第95話 大分断の地獄と、置き去りの玉座(前編)
俺が夜空を真っ白に焼き尽くし、あの巨大なロケットを塵一つ残さず消し去ってから、どれほどの時間が流れただろうか。
世界のバランサー、門番たる火龍として、俺は最悪の結末を未然に防いだつもりだった。
だが、人間の業というものは、俺が考えていたよりも遥かに深く、そして救いようのないものだった。
光華王朝の皇帝は、失敗に終わったロケット打ち上げを『神の祝福』として民衆に喧伝し、さらなる軍拡へと突き進んだ。
対する北の大国、スヴァトゴーラ王朝も黙ってはいなかった。
彼らは強固な超硬合金で造られたガーディアンゴーレムの軍団を配備し、弾頭ミサイルを惜しげもなく並べ立てたのだ。
泥沼の戦争が始まり、二つの超大国は互いの領土を焼き尽くす狂気のチキンレースへと突入していった。
俺は黄龍の宝珠を懐に抱えながら、戦場の空を飛び回り、落ちてくるミサイルの弾道を強引に逸らしたり、暴走する魔導兵器を物理的に叩き潰したりして、被害を最小限に抑えようと奔走した。
スヴァトゴーラと光華の合間に現れる超巨体の龍を人々は『巨壁』と呼んだ。
だが、それは焼け石に水でしかなかった。
人間の悪意と恐怖が生み出す殺戮の連鎖は、一個体のドラゴンの力で止められる限界をとうに超えていた。
そして、その狂乱の時代が、ついに『限界点』を迎える日がやってきたのである。
◆◆◆
その日、俺は遥か北方に位置するハニマル国の奥深く、険しい岩山をくり抜いて作られたドワーフの工房を訪れていた。
かつて俺の理不尽な超質量を支えるため、世界一頑丈な『漆黒のパイプ椅子』を打ち上げてくれた、あの筋肉だるまの親方の工房だ。
各地を飛び回り『巨壁』と呼ばれる図体でミサイルやら熱線やら爆発やらを受け止めている間に、黒鋼のパイプ椅子に歪みが出てしまったのだ。
メンテナンスを待つ間、むせ返るような石炭の煙と溶けた金属の熱気が充満する巨大な鍛冶場で、俺は酒を飲みながら手持ち無沙汰に魔力を練っていた。
◆◆◆
「――できた! ついにできたぞ、親方!!」
俺は工房の石畳の上で、歓喜の声を上げて飛び跳ねていた。
俺の足元では、ドワーフの親方が咥えていた煙管をポロリと落とし、目を丸くして俺を見上げている。
「やかましいわい、ヒューマン。……いや、ヨシュアよ。何ができたって言うんじゃ」
「質量コントロールだよ! 長年の修行の末に、ついに俺の身体の『質量保存則』を、魔力で完全に相殺する術を身につけたんだ!」
俺は満面の笑みで、工房の隅に無造作に置かれていた、何の変哲もないヒューマン用の華奢な丸太椅子を指差した。
「見てろよ。今から俺が、あの普通の木の椅子に座ってみせるからな」
「バ、バカな真似はやめい! お前さんがそんなものに腰を下ろしたら、うちの工房の床板ごと下の階までぶち抜いちまうぞ!」
親方が慌てて止めに入ろうとするが、俺は静かに魔力を練り上げた。
自身の内側に数百万トンという規模で圧縮されている古代竜の超質量。
それを、重力魔法のベクトルを極限まで精密に操作し、外界へとかかる圧力をゼロへと近付けていく。
ゆっくりと、慎重に、丸太椅子へと腰を下ろす。
……ギシ。
木の椅子が微かに軋む音を立てただけで、粉砕されることも、床が陥没することもなく、俺の体重を見事に支え切ったのだ。
「おおおっ……! 座れた! 俺は普通の椅子に座れたぞ!!」
俺は椅子の上でガッツポーズを作り、歓喜の涙を流さんばかりに喜んだ。
人化の術を習得して以来、どこへ行くにもあのクソ重たい黒鋼のパイプ椅子を背負って歩かなければならなかった苦労が、ついに報われた瞬間だった。
「やれやれ。バケモンじみた執念じゃのう。だが、これでわしらが苦労して打ったあの黒鋼の椅子も、お役御免というわけか。メンテナンス途中じゃが、どうするつもりじゃ?」
親方が、少しだけ寂しそうに傍らの漆黒のパイプ椅子を見つめる。
「ああ、そいつには散々世話になったが、鋳潰してなんかの素材にしてくれや。これからはもっと身軽に旅ができるぜ」
俺が胸を張って答えた、まさにその瞬間だった。
ズズズンッ……!!!
地殻の底から響いてくるような、不気味で圧倒的な地鳴りが工房全体を激しく揺さぶった。
空間そのものが物理的に軋むような、次元の底が抜けるような異様な震動だ。
俺は慌てて丸太椅子から立ち上がり、工房の分厚い鉄扉をこじ開けて外の谷間へと飛び出した。
◆◆◆
空が、裂けていた。
真っ昼間だというのに、太陽の光は完全に掻き消され、分厚い暗雲が渦を巻きながら天を覆い尽くしている。
その雲の裂け目から、見たこともないほど巨大で、神々しいまでに白く輝く『雷』が、光華王朝とスヴァトゴーラ王朝の領土に向けて、無数に降り注いでいたのだ。
大地が悲鳴を上げ、視界の彼方で巨大な山脈が隆起し、地割れが大陸を飲み込んでいくのが見えた。
「な、なんじゃこりゃあ……! 世界が終わるぞ!!」
工房から転がり出てきた親方が、空の惨状を見上げて腰を抜かしている。
(……創造神の、怒りか)
俺の竜としての本能が、あの光の正体を正確に理解していた。
終わらない軍拡と、星の寿命すら縮めかねない破壊兵器の応酬。
その愚行をついに見過ごせなくなった上位存在が、世界を強制的にリセットするために下した鉄槌。




