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西蒼次郎は仕事部屋に入った。時刻を確認すれば午後九時。配信を始めるにはいい時間だ。
仕事部屋は様々な機材や本などが放り込まれており、またいくら大声を出してもいいように防音室なので普通の部屋より狭い。物々しさを感じるパソコンと赤いゲーミングチェアが存在感を放っている。
蒼次郎はゲーミングチェアに座った。パソコンの近くにある鏡を見、髪を手で直した。金髪に青いメッシュが入っている髪型は派手で堅実とは程遠い印象で、男性にしては大きな目をしているその顔は中性的と言われる。
――どっからどう見ても堅気じゃないな。
そう思うが、キャラ付けとしてこの髪型にし始めてから人気が出始め、この姿で配信者すみれが定着したので、いまさらおとなしい髪型にしたらネットの住民に何を言われるかわからない。
パソコンに電源を入れると同時に腹に力が入り、無意識に背筋が伸びる。パソコンは動画を本格的に作るようになって何台も変えているが、自分の仕事には欠かせない相棒だ。
カメラと照明をセットし、マウスを操作する。準備を整え、蒼次郎はにっと笑った。
少し生意気、でも愛嬌がある感じで。二十歳から配信を初めて四年間、その間で学んだ自分が魅力的に見えるような笑みは意識しなくてもできるようになった。
蒼次郎はカメラの向こうの顔も知らないリスナーたちに向けて明るい声を出す。
「みんなおつかれ~。すみれでーす。今日もゆるゆると雑談に付き合え~!」
そう言い、蒼次郎から動画配信者すみれとなる。
蒼次郎はぬるくなった大手コーヒーチェーン店の春季限定ドリンクを飲み終えた。空になった紙カップをゴミ箱に放り投げる。甘い飲み物は悪くない味だが蒼次郎には甘すぎた。しかし配信者なので、雑談のネタは多いに越したことはない。飲食物の摂取理由が食べたいという欲求ではなく、話すネタの一つのため、と思うとちょっと虚しさを感じる。
三月上旬、まだ寒く、仕事部屋を含めて室内はエアコンをつけっぱなしだった。裸足をすり寄せる。寒いなら靴下をはけばいいのに、裸足が好きで寒くても我慢をしている。
定期的な雑談配信が終わり、蒼次郎は配信を切り終えたことを確認し、ゲーミングチェアに沈んだ。はあ、と大仰なため息が口から漏れる。大した筋肉も使っていないのに、なんだかすごく疲れた。
自分が投稿した動画一覧を眺める。
蒼次郎は様々な動画を投稿する動画配信者で、すみれという名前で活動している。自分が面白そうだと思った動画を作るから、料理動画、本や映画の感想動画、初心者向けの登山道を散歩する動画など、脈絡がない。
二十歳の時に初めて動画を投稿して四年、気づけば中堅の動画配信者となり、配信者として生活できるようになっていた。二十歳の頃、四年後こんなふうに生活するなんて想像もしていなかった。
ゲーミングチェアから立ち上がり、スマートホン片手に仕事部屋のハンモックに転がる。ため息を吐く。気力がない。
仕事部屋は動画制作に必要かもしれないと思ったものを買っては部屋に置いているので、部屋の中なのに道ができている。誰かを招く予定もなく、ごみもないので何も困っていないが、物が増え過ぎたと感じる。
蒼次郎は部屋をちらりと見る。少しでもいいな、動画に使えそうだと思ったら買っては増えていくものたち。
――でも本当に欲しいものは手に入らないし、本当に会いたい人には会えない。
蒼次郎はスマートホンを操作し、SNSを見る。配信者すみれ用のアカウントとは別に作った、自分以外見られないようにしている鍵垢。何も投稿していないそのアカウントは、SNSを見るためだけのものだ。
蒼次郎はにいっと口角をつりあげた。
「あ~たんぽぽ生きてる~えら~い!」
蒼次郎が見ているのは、とある人物のアカウントだった。たんぽぽの写真をアイコンにした、アカウント名はたんぽぽ。それが蒼次郎が見る専用のアカウントを作った理由だ。
「今日も残業です」
今夜投稿されたのはその一言だけだが、たんぽぽの生活が少し垣間見えるので嬉しい。
指を動かしたんぽぽの投稿を見ていく。
たんぽぽは一日一回、誰の目も意識していない淡々とした文章を投稿する。たんぽぽにとっては日記のようなものなのだろう。
ただ、毎回あたりさわりのない内容を投稿し、特定に繋がりそうな情報を載せないあたり、ネットリテラシーが高いのかもしれない。
承認欲求から程遠い、他愛のない、面白みが一つもない投稿。
月がきれいだった。寒くて星がよく見える。
そんな投稿のなか、たんぽぽはすみれが動画をあげるたび、動画の感想を投稿する。
「すみれさんの動画がすごくよかったです」
すみれが作った動画のURLがついたその一言があるたび、毎回嬉しい。
たんぽぽは配信者すみれの古参ファンだ。すみれがいまほど人気も認知度もない時からすみれの動画を観てくれ、そのときからずっと今も応援してくれる、ありがたい存在だ。
蒼次郎はたんぽぽの投稿を遡って読む。
今日の夕飯はコンビニのおにぎり。今日は残業でした。今日は九時に帰宅できたので思ったより早く帰れました。
去年の春から残業という単語が散見し、長時間労働がその投稿に滲む。たんぽぽの投稿を見るたび大丈夫かと不安になるが、その気持ちを振り切るように明るい声を出す。
「たんぽぽ、一日一回投稿してくれてありがと~! 生存確認助かる~! どこ住み? 何歳? 仕事何してる?」
合コンに参加しているような言葉を明るく吐くが、声が段々沈んでいく。
「男なのは昔珍しく投稿した画像で知ってるけど……まじでどこに住んでて、だいたい年齢はわかるけど確定じゃないし、職業は何? 好きなもの何? この情報少なすぎアカウントじゃ、たんぽぽのこと全然知ることができないよ」
大きく息を吐き、手から力が抜ける。胸の上にスマートホンを置いた。
たんぽぽがSNSに投稿する内容からは人となりが殆ど伝わらない。すみれの動画について感想を語るとき、多少自分の情報を交えることがあるが、その情報も多くはない。
三年ほど前、たんぽぽはとあるアニメのブラインドグッズを手にした写真を投稿していた。写真の中の手はどう見ても男性の手で、たんぽぽが男性であると知ることができ、とても嬉しかったのをいまでも覚えている。
――画面の向こう側の人間と、一生会えねえんだろうなあ。
そう思うと悲しさと虚しさが胸にじわりと広がっていく。
蒼次郎は配信者で、たんぽぽはすみれの活動初期から応援してくれる古参リスナー。そんな二人に接点はなく、交わることのない平行線の世界を生きている。同じ日本にいるのに、同じ時代に生きているのに、交わることがないのだと思うと切ない。
ゲーミングチェアに背中を押し付けるようにして目を閉じただけのつもりだったのに、いつのまにか眠ってしまっていたようだった。
目を開けると電気をつけたまま寝てしまったようで、室内のLEDライトの光が眩しい。呻き声をあげ、起きて早々スマートホンのロック解除をした。スマートホンと仲良しすぎることを自覚しているが、やめられない。
ネットに関わる仕事をしている以上スマホとパソコンを触ることは仕方がないが、流れるように指が動くのは自分でもやばいんじゃないかな、と思う。一度でもデジタルデトックスをしたほうがいいと理解しているのに、ネットと距離を置くことができない。
「たんぽぽ~……」
あくびをし、何度かまばたきをしてたんぽぽのSNSのアカウントを見る。二時間ほどゲーミングチェアで眠ってしまったらしく、時間を確認すれば夜の十二時だった。たんぽぽのアカウントには昨日の夜の投稿があるだけで、たんぽぽは眠っているのだろう。
「わかってる、わかってるんだけどさあ」
蒼次郎はため息を吐いて立ち上がる。
「俺はたんぽぽのことをもっと知りたいよ」
ネットでお互いを知っているのに、接点がない寂しさと虚しさ。スマートホンの画面を指先でそっと触れる。
好きな人と会話ができない寂しさを、この先もずっと抱えないといけないのだろうか。
蒼次郎は四年前、二十歳の時に失恋をした。相手は蒼次郎と同じ高校の同級生だった男で、蒼次郎は彼に長い間付き合っている彼女がいるとわかっていても、彼が好きだった。
「俺、中学生の頃からずっと付き合っている彼女とそのうち結婚しようと思っている」
酒をようやく飲める年齢になったばかりだというのに、友人はカフェでそう言った。そうかと相槌を打ち、友人の彼女への気持ちを聞きながら、好きな人に結婚をしたい相手がいる、という事実に打ちのめされた。
「蒼次郎は大切な友人だから、結婚が決まったら紹介したい」
そう言う友人の目は本気で、ああ、と思った。恋が終わるというのはこういうことなんだと思った。彼の目はまっすぐに、この場にいない彼女を見ている。自分の気持ちを伝えても絶対に受け止められることはないとわかり、高校一年生の頃から五年思い続けた蒼次郎の恋は終わった。
――まだ二十歳なのに、結婚を決めたの? 早くない?
その言葉を飲み込めてよかったと思った。嫌味でもなんでもなく純粋な疑問だが、その言葉を受け取った友人が不快になるかもしれなかった、と思えたのは友人とお茶を終え、駅前で別れたあとだった。
蒼次郎は友達が多い子供だった。あたりさわりのない会話は得意だし、その場その場でうまく立ち回る器用さがあった。だが自分の内側を晒すことは苦手で、そんな蒼次郎は深い付き合いの友人ができず、友人関係も環境が変わってしまえばすぐに関係は切れた。
そんな自分にとって、中学生という子供のころから付き合っている彼女と結婚する予定、という片思い相手の言葉に怖さを感じた。自分は一人の相手にそこまで強い思いを抱いたことが無かったからだ。しかし、感じたのは怖さだけではなく、強い羨ましさもあった。
自分が抱くことも抱かれないような強い感情を、お互いに持っている片思い相手とその恋人が羨ましいと思った。
一人暮らしの家に戻り、ベッドに転がって動画投稿サイトで動画を観た。失恋した痛みで何もしたくなかったが、暇な時間があると失恋した痛みに飲まれそうで怖かった。
夜中まで動画を観続け、蒼次郎は思った。
「俺も動画つくろ……」
そう思ったのは画面の中の動画配信者たちが楽しそうに笑っていたからだ。笑顔が空回りしているようにも見えたが、自分もあんなふうに笑っていたら失恋の痛みも紛れるだろうか、と思った。それをきっかけに、蒼次郎はすみれという動画配信者として活動するようになった。
最初は無名の上、動画制作の技術がなく、見る側を全く考えていない動画を作ったので、当然のことながら動画再生数は少なかった。
そんなとき、とある動画にたんぽぽというアカウントからコメントがあった。
「楽しかったです。ありがとうございました」
そんな一言がとても嬉しかった。何度も何度も見返し、写真を撮るほど嬉しかった。
たんぽぽのその一言が蒼次郎を変えた。自分が作った動画は少なからず誰かの目に触れているのだと思うと、もっと真剣に取り組もうと思ったし、楽しんでもらえるような動画が作りたいと思った。それから蒼次郎は他の動画配信者が投稿している動画を観ては研究し、どうすれば見やすく楽しい動画になるのか工夫を重ねた。
そして配信者すみれの動画は徐々に再生回数を増やし、リスナーも増やしていった。
たんぽぽが書いてくれたコメントの写真は、いま使っているスマートホンとパソコンにその写真を保存しており、たまにその写真を見返す。何度スマートホンの機種変更をしても、この画像だけは大切にしている。
たんぽぽからのあの一言が嬉しかった。その嬉しさがいまの動画配信者すみれの原点とも言える。あのコメントがなかったらそのうち飽きて動画配信者をやめてしまっただろう。
四年続けて中堅配信者と呼ばれるようになり、配信者として生活ができるようになったのはたんぽぽのおかげだと思っている。他人に言うと大げさだと言われそうでたんぽぽのことを誰にも話したことはない。
――それに、俺はたんぽぽを誰にも見つかってほしくないって思う。
たんぽぽは自分の大切なリスナーだ。だからこそ、自分だけが知っていたかった。
その執着は次第に形を変え、いつのまにかたんぽぽに恋をしていると自覚したのは、三年前。あのブラインドグッズを手にした画像を見た瞬間、たんぽぽが「生身の人間」だと強く感じ、思った。
――会いたい。この世にいるなら、たんぽぽに死ぬほど会いたい。
そう思い、これは間違いなく恋だと思った。




