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第09話 VIP個室への移動と、霊穴塞ぎの真実

 青銀の翼ギルドとの縁を完全に断ち切った結羽とドレイクが次に向かったのは、野田市内の総合病院だった。


 消毒液と薬品のツンとした匂いが漂う、静かで重苦しい長期療養病棟。


 結羽が向かったのは、その一角にある6人部屋の大部屋だった。


 薄暗いカーテンで仕切られただけの空間には、他の患者のくぐもった咳き込む声や、面会に訪れた人々のひそひそとした話し声が絶えず響いている。


 その一番奥の窓際のベッドに、結羽の妹であるふゆは眠っていた。


 真っ白なシーツに沈み込むように横たわる小さな身体。


 点滴の細い管が細い腕に繋がり、規則的でひどく弱々しい呼吸だけを繰り返している。


「……ふゆ。おはよう、お姉ちゃんだよ」


 結羽はふゆの冷たくなった手を両手で優しく包み込み、そっと頭を撫でた。


 そして決意に満ちた表情で立ち上がり、病棟のナースステーションへと向かった。


 カウンターの向こうで書類仕事をしていたベテランの看護師は、結羽の顔を見るなり、少しだけ痛ましそうな表情を浮かべた。


 万年金欠の探索者志望の少女が、いつも面会のたびに十分な治療費を払えない引け目から申し訳なさそうにしている姿を、彼女はずっと見てきたのだ。


「おはようございます、前山田さん。……ふゆちゃんの面会ですか?」


「おはようございます! はい。それと、病室の変更の手続きをお願いしたいんです」


 結羽がハキハキとした声で告げると、看護師は少し困ったように眉を下げた。


「病室の変更? ……えっと、大部屋から、別の階の大部屋へ、ということですか? 今ならいくつか空きはありますが……」


「いえ」


 結羽は、真っ直ぐに看護師の目を見て、はっきりと宣言した。


「一番設備が整っている、特別個室へお願いします。……魔力濃度の調整機能と、専属の魔導生命維持装置がついている部屋へ」


 その言葉に、看護師は目を見開いた。


 特別個室。


 それは、国や協会からの補助金などでは到底賄いきれない、トップギルドの重役や富裕層のみが利用する、一泊数万円が飛んでいく超VIP待遇の病室だ。


「ま、前山田さん……お気持ちは痛いほどわかりますけど、あの部屋は月に何百万円もかかってしまいますよ……。今の補助金だけでは、とても……」


「大丈夫です。資金は、用意できましたから」


 結羽は自身のスマートフォンを操作し、銀行口座の残高証明の画面をカウンターの上に提示した。


 そこに並んでいたのは『10000000』という途方もない桁の数字だ。


 画面を見た瞬間、看護師は息を呑み、完全に言葉を失った。


「こ、これは……! 一体、どうやって……」


「昨日、ダンジョンで特別な素材を手に入れたんです。……だから、ふゆに、最高の治療を受けさせてあげてください!」


 結羽の淀みのない、力強い声。


 嘘や見栄ではない、自らの手で掴み取った結果からくる絶対的な自信がそこにあった。


 看護師は弾かれたように席を立ち、「す、すぐに病棟の責任者を呼んでまいります!」と慌てて奥へと走っていった。



 ◆◆◆



 数十分後。


 最上階に位置する特別個室のふかふかのベッドに、ふゆは移されていた。


 広々とした部屋には初夏の明るい陽の光がたっぷりと差し込み、大部屋のようなくぐもった空気は一切ない。


 枕元に設置された最新型の魔導生命維持装置が、微かな駆動音と共に、ふゆの周囲の魔力濃度を最適かつ清浄な状態に保っている。


「……よかった」


 結羽は、新しいベッドで静かに眠る妹の顔を見て、心の底からの安堵の息を吐き出した。


 お金がすべてではない。


 だが、お金がなければ守れない命と尊厳があることを、結羽はこの半年間で痛いほど学んできた。


 完全な密室であることを確認し、隠形を解いたドレイクが、ベッドの足元からふゆを見下ろした。


「黄龍。お前さんの目にはどう映る?」


 ドレイクのポケットからふわりと浮かび上がった黄龍の宝珠が、淡い金色の光を放ちながら、ふゆの全身を静かにスキャンし始めた。


『……先ほど、結羽さんの端末を経由して、この病院の電子カルテと、過去の魔導スキャンのデータを拝見させていただきました。その上で、私のデータバンクと照合した結果……ふゆ殿の症状は、現代の医学では原因不明とされるのも無理はありません。我々アストライアの知識においては、『霊穴塞ぎ』と呼ばれていた症状です』


「霊穴、塞ぎ……?」


 聞き慣れない言葉に、結羽は首を傾げた。


『はい。強力な魔力災害に巻き込まれた際、未熟な子供の身体は強烈な防衛本能を働かせます。致死量の異常な魔力を取り込まないよう、自らの魔力を使って、外界と魔力をやり取りする器官――霊穴を完全に塞ぎ、文字通り心を閉ざして冬眠してしまうのです』


「病気でも怪我でもねえ。外部からの強烈な脅威に対する、一種の自己防衛による完全なシャットダウンってわけだ」


 ドレイクの補足に、結羽はハッと息を呑んだ。


 ふゆは、壊れたわけではない。


 自分を守るために、必死に扉を閉ざして耐え続けているのだ。


「じゃあ、どうすればその扉を開けられるんですか!? 魔力を注ぎ込めば……?」


『いいえ。外部から無理やり魔力を注ごうとすれば、反発して経絡が焼き切れます。最も確実な治療法は、自身でその恐怖の対象となった魔獣を打倒し、己の力で恐怖を克服することなのですが……』


「……そんなの、眠っているふゆには無理です。どうすれば……」


 結羽が絶望に顔を歪めると、黄龍は静かに解決策を提示した。


『本人が対象を打倒できない場合は、縁の深い者が代理として打倒し、その対象の生命力が最も濃く詰まった部位を用いて『無害化した特効薬ポーション』を錬成するのです。それを服用させることで、身体に擬似的に『克服』のプロセスを踏ませ、安全に霊穴をこじ開けることが可能です』


「特効薬……! それなら、ふゆは助かるんですね!?」


 結羽の表情に、パァッと希望の光が差した。


「ああ。で、その原因ってのは、どこのどいつだ?」


 ドレイクが首の骨をポキリと鳴らしながら問う。


 結羽は再び、三年前の記憶の底を掘り起こした。


 警報が鳴り響く街、大地を揺るがす恐ろしい咆哮、そしてゲートから這い出してきた巨大なシルエット。


「三年前に野田ダンジョンから溢れ出したのは……第六階層よりもさらに奥、深層に生息しているという巨大な牛頭の魔獣……ミノタウロスです。当時の討伐隊が押し返したものの、今も深層のボスとして君臨しているはずです」


「ミノタウロスか。……牛っころだな」


 ドレイクは面白そうに鼻を鳴らした。


 標的は定まった。


 妹の命を救うための、明確な道標がそこにあった。

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