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第十九話 小隊壊滅

 南方特有の暑い朝。シャーマン戦車が歩兵を伴ってジャングルの中をキャタピラを鳴らして走行している。その進行方向に、息を潜めている日本軍兵士たちがいた。

「お前たちは、随伴歩兵を撃て。その間に俺が戦車に手りゅう弾を投げ込む」

 杉野伍長が小声で、部下たちに指示した。

「わかりました。援護します」

 隣で片野上等兵が返事をした。

 彼らは、タッポーチョ山へ向かっている途中である。敵に奪われたヒナシス山から北の方へ後退中、偶然伝令の一等兵に出会って、タッポーチョ山への集結命令が出たことを知らされ、向かっているのである。

「合図したら、撃ち方はじめろよ」

 杉野は、持っていた小銃を置き、下ろした背嚢の中から手りゅう弾を、右腰のホルスターから拳銃を抜き取った。

 戦車が、彼らの前を通り過ぎる。周りには十名ほどの歩兵が固めていた。

「意外と多いな」

 戦車の陰でうまく見えなかったのか、近づいてくると見立てよりも随伴歩兵の数が多い。

「やっぱり代わりに私が行きます。伍長殿はご指示を」

 片野が代わろうと言い出してきた。しかし、杉野は俺がやると言って片野を肩を叩いた。

 この人は危ないことは自分でやりたがるからなぁ……。片野は杉野のこういうところが少々不満であった。

 杉野は常に矢面に立とうとする気質があった。分隊規模とはいえ立派な部隊指揮官なのだから、極力死なないように危険なことは部下に任せてくれればよいのに。と片野はたまに思うが、これは人柄の問題だし、それがあったからこそ部隊を率いてこれたとも思う。そして、この欠点を差し引いても十分杉野は信頼できる上官だった。

「いつでも合図どうぞ。一人残らず撃ち殺します」

 小銃を支える左手に力がこもる。そんな片野を横目に、杉野は短く言った。

「撃て」

 茂みから多数の銃弾が飛び出し、戦車の周りを固めていた米兵数人が弾に当たって倒れた。他の兵士も咄嗟に地面に伏せて、わずかに隙ができる。頭を出していた敵の戦車長は、急いで中に引っ込む。

「おおおおお!」

 杉野は左手に手りゅう弾を、右手に拳銃を握って茂みから飛び出した。それに気づいた米兵の一人が膝立ちになってライフル銃を杉野に向けるが、それよりも早く杉野は拳銃をその米兵に向かって乱射した。

 眉間に銃弾を食らって米兵はドッと地面に倒れ伏す。さらに杉野は、弾切れになった拳銃でもう一人の米兵の顔面を殴り飛ばし、一気に戦車へ駆け上がった。すでに手りゅう弾は安全ピンを抜き、本体上部の起爆筒を叩きつけている。あと五秒もあれば爆発するだろう。

 上部ハッチを開けると、中の戦車兵と目が合った。戦車兵の顔が、恐怖に満ちた表情に変わる。杉野はその顔に手りゅう弾を投げつけて戦車から飛び降りた。手りゅう弾は戦車内で転がり、幾秒かして炸裂した。

 戦車からは爆発音と共に白い煙が上がる。周りの随伴歩兵は皆、部下たちに倒されていた。

「よし、先へ急ごう」

 拳銃をしまい、自分の小銃を拾い上げて杉野は言った。部下が茂みから這い出てくる。

すでに部下の数は五名を数えるのみとなっていた。小隊長の三井少尉や、同僚の西山軍曹、飯田軍曹、酒田伍長の各分隊とも戦闘の間にバラバラになってしまっていた。

「その前に、水も飲んでおけ」

 杉野は米兵の遺体から水筒を奪い、中の水を躊躇することなく口に含んだ。五人もそれに倣って米兵の水筒から水分補給を行う。

 まともな水を飲んだのはいつ振りだろうか。自分の水筒の水が切れてからというもの、水たまりの水をすすったり、スコールを溜めて飲んだり、ちゃんとした飲料水を飲んだことはなかった。

「伍長殿、上を我が軍の航空機が飛んでいます!」

 笹川一等兵が、上空を指差して嬉しそうに言った。

「海軍のゼロ戦だ!」

 堀江一等兵も顔を輝かせる。

 サイパン島守備隊の間に、ひそかに噂が流れていた。それは、連合艦隊が救援に駆けつけるとも、陸海軍の航空部隊が総力を結集して駆けつけてくれるとも言われた。それは、まったくの根拠のない噂であったが、時折見える友軍機の存在や島の周囲を取り巻く米艦隊が数を減らしていたのも手伝って、多くの兵士たちの心の支えとなっていた。

「あぁ……」

 河田一等兵が弱々しく呻いた。上空を飛んでいたゼロ戦は、後方から米軍機の攻撃を受けて撃墜されてしまったからだ。黒い尾を引いて、ゼロ戦は山の稜線へと消えていった。

「さぁ、みんな行くぞ」

 米兵から奪った水筒を背嚢にしまい込んで杉野は歩き出した。早くタッポーチョ山の防衛線に加わらなければ、敵中に孤立してしまうことになる。



 陽が西に傾きかけていた頃。

「少尉殿を奥へ運べ! 米兵が来た!」

 西山がこちらに向かってくる米兵の集団を認めて言った。

 小さな洞窟の中に、三井小隊の西山分隊、飯田分隊の兵士十数名が詰めていた。洞窟は決して広いとは言えないが、奥には少しだけ水が染み出していたので、陽が落ちるまで籠ることにしたのだ。

「ゆっくりでいいぞ。しっかり運べ」

 銃弾を腹部に受けて重傷の三井少尉を、二人掛かりで数メートル先の洞窟の奥へと運ぶ。

「見つかりそうか?」

 西山の横に飯田が来て、一緒に外の様子をうかがった。

 米兵が十数人ほど、一個分隊規模だろうか? ゆっくり近づいてくる。そのうちの一人は手りゅう弾を片手に持っている。

「おい。手りゅう弾持ってるぞ。こりゃ、投げ込まれるぜ」

「ああ。奴ら、しらみ潰しに洞窟を潰して回ってんのか」

 二人は現状を冷静に分析し、判断を迷わなかった。

「全員、武器持て。敵さんのお出ましだ」

 それぞれ、小銃、拳銃、残っている各々の武器を手に、隊員たちが洞窟の入り口に集まる。

「撃て」

 西山の号令と共に、一斉に小火器が火を噴いた。米兵たちは突然の攻撃に驚いたのか、散り散りに地面に伏せたり木に隠れたりする。しかし、思ったよりも早く態勢を立て直してきた。容赦ない反撃の銃弾が洞窟めがけて飛び込んでくる。

「くそっ! もう弾がない」

 西山の小銃にはもう入れる弾がない。拳銃もとうに失ってしまっている。武器らしい武器と言えば、銃剣が小銃の切っ先に光っているだけだ。

「飯田。靖国で会おうぜ」

 西山は隣の飯田に微笑みかける。飯田は西山の意図を察して、急いで思いとどまらせた。

「はやまるな。死に急ぐもんじゃない」

 腕を引っ張って引き留めるが、西山は聞かずに小銃片手に洞窟を飛び出した。しかも西山だけでなく、同様に弾の無くなっていた数名の兵士も一緒に突撃していった。

「死ねーっ!」

 西山らは雄叫びをあげて米兵に向かって突撃して行くが、その刃が届くことはなかった。米兵らのはるか手前で全員あっけなくなぎ倒された。

「無駄死にじゃないか」

 先に死んだ親友を飯田は非難したが、自身の死の瞬間も目前に迫っていた。

「なんとかできないか」

 飯田は判断のしようがなかった。敵は火力に物を言わせて徐々に近づいてくる。洞窟内では後退は不可能。残された道はこの敵陣を突破するしかないが、押し通れるだけの体力と武器が残っている兵士など一人もいない。小銃を撃つだけでもう精一杯の者だらけだ。

「火炎放射器!」

 後ろで小銃を構えていた一等兵が、米兵の中に一人だけ違った装備をしている兵士を見つけて叫んだ。その装備の名は、火炎放射器。

「絶対に撃ち殺せ!」

 火炎放射器の怖さは、目の当たりにした者なら誰でも知っている。生きたまま人を焼き殺す残酷さ、たとえ炎自体に焼かれなくても、一瞬で辺りの酸素を奪い去って窒息死へと誘うことからも、装備した敵がいた場合は集中的に狙った。

 銃弾にも怯まず、米兵は発射体勢を取って火炎放射器の銃口をこちらに向けた。

「くっそおおおおぉぉぉ!」

 飯田は小銃を捨てて腰の軍刀を抜き、火炎放射器へ飛びかかった。すでに射手は放射体勢で構えている。刺し違えてでも切り殺す! 決死の覚悟で雄叫びをあげ、斬りかかった。しかし、もう遅かった。

 火炎放射器はその名の通りに火炎を口から勢いよく吐き出した。飯田の身体を猛火が包み込む。それでも火は衰えを知らずに洞窟内にまでなだれ込み、中にいた兵士ごと洞窟の隅々まで焼き尽くした。



 身体全体が汗ばんでいる。頭がボーっとする。そんなに気温は低くないはずだが妙に冷える。

 酒田伍長はたった一人で、民家の一室の壁際にもたれかかって座っていた。その顔は死人と見紛うほどに血の気が引いている。

 彼の分隊は後退中に敵部隊と遭遇して戦闘となり、彼を除いて全滅してしまった。一人になった酒田は故障した小銃を杖代わりに、偶然見つけたこの民家に転がり込んだのだった。

 赤く染まった右太腿に目を向ける。酒田自身も戦闘時、太腿に銃弾を受けていた。止血にと、部屋の床に落ちていた手拭いで傷口をきつく縛ったはずなのだが、流れ出す血が止まらない。

「俺は……!」

 帰らなくてはいけない。何が何でも、帰らなくては。妻のために、娘のために。

 震える血まみれの手で胸ポケットから写真を取り出す。

「帰ったらもっと抱っこしてやるからな」

 写真の中の愛娘の幼い顔を指でなぞる。なぞった指のすぐ後ろに赤い血の線が筆で書いた様に付いてくる。

「お前、幸恵。父さん頑張るからな」

 妻と娘の名前を呟いて、自分を奮い立たせようとしたものの、だんだん眠くなってきた。娘の笑顔、泣き顔、妻の笑顔が目の裏に浮かぶ。いつしか彼の周りの畳の色は、綺麗な薄緑色から赤黒い色へと変わっていた。

 だらりと力を失った手から写真がすべり落ちる。それと同時に酒田の意識は遠のき、彼の身体に意識が宿ることは二度となかった。

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