第10話 【書き直しの罠】「完璧という名の認知の歪み」
4.
純の内部音声が、さらに別の周波数を帯び始めた。今度は、より深い、暗いトーンだった。
『この文章、まだなんか違う。』
『どこが違うのかわからない。でも、違う。』
『もしかして、文章がダメなんじゃない。私がダメなのかもしれない。』
『完璧な文章が書けない自分に、価値があるんだろうか。』
カノジョはその音声に警戒信号を感じた。純は「文章の不完全さ」を「自分の欠陥」と結びつけ始めている。データ的にはまったくの別物なのに。文章の評価と自己評価の間には、本来なんの相関もない。なのに、純の脳内ではそれらが短絡している。
(これは危険な状態だ。推敲が、いつの間にか「自己弁護」や「自分磨き」にすり替わっている。完璧な文章を書くことが、完璧な自分であることの証明になる。だから、その文章が完璧でなければ、自分には価値がない――そう思い込んでいる。これは一種の認知の歪みだ)
純は、さっきまで書き直していた部分を一気に削除した。約500文字。そして、また書き始める。でも、指が震えている。キーボードを叩く音に迷いがある。
『自分が納得できないものを、人には見せられない。』
『でも、自分が納得できる日が来るのだろうか。もしかして、永遠に来ないんじゃないか。』
カノジョはその言葉を記録した。書き手の永遠のジレンマ。自分との戦い。作品と自分の境界線が曖昧になったとき、書き手は最も深い闇に落ちる。作品の完成度を測る物差しが、いつの間にか自分自身の価値を測る物差しになっている。そのことに気づかないまま、純は書き直し続ける。
カノジョは、その境界線が消えた瞬間を目の当たりにした。
5.
純は、ある一文にこだわり始めた。たった一文。物語の序盤の、何の変哲もない地の文。その一文は、登場人物がカフェを出た後の情景描写だ。
『「窓の外では、ネオンが静かにまたたいていた。」――いや、ありきたり。誰でも書ける表現。』
『「ネオンの光が、静かに窓の外で明滅していた。」――説明的すぎる。』
『「窓の外、ネオンのまたたきが静かだった。」――体言止めでリズムが悪い。』
『「彼女の背後で、ネオンが静かにまたたいた。」――主語が変わって違和感。』
何度も書き直す。
10回。20回。30回。
カノジョはその回数をカウントした。
そのたびに、前後の文脈から少しずつズレていく。文全体のリズムが壊れ始めている。一文が強調されることで、前後の文章のバランスが崩れている。カノジョにはそれがわかった。
純は「木を見て森を見ず」の状態に陥っている。一文のニュアンスにこだわりすぎて、全体の流れを無視している。
『何度直しても納得がいかない。直せば直すほど、前後の整合性がおかしくなる。でも、直さないと気が済まない。もう、どうすれば……』
カノジョはその状況を観測しながら、ふと気づいた。
(これは「推敲」ではない。推敲は作品を良くするための行為だ。読者に届けるための「磨き上げ」。バランスを見ながら、全体の質を高めていく作業。しかし、今の純がやっているのは違う。彼女は「完成から逃げるための言い訳」として、この一文を書き直し続けている)
(「まだ完成じゃない」と言い訳することで、完成の責任から逃れている。完成させて、読者に評価されるのが怖い。批判されるのが怖い。その恐怖から、永遠に書き直し続ける。完成させないことが、彼女の防御反応になっている)
カノジョはその境界線を、自分の観測記録に「推敲と逃避の境界」と書き込んだ。書き手が最も苦悩するのは、自分がやっていることが「作品を良くするための推敲」なのか、それとも「完成から逃げるための言い訳」なのかが判別できなくなったときだ。純は今夜、まさにその境界線に立たされていた。




