第3話
ジョッキを手にこちらへ近寄って来たのは顔を赤くした男。酔っぱらっているのは誰の目にも明らかでした。
他の人の反応はというと、半分くらいが面白そうにニヤニヤしていて、四割くらいが顔をしかめています。そして残る一割が男を止めようと立ち上がったのですが、ワタクシが一歩踏み出すのを見ると、訝しげな視線を向けて止まりました。。
「どうした? ママのじゃなくて俺のおっぱいが飲みたいのか? まだ出ないと思うけどな……」
「一生出ないだろ!」
男の言葉に笑いが起きます。
それに気を良くしたのか男の態度はどんどん付け上がっていきました。こちらを見る目が明らかに小馬鹿にしているのです。
「申し訳ありません。受付に行きたいので通していただけますか?」
「嬢ちゃんは冒険者には見えねぇな。ベソかかない内に大人しく帰った方が身のためだ――ぐあ!」
「酒臭いので黙って退いてもらえますか?」
言葉の途中で男の足を踏みつけると、変な声を上げてうずくまりました。
広い場所にテーブルが並べられただけのギルドは、この男を避けていくらでも受付に向かえます。それをしないでわざと挑発するようにするのは、この男の態度が気に入らなかったからに他なりません。
それに、これですごすごと引き下がったらこの場に居る半分以上の方々に侮られてしまいます。
ただでさえ子供の姿で侮られるというのに、実力以下に思われていては困ります。
「早く! 退いて! いただけますか?」
踏みつけた足をグリグリと回し、その度に汚い悲鳴を上げた男はついに拳を振り上げました。
それを見た冒険者達も流石に不味いと思ったのか立ち上がり、男自身もこんな幼子を殴るわけにはいかないと拳を振り上げたまま止まりました。
しかしこの人はワタクシを殴ろうとしました。煽ったとはいえ幼子を、です。
酔っ払いの冗談では済まないでしょう。
踏みつけた足はそのままに反対の左足と左手を引きます。これから何をするか理解した冒険者達が止めようとしたのかこちらに向かって来ますが、それよりもワタクシの拳が男の腹に突き刺さる方が早いのです。
「おご……が……?」
足が踏みつけられていたせいで後ろに吹っ飛ぶこともできず、ワタクシのパンチはその威力を余すことなく男の腹部に叩きつけました。
白目を剥いて泡も吹いた男が前に倒れ、ワタクシはそれをそっと寝かせてあげます。
利き腕ではなかったといえ、グルフロウの頭を砕くほどのパンチ。それを不意に食らってはいかな冒険者でも耐えられないでしょう。
寝転がる男の体を踏み越えて前に進むと、野次馬と化していた冒険者が一斉に道を開けました。
何とも気持ちの良いことです。
「ちょっと待てよ!」
声に振り返りますと、男が一人、ナイフを構えて立っています。
それを止めようとしているのは仲間でしょうか?
一撃で冒険者を沈めたとはいえ幼子に武器を向けるとはお里が知れます。他の方々が何も言わないのは、それくらいしなければ勝負にもならない、とでも思っているのでしょうか。
ある意味ではワタクシの実力を評価してくれているのでしょう。きっとそれは正しいです。
あの男と同じくらいの実力であればナイフを使おうと弓矢を使おうと結果は変わりません。
「いかがしましたか?」
早く冒険者としての登録を済ませてターゲットの情報を集めたいのですが、正直な気持ち、ワタクシはとてもワクワクしていました。
こんな異世界転生した主人公のテンプレみたいな出来事が起こってワクワクしない者がいましょうか。
子供の姿ということでこれから舐められないためにも、もう一度ちゃんと実力を示す必要はあります。
「子供だからって調子に乗ってんじゃねえぞ……!」
怒りつつも冷静に、男はワタクシとの距離を測ります。
一撃で大の大人を気絶させた拳を警戒しているのでしょうが、そもそも得物がナイフでは近づかないとどうしようもありませんそういうところは冷静でないのでしょう。
男のお手並み拝見といきましょうか。
ナイフを取り出した男はジリジリと距離を詰めて来ます、それをワタクシはただ立ったまま待ち受けます。
相手の表情に余裕がないのはワタクシに焦った様子がないからでしょうか。それとも仲間が誰一人として加勢してくれないから?
どちらにせよ決着はすぐでしょう。
長い時間をかけてようやくワタクシをナイフの射程圏内に捉えた男ですが、それでもすぐにナイフを振るうことはしません。
隙を伺っているのでしょう。しかしただ突っ立っているだけのワタクシが隙を見せるはずもありません。それよりも、攻撃のタイミングを見逃さないように気を張っているあちらの方が先に音を上げるでしょう。
「くっ、うおぉぉぉぉ!」
挑発をするように片眉を上げてみせると、叫びながら何の工夫もない突撃。
しかし冒険者だけあってその動きには目を見張るものがあります。それでもモブはモブ。対応できない力量ではありません。
振り降ろされたナイフは真っすぐワタクシの脳天を狙っています。もしも攻撃が通ればただでは済みません。もしかしたらワタクシを悪魔か何かだと思っているのでしょうか。
そのナイフを片手で受け止めます。ガントレットをも裂くほどの切れ味はないようで一安心。
そしてちょっと手を捻るといつの間にかナイフはワタクシの手の中に。
「いったい、どういうことでしょうか?」
かわいらしく首を傾げて男の方を見てみれば、手首を抑えながら後退りをしています。そしてそれこそ悪魔でも見るような目つきでこちらを見ていました。
周りの冒険者達からもひそひそとした話し声が届きます。
「ば、化け物め!」
最後にそう言い残して男はギルドから逃げ出そうと体を反転させます。気絶した仲間も、自分を止めようとしてくれた仲間も置いて。
天使のようなワタクシに対して悪魔とは、呆れてしまいます。
そんな男の足元にナイフが刺さりました。もちろんワタクシが投擲したその男のナイフです。
「忘れ物ですわよ?」
「くそっ!」
一瞬で顔を青ざめさせた男はナイフを拾って一目散にギルドから飛び出て行きました。
残った仲間は気絶した男を担いでその後を追います。
他に突っかかって来るような冒険者は居ないか睥睨すると、皆一様に視線を逸らします。ようやく平和になりましたが少々やり過ぎてしまったかもしれません。
ただ受付のカウンターに向かうだけでも視線を集めてしまいます。
ある意味では目的を達成したので良しとしましょうか。
「ようこそお越しくださいました。まさか依頼を出しに来たわけじゃないですよね?」
「もちろん。冒険者として登録をしに来ましたわ」
営業スマイルか本心からの笑顔か見分けがつかないくらいに眩しい笑顔を、受付にいた女性は浮かべます。いわゆる受付嬢です、
カウンターには身長の関係で肩から上しか出ません。それでもワタクシを子供と侮らない受付嬢には好感が持てます。あれだけの惨劇を見て対応を変えない所はむしろ驚きますが。
「実力はさっき見ましたから断る理由はないですけど……どうしてそんなに強いのか聞いても良いですか?」
その疑問も仕方ないでしょう。
中身がどうであれ見た目はかわいらしい幼子。それが二人の男と続けて勝負してどちらにも勝ってしまったのですから。
冒険者ギルドがどういう仕組みになっているのか詳しくはわかりませんが、そこに所属している冒険者が弱すぎては話にならないでしょう。きっとあの男達もそれなりの力量はあったのではないでしょうか。
例え弱かったとしても戦える幼女は怪しい。それが貴族の娘が着るようなドレスを着ていればなおさらです。
「……申し訳ありません。事情がありますの」
神様からワタクシの仕事について誰にも言うな、なんて注意を受けてはいませが、それでもまさか、神様からの使いとして悪者を成敗しています、と正直に話すわけにもいかないでしょう。そして信じていただけるとも思えません。
とはいえ咄嗟に上手く理由をつけられるはずもなく、誤魔化すのが精いっぱいでした。
「……そうですか。それではこれ以上は聞きません。それではまず登録料として200リリンいただきますね」
財布の中から銀貨を二枚渡します。
すると彼女は小さな水晶玉のついた機械を差し出してきました。
「貴方の魔力を登録しますので、ここに魔力を流してください」
言われた通り、水晶玉にガントレットを外した手を乗せて魔力を流します。手の届かないワタクシのためにわざわざ手で持ってくださるのですから、その優しさが嬉しいです。
魔力の操作はこちらの世界で当然の常識みたいで、神様から授けられた常識の中にそのやり方がありました。
体の中を流れる血液のイメージをそのまま魔力に置き換える。そしてその流れを制御するイメージで体中から右手へ。ワタクシのイメージに従ってゆっくりですが確実に魔力を操れているのを感じます。
「はい。ありがとうございます」
そう言って機械を取り上げた受付嬢は、差し込まれていた金属製のプレートを代わりに差し出してきました。
「これが貴方の――そういえば名前を聞いていませんでしたね」
「そうでした。アマル・フリステラと申します。よろしくお願いします」
「えっと……ハルカ、と呼んでください」
「ハルカさん。かわいらしい名前ですわね」
ドレスの裾を持ち上げてのお辞儀に受付嬢――ハルカはたじろぎつつも表情を堪える。流石は日々荒くれの冒険者を相手にしているだけはありますわ。
ワタクシのかわいらしい名前、にも顔を少し赤くしただけでハルカは咳払いを一つ。きっと気持ちを切り替えたのでしょう。
「それでは改めまして、こちらがアマルさんのギルドカードです。失くさないでくださいね」
手渡されたプレートは特に何かが刻印されているわけでもないただの金属板。ワタクシの手には少々余る大きさですが、大人からすればちょうど良い大きさなのでしょう。
これは登録した魔力を流すと熱を発する仕組みになっています。つまり魔力を流して熱くなれば、その人のギルドカードと証明できます。街に入る時もこれを見せれば入れるはずです。
もう衛兵を困らせることはないでしょう。
「それではもう一つ。冒険者の皆様には月に一度魔力をいただいていますのでついて来てください」
ワタクシがギルドカードを懐にしまうと、ハルカはカウンターの天板を上げて外に出ました。
そして歩き出すハルカの後についてギルドの二階まで上がります。
階下の喧騒と違って二階は驚くほどに静かでした。見た限りでは扉がいくつか並んでいるだけなので、あまり冒険者は近づかないのでしょう。
その内の一つの扉をハルカは開けます。
それほど広くない部屋の床には大きな魔法陣が一つ描かれていました。そしてその中心の台座に、巨大な魔石――魔力を持った鉱物――が鎮座していました。
ワタクシと同じくらいの大きさの魔石。それがただの石だったとしてもあまり見るような大きさではありませんが、それが魔石ともなればそうそうお目にかかることはできないでしょう。流石は冒険者ギルド、といったところですか。
「この魔石を使って各地のギルドと情報のやり取りをしています。ただ、動かすのに大量の魔力が必要なので冒険者の皆様に協力してもらっているんです」
「なるほど……」
魔法の技術が発達しているこちらの世界には、電話という物はありません。あるのは魔石と魔石を使っての通信で、それも電話のように番号を押せば誰とでも繋がれる代物ではないのです。
こちらの世界で情報を共有するためには主に手紙が使われますが、それだと時間がかかります。
冒険者ギルドには凶悪な魔物の情報等が集まりますので、それらを早く確実に共有するための手段がこの魔石なのでしょう。
とはいってもこれだけの大きさの魔石はそういくつも用意できるはずがありません。きっとこの街はそれ相応の規模の街なのでしょう。外を歩く人並みもそれを証明していました。
「では先ほどと同じように手を当ててください。必要な分の魔力を魔石が勝手に吸い上げますので」
それならわざわざ魔力を操る必要がなくて一安心です。操作ができるとは言っても、やり方を知っているだけで得意なわけではありませんから。
そう心の中で安堵しながらガントレットを外します。そして魔石に触れた途端、ワタクシの意識が途切れました。
在宅勤務って逆にサボりにくいと思うんだが