引っかき傷を治療していった。
その目つきは、意識は、真剣そのもの。
小さな傷にもかかわらず、全霊を魔法に傾けて癒していた。
目を小さく開き、驚いたように瞬きしているリリアに、人間へ擬態している彼は真摯に語りかける。
「警句。優れた戦士であることは承知しています。しかし、かすり傷でも致命傷になることはあります。綺麗な女性なのですから、ご自愛ください」
……やっぱり。
ログマの言葉から、一切の嘘を感じない。
心底から心配したがゆえの警告と、老婆心に近い小さな叱責。
悪人からは出ない、自然な気配りだった。
癒されたリリア当人もまったく気にしていなかったのか、何度も瞬きをしてログマを見ていた。
「……ありがとう! ログマ。あなた、優しいのね」
赤髪の少女は、朗らかに笑った。
昔、母様が読み聞かせてくれた絵本にあった、夏に咲く一輪のひまわりのような、優しい笑顔だった。
「返礼。いいえ、傷ついた人を放っておけないだけです。ワタシの癒しを受け入れてくださり、ありがとうございました」
ログマは何でもないような澄まし顔のまま、一礼して戻った。
……なんだか、彼を疑っていた僕が恥ずかしくなってきた。
鯉口にかけた手を放し、鼻先を指で掻く。
確かに、ログマはイルゲルムと繋がっているのかもしれない。
ランニングマグロという、凶悪な魔物たちの同族なのかもしれない。
だが、彼の優しい面を僕は知った。
傷を気にしていないリリアを癒し、漂流していたコレトーさんを救った。
その心根は、間違いなく善良。人類を恨み、襲う魔物とは思えない、佳き隣人そのもの。
イルゲルムと通じているのだって、何かしらの事情があるんだろう。
優しい彼をして、魔族として人に脅威を与えるイルゲルムと手を組まざるを得ない何かがあったのだろう。
(なら、僕がやるべきことはログマを警戒することじゃない)
ログマへの疑心は消えていない。
だが、心の比重が少しずつ信頼へ傾くのを感じていた。
明白な矛盾。
僕はログマを信じているのに、疑っている。
言語化が難しい。
けど、理性はまだ彼を疑えと訴えている。
演技の可能性は消えていない。
彼を迎え入れた以上、一番信頼するのは僕であり、いざという時に対処できるよう、一番警戒する必要もある。
王族の責務。
誰かの命を背負い、自分の命を仲間に預ける気構え。
直感に近い、相反する本能が、僅かな違和感を訴えている。
それでも、ああ。
(ログマの背後にイルゲルムとの因縁があるのなら、僕らの手で因縁ごと踏み砕くのみ)
そのうえで、彼の力となればいい。
真摯に接してくれている彼へ報いる。そのために、僕はやるべきことをやろう。
人間、生きていれば隠しておきたい秘密の一つや二つはある。
僕にさえあるのだから、ログマやほかのみんなにあるのは、語るまでもないことだろう。
「よし、迷宮の外に出るよ~」
先頭を歩くイルクが、迷宮の門に手をかける。
すかさず僕らは手を繋ぎ合い、先頭に立っていた彼の剛腕が黒い渦に触れた。
瞬間、僕らの視界が真っ白に染まった。
※※※
迷宮の外は正午の頃だった。
太陽は燦燦と大地を照りつけ、すり鉢状に広がっている大地へ光を届けている。
「ふむ。やはり、娑婆の空気はうまいな」
「指名手配犯のお前が言うと説得力あるな」
イルクがリモルさんの発言に茶々を入れていた。
アルターは真剣な表情で写影機の中身をいじっていた。よく視たら、データを複製しているらしい。
リリアは打って変わって、少し不満げな顔でアルターのそばに腰かけていた。
油布を取り出し、ついぞ使うことがなかった愛剣の手入れをしていた。
(エディン、エディン)
全員の注意がよそに向いている隙に、ログマが僕へ話しかけてくる。
耳元へ顔を寄せ、僕にだけ聞こえるくらいの声量で話す。
(お話ししたいことがあります)
※※※
人気のない岩場。
寄せては返す波を見ながら、僕は岩場へ腰を下ろす。
後ろを見ることなく、俯瞰視点でログマの様子を視る。
「――」
両手の指を突き合わせては、深呼吸を繰り返している。
その目は閉じられている。深い集中、いや、緊張か? ともかく、普段のログマとは遠い様子で何かを待っていた。
「どうしたの、ログマ。改まって」
岩にぶつかり、白波が淡い飛沫となった。
潮風が鼻を通る。磯臭い、浜の香り。
その香りを堪能しつつ、《蒼眼》で辺りを警戒する。
ランニングマグロの群れはいないか。海中から、空の彼方まで。果ては【出雲】が襲われていないか。
イルゲルムがログマを利用して、僕らを襲おうとしていないか。
ゼロに近い確率の話。だが、ゼロではない。誰にも死んでほしくないから。
警戒を怠らず、身体の表面だけは力を抜いて話す。
「告解。エディン。ワタシは、エディンに謝らねばならないことがあります」
背中越しにも感じる、強い視線。
……少なくとも、ただ事ではなさそうだ。
僕はそう考え、ゆっくりと後ろを振り向く。
「なに?」
短く。
しかし、柔らかい声音を意識して、潮風に乗せる。
僅かな逡巡。
言葉を選ぶように口を開閉し、
「エディン」
「ワタシは」
「ワタシの正体を、皆さんに開示しようと思います」
とんでもない覚悟を秘めた表情で、ログマは僕に言った。
「……理由を聞いても?」
どくん、と高鳴った心臓を抑えながら、ログマの様子を視る。
いつかはする必要があるとは考えていた。
でも、それはもう少しログマがみんなへの信頼を積んでからだろうと考えていた。
「回答。それは」
一瞬、ログマの言葉が詰まる。
「ワタシが、イルゲルムと通じていたからです」
「………………は?」
さらにとんでもない情報を開示され、僕の頭の回転も止まってしまった。
※※※
「始まりは、あの惨劇の翌日でした」
停止した僕を横目に、ログマが語り始める。
「あの翌日、イルゲルムはワタシのもとを訪ねてきました。
『同胞を元に戻したくはないか。皆を助けられる力が欲しくはないか。差別に苦しむ世から、人にへつらう世界から脱却したくはないか。ならば戦列に加われ。それが、同胞を救う唯一の道だ』
と」
……なるほど。
そうか。その言い草から察するに、ランニングマグロの族長は、自らイルゲルムの戦列に加わったんだ。
ログマは、というよりも、あそこにいたランニングマグロのほとんどは差別されていた。
そこから脱却するために、族長はイルゲルムを招き入れた。
そして、皆を魔物へ変える道を選んだ。
後生大事に置かれていたオーブにも納得できる。
イルゲルムなら、ああいうものは隠しやすい場所に保管するはずだ。
だが、それがあまりにも分かりやすい場所へ置かれていた。
つまり、あれは族長からの宣戦布告。
ランニングマグロが魔物に身を窶してでも、人を滅ぼす戦列に加わるという、無言の証明だったんだ。
(なんて怨念だ)
僅かに走った寒気を抑えながら、ログマを見つめる。
僕は彼らの歴史を知らない。
だが、ツェナがログマへ向けた第一声は、差別されなかったか否か。
つまり、僕には計り知れないだけで、彼らと人の断絶はあまりにも大きいはず。
「イルゲルムは、ワタシの中にある憎悪へ油を注ぐように言葉を重ねてきました。
……人を治験に使うことすら、データとして扱うことに忌避感を抱かなくなるほどに。
治す手段は見えてこない。
イルゲルムも、彼らを戻すのはこの国を滅ぼしてからだと語っていました」
僅かに頷き、ログマへ続きを促す。
「それでも、人を滅ぼしたくはなかった。
人を。いえ、誰かを傷つけるために、治癒魔法を修めたわけではない。
ですが、戻すすべはイルゲルムしか知らない。
日に日に魔物へ堕ちていく仲間たちを前に、進展のない研究へ没頭していました」
ログマは表情を暗くして語り続け、
「そこへ、エディン。あなたたちが来ました」
ようやく笑った。
「あなたが来てから、一瞬で研究は進みました。
停滞していたあの一年は何だったのかと思うほど、あっさりとです。そして、あなたは言ってくれた」
ログマは僅かに目の端へ光るものを浮かべながら、語る。
「ワタシを差別せずに見てくれた。
ワタシに力を貸してくれた。そして」
「ワタシを、信じると言ってくれた」
ログマは続ける。
「ですから、エディンの信頼に応えようと思ったのです。どうか、聞かせてください」
………………。
そう、か。
生半可な覚悟で言った言葉じゃない。そうじゃないが。
僕の言葉は、こんなにもログマへ影響を与えたのか。
「もし」
ログマが少しかすれた声で、僕を見る。
「もしも、ワタシが拒絶されたら。魔物だと言って石を投げられたら、エディンはどうしますか?」
「僕がログマを守る」
須臾の間もなく、間髪を入れずに答える。
「信頼には信頼を。
ログマの信頼を預かっている以上、僕にはログマを守る責任がある。
僕が提案した結果、ログマに危険が及ぶなら、僕がログマを守って一緒に逃げる」
ログマが息を呑む音が聞こえてきた。
眩しいものを見るように目を細め、彼は僕をまじまじと見ていた。
信頼には、信頼で返す。
みんなが拒絶することなんてない。
それでも、万が一にでも拒絶するなら、僕はみんなに背を向け、ログマを守る責務がある。
それが筋というものであり、責任を取るということ。
「あのイルゲルムに頼らなければならない事態だ。きっと、僕の力だけじゃどうにもならない。
みんなに力を貸してもらう必要がある。でも、ログマの正体を隠したまま、みんなに力を貸してもらうことはできない」
僕の悩みの一つだった、ログマの正体の開示。
それが、こんなにも早く。こんなにも僕を信頼する形で、解決へ近づいた。
「だけど、大丈夫。きっと、どうにかなるさ」
僕は、ただ笑う。
目の前のログマ。そのすべてを背負う覚悟を定め、気楽に笑ってみせる。
ログマは笑わない。
代わりに、彼は<擬態結界>のかかった指輪を迷いなく外す。
人の姿から、ランニングマグロの姿へと幻惑が解ける。
表情の分かりづらいランニングマグロの姿のまま、彼は僕に笑いかけてきた。
「了解。エディン。アナタの誠意を、信じましょう」
※※※
「お、エディンとログマが戻ってきたのです」
岩陰から戻れば、写影機を鞄へしまったアルターが僕らに笑いかけてきた。
リリアも視線を僕らへ向けてくる。油を紙で拭き取り、剣を鞘にしまって立ち上がった。
イルクは手頃な岩の上に座り、あぐらをかいた姿勢のまま頬杖をついて、こちらを見ていた。
リモルさんはそこら辺に浮いたまま寝そべり、本を読んでいる。
「みんな、聞いてほしいことがあるんだ」
声を張り上げ、全員の注目を集める。
同時に、魔力を放出して簡易的な結界を張る。
何かを察したのか、リモルさんが二重に結界を重ね掛けし、僕の補助をしてくれた。
みんな、何も言わない。
じっと僕らを見つめている。
「…………っ、…………」
ログマは何も言わない。
彼は人の姿に戻っていた。
当然だ。いきなり指輪を外して、のこのこ出ていけば、総攻撃を食らう可能性があるんだから。
ログマへ目を向ければ、尻込みしたように視線を惑わせ、困ったような仕草をしていた。
煮え切らない、とは言えない。
怖いのは当然だ。勇気がいるのは当たり前だ。ログマには、僕のわがままに付き合ってもらっている。
だからこそ、ログマへ微笑みかける。
何があっても、僕は彼の味方であると。
彼に並び、ただ隣に立ち続ける。
ログマは、小刻みに震えていた。
深呼吸を繰り返し、何度も生唾を飲み込むような音が聞こえる。
「――陳謝。皆さんに、謝らねばならないことがあります。ワタシは――」
意を決したように、一歩。
ログマが前へ進み、みんなの視線を一身に受け止める。
震える手つきで、指輪に手をかける。
しかし、震えているせいで指輪がなかなか抜けない。
その背中からは、恐怖を感じた。不安を感じた。
何でもない、たった一つの動作が、どうしようもなく勇気の要ることなのだと、痛いほど伝わってきた。
「――あ」
だから、一歩。
僕もログマの隣に並ぶ。
ログマの声が漏れた。
彼の背に静かに手を添える。
彼が一人ではないと。
その勇気の灯をかばえるような、小さな庇となれるように。
ログマの目に、小さな力が宿る。
大きく息を吸い込む。腕に万力のような力を込め、思い切って指輪を外した。
ログマのベールが剥がれた。
黒髪赤目の人のいい青年から、手足の生えたマグロへ。
身に纏っていた人の気配は、魔物のような力へ変わった。
「これが、ワタシです。
御簾籠りの奇人は、ランニングマグロ。魔物でありながら、此方へ治癒を届けてきた者です」
ログマは俯いたまま。
何も見えず、聞こえない。非難も、怒りも感じなかったんだろう。
彼は恐る恐る、顔を上げた。
「なんだ。思ったより普通じゃない?」
彼が耳にしたのは、拒絶の言葉ではなかった。
リリアの肩透かしを食らったような顔。
何でもないことのように扱う彼女に、ログマが一歩後ずさった。
「おー、すごいのです。魔物の魔力って、治癒には適していないはずなのです。
それでも治癒魔法を習得したのは、とんでもない執念。誇るべきことなのです。
むしろ、普通の人間だったってオチより、よほど尊敬できます」
隣にいたアルターは感銘を受けたように頷き、きらきらした目でログマを見ていた。
「は、反駁! これは、もしかしたら皆さんを騙すための――」
「それなら、エディンがとうの昔に気づいてるから平気よ。一緒に過ごして、あなたが悪意のある人だとは思えなかったし」
「ですね。ログマは信頼に足ると思うのです。それで裏切られた時は、まあ、信じたわたしたちが悪いのです」
リリアとアルターは、何でもないように笑ってみせた。
ログマは目を白黒させ、イルクたちの方を見るも――。
「や~、俺らは気づいてたし。いざとなればエディンが対処するつもりだったっぽいから、どうせならエディンの判断を信じようかなって」
「人と共存する魔物など、興趣が尽きん。殺す理由もない。なあ、イルクよ。やはり解体しても――」
「駄目だって、何度言えば分かるんだ。ドチビMAD」
イルクとリモルさんは、とうの昔に気がついていたらしい。
ふざけて笑っている二人を前に、ログマは驚きのあまり声が出ないように喉を詰まらせていた。
それは感激か。
あるいは、それ以上の、言葉にするのも無粋な何かか。
「ね、言ったでしょ」
僕はログマの前へ歩み寄り、不敵に笑ってみせる。
「どうにかなる、ってさ」




