第44話 -終幕- そして魔王は
コンコン。
マオが部屋で一人まどろんでいると、扉をノックする音が聞こえてきた。
マオは二段ベッドの上からズルズルと下に降り、扉を開く。
「誰じゃ?」
「マオさんに郵便でーす」
「郵便? わしにか?」
マオは、どこぞの郵便ギルドの制服を着た女性から一通の手紙を受け取ると、その内容を目でおった。
「ふむふむ……。ほぉ……。なるほど。であれば、善は急げじゃな」
マオはそう呟くと、意気揚々と部屋を飛び出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食堂。
いくつか並べられた机の一席に師匠は腰かけ、目の前に用意されたサバの煮つけにフォークを突き立てた。
そして、そのフォークの先を器用に使って骨をのけると、パクリと一口頬張った。
「うんまいにゃ! さすがはルニャだにゃ!」
師匠の横でドキドキとしていた料理長は、ほっと胸を撫で下ろした。
「よ、よかったです……。師匠のアドバイスのおかげでより一層味に深みが出ました」
「にゃはは。謙遜することにゃいにゃ。ルニャは他の料理人に比べても頭一つ飛びぬけてるにゃ。自分を超す日も近いかもしれにゃいにゃ」
「そ、そんなまさか! ……でも、ほんとに師匠は、どこでこんな料理の技を身に着けたんですか?」
「にゃー……。それはにゃみだにゃしにはかたれにゃいかにゃしい物語があるにゃ……」
「そうなんですか?」
「にゃー」とため息をつく師匠に、料理長はずっと気になっていたことをたずねた。
「あのぉ……ところで師匠」
「にゃんだにゃ?」
「師匠って、おいくつなんですか?」
「にゃ?」
「と、突然すいません……。で、でも……師匠は私よりもずっと料理に詳しいですし、もしかして私よりも年上なのかなって……」
師匠はもぐもぐとサバ煮を頬張りながら、
(たしか、自分が死んだのは三十五歳の時だったにゃ。こっちに来てからは時間の感覚が微妙に違ってて、よくわからにゃいけど、多分三年から五年くらいかにゃ? だったら単純計算すると……四十? にゃ? 自分、もう四十にゃ?)
師匠は現実から目を背けるように、料理長に問いかけた。
「……にゃ、にゃんさいに見える?」
「えっと……すいません。獣人の人の年齢ってよくわからなくて……。でも、師匠の知識からすると、少なくとも私よりも年上ですよね?」
「と、当然だにゃ。自分はルニャよりも年上だにゃ。そうだにゃあ……さ、三十歳くらいだにゃ」
「やっぱり! でも、知識量からするともっと上なのかと思ってました」
「これでも人生経験豊富なんだにゃ」
二人がそんな会話をしていると、食堂にドクターがやってきた。
「ん? 二人とも楽しそうに何話してるし?」
ドクターの問いかけに、料理長が答えた。
「い、いえ、実は、師匠の年齢を教えてもらっていたところで……」
「年齢? 師匠は何歳なんだし?」
「三十はいってるそうですよ。私、獣人の人の年齢って見た目じゃよくわからなくて……」
ドクターは師匠の顔をまじまじと見つめると、
「いや、どう見ても十歳くらいのお子様だし」
「……え?」
師匠は驚いて、食べていたサバ煮を喉に詰まらせてゴホゴホと咳込んだ。
「にゃんだって!?」
「なんで自分自身が驚いてるんだし……」
「じ、自分はまだ十歳にゃのか!?」
「ま、まぁ、そのくらいだと思うし……」
「そんにゃ馬鹿にゃ……」
自分の外見年齢を告げられ、わなわなと震える師匠に、料理長は恐る恐るたずねた。
「ということは……師匠は私よりも、ずっと年下……? というか……子供?」
料理長は興奮気味に師匠の肩を掴むと、
「だ、だったらどうやってその若さで、そんなすごい料理の腕を身に着けたんですか!? な、なにか秘訣があるんですか!? 教えてください!」
だが、料理長にまくしたてられている師匠はというと、内心ではそれどころではなかった。
「ルニャ……ちょっと聞きたいことがあるにゃ……」
「聞きたいこと?」
「こ、この世界では……飲酒はにゃんさいからだにゃ?」
「え? 二十歳ですけど……それがどうかしたんですか?」
「二十歳!? ってことは、自分は酒を飲んじゃいけにゃいってことにゃ!?」
「あ、いえ……。獣人はアルコールで体に悪影響が出ることがないので、特に年齢制限はされていませんけど……」
「それほんとにゃ!?」
「は、はい……。というか師匠、そんなことも知らずにお酒を飲んでいたんですか?」
「……にゃ、にゃはは。ちょっと聞いてみただけにゃ。当然知っていたにゃ」
そんな問答をしているところへ、新たに食堂の扉が開き、マオが姿を現した。
三人の姿を見つけたマオは、
「おっ。ちょうどよい。そこの三人にちと話があるんじゃが……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『白日の宴』本部近くの公園。
ブランコに乗ったミリアが、楽しそうに足をパタパタとさせている。
「フレデリカー、押して、押してー」
「よし」
フレデリカがミリアの背中を押すと、ブランコに乗っていたミリアの体がふわりと前へ移動した。
「あははっ。もっともっとー!」
「もっと? これくらいか?」
さっきよりも力を込めてミリアの背中を押すと、ミリアは一層楽しそうに笑った。
(まさかこの私が公園で遊ぶとはな……。今の私を見ても、誰も私を『ダンジョンの鬼神』などと噂を立てたりはしないだろうな……)
ちょうどそこへ、『白日の宴』の他のメンバー数名が通りがかると、ひそひそと何やら小声でささやき始めた。
「ほら、見てよ、あれ」
「あ、フレデリカさんとミリアちゃんだ。……にしてもフレデリカさん、ミリアちゃんが来てから丸くなったよねー」
「最近、フレデリカさんが何て呼ばれてるか知ってる?」
「え? 何て呼ばれてるの?」
「『子連れタイガー』だってさ」
「あぁ……。っぽい」
その会話を遠巻きに聞いていたフレデリカは、ヒクヒクと顔をひきつらせた。
(……また変な異名がつけられてるじゃないか。……ま、別にいいか)
「フ、フレデリカー! 押しすぎ! 押しすぎー!」
聞き耳を立てることに集中していたフレデリカは、ミリアの背中を押し続け、ブランコに乗ったミリアはいつの間にかもうすぐ一周回ってしまいそうなくらい上空まで上がっていた。
「あ、あぁ。すまない」
慌てて鎖を掴み、ブランコを止めると、ミリアはじんわりと目に涙をためていた。
「こ、怖かった……」
「悪かった。ちょっと考え事をしてて……」
「もうっ! フレデリカは今、ミリアと遊んでるんでしょ! 集中して!」
「悪かったって……」
そんな二人のもとへ、どこからともなくマオがやってくると、
「こんなところにおったか。二人にちょっと話があるんじゃが……」
ブランコに座ったまま、ミリアが首を傾げる。
「話?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『アナグラ』。
閉店の札がかかっているにもかかわらず、店内のカウンターでは団長が酒におぼれていた。
「マスター、おかわり!」
「今日もお疲れのようですね。また何かありましたか?」
「聞いてよぉ……。最近ねぇ、うちの見習いの子たちが調合室を爆破しちゃって……」
「爆破ですか? それはまた不穏な……。お怪我はありませんでしたか?」
「それは大丈夫だったんだけどぉ、その責任をねぇ、何故か私が取らされたのよぉ」
「団長さんもその場にいたのですか?」
「いなかったわよぉ。私がその場にいたらすぐ止めてたしぃ……。でも、ギルドの人手不足のせいで監視がおろそかになったとか言われてぇ……」
「それは災難でしたね」
団長は、マスターが新しく用意した酒を一息に半分ほど飲み干すと、カウンターに置いてあったクラッカーを一枚頬張った。
「私だってねぇ、人手不足は重々承知なのよ」
「最近は冒険者を志望する方も減ってきているらしいですからね」
「そうなのよねぇ。ダンジョンでモンスターに食べられても教会で復活できるし、手足が千切れても魔法で治せるのに……。どうしてみんな冒険を嫌がるのかしら?」
「……ま、まぁ、最近の子は健康志向なところがありますからね。仕方ないんじゃないでしょうか」
「はぁ……」
団長が短いため息をつくと、扉がカランコロンと鈴の音を響かせ、マオがひょっこりと顔をのぞかせた。
「おっ。おったおった。やはりここであったか」
団長が目を丸くして、
「あら? マオ? どうしたの?」
マオはトコトコと団長のもとへ近寄ってくると、
「団長も誘ってやろうと思ってな……」
「誘う? 何かするの?」
「実はじゃな……」
マオはそこで言葉を途切れさせると、カウンターの上にのっていたクラッカーをじっと見つめ始めた。。
それに気づいた団長が、そっとクラッカーをマオの前へ寄せた。
「食べる?」
「なぬ? よいのか?」
「えぇ。いいわよ」
マオはクラッカーを一口かじると、もぐもぐとそれを咀嚼した。
「……う~む。パサパサしておってあまりうまくはないのぉ」
「クラッカーってそういうものよ」
団長はマスターに向き直ると、
「ジャムか何かあったかしら?」
「すぐ用意します」
それから、トン、とジャムの入った瓶がマオの目の前に置かれると、マオはそれをまじまじと見つめた。
「む? なんじゃ? この紫色の液体は」
「それは『ムラサキイチゴ』のジャムですよ。普通のイチゴに比べて粘性が高く、甘みも強いため、余計なものを一切加えずに作ることができるんです。どうぞクラッカーの上に垂らして食べてみてください」
「……ほぉ。では一口……」
マオは渡されたスプーンでジャムをすくうと、それをクラッカーの上に垂らし、パクリと一息にかぶりついた。
「ん! うましっ! さっぱりとしておってやや酸味のある甘さに、フルーティな香りが混ざっておる。それが先ほどの味気ないクラッカーと一緒に食べることで、サクサクとした食感が生まれ、食いごたえがある料理へと昇華しておるな」
マオがクラッカーを食べる様子をとなりで見ていた団長は、
「あいかわらず、マオはおいしそうにものを食べるわね」
マオはもう三枚ほどジャムをつけたクラッカーをたいらげると、ハッと思い出したように動きを止めた。
「そうじゃ! こんなことをしておる場合ではなかった!」
「ん? どうかしたの?」
「こんな手紙をもらったので、団長を誘おうと思ってな。マスターも一緒にどうじゃ?」
マオが差し出した手紙を読んだマスターが、
「ほぉ。これは興味深い。……ですが、すいません。今晩は店にいないといけませんので……」
「そうか……。では、団長はどうじゃ?」
「これ、私も行っていいの?」
「当然じゃ」
団長は嬉しそうに口元を緩ませると、
「じゃあ、私も行かせてもらうわね」
「うむ。では、待っておるぞ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『白日の宴』本部の一室。
ポルンは、ベッドを背もたれ代わりに本を読んでいると、ふと、窓の外に目を向けた。
「もうすっかり暗くなっちゃったけど、マオちゃん帰ってこないね」
リュカは、いつの日かマオからもらった【ハルリヤ鉱石】を眺めていたが、ポルンに声をかけられて窓の外に視線を移した。
「あー、外真っ暗だな。でも、もうすぐ夕食の時間だし、それまでには帰ってくるだろ」
「そうかなぁ……」
「マオって結構一人でいること好きっぽいしな」
「そう?」
「だって、初めて会った時だって森の中を一人で歩いてたじゃないか」
「あぁー。そうだったねー。懐かしい」
ポルンは本を閉じると、記憶を探るように視線を上へ上げた。
「そう言えばマオちゃん、初めて見かけた時は泥だらけだったよね」
「そうそう。しかも生の鶏肉にかぶりついてたし」
「モンスターに追われてたところを助けてくれたっけ」
「あんなすごい魔法、どこで覚えたんだろうな?」
「さぁ? ……マオちゃんって昔のこと話したがらないし」
「……ま、そのうち気が向いたら何か話してくれるんじゃないか?」
「うん。そうだね。だって、まだまだこれから、ずっと一緒にいるんだもんね」
「あぁ。そうだな」
カチャリと扉が開くと、そこからマオが入ってきて、二人の姿を見るや否や、
「では二人とも、出かける準備をせい」
ポルンははてと首を傾げて、
「出かける準備?」
「うむ」
「どこに行くの?」
「それは行ってからのお楽しみじゃ」
ポルンとリュカは目を合わせると、今度は二人そろって首を傾げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜道。
マオの後ろを歩いているポルンとリュカは、ひそひそと言葉を交わしていた。
「ね、ねぇ、リュカちゃん。マオちゃん、どこに向かってるんだろう?」
「さぁな。聞いても教えてくれないし……」
「もう結構歩いてるよね? こっちの方角に何かあるの?」
「う~ん……。たしか観光名所とかはこっちの方だけど……」
「観光地に行くのに、どうしてわざわざ夜なんだろう?」
「それは……わからないけど……」
そうこうしているうちに、三人の目の前に地下へ続く階段が現れた。
真っ暗闇へ続く階段に、ポルンはゴクリと喉を鳴らす。
「ね、ねぇ、マオちゃん。もしかして、この階段を降りるの?」
「うむ。前にも一度来たから心配ない」
「そ、そうなの? ……でも、何しに行くの?」
「それはまだ秘密じゃ」
「秘密……」
「いいから黙ってついてこい」
不安そうな表情を浮かべるポルンとリュカを置いて、マオはそそくさと階段を下り始めてしまった。
二人も置いて行かれるのが嫌で、早足でその後を追った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コツコツと足音が反響する階段。
暗闇で足元が見えず、三人はゆっくりとしたペースで下りていく。
先行するマオの後ろで、ポルンとリュカは不安そうに顔を見合わせた。
「ね、ねぇ、この階段、どこまで続いてるの?」
「知らないって。マオに聞けよ」
ポルンは、恐る恐るマオにたずねた。
「ね、ねぇ、マオちゃん。もうそろそろ何しにこんなところに来たか教えてよ」
「まだじゃ」
「ど、どうして?」
「内緒じゃ」
そうやってマオが口をつぐむと、ポルンは余計不安そうにリュカに視線を戻した。
「教えてくれない……」
「う~ん……。こんな地下に何かあったっけ?」
「わかんない……」
不安に駆られたポルンは、こんな話をし始めた。
「ねぇ、リュカちゃんはあの噂、聞いたことある?」
「噂? どんな?」
「この街の下で、地底人が暮らしてるって噂」
「あはは! なんだよそれ!」
「本当だって! この前図書館でそんな話をしてる人たちがいたんだって!」
「そんな噂話、いちいち信じてたらきりがないぞ」
「でも実際、その人たちの仲間が一度、地下の世界に連れて行かれたことがあるんだって!」
「地下の世界ねぇ……」
「そうなの。それでそこでは、地上と同じように生活してる人たちがたくさんいるんだって!」
「別にいいじゃないか。地下で暮らしてたって」
「よくないよ! だって地下でひっそり暮らしてるなんて普通じゃないよ! きっといつか、この地上を取り戻そうとして準備を進めてるんだよ!」
「それはポルンの妄想だろ」
「妄想じゃないもん! きっとこの階段の先にもいっぱい地底人がいるんだもん!」
「はいはい。わかったわかった」
「ほんとだもん!」
ポルンは緊張した面持ちで、
「マ、マオちゃんってさ、どこから来たか、私たち知らないよね?」
「まぁな」
「も、も、もしもだよ、マオちゃんが地底人で、これから地下の世界で一緒に暮らそうって言って来たら……どうする?」
「どうするって……」
「わ、私、マオちゃんのことは好きだけど、ずっと地下で暮らすなんて嫌! だって暗いもん!」
「いや、明かりくらいあるだろ……」
「この階段を下りたら……地底人がいっぱいいて……おいしいものをたくさん食べさせられるかも……そしたらもう……地上には戻りたくなくなって……ずっと地下で暮らしていきたくなるかも……ど、どうしよう……」
「随分友好的じゃないか」
やがて階段は終わり、三人の目の前に強い光が伸びてきた。
突然眩しくなった三人は、その光を手のひらで遮るようにして、その光源に目をやった。
するとそこには、強い光で逆光になった黒い人影がいくつもうごめいている。
それまでポルンの話を平気そうに聞いていたリュカは、思わず尻尾の毛を逆立てた。
「ち、地底人だぁぁぁ!」
その叫びに、ポルンも、
「きゃあああああああああ!」
だが、慌てた様子の二人とは裏腹に、その人影は「どうしたの?」と、どこかで聞いたことのある少女の声を発した。
「「……へ?」」
光に目が慣れた二人の前には、団長、料理長、師匠、ドクター、フレデリカ、ミリアの姿があった。
その後ろには、強い光を放っている電灯が設置してある。
ポルンが呆気にとられたようにそちらを見やる。
「み、みんな……こんなところで何してるの?」
その問いに、ミリアがクスクスと笑い、
「何って、ポルンとリュカも、あれにのるために来たんでしょ?」
「あれ? あれって……どれ?」
「ほら。あれ」
ミリアが後方を指差すと、そこには魔石機関車が停車していた。
「あれ……機関車?」
「うん。魔石機関車って言うんだって」
「で、でも……どうして?」
ポルンの問いに、マオがコホンと咳払いをして、
「今朝、こんな手紙をもらったでな。で、二人を驚かせてやろうと思って黙っておった」
マオが手渡した手紙を、ポルンとリュカが覗き込んだ。
『マオ様へ。このたび、再び魔石機関車に人を乗せることが正式に決まりました。よければお仲間と一緒に魔石機関車乗り場まで来てください。時刻は別紙に書いてます。ネモ・ノラより』
マオはにっこりと笑顔を作ると、
「ふはは。びっくりしたか?」
全てを把握したリュカとポルンは、安心してその場に座り込んだ。
「はー、びっくりしたー」
「私、マオちゃんが地底人なんじゃないかと思ってドキドキしてたよー」
「んなわけあるか。なんじゃ、地底人って。そんなもんおるわけなかろうが」
その時、プシューと音がして、魔石機関車の扉が開き、車内に取り付けられたマイクから声が飛んできた。
「皆様、本日はお越しいただきありがとうございます」
その滞りないネモの口調に、マオは「ほぉ」と感心した。
(ネモは喋りが苦手と言っておったが、きちんと喋れておるではないか。あれから練習でもしたのかのぉ。感心じゃ)
すると、ネモはこう続けた。
「なお、このたびは景色をじっくり楽しんでいただきたいので、私はできるだけ喋らないようにします。どうぞお楽しみください」
(……喋ることを完全に放棄しおった)
集まったメンバーがぞろぞろと車内へ乗り込んでいく中、マオはホームに残り、コンコンとネモがいる運転席の窓を叩いた。
ネモは以前、作業服に身を包んでいたが、今回はきちんとスーツ姿になっていた。
マオの姿に気づいたネモが、恐る恐る窓を開く。
「……久しぶり」
「うむ。誘ってもらって感謝する。……にしても、喋ることはもう諦めたのか?」
「……うん。練習したけど……無理だったから」
「そうか。まぁ、人には向き不向きがあるからのぉ」
「……でもね、だから、夜にだけ運航することにしたの」
「む? どういう意味じゃ? 地下を走る魔石機関車に、時間帯がどう関係するんじゃ?」
そうたずねると、ネモはひっそりと笑顔を作った。
「……それは、のってからのお楽しみ」
「む?」
「……さぁ、出発するよ」
「う、うむ」
ネモの含んだ言い回しに疑問を感じたマオだったが、自分も車内に乗り込んだ。
ゆっくりと扉が閉まると、ガタンと機関車全体が前方へ進み始める。
後ろの方の席でとなり同士になるよう座った団長とドクターが、こっそりと話をし始めた。
「ねぇ、ドクター。数年前に一度、街中で魔石機関車の宣伝をやってる時があったわよね」
「あぁー。そう言えばあったし。けど、あれってすぐになくなったし。ウチ乗れなくて残念だったし」
「私も乗れなかったのよねー。……でも、どうして魔石機関車なのにこんな地下を走ってるのかしら?」
「さぁ? たぶん、そのうち外に出るし。それまで待ってるし」
その前の席では、フレデリカと、興奮気味に車窓をのぞくミリアの姿があった。
「ねぇねぇ、フレデリカ! 見て! 岩!」
「そうだなー」
「あっ! ほら! あっちにも岩! こっちにも!」
「……た、楽しいか?」
「すっごく楽しいっ!」
「そ、そうか……。それならいいんだ」
最前列と補助席に座ったリュカ、ポルン、マオの三人は、前方に見える運転席に興味津々だった。
ポルンはボイラーを見ながら、
「すごい機械だねー。あれってどうやって作るのかな?」
「さぁな? 魔法で作れないのか?」
「う~ん、どうだろう? 一応、魔具を作る魔法はあるんだけど、あんなに立派なのもできるのかな? ねぇ、マオちゃんはできる?」
「無理じゃ。壊すことなら容易いが」
「……絶対やめてね」
そんな話をしていると、車窓から見える岩肌にチラチラと鉱石が輝き始めた。
やがて鉱石はそこら一帯にちりばめられ、みんな息を呑むようにその景色を堪能した。
そんな中、料理長と師匠だけはその鉱石を見て、
「あっ! 見てください師匠! さっきの鉱石、食べられるやつですよ!」
「にゃ! あっちのもそうだにゃ!」
「そっちもです!」
「うにゃ!? あ、あれは超高級食材の鉱物種だにゃ! ……今度こっそり採りに行くにゃ」
「だ、だめですよ師匠! 許可のない採掘は泥棒になっちゃいますよ!」
「うにゃー……。もったいにゃいにゃ……」
そしてそんな鉱石地帯を過ぎると、車内にアナウンスが流れた。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。これより、車体全体が少々傾きますので、しっかりとお席にお座りください」
そのアナウンスに、マオははてと首を傾げ、リュカとポルンの顔を見た。
「傾くじゃと? どういう意味じゃ?」
「さぁ? なんだろう?」
「マオは前にも一度乗ったんだろ? その時と同じじゃないのか?」
「うんにゃ。その時は地下を一周して終わりじゃったが……」
魔石機関車全体を緑色の光が覆う。
そして、横に出現した湖のやや上空を、うねるように青い線が伸び始めた。
ポルンはその青い筋に目を凝らすと、驚いたように声を上げた。
「ちょっと二人とも、あそこに浮いてる青いの、あれ線路だよ!」
「なぬ?」
「線路だって? どういうことだ?」
車体全体がガコンと揺れると、魔石機関車はそれまでのコースをそれ、湖の上空に浮いていた青い線路をゆっくりと走り出した。
ポルンが興奮気味に、
「すごいっ! 浮かんでた青い線路にのって空を走ってる!」
機関車から、ポーと甲高い音が鳴る。
眼下の湖面はすごい勢いで後方へ流れていき、やがて機関車は、筒形に舗装されたトンネルに入った。
マオの耳に、ネモの言葉が届く。
「……私はたしかにうまく喋れない……。でもね……。この綺麗な景色の前では、言葉なんて必要ないと思ったの」
舗装されたトンネルを抜けると、ポノノアの街を流れる川の上に現れた。
そして、魔石機関車の下に伸びる青い線路が次々と夜空に向かってへ形成されていく。
後ろの方で、ミリアが興奮気味に言った。
「すごいっ! 線路がどんどんできていく! ねぇ、見てフレデリカ! すごいよっ! 空を飛んでるよっ!」
「あぁ……これは、ほんとにすごいな……驚いた」
魔石機関車が街の夜空を走ると、煌びやかに光る街灯や、民家から漏れる明かりでそこら中が満たされ、ポノノアの街全体が輝いているように見えた。
そのまま夜空を走りながら機関車が速度を緩めたので、マオは思わず席を立ち、窓にへばりついて街を見下ろした。
「これは……すばらしい」
ポルンとリュカも、となりで下方を指差した。
「ほら見て! あそこ! 私たちの家!」
「ほんとだ! あっ! あそこは図書館だぞ!」
その絶景に、車内にいるみんなは楽しそうにあれやこれやと囁き合った。
それに気づいたマオは、窓から目を逸らし、車内を見渡した。
すると何故だか、あの日、マオを転生させた翼の生えた女との会話を思い出した。
『……そんな世界で、わしに何をしろと言うんじゃ』
『それですよ、魔王。それを探すのが、あなたの人生なのです』
マオは誰にも聞こえないように、小声でぽつりと言った。
「そうか……。わしは……きっと…………このために………………」
車内を見てきょとんとしているマオに、リュカとポルンが声をかける。
「ほらっ! マオ! ぼうっとしないでよく見とけよ! すごいぞ! 地上があんなに遠い!」
「すっごい綺麗だよ、マオちゃん!」
マオは二人に向き直ると、ふっと小さな笑みを作った。
「ふむ。悪くない……。悪くない、人生じゃ」
「ん? どうかしたの?」
「いや、なんでもない。どれ、わしにもよく見せい」
マオは、窓を覗き込んでいるリュカとポルンの間に無理やり顔をねじ込んだ。
「あっ! ちょっとマオ! 押すなって!」
「ほれほれ、もうちょっとそっちに寄らんか」
景色に集中している三人のもとに、料理長と師匠がやってくると、
「さ、三人も、これ食べる?」
「自分も作るの手伝ったんだにゃ! ありがたく食べるにゃ!」
見ると、料理長は木でできたカゴを持っていて、その中にはサンドイッチがぎっしりと詰まっていた。
マオは、「おぉ!」と声を上げ、
「それはサンドイッチじゃな! わしは前にこれに乗った時にも食ったぞ!」
「せ、正確にはホットサンドイッチだよ」
「ホットサンドイッチ?」
「う、うん。普通のサンドイッチに、チーズを挟んで焼いたものだよ」
「ほぉ……それはそれは」
三人はホットサンドイッチを手に取ると、声を揃えて、
「「「いただきます」」」
ホットサンドイッチにかぶりついたマオは、みるみる口角を緩め、満面の笑みで言った。
「うましっ!」