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Ⅲ-3

『前略。その後いかがお過ごしですか。私ども、妻と相変わらずの生活を送っております。形だけですが、仏壇を置きまして、美邦のことを思っております。

 数年だったけれど、夢を与えてくれた、美邦のこと、思い出して話してやるのも供養だと思っております。美邦がランドセルを背負って帰って来ると家がぱっと明るくなったものでした。

 不幸な出来事から立ち直るというのは、どんなにか大変だったことかと、想像してやるのです。

 美邦が亡くなりましたあの火事の晩。美邦は動けなかったのではないかと思うのです。心の奥底にしまっておいたこととはいえ、火の中で、美邦の記憶の封印が解かれたように思います。火の中で美邦は家族とともにいたのです。母親が手をさしのべ、その手を美邦は握ったのではないでしょうか。

 わたくしども、あなたさまが、自分を責めておいでではないかと、そのことばかり気にかかります。

 あれは、避けられなかった事故です。美邦とて。

 不思議ですが、静かに美邦の仏壇と向かい合っておりますと、はっきりわかるのです。美邦は、幸せでした。あなたとの生活を永遠に続けたかった。

 でも、あの火事は避けられなかったのです。

 美邦にとっては、いやな思い出のある場所かもしれませんが、いずれ落ち着きましたら、是非とも私どもの所をお訪ね下さい。

 美邦の部屋はそのままになっております。勉強机や、その当時読んでいました本などは、そのまま大事に二人で守って行くつもりでおります。

 どうぞどうぞ、お身体大事になさって、美邦の分まで長く、幸せにお過ごし下さい』

 手紙と一緒に何枚かの写真が入っていた。美邦が小学校時代のもので、ランドセルを背負っているもの、おじ夫妻とどこか旅行に行った時のもの、運動会やプールでのもの。いかにも優しそうなおじ夫妻。そして、いつもぼけっとしている美邦。

 康子が店内にふと目を走らせると、いつの間にか学生風の客はおらず、バイトの水沢がレジの横に座り、雑誌を読んでいた。

「やっぱり、どうにかして逃げて欲しかったわ…。生きて、帰って来て欲しかったわ。あたし、もっとミクニのこと、いろいろ…、聞いておけば良かった…」

 佐香那の声が喉に詰まり、涙目になった。

「ごめん。そこのとこまで考えると、やっぱり切なくなっちゃって…」

「しょうがないよ…」

「そ、しょうがないよね…。でもね、あたしもそのおじさん? だかなんだか…、親戚の人がわかるっていうの、わかるのよ。確かめられないけど、わかったって思う瞬間って、あるもんね」

「そうね…」

 喫茶店の入り口で水沢が立ち上がり「お帰りなさい」と言うのが聞こえた。康子が目を上げると、佐香那の母が入って来ていた。

「あらあら! ヤスコさん! 来てくださったのね。ほんと! すみませんでした。何もお知らせしなくて。サカナがね。何も言うなって、とっても恐い顔で申しますでしょ。わたしはお話ししたかったんですけど、失礼してしまって」

 康子は、その母の言葉を上の空で聞いていた。それより、佐香那の母の横に立って、手をつないでいる男の子が気になり、目が釘付けになっていたのだ。

「やだ…。サカナ! あんた」

「ほんと、ごめん!」

 と、佐香那は康子にまた手を合わせて誤った。

 佐香那の母は男の子の手を引いて、近づいて来ていた。

「さ、ダイちゃん、ごあいさつは?」

 その男の子は緑のTシャツの上下を着て、お尻にはいかにも「おむつです」という膨らみがあった。おぼつかない足取りでチョコチョコ歩いて、きょとんと康子を見つめた。

「信じられない!」

 と、康子は口を手で覆った。

「ミクニが亡くなってからすぐに、妊娠してることがわかったのよ。この子を産むかどうか。それもいずれヤスコ相談しようと思ってたんだけど…」

「絶句ってこのことね」

「ダイチっていうの。ミクニのねゲームにあったキャラの名前。すごい冒険をするの。水の中くぐったり、高いお城にのぼったり、風船とか鳥につかまって空飛んだり、すごいんだから…。それでお決まりのように美しい姫を救い出すのよ」

「ただの音信不通じゃなかったのね…」

「あたし、ずいぶんとヤスコを振り回してたなって、反省したのよ。産むかどうか自分で決めなくちゃって…。こんなことまで人に頼ってたら、しょうがないもんね。あたし、あの数日ですごく無理して、マンションも鬼のように片づけて…、大阪にも行ったし…、流産しかけたの。それではっきりわかった。絶対に産みたいと思ったの。で、今のところは、産んで正解だったわ」

「似てるね…」

「ほんと。切ないくらい」

 大地は、テーブルの上のコップに手を伸ばそうとしていた。

「あらあら、ダイちゃん、おいたはだめよ。おばあちゃんと中に行きましょうね。おかあさんとおばちゃまたちは、まだまだお話しがあるのよ」

 佐香那の母がうれしそうに大地の背中を後ろから押した。

「あーあ、あの日。あの火事の日にわかっってたら…。妊娠してたってミクニが知ってたら…。そうしたら、這いだして来てくれてたのかしら」

 康子は佐香那の手に自分の手を重ねた。

「考えたってしょうがないよサカナ!」

 二人は大地の後ろ姿をじっと見つめた。

「ミクニのこと聞かなかった分、ダイチのことは全身全霊で聞くわ。自信ないけど…。それがあたしのつぐないだもんね…。やっと主役交代できるのね」

「お母さん、毎日来てらっしゃるの?」

「それが…、先週こっちに引っ越ししてきたの。実はね、去年父が亡くなったのよ。なんだかいろいろなことって重なるのね。ダイチがまだ生まれたばかりで悲しむ暇もなかったわ…。母の方に行こうかどうしようか迷ったんだけど、もうちょっとミクニのことゆっくり考えたくてこっちにしたの。ここ裏と二階は住宅になってるから…。母がいればダイチの面倒も見てもらえるし…、あたし一人っ子だしちょうどいいかな…、と思って」

 それから、二人はまたしばらく話し込んだ。トーストサンドのランチメニューがいくつかあり、試食した康子はあれこれ文句をつけた。

 午後からは、近所の主婦達や女性同士の友達が何組か入ってきた。

「うちの常連さんって、けっきょく中高年の女友達、主婦友達になりそうよ…」

「うん、わかるわ。あたし達と同じような人達よね」

 そう言いながら、康子は立ち上がろうとした。

「待ってよ! まだヤスコのこと聞いてない。ヤスコはこれからどうするの? 居酒屋で飲んでた人って、ただの同僚ってだけなの?」

 康子はぼかんと佐香那を見つめた。

「なに、急に…」

「だって、あたし、人のことあまり聞いてないなって気が付いたからさ。たまにはヤスコにも主役になってもらいたいな、って思って」

 康子は中腰のままうんざりしたような表情を見せて、立ち上がった。

「じゃ、それはまた今度にしよ。別に話って話もないけど。今ここで話してもあたしの話なんて霞みたいに、サカナの話に飲み込まれちゃうよ。今日はもうごちそうさまって感じ」

 佐香那がうっと言葉を飲み込んでしまったのを無視して、康子は喫茶店の中をぐるりと見回した。

「いいんじゃない。この雰囲気。また来てもいいかなって気になるよ」

「ありがと」

「じゃ、あたし行くわ。また来る」

「ほんと、ありがと」

 佐香那は喫茶店の出口まで康子を送り、康子は帰って行った。

 佐香那は康子の背中が見えなくなるまで、そこに立ちつくしていた。

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