第十八話 崩壊へ
十八日、米軍は上陸地点チャランカノアから日本軍の防衛戦を突破して対岸のラウラウ湾に到達、日本軍は横一文字に分断され、アスリート飛行場を防衛していた第三一七大隊は島南部に孤立してしまう。米軍は攻勢を強め、いよいよ飛行場は米軍の手に落ちようとしていた。
そして同じくヒナシス山の攻防戦も佳境を迎えていた。ここでも日本軍はすり減った戦力で必死の抵抗を続けるも、米軍はそれを数倍の火力と兵力で圧倒する。
「軍曹殿! 弾がもうすぐ無くなります」
今野伍長は、分隊長の軍曹に悲痛な声で報告した。彼の頭には血の滲んだ包帯が巻かれており、軍服のいたるところに自分と他人の血が染みついていた。
「そこらへんの仏さんから集めてこい!」
こちらもボロボロになった軍曹が、構っていられないというように指示した。
「すでに、戦友の遺体はすべて探りました!」
補給が途絶え、弾薬はもちろん、食料や飲料水までも欠乏している。戦死した戦友の遺体から弾薬を集め、水はたまに振るスコールを鉄兜に溜めて飲んでいた。空腹は我慢した。
「ちっ……大事に使えよ!」
軍曹は自分の弾薬入れから、弾薬クリップを二つ、今野に投げ渡した。
「ありがとうございます!」
今野は手に入った弾薬をさっそく狙撃銃に装填して射撃を始めた。
彼らの分隊は当初は定員の十二名が在籍していたが、戦いが激しくなるにつれて、一人減り、二人減り、ついには五名を数えるまでにすり減っていた。小隊に至っては彼ら五人含めても十八人しか残っておらず、小隊長も戦死。もはや組織的な行動は不可能になっていた。部隊間の伝令も長い間来ていない、伝令を出す余裕はどこの部隊にも無いのだろう。
「擲弾筒は残ってるか!?」
「駄目です! 砲弾が一発もありません!」
生き残っていた擲弾筒要員の一等兵が上ずった声で報告した。支援火器の機関銃は全損、擲弾筒も砲弾切れ、彼らは残ったわずかな武器で必死に抵抗するしかなかった。
「奥からシャーマンが来ます!」
別の一等兵が悲鳴に近い声で報告する。その言葉通り、木々の奥からシャーマン戦車がゆっくりと黒い車体を現した。
ここで全滅するよりは……。冷や汗を流しながら軍曹は考える。そして決断した。
「全員、後退だ。 戦車から逃げるぞ」
唇を噛んで軍曹は指示を下した。ここで後退すれば、飛行場の防衛の見込みはなくなるからだ。それでも抗戦を続けるべきだと思っての判断だったが、やはり悔しかった。
撃つ砲弾の無くなった擲弾筒を、一等兵はその場に放棄して後退する。他の兵士たちもそれぞれいらない装備を次々と放棄して後退を始める。
「今野! 下がるぞ!」
「殿、務めます! 任せて後退してください!」
軍曹の声掛けに応えてから今野は、頭を出している敵の戦車長を狙う。前回は他の兵士の援護射撃があったが今回は無い。皆、援護射撃などする余裕などなく、軍曹もすでに後退し始めていた。手が汗ばむ。それでも照準を合わせて引き金を引いた。
パン!
「やった!」
銃弾を敵の戦車長の脳天に食らわすと、今野は動きを止めた戦車に背を見せて一目散に駆け出して、先に後退した部隊の背を必死で追った。
米軍の激しい攻勢により、アスリート飛行場はついに陥落、所有権は米軍に渡った。三一七大隊残余は飛行場の奥のナフタン山に後退。しかし、ナフタン山でも彼らは米軍との間で壮絶な死闘を演じることになる。
ジャングルの中を、米軍に追われながら後退する部隊がここにも一つ。
「さすがに重く感じるな」
ずしりとのしかかる機関銃の重みに、たまらず北沢は毒づく。
北沢は右手に小銃、左手には機関銃の銃身交換のための取っ手を掴んでいる。機関銃は二人係で運んでいて、後ろは大井上等兵が同じように右手で小銃、もう片手は機関銃の台尻部分を持っていた。
九九式軽機関銃の重さは約十一キロ、それを二人掛かりで運んでいるので、鍛えている北沢にとってはその重さはさほど重くは感じないはずだ。
「まる二日は何も食ってませんからね」
大井が荒い息で原因を述べた。外部からの栄養摂取がなされていないために体力が下がっているのだ。なんとなく感じる脱力感もこのためだろう。
「補給がなきゃ持たんぜ」
北沢がそう後ろの大井に向かって言った。
彼らの小隊は、輸送船が沈んだ時に壊滅状態と言ってもよいほどの被害を受けたが、今はそれよりもさらにひどい状態になっていた。小隊の人数はすでに十五人にまで減り、小隊長の少尉は手りゅう弾の破片を浴びて戦死し、もう一つの分隊長を務めていた軍曹も戦死してしまっている。最高位の北沢が残った兵を必死で率いているのだ。補給も受けていないので、弾薬、食料、飲料水、医薬品も少ない分を分け合って耐えている状況だ。
機関銃の弾も残り少なくなってきている。銃身は当初、予備含めて三本あったが、すでに使用可能なものは装着している一本だけになってしまっている。
ドン。
人影が右横の茂みから飛び出してきて、北沢とぶつかった。
「おっと」
「オウッ」
両者はよろめいてほぼ同時にうめき声をあげた。そして、お互いにぶつかり合った存在を確認して、両者は目を見開いた。
「アメ公!」
「ジャップ!」
息を合わせたように互いの陣営に対する蔑称を吐いた点は同じだったが、二人が取った行動はまるっきり違っていた。
米兵はライフル銃を構え、銃口を北沢に向けた。引き金にはもう指を掛けている。
だが、それを予測していた北沢。瞬時に自らの右手で持っていた小銃を投げ捨て、米兵のライフル銃をガッと掴んで抑え込み、自らに向けられていた銃口を足元の地面へと強制的に変更させる。
米兵の放った銃弾は北沢を撃ち抜くことはなく、地面に突き刺さって土を跳ね上げる。北沢はひるまず、左手に握っていた銃身を機関銃から引き抜き、米兵の首元めがけて力任せに振り下ろした。
「おらぁ!」
骨が砕ける嫌な音がして、米兵は倒れる。首は変な方向に曲がり、鮮血と共に折れた骨が皮膚から飛び出ていた。
「クソアメ公が」
折れ曲がった銃身を捨てて、小銃を拾い上げてから北沢は、未だ小刻みに痙攣をしている米兵の死体を睨み付ける。その目には、普段の陽気な彼の影は微塵もなく、どす黒い死人の様な瞳があった。周りの兵士たちはその形相に生唾をのむ。
「隊からはぐれたんでしょうかね?」
大井は崩れた体勢を整えながら言った。北沢が急に銃身を引き抜いたので、バランスが取れなくなり派手に尻もちをついてしまっていた。
「わからんが、さっさとここから下がった方がいいのは確かだ」
死人のような瞳のままで北沢は言う。大井はこの様な北沢に慣れているのか、別段気にも留めないように
「賛成! 賛成!」
と普段と変わらぬ調子で軽く笑顔で同意した。しかし、彼もまた一瞬で顔を変えて大声で叫んだ。
「正面、敵だ! 散れ!」
大井の叫び声に反応して、隊員たちは各個に近くの木々や岩の背に素早く隠れた。彼らのいた場所を、いくつもの銃弾が通り抜ける。
大井に返答するために振り返った北沢は気づかなかったが、大井の目には、前方に動く米兵の姿が木々の間からほんの少しだけ見えた。間一髪だった。
「なんで正面から来るんだよ!」
北沢は岩を盾に、反撃の射撃を始める。
機関銃は先ほどの衝撃で最後の銃身が曲がってしまってもう使えない。大井は、持っていた機関銃の本体をその場にほうり捨てた。これでもう支援火器は無くなってしまった。
「これは先回りされてます! どうなさいますか!?」
さすがの大井も、自隊の不利を悟ってか少し上ずった声で指示を乞うた。
彼らは、後方の陣地に向かって移動中だった。それが、正面からの攻撃にあった。要するに、敵に行く手を阻まれたということだ。
米兵の数は、二十名ほどいる。あちらの方が火力も兵力も優勢だ。だが、やるしかない!
「突破するしかねぇだろ。大井、腰据えろよ」
北沢は隣の木の背にいる大井に銃剣を見せた。大井は意図を理解して、小銃に着剣した。
ここで防戦を続けても、いずれは力尽きて押しつぶされる。さらに、後ろからも敵は迫ってきているので、最悪の場合は前後で挟撃される危険さえある。そうなれば一人残らず全滅だ。
「全員、着剣!」
北沢の指示に、大井以外の隊員たちは恐怖に顔を青ざめながら、小銃に銃剣を装着した。
怖いのは当たり前である。自らに向かって銃弾が飛んでくる中を、身を隠さず捨て身で突撃するのだ。並大抵の勇気では足りない、それでも己を奮い立たせて行くしか生きる道はない。
「おら、橋本! ビビッてないでさっさと付けろ!」
北沢は、着剣に手間取っている一等兵の一人を叱咤した。一等兵は、はい! と声を震わせて、こちらも震える手でたどたどしく着剣を完了した。
「銃剣突撃は久しぶりですね」
「中国以来だな。腕が鳴るよな」
大井の軽口に、北沢も続く。中国戦線では銃剣突撃などは日常茶飯事だったので、彼らは慣れきっていた。
北沢は自分たちと敵との距離を目測で測った。大体、五十メートル位だろうか。二百メートルも全速力で駆け抜ければ、なんとか安全圏へ抜けることができるだろうか。
「二百メートル全速力で走り抜け! いいか、俺が死んでも、隣の奴が倒れても、立ち止まらずに突き進め!」
北沢は、隊員一人ひとりの顔を確認しながら、激を飛ばす。
「一斉射のあと、雄叫び上げて敵に突っ込め! ここを突破するぞ!」
「おおー!」
大井が元気よく北沢の激に応える。血の気の引いた顔をしている他の隊員たちも、それに吊られて続く。
「もっと、声出せ! 奮い立たせろ!」、
「お、おおおおぉ-!!」
手ごたえを感じた北沢は、小銃を構える。その先には、銃剣が鈍く輝く。
「全員、小銃構えろ、一斉射!!」
全員が小銃を発射する。十数人ぽっちだったが、それでも一斉に射撃すると効果はあるものである。敵の米兵たちのほとんどが、堪らず身を屈めた。
その様を見てニヤリと笑う北沢、空気を肺一杯に吸い込んでから、大声と共に吐き出した。
「全員突撃! 突っ込めぇーっ!!」
右手を勢いよく振り下ろしてから、北沢は岩陰を飛び出した。
「うおおおおおお!!」
「おおおおぉぉぉ!!」
「おおおおおぉぉ!!」
隊員たちがそれぞれに雄叫びを上げながら、茂みから飛び出して北沢の背を追う。
いち早く敵軍に斬り込んだ北沢は、驚愕に目を見開いている敵兵の一人を突き殺して突破に成功した。しかし、五名が突撃に失敗して銃弾に倒れてしまった。そして、その中には大井上等兵が含まれていた。彼は飛び出した瞬間、不運にも銃弾が鉄兜を貫通して倒れた。即死だった。
「もっと、下がるぞ」
唯一無二の戦友を無くし、肩を落とした北沢は静かに言った。さらに数を減らした北沢の部隊は、後方へと足を速めてジャングルの茂みに消えていった。
ヒナシス山は米軍の攻勢の前に陥落した。
日本軍は島最高峰のタッポーチョ山一帯に防衛戦を再構築し、全体の立て直しを図る。ヒナシス山を追われた残存部隊はこれに加わり、再び死線を越えて戦うことになる。




