主人公は博識である
授業開始を告げる鐘が校舎中に響き渡る。
一限目――。
「呪いの強度が増し、封印が弱まれば、三体の巨人は再び目覚めます。この現象こそ、私たちが『ラグナロクの再来』と呼ぶものです。」
教師が黒板へ文字を書きながら説明を続ける。
授業内容は、大陸全土に蔓延する災厄――『アングルボザの呪い』についてだった。
(あ、これ知ってる。)
学園へ向かう旅の途中、ジークから北欧神話や歴史について教わっていたおかげで、内容はそれほど難しく感じない。
「では質問です。ラグナロクの再来において復活するとされる三体の巨人について説明できる人はいますか?」
教師が教室を見渡す。
真っ先に手を挙げたのは、学年首席――スノッリ・ストゥルルソンだった。宰相の職業適性を持つ彼は博識であり、今朝の全校集会でも新入生代表として堂々と宣誓していた。
「ストゥルルソンくんにばかりに答えて貰っているわね。他に分かる者はいますか?」
教師は一瞬だけ彼を見たものの、別の生徒を指名したいらしい。
「…………はい!」
ブリュンヒルデは勢いよく手を挙げた。
ここは絶好の機会だ。
優秀であることを周囲へ示さなければならない。
いずれ生徒会役員となり、ジークの昇級を陰から支える。その目標を叶えるためにも、ここで怠けている暇などなかった。
「それでは、ブリュンヒルデさん。お願いします。」
教師に促され、ブリュンヒルデは静かに立ち上がる。
胸を張り、自信を持って答え始めた。
「はい。一体目は、冥界の女王ヘルです。終末の獣の一柱でありながら、死者の国ヘルヘイムを統べる女神としての側面も持っています。文献によれば、地上へ現れる際には死者の軍勢を率い、生者の世界へ侵攻すると記されています。」
ヘルは悪神ロキとアングルボザの間に生まれた子の一柱。
中には、ロキがアングルボザの心臓を食べ、自ら女性へ姿を変え、ヘルを産み落としたとする奇妙な記録まで残されている。
「二体目は世界蛇ヨルムンガンド。世界そのものを取り巻き、自らの尾を咥えるほど巨大へと成長する毒蛇の怪物です。」
ラグナロクでは雷神トールが神器ミョルニルを三度投擲し、ついにヨルムンガンドを討ち果たした。しかし最期に放たれた猛毒を浴びたことで、トール自身も命を落とす。勝敗は、痛み分けだった。
「最後は、フェンに棲む者――銀狼フェンリル。巨大な狼の怪物で、その口を開けば上顎は天へ届き、眼と鼻からは炎を噴き出します。主神オーディンを飲み込み、その命を奪った存在として知られています。」
説明を終えると、教師は満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしい!皆さん、ブリュンヒルデさんへ拍手を!」
教室中から拍手が沸き起こる。
ブリュンヒルデは軽く会釈し、席へ腰を下ろした。
ふと視線を感じる。
見れば、スノッリが真っ直ぐとこちらを見つめていた。
その熱い眼差しには気付いていたが、あえて知らないふりをする。
◇
休み時間。
「流石は聖女だ。入学初日からこれほど予習してくるとは感心した。」
スノッリが机の前まで歩み寄ってくる。
(……うん、分かるよ。)
彼が自分へ特別な感情を抱き始めていることくらい、ブリュンヒルデにも分かる。
(でも、ごめんね。ブリュンは、ジークくんのものだから。)
だからといって邪険にするつもりもない。
これから同じ教室で学ぶ、大切なクラスメイトなのだから。
適度な距離感を保つことが一番だ。
「スノッリの言う通りだよ~♪ブリュンヒルデちゃん、本当にすごいねぇ〜♪」
軽い口調とともに、一人の青年が二人の間へ割り込んできた。
緑色の髪を揺らし、人懐っこい笑みを浮かべる青年。
スノッリは鋭く睨み付けるが、その顔を見た途端、表情がわずかに強張る。
「貴様は……ディートリッヒ・フォン・ベルン」
ベルン王国最後の王子だった男の子。
祖国はクラキ国へ併合され、王位も国名も失われた。
クラキ国宰相の息子であるスノッリにとって、複雑な相手なのだろう。
「僕の用事はヒルデちゃんだから、お邪魔虫は向こうへ行ってくれない?」
「……貴様」
二人の視線が火花を散らす。
(やめてよぉ。ブリュンヒルデが可愛いからって争わないで…………なんちゃって。)
苦笑しながらベルンへ向き直る。
「それで、用事ってなに?」
ディートリッヒは嬉しそうに笑みを深め、顔を近づけた。
「今度の週末、一緒にピクニックへ行かない?ユグドラシルの近くに、ウルズの景色を一望できる秘密の場所を見つけたんだ!」
まっすぐな誘いだった。
ブリュンヒルデは断ろうと口を開く。
しかし――。
(…………そんな素敵な場所があるの?)
頭の中へ浮かんだのは、ディートリッヒではない。
ジークだった。
(ジークくんと行きたい。今日行こう。今すぐ誘いに行こう!)
脳内で夢想する。ジークと恋人の様に戯れる自分達の姿を。
「それ……いいかも!」
ぼそりと呟く。
もちろん、隣のディートリッヒへ向けた返事ではない。頭の中は、ジークとのデート計画でいっぱいだった。
(ジークくんなら絶対にブリュンヒルデと行ってくれるもん。)
たとえ断られても、半ば無理やり連れて行けばいい。
「なっ!?ブリュンヒルデ!こいつは女癖が悪いことで有名なんだぞ!」
「男の嫉妬ほど醜いものはないよ、お邪魔虫くん♪」
二人はまた言い争いを始める。
しかし、ブリュンヒルデの耳にはもう届いていなかった。
(早くジークくんを探さなきゃ。)
勢いよく席を立つ。
「あれ?ブリュンヒルデちゃーん!?」
そのまま教室を飛び出していった。
静まり返った教室で、スノッリが深いため息を吐く。
「……貴様のせいで、ブリュンヒルデが行ってしまったではないか。」
ディートリッヒは首を傾げる。
「ブリュンヒルデちゃん、どこへ行ったの?」
「どうせ従者のところだ。」
スノッリは吐き捨てるように言い、自分の席へ戻っていく。
「……従者、ねぇ」
ディートリッヒは意味深な笑みを浮かべた。
「面白そうじゃないか〜♪」
そう呟くと、彼もまたブリュンヒルデの後を追って教室をあとにするのだった。




