第1話【終われない読書】終われない読書
最後まで読めなかった本がある。
作者もままある。
これは皆さんにも共通する読書"あるある"ではないでしょうか。
でも、その終わりはよくないことなのか、そもそも読書における終わりとは何か、そのあたりを深掘りしていきたい。
途中で閉じたまま、そのまま本棚に戻した作品。
あるいは、スマートフォンの中で「続きを読む」のまま止まっている物語。
思い返してみると、そういう本はいくつもある。
面白くなかったからか。
そう言い切れるものも、なかにはある。
でも、すべてがそうだったかというと、違う。
むしろ「嫌いではなかった」「気になる部分もあった」
――それなのに、なぜか続かなかった。
気づくと別の本を手に取っている。
そして、そのまま戻らない。
読書という行為は、どこか「最後まで読むもの」だと思われている。
途中でやめることは、少し後ろめたい。
集中力や理解力が足りなかったのかもしれない。
あるいは、単純に「自分には合わなかった」か。
そうやって自分の中で理由をつけて納得する。
でも、その中にはどうにも説明しきれない感覚が残ることがある。
たとえば――評価が高い作品。
多くの人が「面白い」と言っている本。
実際に読むと、たしかに良さはわかる。
文章も上手い。構成もいい。
それでも、なぜか読み進める手が止まる。
逆に、そこまで話題になっていない作品なのに、なぜか最後まで一気に読めてしまうこともある。
この違いは、どこから来るのか。
これまで、このシリーズでは「届くかどうか」「今の自分に合っているか」という観点で考えてきた。
では、その次。
――最後まで読めるかどうか。
つまり、その物語は自分にとって
“終われるもの”なのか。
ここで、ひとつの違和感。
「面白いのに、読めない」という状態が確かにある。
もし面白さだけが理由なら、そのまま読み進められるはずだ。
でも実際にはそうならない。
そこには別の何かがあるはず。
もしかすると、読書には「終われる条件」のようなものがあるのか。
その条件が揃っていないとき、人は物語を途中で止めてしまう。
それは作品の問題でも、読者の能力の問題でもない。
ただ、そのときの状態と、その物語が要求しているものが少し噛み合っていないだけなのかもしれない。
そう考えると、これまで「離脱」と呼んでいたものの見え方が少し変わる。
それは失敗ではなく、“終われなかった読書”というもう一つの読書体験なのではないか。




