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第04話 火龍の制約と、救助隊とのすれ違い

 冷たく湿った迷宮の通路を、ひんやりとした地下の風が吹き抜けていく。


 第六階層のモンスターパレードを単独で壊滅させ、中ボスのワーウルフすらも純粋な物理的暴力だけで粉砕した規格外の男は、ドスンドスンと重い足音を立てながら、ひどく不満そうに自身の太い腕をさすっていた。


「……たく、使えねえ身体だぜ」


 ドレイクはギリリと奥歯を噛み鳴らして言った。


 その顔は、とんでもなく面倒なクレーム対応を迫られた町工場の親父のように渋い。


「ドレイクさん、どうしたんですか?」


 自身の背丈ほどもある巨大なリュックを背負い直しながら、結羽が尋ねた。


 リュックの中には、先ほど彼女が地を這うような猛烈な速度で剥ぎ取ったワーウルフの無傷の毛皮と、百匹以上のウルフたちが残した大量の魔石がぎっしりと詰め込まれている。


 普通の大人でも持ち上がらない暴力的な重量だが、ふゆの治療費になるというアドレナリンが、今の彼女の痛覚と疲労を麻痺させていた。


「人の身に固定されたどころか、マジックバッグまで繋がらなくなっちまっている。俺の“巣”に繋がるどころか、仕事道具もパァだ」


 ドレイクは忌々しげに舌打ちをして、腕を組んだ。


 なんでも元いた異世界では、市井に紛れ込んでよろず屋をやっていたとのことだった。


「手持ちはドワーフに打たせたナイフが一丁と、スパナとドライバーが一つずつ。それと口の悪い宝珠が一個だ。たまったもんじゃねえ」


「……すみません、わたしが考えなしに呼んじゃったから……」


 結羽が申し訳なさそうに俯く。


 いつかは魔獣を呼び出せるのだと思っていたが、絶体絶命のピンチに召喚されたのは龍が人化の術で化けたおっさん。


 しかも指先一つでモンスターパレードの一角を文字通り消滅させておいて、それでも本来の力の千分の一にも満たないという怪物だ。


 それが自分の器の小ささと、この世界の魔素の薄さとやらが理由だというのだから、結羽は恐縮するばかりだった。


「まぁ、その、なんだ。気にするな。お前さんのせいじゃねえ。……それに、この姿も嫌いじゃないんでな」


 ドレイクは大きな手で、結羽の頭をポンと無造作に撫でた。


 その手のひらは温かく、結羽の心をすっぽりと包み込むような不思議な安心感があった。


「よし、このダンジョンってやつは、入退場にチェックがはいるっていってたな?」


「あ、はい! どうしよう……ドレイクさんのこと、どう説明すればいいんだろ……」


 結羽はハッとして、現代社会の厄介なルールを思い出した。


 未登録の人間がダンジョンから出てくれば、協会は間違いなく騒ぎ立てる。


 さらに、結羽のような万年レベル1の荷物持ちが大量のボス素材を持ち帰れば、不審に思われて拘束される可能性すらあった。


「面倒なことになる前に小細工した方がよさそうだな。……お嬢ちゃん、少し息を止めな」


 ドレイクは足元に小さく陣を描き、隠形と隠蔽の仙術を展開した。


 フッと、彼の巨体が音もなく空間から消え去る。


『――聞こえるか? お嬢ちゃん』


「はいっ!」


 脳内に直接響く念話に、結羽は誰もいない空間に向かって頷いた。


『重畳だ。お前さんの気配察知なんかで俺の気配を感じられるか?』


「いえ、全く……すごい高度ですね……」


 結羽の持つ器用貧乏なスキルの一つに『気配察知』がある。


 それなりに熟練し、モンスターの不意打ちを何度も避けてきた彼女のセンサーをもってしても、今隣にいるはずのドレイクの気配は、魔力はおろか呼吸音や体温すらも完全に世界から切り離されていた。


『ならいい。このまま通り抜けるぞ。まぁダンジョンのシステムとやらに認識されたら、その時はその時だ』


 最悪の場合は、ゲートごと物理で粉砕して突破するという、絶対的な強者ゆえの安心感を漂わせる言葉だった。


『さて、この穴蔵から出るとするか。改めて名乗るが、俺はヨシュア・A・ドレイク。お前さん、名は?』


「ま、前山田結羽(まえやまだゆう)です!」


『よし。結羽、どれほどの付き合いになるかわからんが、よろしくな。ああそれと……』


「なんでしょう?」


「さっきも話したが、俺の本来の姿は火龍だ。で、その前は日本で生まれ育ったおっさんだった――もっとも『この日本』と同じ日本かはわからんがね……さぁ、行くか!」


 ――テイマースキルで召喚したのは異世界のおっさんかと思ったら火龍で、その火龍は異世界に転生した日本人のおっさんでした。


 衝撃的な事実を、既にキャパシティを越えそうな脳に追加されて、結羽はたたらを踏みそうになった。


 だがそれでも、この一歩は今まで泥の中を先も見えずに歩いていたそれとは違うのだ。


 そう踏みとどまった結羽は、巨大なリュックを背負い直し、見えないバディを連れてダンジョンの出口へと向けて歩き出した。



 ◆◆◆



 野田ダンジョンの第一階層、地上へと続く巨大なゲートの前。


 結羽がそこに辿り着いた時、ゲートの向こう側から、複数の足音と緊迫した声が近づいてくるのが聞こえた。


「急げ! 第六階層の西ルートだ!」


「チッ、あの荷物持ち、ドジを踏みやがって! だが、あいつが三分でも囮として群れを食い止めてくれていれば、まだ肉片くらいは残っているはずだ!」


「ああ。ギルドの保険を申請するためにも、せめて認識票(タグ)だけでも回収するぞ。……あいつの妹の入院費にもなるんだ、プロとして最低限の仕事はしてやる!」


 現れたのは、完全武装した五人の探索者たち。


 先ほど、結羽を囮にして置き去りにした『青銀の翼』のリーダーと、その仲間たちだった。


 彼らは地上で装備を整え直し、本当に「救助隊(あるいは遺品回収隊)」として再突入してきたのだ。


 結羽は、通路の物陰に身を隠し、彼らが駆け抜けていくのをじっと見つめていた。


 彼らは、決して純粋な悪党ではない。


 現代のダンジョンという過酷な環境において、全滅を避けるための合理的な判断を下し、そしてプロとしての責任(死体の回収)を果たすために、危険を承知で戻ってきたのだ。


 結羽がいなくなれば、彼女の妹のふゆはどうなるのか。


 その事実を理解しているからこそ、彼らは冷酷な損切りを行いながらも、わずかな良心と社会的な体裁を守るために、身の危険を冒してまでダンジョンへ引き返してきたのである。


 彼らもまた、死と隣り合わせの迷宮で生き残るために最適化された、現代の探索者の形だった。


 だが、だからこそ。


 結羽の胸の中にあった、彼らに対する「仲間としての未練」は、完全に冷え切って消え去った。


(……この人たちは、わたしを『人間』として見ていなかった。ただの計算式の一部、消費できる『コスト』としてしか見ていなかったんだ)


 悲しみも、怒りも湧かなかった。


 ただ、自分がこれまでどれほど惨めで、無力な場所に縛り付けられていたのかを、はっきりと理解しただけだ。


『……どうする結羽? あいつらの前に出て、生存報告をしてやるか?』


 隠形を展開したドレイクの念話が、静かに脳内に響く。


 結羽は岩陰から彼らの背中を見つめ、静かに首を横に振った。


「……いいえ。このまま行きます。わたしは、わたしの足で歩きます」


 ギルドに所属していれば、また誰かの指示に従い、誰かの足手まといになるだけだ。


 自分の命の価値を他人に決められるのは、もうまっぴらだった。


 それに、今の彼女には、最高の保護者がついている。


『……へっ。いい顔つきになったじゃねえか』


 ドレイクが満足げに笑う気配がした。


 過去のしがらみは、この薄暗い迷宮の底に置いていく。


 結羽は迷うことなく岩陰を抜け、地上へと繋がるゲートへと歩みを進めた。


 厳重なはずのダンジョン協会のセキュリティゲートも、どのような術を施したものか、ドレイクはさっさと通過したようだ。


 こうして、数字の呪縛と社会のしがらみから解き放たれた少女は、自分の足で、新たな世界へと踏み出した。

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