鉄道トラブル
『キェーン』
上空を躍る王鹿から、笛のように甲高い鳴き声が放たれた。
それを合図に、大地へ隊列を敷いていた鹿の軍勢が、怒濤の勢いでこちらへ迫ってくる。
「師匠」
「無理そうだね。<式神・火牛>から反応がない。気絶してるわ、こりゃ」
視線を鋭くしたモーリス君の問いへ、リーリエさんが端的に答える。
先ほどの衝撃による影響か。
この列車を牽引していた式神は行動不能。列車は惰性で線路を滑っているだけで、この場から自力で離脱することはできない。
救援を呼んでいる暇もない。
それを知ってか知らずか、光り輝く鹿の群れは土煙を巻き上げながら、こちらへ迫ってきている。
絶体絶命の危機。
魔獣たちは凄まじい勢いで吶喊してきており、一刻の猶予もない。
なら、僕らの出番ってわけだ。
「リーリエさん」
紫色の刀袋を剥ぎ取り、愛刀である『亡星』を取り出す。
隣に座っていたリリアも立ち上がり、獰猛な笑みを浮かべていた。
「窓ガラスの修理代って、いくらですか?」
親指を窓へ向け、ゆっくりとした調子でリーリエさんに尋ねる。
煙管を口にしていたリーリエさんは、紫煙を吐き出してふっと笑った。
「今回は無料だ」
なるほど。
じゃあ、問題ないな。
「了解」
言葉少なに、視線を魔獣の軍勢へ戻す。
一瞬だけ、リリアとアルターに目を向ける。
リリアは満面の笑みを浮かべ、アルターは諦めたように大きく肩を竦めていた。
結構。
二人とも、乗り気だね。
足へ一気に魔力を溜める。
腰を捻り、鞭のように脚をしならせて蹴りを放った。
次の瞬間、ぱりん、と窓ガラスが砕け散る。
跳び蹴りの要領で窓を蹴破り、光塵のように舞い散るガラス片の中を、一跳びで越えて外へ飛び出した。
「あはっ」
「やれやれ。最近は、こんなトラブルばっかなのですよ」
リリアが愛剣を手にしたまま、凶悪な笑みを浮かべて僕の隣へ着地する。
アルターもため息を吐きながら窓枠へ足をかけ、僕とリリアに続いて列車の外へ飛び出した。
「モーリス、行っていいよ」
「ありがとうございます、師匠!」
列車内に残り、じっと僕らを見つめていたモーリス君の顔に、満面の笑みが浮かぶ。
深々とリーリエさんへ頭を下げたのも束の間、義足の左脚へ思い切り力を込め、床を蹴った。
「エディン君! 僕も行く!」
義足とは思えないほど俊敏な動きで加速したモーリス君は、僕の左隣へ並び、笑いかけてきた。
その笑顔に卑屈さも、恐怖もない。
モノクルの奥にある瞳は力強く輝き、顎を引いた顔には自信が浮かんでいる。
……ふふ。
強くなったな、モーリス君。
「ようし! 全員、僕に続け!」
気怠さが消え、全身の血潮が熱く滾っていく。
後ろには、戦意に燃える仲間たち。
ああ。
今、僕は最高に冒険している。
声を張り上げ、指先に魔力を乗せる。
走りながら魔法陣を描き、先頭を駆け抜ける。
「今日の昼食は鹿鍋だぁぁぁッ!!」
※※※
「<紅蓮砲殲火>!」
挨拶代わりの爆炎を撃ち放った。
砲門型の魔法陣から深紅の太陽が尾を引いて飛来し、迫り来る鹿の軍勢へ直撃する。
衝撃に灼熱が乗り、草原に爆炎が広がった。
「――無傷?」
もうもうと立ち込める黒煙の中から現れたのは、光り輝く鹿の軍勢だった。
傷ひとつ負っていない。
赤い瞳に怒気を滾らせながら、何事もなかったように走り続けている。
上空を躍る王鹿も、身じろぎひとつしていなかった。
「キェエンッ!」
先陣を駆ける配下の鹿が嘶く。
脚に溜めた筋力を爆発させ、彼我の距離を一気に詰めてきた。
剣山のように枝分かれした角を、突進の威力に任せて僕らへ突き立てようと迫ってくる。
「死になさいなッ!」
深紅の一閃が、一番槍を溶断した。
赤刃を翻し、リリアが腰溜めに剣を構える。
ぼう、と刃筋を神秘の焱がなぞった。
リリアの源流能力、【八炎鼓】の焱。
肉も、骨も、鋼も、魔力も、力さえも焱へ還す業火を刃へ纏わせ、リリアは凶悪な笑みを浮かべる。
「【焱巫流】――」
業銘を唱え、大きく一歩を踏み出した。
紅い魔力の粒子が荒々しく体内を駆け巡り、彼女の身体機能を爆発的に向上させる。
「――『紅葉・乱』!」
横一文字の剣閃が、空へ紅い軌跡を残した。
赤熱を帯びた刃が、続く第二陣の鹿を一刀両断に伏す。
リリアの身体が倒れ込むように前へ進み、直後、その全身が舞うように跳ね上がった。
膝を発条のように弾ませ、剣に宿った赤い光を乱反射させる。
無数の剣閃が咲き乱れた。
灼華の斬撃が五月雨のように鹿の群れを切り刻み、次々とその首を刎ね飛ばしていく。
負けていられないな。
腹の底にある負けん気が燻り、『亡星』を構えて群れへ斬りかかる。
しかし――。
「なっ……!」
『亡星』の一刀は、鹿の身体を何の抵抗もなく透過した。
「召命――『式神・狛道』!」
モーリス君が式神の符を投げる。
形代が白い狛犬を象り、牙を剥いて鹿へ襲いかかった。
しかし、その牙すら鹿の身体をすり抜けてしまう。
「<銀輪厄鏡>」
迫る鹿へ向け、アルターが指を鳴らした。
空間に銀色の亀裂が走り、襲い来る鹿の身体をずたずたに引き裂く。
【豚鬼】すら容易に切り裂いた、アルター固有の魔法。
《蒼眼》でも原理を読み解けない神秘が鹿どもへ炸裂し、その身体を細切れにした。
しかし、その傷すら一瞬で元に戻る。
「なのですゥ!?」
アルターが目を剥いた。
鹿の勢いは止まらない。
猛然とアルターへ突進し、その小柄な身体を角で跳ね飛ばそうと迫る。
「《統巡》!」
「<泥壁>!」
刹那、僕は《統巡》でアルターの身体を後方へ引き寄せる。
同時に、モーリス君の投じた符が泥の壁を構築した。
鹿の軍勢はそのまま泥壁へ突っ込む。
柔らかい壁が蹄や身体へ絡みつき、疾走の勢いを大きく削いだ。
「怪我は!?」
「ないのです! 助かりました!」
「重畳!」
僕が引き寄せたアルターを、モーリス君が両腕で受け止める。
すぐさま複数の符を放ち、新たな泥壁を生成しながら、式神へ意識を移していった。
あっぶねえ……!
背後にも《統巡》を回しておいてよかった。
咄嗟のことだったけど、何とか間に合った。
何より、モーリス君がいてくれて本当に助かる。
彼が受け止めてくれたおかげで、僕はアルターを引き寄せる力の加減や、着地のことまで考えずに済んだ。
「エディン! こいつら物質体じゃないわ! 魔力は持ってるけど、魔法で作られた身体でもない!」
蹴りを放ち、それすら鹿の身体を透過したリリアが、直感的に叫ぶ。
「重さと攻撃能力だけを持った、幻影に近いわ!」
なるほど。
そこにいるけれど、そこにはいない。
実体を持たない幻像へ、攻撃するときだけ力を通しているって感じか。
「ふっ!」
迫る鹿の角を回避し、擦れ違いざまに『亡星』を通しながら、その構造を《蒼眼》で探る。
確かに、物質としての熱量や構造は存在していない。
光と魔力によって像を作り、気魄の経路を通して、本体の持つ力だけを現実へ投射している。
だからこちらの攻撃はすり抜けるのに、鹿の突進だけは実際の質量を伴って僕らを打ち据える。
防御と回避が一体化した、卑怯極まりない能力だ。
そして、鹿どもは魔力ではなく、より強固な気魄の線で繋がっていた。
すべての線は、上空を躍る【殲光鹿】へと続いている。
この軍勢の源流は、あの王鹿だ。
空に浮かぶ本体もまた、自分自身の存在を曖昧にする同種の防御を纏っている。
「――ふっ!」
赤い剣閃が跳ねる。
気魄の経路などお構いなしに、リリアは鹿どもの首を刎ね飛ばしていく。
【八炎鼓】の焱が、鹿の身体を作る光も、力を通す気魄も、まとめて燃やし尽くしている。
特殊な防御の上から、害獣の命を斬り落としていた。
――なるほど。
【八炎鼓】なら通るのか。
鹿の角による下段からの突き上げを跳んで回避し、《統巡》で身体を後方へ引きながら、意識を内側へ巡らせる。
「すう――」
息を吸い込み、目を閉じる。
意識するのは霊魂。
心臓のさらに奥深く。
肉体の遥か裏側にある、己という存在の根へ意識を伸ばす。
【星輝戴星】。
僕の能力は、耐性の獲得と能力の学習。
傷を負えば、その力に対する耐性を得る。
そして、得た耐性から相手の法則を逆算し、その能力を己のものとして修得する。
僕はすでに、【八炎鼓】を学習している。
霊魂の撃鉄を起こす。
蒼い気魄が魂の表面で跳ね、源流にある能力の基盤へ流れ込んだ。
呼び起こすのは、熾火の息吹。
耐性を元に学習した焱を、霊魂の奥底から引きずり出す。
「喰らえよ、『亡星』」
魔力を存分に纏わせた黒刀へ、深紅の力を注ぎ込む。
「【八炎鼓】の焱を」
※※※
空の焼ける匂いがした。
『亡星』へ纏わりつく、橙色に輝く【八炎鼓】の焱。
僕の魔力を薪にして、業火が燃え盛る。
僕の焱では、リリアほどの火力は出せない。
だが――。
「――ふっ!」
黒刀が、迫る鹿の脳天を焼き切った。
鹿が纏う無敵程度なら、正面から燃やし尽くせるだけの火力と神秘は保っている。
これなら届く。
本命を、正面からぶっ叩ける。
能力の根源は、上空にいる【殲光鹿】。
あいつを仕留めれば、この防御と回避は消え去り、配下の殲滅も容易になる。
「ふっ!」
リリアが単身、群れの中へ吶喊し続けている。
深紅の斬閃が蜘蛛の巣のように折り重なり、襲い来る鹿の屍を次々と築き上げていた。
無双状態だ。
だが、数にものを言わせた鹿どもの壁に阻まれ、その前進は少しずつ遅くなっている。
技の切れも、疲労の影響でわずかに落ち始めていた。
リリアの目的も、僕と同じ。
総大将の討伐だ。
リリア一人でも、僕一人でも、この群れを正面から突破するのは困難。
この物量を斬り刻み続ければ、いつかは押し潰される。
だが、二人なら。
「リリア!」
総大将の首を刎ね飛ばすには、十分だ。
大声でリリアの名を呼ぶ。
足りないのは足場。
王鹿の元へ跳び、その首へ刃を突き立てるための発射台が足りていない。
リリアは即座に頷きを返した。
一瞬で周囲の鹿を切り刻み、剣を担ぐように構える。
「【焱巫流】――」
魔力を全身へ流し、周囲のあらゆる熱をその身へ集中させる。
力が極限まで蓄積され、リリアが一気に踏み込んだ。
「――『斬骨』!」
轟剣一閃。
踏み込みによって大地が揺れる。
リリアは全身を回転させ、その勢いのすべてを乗せた刃を横薙ぎに振るった。
爆炎と星を思わせる深紅の円が広がった。
周囲にいる鹿どもを軽々と切り伏せ、熱の余波が後方に群がっていた獣どもまでまとめて焼き払う。
鹿の軍勢、その一角が一掃された。
僕と王鹿を結ぶ、一本の道が出来上がる。
リリアの膝が、ぴくりと震えた。
全霊を剣へ乗せ、鹿を切り払ってくれたのだ。
『斬骨』は、リリアの【焱巫流】の中でも屈指の大技。
強烈無比な踏み込みによる大地の反発と、しなやかな体幹を余すことなく刃へ乗せて切り払う、愚直なる奥義。
乱戦による疲労の中で放てば、継戦能力を著しく損なうのは必定。
無駄にはできない。
迷わず駆ける。
「<玉桂天装>!」
アルターが指先へ黄金の魔力を纏わせ、魔法陣を描いた。
僕の身体へ黄金の力が宿り、肉体の性能が一気に跳ね上がる。
「せぇいッ!」
大地が震えるほどの、強烈な踏み込みをかける。
ずどん、と鈍い音と共に足場が陥没した。
膝を深く折り曲げ、大地から返ってきた反発を脚力へ加え、一息に跳び上がる。
一瞬で王鹿のいる上空へ到達する。
【八炎鼓】を溜め込んだ『亡星』を、大上段に構えた。
「キェェェェェンッッ!」
王鹿が、口から強烈な閃光を吐き出した。
光と共に、凄まじい衝撃が全身を打ち据える。
「ぐっ……!」
びりびりと身体が痺れ、大きく後方へ弾き飛ばされた。
矢のような勢いで僕の身体が宙を飛び、みるみるうちに王鹿が遠ざかっていく。
んな……ッ!
王鹿そのものの迎撃能力まで高いのかよ!
ずっる!
そんなん、近寄ることすらできないじゃんか!
下を見れば、リリアの周囲へ新たな鹿の群れが殺到しようと、土煙を巻き上げながら突撃している。
リリアの不敵な表情に、一筋の汗が流れていた。
くっ、こんの……!
せっかく作ってくれた好機が。
また、じり貧に――!
だが、仲間には代えられない。
空中で身体を捻り、着地態勢を整える。
不時着と同時にリリアの元へ駆け寄れるよう、全身の魔力を調整し――。
「<式鴉>!」
瞬間、モーリス君が僕へ向けて符を放った。
式神の術を刻まれた紙は、僕の足元で巨大な鴉へ姿を変える。
その広い背中が、宙を舞う僕の足場となった。
じじ、と式神の身体に砂塵のような影が走る。
絶大な神秘を、その身へ無理やり留めている。
修行によって魔力量が増えたとはいえ、モーリス君がこれほどの式神を維持するのは相当に厳しいはずだ。
「五秒持たせる! その間に、奴を!」
顔を真っ青にしながら二本指を揃え、刀印を維持したままモーリス君が叫ぶ。
これで、モーリス君の継戦能力は大きく下がった。
五秒後、彼は魔力不足で戦線から離脱することになる。
無茶は承知。
鍛え抜いているとはいえ、その地力はいまだ、彼自身が望む基準へ届いていない。
それでも僕を信じ、全霊を託してくれた。
「応とも!!」
叫び返し、巨大な鴉の頭へ乗る。
これに応えられないのなら、友とは名乗れない。
「カァ――ッ!」
式鴉もまた、主の意地へ応えるように高らかに鳴く。
巨大な翼を羽ばたかせ、王鹿へ向けて急加速した。
王鹿は身じろぎひとつしない。
肺腑へ魔力を溜め込み、先ほどの衝撃波を再び放つ準備をしている。
びりびりと、足元にいる式鴉の身体が崩れ始めていた。
ああ。
分かるよ。
この式神は、もう限界だ。
立派な体も、威容を誇る巨大な翼も、少しずつ魔力へ還り始めている。
一撃を与える間もなく消え去る。
あの攻撃をまともに受ければ、即座に符へ戻るだろう。
理性的に考えるまでもなく、王鹿の圧倒的優位は変わらない。
やぶれかぶれの特攻にしか見えないはずだ。
知性を持つ王鹿が、賢しらに抗う人間という獣の無謀を嘲笑っていることなど、百も承知。
《蒼眼》で視るまでもない。
狩人は己。
狩られる獣は人間であると、心の底から信じ切っている。
接敵する。
【八炎鼓】を喰らった『亡星』が煌々と輝き、式鴉の身体が本格的に崩壊を始めた。
「【旧流法】、伍の刃――」
だからこそ。
僕は勝利を確信していた。
「キェェェェェンッッ!」
閃光。
咆哮。
害意ある旋律が、式鴉と僕を正面から打ち据えた。
雷鳴のような衝撃が鴉の身体を大きく揺るがし、その肉体を崩壊させ、元の符へと変える。
王鹿の瞳が、喜悦に歪んだ。
獲物を仕留めた。
そう確信した瞬間、王鹿が勢いよく背後を振り返る。
自らの無敵を焦がすほどの熱を。
己の命を脅かす破滅を、背後へ感じ取ったのだろう。
「――『鴉羽』」
驚愕に見開かれた瞳へ、橙色に煌めく太刀を構えた僕の姿が映った。
【旧流法】、伍の刃。
『鴉羽』。
式鴉の背と、《統巡》で作り出した一瞬限りの力場を蹴る。
急加速と急停止を不規則かつ連続的に行うことで、敵の認識へ残像を焼き付ける第五の奥義。
王鹿が撃ち抜いたのは、式鴉の上へ残した僕の残像だ。
「【旧流法】、陸の刃――」
そこから。
腰を捻り、渦雲のように全身を回転させる。
「――『鏑斬り』!」
足場なき回転斬り。
空中で敵を仕留める、第六の奥義。
二連の橙色の斬撃が、王鹿の首と胴を切り飛ばした。
※※※
王鹿の加護が剥がれた。
光の粒子が空へ立ち上る中、僕はくるくると身体を回転させながら、《統巡》で落下の勢いを削っていく。
それでも完全には殺し切れない。
勢いを残したまま地面へ落ち、膝を深く曲げて着地した。
「……っ!」
両脚がじん、と痺れ、思わず涙が浮かぶ。
痛い……。
さすがに十メテル近い高さからの着地は堪えるな……。
周囲では、残された鹿どもが慄くように後ずさっていた。
「ヌシを失えば、ただの鹿か」
配下の鹿たちは光を失い、ただの魔鹿へと戻っている。
軍隊のような統制も、先ほどまでの異様な力強さも感じられない。
こちらを警戒しながら怯えるように後退し、逃げ出す機会を窺っていた。
ほむ。
これは、いけそうだな。
毅然とした表情を作り、体内で練り上げた魔力を鹿たちへ向けて放出する。
「――失せろ」
怒気を魔力へ込め、思い切り睨みつける。
びくり、と鹿たちは一斉に震えた。
そして、我先にと身を翻し、森の奥へ一目散に逃げ去っていった。
「ふう……」
ため息を漏らし、その場へ座り込む。
《蒼眼》で周囲を見回したが、敵影は一切ない。
温度、空間、光学、魔力。
四つの視点を同時に巡らせても、奇妙な反応や新たな敵の姿は見当たらなかった。
よかったぁ……。
【八炎鼓】の燃費が、思っていた数倍は悪い。
これ以上戦闘が続いていたら、どうなることかと思ったよ。
いざというときは【天璽聖劍】を抜くつもりだったけど、あれはもっと燃費が悪いだろうしなあ。
使ったことがほとんどないので直感でしかないが、【天璽聖劍】が要求する魔力量は尋常ではない。
やっぱり、今の魔力総量じゃまるで足りない。
使っている術の要求量と、僕自身の魔力量が全く釣り合っていない。
「お疲れ様、エディン」
隣にリリアが座り込み、拳を突き出してきた。
疲労の色は濃い。
しかし、満ち足りた良い笑顔を浮かべている。
「お疲れ、リリア」
こつん、と拳同士をぶつけ合った。
「いやあ、すごい。此が出るまでもなかったね」
ゆらり、と一瞬で目の前へ白髪の女性が現れた。
リーリエさんだ。
一切の予備動作も見せず、列車からここまで移動してくるって、この人は本当にどうなってるんだ。
肩には、気絶したモーリス君を担いでいる。
アルターはすでに列車の中へ移動させたらしい。
相変わらず、手が早い。
じっとりと見つめる僕の視線に気づいているのかいないのか、リーリエさんは何度もうんうんと頷いていた。
「今回はちょっと強い相手だったからねー。手助けが必要かな、と思ってたけど、どうやら要らなかったみたいだし。かなり合格って感じぃ?」
リーリエさんはにたにたと笑いながら、煙管を口へ運ぶ。
それにしても、モーリス君を魔力強化もせず片腕で担いでいるの、すごいな。
武器や装備をいろいろと身につけているし、訓練によって筋肉もかなり増えている。
それなのにリーリエさんの体幹には、一切の揺らぎがない。
全く力を込めていないような顔で、余裕そうに担いでいる。
「これなら、全然任せられるね~。いやあ、よかったよかった」
リーリエさんは満足げに頷き、じっとこちらを見つめてきた。
……なんだろう。
強烈に嫌な予感がする。
どう考えても、ろくでもないことを頼まれそうな気がするんだけど。
リーリエさんの暴虐ぶりは、嫌というほど知っている。
筋を通す人ではある。
だけど、それ以外に関しては適当だし、自分勝手を極めている。
そんな人が「任せられる」なんて言っているのだから、悪寒が止まらない。
やめてほしい。
でも、この人には途轍もなく大きな恩がある。
断るという選択肢はないんだけど、それでも面倒事の気配が消えてくれない。
「奇遇ね。わたしもよ」
リリアが、渋い顔をする僕と同じような表情を浮かべていた。
リリアもか……。
こりゃ相当だな。
「別に、大したことを頼むつもりはないよ。銀級冒険者として、正式に依頼を出すだけさ」
「構いませんけど……。変なことはできませんよ?」
少し身構えながら、リーリエさんへ問いかける。
「変なことなんかじゃないさ。れっきとした護衛依頼だよ」
リーリエさんが、どこからか一枚の符を取り出す。
その符へ息を吹きかけると、光に包まれ、仕立ての良い和紙へと変わった。
魔力で紙を僕らの元へ飛ばし、口から紫煙を吐き出す。
「依頼内容は護衛。君たちの目的地、【出雲】で執り行われる大祭――」
リーリエさんは煙管の先で依頼書を指し、楽しそうに笑った。
「<諸天経法・荒神祭>の護衛をお願いしたいのさ」




