第8話
とはいえそれがバレる時にはワタクシの目的も達せられているでしょうから問題はありませんね。
不安そうな表情を作ってミルクをチビチビ飲んでいると、一人帰って来ました。
「見つけたぞ。あの野郎、今日は相当稼いだみたいだな」
「そうか……。嬢ちゃんのプレゼントは残念だがもう売られちまっているかもしれない……」
この人が盗ったわけでもないのに、店主は申し訳なさそうに頭を下げます。
しかしボリスの居る場所がわかればワタクシにはそれで充分。安心してください。そもそもお父さんへの誕生日プレゼントを盗まれた少女なんて居なかったのです。
「そうですか……。せめて謝っていただきたいのでその場所へ案内してくださいますか?」
「……お嬢ちゃんがそう言うなら構わないが。付いて来な」
案内されるがままに付いて行くと、ボリスが豪遊していた店は意外と近くにありました。
店の外にまで響いてくる騒ぎ声。どうやら、相当楽しく飲んで騒いでいるようです。
「ありがとうございました。ここからはワタクシ一人で結構です」
「……そうか? 謝らせるだけならあまり大したことにはならなさそうだが、何かあったらすぐに俺らが飲んでた店に来るんだぞ」
そう言いながらもその人は、後ろ髪を引かれるように何度も振り返っていました。
人が良いだけに、騙すような形になったのが少し心苦しいです。
流石にここまで優しくしてくださった方の前で暴れ出すのも気が引けましたので、その姿が見えなくなるまで待ちます。
やがて角を曲がり完全に戻って来ないのを確認すると、ワタクシは気持ちをすぐに切り替えて身に着けていたシーツを脱ぎます。
腰に差してある魔剣ムスニアを確認。
気づかれないように店に入って、後ろから差してやればそれで終わりです。
音を立てないように静かに扉を開け、中に入ってまた静かに閉じます。ゲラゲラと大きな笑い声をあげて酒を飲んでいる男達がワタクシに気づいた様子はありません。
あまり大きくない店のようで、十人程度の人数で中は込み合っています。それぞれが財布の中身を気にしないように、次から次へと酒を注文しています。
「……見つけた」
人の間を縫うように進み、一番奥にボリスは居ました。こちらに背中を向けていますが、今朝見た後ろ姿です。
左右に女性を侍らせ、聞こえて来る声は上機嫌。
気づかれない内に早く片をつけましょう。
鞘から抜いたムスニアが怪しく光ります。あたかも、これから手に入る魂を楽しみに待ちきれない様子です。
これから人を一人殺そうというのに、今のワタクシは緊張もしていませんし気負ってもいません。きっと神様がそういう感情を抑制するように手を入れたのでしょう。
一々取り乱していては仕事になりませんもの。
ボリスまで残り一歩、というところでムスニアを構えます。そしてボリスの背中に突き立てようとした時、ボリスが振り返りました。
「……何やってんだ嬢ちゃん?」
ヤバいですわ。
振り返ると同時にボリスにはムスニアを掴まれてしまいました。ガッチリと掴まれ、押しても引いてもビクともしません。
流石は神様に狙われるような存在。そう簡単に事は運ばないのでしょうか。
やがてボリスの様子に気づいた他の客達もワタクシに気づき、店内に騒めきが満ちます。
逃げましょうか?
しかしそれでは魔剣ムスニアを手放してしまうことになります。それだけは絶対にしてはいけません。
ならば戦うしかないでしょう。
利き手はムスニアで塞がっています。
仕方なく、背負っている両手剣を左手一本で引き抜きます。
「きゃああああああああ!」
叫んだのはどなたでしょうか。
さっきまでは少女とボリスが睨み合っているだけの光景に見えたでしょうが、これだけ巨大な刃物が現れればただ事でないのは察するでしょう。
抜いた勢いのまま、剣の腹を叩きつけます。
これならば間違ってボリスが死ぬこともないでしょう。
それをボリスは軽く躱します。お陰でムスニアは解放されましたが、ボリスには距離を取られてしまいます。
剣によって壊された椅子が散乱し、ドアの近くに居た客達が一目散に逃げ出していきます。
「申し訳ありませんが、覚悟していただきます」
「子供に狙われる心当たりはないんだがな……」
いつの間にかナイフを取り出しているボリス。手癖が悪いだけあってその瞬間はワタクシの目に移りませんでした。こう見えて手品のタネを見破るのは得意だったのですが。
ボリスの後ろには侍らせていた女性達が震えて縮こまっています。
彼女達からすればワタクシの方が賊なのでしょう。震えながらボリスに手を伸ばしています。
ムスニアを鞘へ戻します。
片手が塞がっている内に、とボリスが考えたかどうかは定かでありませんが、ボリスは狭い店内を一直線にワタクシへ向かって来ました。
それを牽制するように剣を突き出しますが、ボリスは容易にそれを躱すとナイフを振るってきます。
「小さな女の子に対して遠慮がないんですのね」
「命を狙ってくる相手に遠慮はできねえよな!」
「そういう考え方、嫌いじゃないですわ」
狭い店内では剣を思い切り振ることはできません。しかし幅広の刃は少し動かすだけでも攻撃することができます。
そしてボリスにとっても狭い店内は避け辛いでしょう。
しかしこちらの攻撃を躱しつつ、ボリスは的確にワタクシを攻撃してきます。次第に攻守の立場が入れ替わっていきます。
「くぅ!」
ついにボリスの刃がワタクシを捉えました。
肩口を浅く切られただけですが、このままではいずれ大きな一撃をもらってしまうでしょう。
動きを見る限り、ボリスがワタクシよりも強いということはなさそうです。しかし潜って来た修羅場の差でしょうか。
しかし地力ではこちらが勝っているので、回避に専念すれば次の攻撃は食らいません。急いでボリスの動きを見極めねば。
「……面倒だな」
呟いてボリスは足を止めます。
ここがチャンスとばかりに踏み込みました。
その瞬間、ボリスがニヤリと笑ったように見えましたが、
「ほらよ!」
と、ボリスは声に合わせて、ついさっきまでボリスが傍に侍らせていた女性をワタクシの剣の前に投げ出しました。
「きゃあっ!」
「何を!?」
すんでのところで剣を止めることはできました。しかしあと一歩遅かったら、剣は女性に突き刺さって大惨事になっていたことでしょう。
女性は力が抜けたようにヘナヘナと床へ崩れ落ちます。
「誰かは知らねぇが、じゃあな!」
女性の無事を確認するためにワタクシの動きが止まったその隙に、ボリスは捨て台詞を残して裏口から外へ出て行きました。
ワタクシの中で何かが切り替わるような音がしました。
女性とボリスの関係は知りません。もしかしたら今日出会ったばかりかもしれません。そうだとしても、誰かの犠牲に対して何も思わないボリスを逃がすはずがありませんでした。
「そっちがその気なら……」
もうこちらも手段を選んではいられません。
せめて最期くらいは、とも思っていましたが、そんな気持ちはどこかに消え去りました。
改めて考えるとボリスは悪人です。同情して楽にしよう、なんて考えていたのが不思議なくらいで。彼がどんな死に方をしようがそれは報いと言えるでしょう。
急いで裏口から外に出ると、ボリスの背中が遠くに見えます。
いつか見たオリンピックの陸上競技。その槍投げのような形に剣を構えます。もちろん、切っ先はボリスへ向けて。
「逃がしません、わよ!」
巨大な剣は重さを感じさせないほど軽やかに飛んで行きました。
幸いにも夜で人通りが多くないこと、その少ない人もボリスが逃げるために脇に追いやっており、飛んで行く剣を邪魔する物は何もありませんでした。
そして剣は寸分違わず、ボリスの両足に突き刺さりました。
「ぎゃあああああああ!」
夜の街にボリスの叫び声が響きます。
近くに行くと、ボリスの足は足首の辺りで切断されていました。突き刺さる、という言葉が生温いような光景でした。
歩けなくなったのにも関わらず、何とか逃げようとしているのか必死に腕を伸ばしています。
その首根っこを掴んで起こします。
かわいそうに、目には涙を浮かべています。
「お前……何なんだよぉ……」
「さぁ? 何なのでしょうね」
「――ぅぐ」
魔剣ムスニアを喉に突き刺します。
もうどうなるかわかっているでしょうに、ボリスはここに来てもまだ助けを求めるような目でワタクシを見ていました。
だからどうという話でもありませんが。
突き刺さったナイフを横に一閃。ゴポッと音を立てて血が溢れ、ボリスは血泡を吐きながら倒れました。
不思議なことに、人を一人殺したというのにワタクシには何の感情も湧きませんでした。やはり神様が何かをしたのでしょうか。それが良いのか悪いのか、今のワタクシには判断できません。
最後にビクリとボリスの体が震え、体が淡い光に包まれました。
「これが……」
その光が寄り集まり、ワタクシの目の前を漂います。
神様の言っていた魂でしょうか。
そしてその魂は魔剣ムスニアに吸い込まれるようにして消えました。
「依頼完了です」
何だかんだで最期は呆気ないものでした。
周りに人が集まる前にここから離れるとしましょうか。
書き貯めが少なくなってきたな・・・。
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