第102話 孵化室の蹂躙と、深淵へのゲート(後編)
結羽は無意識のうちに、如意棍棒の冷たい感触を確かめるように強く握りしめた。
ピキィッ……!
罠を強制起動させて侵入してきた四人の存在を検知し、周囲の無数の繭が一斉に内側から引き裂かれた。
ベチャァッ、と粘液を撒き散らしながら姿を現したのは、巨大な牛頭の怪物、ミノタウロスたちだった。
一匹や二匹ではない。
数十匹ものミノタウロスが、生まれたばかりの猛烈な飢えと殺意に満ちた血走った瞳を、侵入者たちへと一斉に向けたのだ。
「「「グルルォォォォォォッ!!」」」
鼓膜を破るような咆哮が何十重にも重なり、肉の部屋全体を激しく震わせる。
かつての結羽であれば、そのプレッシャーだけで足がすくみ、呼吸すらままならなくなっていただろう。
しかし、彼女の隣には今、最強の仲間たちがいる。
「来るわよ! 結羽は、遊撃! ふゆは後方から足止めを!」
「はいッ!!」
「任せて!」
彩斗美の鋭く澄んだ号令と共に、新生よろず屋パーティーが完璧な陣形で躍動する。
数十匹のミノタウロスが、地響きを立てて四方八方から一斉に突進してくる。
だが、その暴力的な質量の波は、結羽たちに届くことすら叶わなかった。
「防壁展開ッ!」
彩斗美が懐から取り出したアストライアの古代遺物『魔導キューブ』を起動し、強固な斥力結界を展開する。
青白い光の壁が、突撃してくるミノタウロスたちの分厚い筋肉と激突し、凄まじい反発力でその巨体を容赦なく後方へと弾き返した。
「グガァッ!?」
体勢を崩し、ブヨブヨとした肉の床に無様に転がる巨獣たち。
その足元へ、後衛の安全な位置に陣取るふゆの銀色のシリンジガンから放たれた魔弾が、的確に着弾していく。
「水と金の理……『腐食と凍結の魔弾』!」
着弾と同時に、ガラスのシリンジに封じ込められていた五行の理が爆発する。
強烈な凍気と装甲を溶かす腐食性の魔力が瞬時に広がり、ミノタウロスたちの強靭な脚力を次々と奪い去っていく。
生まれたばかりで魔力耐性も整っていないストックモンスターたちにとって、それはあまりにも致命的なデバフだった。
関節が凍りつき、皮膚が強酸によって焼け爛れていく。
「シィィィッ!!」
そして、動きが止まり、完全に無防備となったミノタウロスたちの群れの中へ。
結羽が、黄金の流星となって飛び込んだ。
彼女の手には、アストライアの光華文字が淡く明滅する、鈍い銀光を放つ『如意棍棒』が握られている。
結羽は『点』の歩法で滑りやすい肉の床を爆発的に蹴り出し、一瞬にして敵の懐へと潜り込む。
丹田から引き上げられた莫大な仙気が、経絡を通じて棍の先端へと流れ込み、圧倒的な破壊力へと変換される。
「はぁッ!」
ドゴォォォンッ!!
鈍く、そしてひどく重い破砕音が響き渡る。
結羽の放つ如意棍棒の石突きが、ミノタウロスの丸太のような脚の関節をピンポイントで粉砕した音だ。
巨体がバランスを崩して傾く。
その反動すらも自らの力に変え、結羽は棍を軽やかに反転させると、遠心力を極限まで乗せた旋風撃を、無防備な頭蓋めがけて振り抜いた。
バキィィッ!!
強固な頭蓋骨が陥没し、一匹のミノタウロスが瞬時に光の粒子となって消滅する。
休む間もなく、結羽は次の標的へと跳躍した。
彩斗美の結界に阻まれ、ふゆの魔弾に足を止められ、身動きの取れないミノタウロスたちは、もはや結羽にとって『ただの案山子』に等しかった。
骨が砕ける音、肉が弾ける音、そして魔獣が光の粒子へと還っていく音が、孵化室の不快な脈動音を次々と上書きしていく。
それはもはや戦闘などという生易しいものではなかった。
ただの一方的な『蹂躙』であり、世界のバグを掃除する、完璧な『大掃除』だった。
暗闇の中で怯え、腕を折られて涙を流したかつての自分はもういない。
結羽の瞳に宿るのは、絶対的な理を体現する万能戦士としての誇りだけだ。
「……ふぅ。片付きましたね」
わずか数分の出来事だった。
孵化室を満たしていた数十匹のミノタウロスの群れは、手も足も出ないまま、すべて光の粒子となって消え去っていた。
結羽は汗一つかかず、呼吸すら乱すことなく、赤熱の収まった銀色の如意棍棒をクルリと回して肩に担ぎ直した。
「見事な制圧力ね。個の暴力と組織の戦術……。ふふっ、本当に最高のパーティーだわ」
彩斗美が魔導キューブを納めながら、満足げに微笑む。
「見事だ。お前ら、最高の連携だったぜ」
壁際で腕を組んだまま、一度も手を出すことなく事の顛末を見守っていたドレイクが、ニヤリと牙を剥いて笑い、タバコの煙を深く吐き出した。
「で? ふゆ。この悪趣味な肉の部屋の奥に、本命の『扉』は隠されてるか?」
「うん! 待っててね……黄龍さん、一番魔力が濃いところ、あそこだよね?」
『はい。この孵化室のさらに底……空間の位相を意図的にズラして深く隠蔽された、真のゲートが存在します』
ふゆが魔力視の焦点を極限まで絞り、肉の壁の奥深くにある『歪み』を正確に捉える。
「……ロック、解除するね!」
ふゆがUIゴーグルを通じてシステムに干渉し、黄龍の演算能力を借りて強制的にパスコードを書き換えていく。
ズズズズズ……ッ!
地鳴りのような重低音と共に、部屋の最奥の肉の壁が左右に裂けた。
その奥から、濁った銀色の未知の魔法金属で縁取られた、重厚な『ゲート』が姿を現したのだ。
そのゲートからは、これまでの階層とは比較にならないほど重く、そして錆びた鉄とオイルの入り混じったような、無機質で不気味な臭気が漏れ出している。
野田ダンジョンの最下層――人類未踏の領域である『深淵層』への扉だ。
「よし。よく見つけたな、ふゆ」
ドレイクは満足げに頷くと、口にくわえていたタバコの灰を指で弾き、首のタオルをグイッと締め直した。
そして、鋭い炎金の龍眼で、頼もしく成長した仲間たちを振り返った。
「いよいよだぜ……ここから先は、お前達にとって本当の『未知』だ。アストライアの狂った防衛システムや、どんな理不尽な兵器が飛び出してくるかわからねえ。……覚悟はいいな、お前ら」
「「「はいッ!!」」」
結羽、ふゆ、彩斗美の三人の力強い声が、肉の部屋に響き渡る。
四人は互いに頷き合うと、迷うことなくその暗いゲートへと踏み出した。
この世界のバグの根源にして、両親の足跡が眠る深淵へ。
新生よろず屋パーティーは、力強くその一歩を刻んだ。




