第52話 死地への許可証と、佐修院家の総力戦
東京都心にそびえ立つ、関東ダンジョン協会本部。
その最上階にある重厚なマホガニーの扉の奥、一般の探索者では一生入ることのない『会長室』には、息の詰まるような重苦しい沈黙が降りていた。
本来、特級ライセンス保持者である結羽のアタック申請は、窓口で即座に受理されるはずだった。
だが、目的地が『群馬県・赤城山ダンジョン』――いまだコアが発見されておらず、幾多の精鋭を飲み込んできた監視・封印級の迷宮とあっては話が別だ。
窓口の職員は凍りつき、最終的に彼らはこの部屋へと直接通されることになった。
「彩斗美君。君がここまで回復したことは、協会としても個人的にも大変喜ばしいことだ。……本当に、奇跡としか言いようがない」
広大な執務机の向こう側で、関東ダンジョン協会会長を務める初老の男が、深く皺の刻まれた顔に苦渋の表情を浮かべていた。
彼は、かつて第一世代として日本のトップを駆け抜けた佐修院彩斗美の活躍を知り、そして彼女が部下を喪い、ベッドで植物状態に陥った絶望の歴史を誰よりも重く受け止めてきた人間の一人だった。
「君のパーティーメンバーたちの功績も決して劣るものではない。野田、さいたま、江の島、川崎、芦ノ湖からの生還と討伐実績は、実際大したものだ。特級の前山田君をはじめとする彼らであれば、大抵のダンジョンは踏破できるだろう。だが……」
会長は、手元の申請書を力強く叩いた。
「それでも赤城山ダンジョンへのアタックは……認められない。君自身も大きなダメージを受け、君の部下達が命を散らし、SS級探索者がアタックに失敗したという事実を受けて、あそこは『封印指定』となったのだ」
「会長……」
「最前線に復帰したとはいえ、復帰後の実績が不足している。もしも、万が一にも、SS級探索者の再アタックが失敗したとなれば、赤城山ダンジョンの驚異度はさらに上の強度に引き上げなければならない」
それは、ただの悪意や権力の誇示ではない。
ダンジョンの魔石をクリーンエネルギーとして利用し、共生関係を築いている現代社会において、ダンジョンの管理を担うトップとしての重すぎる責任と正論だった。
「それはもはや、ダンジョンとの共生という現代社会において、あまりにも高すぎる強度だ。周辺地域の避難、経済への打撃……それこそ社会全体を揺らがせかねないのだよ。彩斗美君、どうか賢明な判断を――」
「大人の責任とやらを説くのは勝手だがな、会長さんよ」
重苦しい空気を切り裂いたのは、ソファに深く腰を下ろし、腕を組んでいたドレイクの低く嗄れた声だった。
「アンタのその『社会全体』ってヤツの中に、こいつの魂の救済は入ってねえのか?」
「なんだと……?」
「こいつは、自分の過去に落とし前をつけるために行くんだ。社会のルールや、世間の顔色を伺って尻込みするような安い覚悟じゃねえ」
ドレイクの炎金の瞳が、凄まじい威圧感を持って会長を射抜く。
その規格外のプレッシャーに、会長は思わず息を呑み、言葉を詰まらせた。
そこへ、ふゆの持つスマートフォンから、黄龍のジェントルな音声が響き渡る。
『会長殿。我々のこれまでの「実績」は認めていただけているようですが、現在の「実力」について、まだ懸念がおありのようですね。ならば、こちらをご覧いただきましょう。私が先ほど協会本部のシステムと同期し、再構築した最新のデータです』
空間に青白いホログラムのウィンドウが展開され、結羽、ふゆ、ドレイクのステータスボードが空中に投影された。
それは、黄龍のハッキングによって『辻褄が合うように、しかし規格外に盛られた』偽装ステータスだ。
特級の結羽の数値はもはや人の域を超え、後衛のふゆの魔力値はS級魔術師を凌駕し、ドレイクに至ってはC級でありながら意味不明なエラー値を弾き出している。
「な、なんだこのデタラメな数値は……!? システムのバグか!?」
「バグではありませんわ、会長」
静かに、しかし絶対的な重圧を伴って立ち上がったのは、彩斗美だった。
彼女は自身の端末を操作し、空間に彼女自身の『本物』のステータスボードを並べて展開した。
「……っ!!」
会長が、そして控えていた協会幹部たちが、椅子から立ち上がりそうになるほど驚愕した。
そこに表示されていたのは、かつてSSランクとして日本の頂点に君臨していた全盛期の彼女を、さらに一回りも二回りも上回る、暴力的なまでの圧倒的な数値だった。
さいたまと江の島での『同位同食』、そしてドレイクが彫り込んだ光華文字の魔術回路による大剣の重量可変ギミック。
それらが完全にリンクした結果生み出された、至高のコマンダーの真の姿。
「彩斗美君……君は、人間をやめたとでも言うのか……?」
「私は、私を取り戻す為に行くのよ」
彩斗美は、テーブル越しに会長へとにじり寄り、その漆黒の瞳で真っ直ぐに彼を見据えた。
それは、ただの復讐鬼の目ではない。
かつて部下を率い、彼らを死なせてしまった指揮官としての、狂気にも近い悲痛な覚悟だった。
「あの蛇公との戦いで喪った仲間達の、そして自分自身の仇を討つためにね。これは私の戦い。……もしまだあいつを倒せないとしても、仲間達の命だけは必ず還すわ。その為のアーティファクトも用意した」
彩斗美は、かつて酸素マスクに繋がれていた頃の弱々しさを微塵も感じさせない、凄まじい気迫を放っていた。
「この私の覚悟を……止められるものなら止めてみなさい――!!」
空間がビリビリと震えるほどの威圧感。
それは、ギルドの規則や社会のシステムといった薄っぺらい壁を、物理的に、そして精神的にへし折る絶対的な力だった。
「…………」
長い、長い沈黙が会長室を支配した。
やがて、会長は深く、ひどく疲れたようなため息を吐き出し、万年筆を手に取った。
「……分かった。君の瞳は、昔、最前線に立っていた時のあの輝きのままだ。私の負けだよ。ただし、これは協会としての正式なアタック許可ではなく、あくまで特級とSS級による『特例の現地調査』という名目だ。……必ず、生きて帰ってこいよ、彩斗美君」
「ええ。お気遣い、感謝するわ」
彩斗美が申請書を受け取り、優雅に一礼する。
死地への許可証は、彼らの圧倒的な力と覚悟によって、かくしてもぎ取られたのだった。
◆◆◆
関東ダンジョン協会本部の正面玄関。
自動ドアを抜け、初夏の眩しい日差しの中へと出てきた四人は、目の前に広がる光景に思わず立ち尽くした。
「な……なにこれ!?」
結羽が目を丸くして叫ぶ。
「ええっ!? お祭り!? 引っ越し!?」
ふゆも隣で飛び跳ねながら、信じられないものを見るように目を瞬かせた。
協会の巨大な車寄せから、それに続く大通りにかけて。
先頭に停まる漆黒の大型SUVの後ろに、佐修院家の家紋が刻まれた巨大な輸送用トラックの車列が、まるで軍隊の補給部隊のようにズラリと十台規模で並んでいたのだ。
「お待ちしておりました。彩斗美お嬢様、ドレイク様、結羽様、ふゆ様」
SUVの運転席から降りてきたのは、燕尾服をビシッと着こなした執事の黒田だった。
彼の背後には、同じく佐修院家の制服に身を包んだ数十人の使用人たちと、白衣を着た一流の魔導医師たちが、軍隊のように整然と整列している。
「黒田……これは、一体どういうことかしら?」
彩斗美が呆れたように尋ねると、黒田はスッと背筋を伸ばし、その目元にうっすらと熱い涙を浮かべた。
「彩斗美お嬢様が再起して、自らの仇を討ちに行くというのに、佐修院家の者がなにもしないで見送るだけなど有り得ません」
黒田の普段の冷静な商人の顔はそこにはなく、ただ一人の主君を想う、熱すぎる忠誠心が爆発していた。
「先代様の許可は得ております。お嬢様が倒れてからというもの、私が買い取り屋で広げたコネクションを、私の自由裁量で動かせる資産を、今この時に使わないでいつ使いますか! 市場に出回る最高級の回復ポーション、解毒剤、バフアイテムのすべてを放出し、ありったけを買いこみました。その全てをトラックに積み込んであります」
黒田は、ズラリと並ぶトラックの車列を力強く指差した。
「数日間に渡るダンジョンアタックを想定し、赤城山ダンジョンの至近距離……瘴気の影響を受けない安全地帯に、『家』と同等のベースキャンプを構築いたします。我々志願した使用人達が身の回りの全てをお世話いたします。休養や食事だけでなく、回復術士とも期間契約をいたしました。何度でもアタックと回復を繰り返せるよう、我々佐修院家が総力を挙げて後方支援を務めさせていただきます」
「「「お嬢様のご武運を!!!」」」
数十人の使用人たちと魔導医師たちが、一斉に深く頭を下げる。
その圧倒的な資本力と、狂気すら感じるほどの忠義の連鎖に、結羽とふゆはただただ圧倒されるしかなかった。
「……黒田」
彩斗美は、ダンジョン第一世代の覚醒者として、かつて共に死線を潜り抜け、自分が寝たきりになった後もずっと支え続けてくれた老執事の顔を見つめ、フッと優しく、そして力強く微笑んだ。
「ありがとう。あなたたちの忠義、絶対に無駄にはしないわ――必ず討ち取ってみせます」
「そのお言葉が聞けたことがなによりの誉れです。どこまでもお付き合いいたしましょう」
黒田が涙を拭い、力強く車のドアを開ける。
「カッカッカ! こいつは傑作だ! 最高に頭の悪い、最高に頼もしい兵站じゃねえか!」
ドレイクが腹を抱えて豪快に笑い飛ばし、結羽の背中をバンッと叩いた。
「おい結羽、ふゆ! スポンサー様と執事殿がここまでお膳立てしてくれたんだ。期待に応えねえわけにはいかねえぞ!」
「はいッ! 絶対に、蛇公をぶっ倒します!」
結羽が如意棍棒を背負い直し、力強く拳を握る。
「わたしも、後方支援とオペレート、完璧にこなしてみせるからね!」
ふゆが銀色のシリンジガンを胸に抱き、気合を入れた。
赤城山の深淵に潜む、神話級の猛毒龍ヒュドラ。
その理不尽な絶望を叩き潰すため。
佐修院家の莫大な資本力と、よろず屋パーティーの規格外の理が完全に融合し、死の山へと向かう壮大な出陣の号砲が、初夏の東京に高らかに鳴り響いたのだった。




