腐術 1
「石積さんに確認してこよう」
宮司が社務所に踵を返した。同時に周囲を固めていた老人たちが、
「奥の院を見てきます」
と離れていった。
本殿の前で冷めた茶の入った湯のみを持ったまま、晴彦は動くに動けず、若い宮司補佐と肩を並べていた。
いま、お爺さんたち、『奥の院』て言った……。
入り口は見あたらないが、やはりこの稲荷には奥の院があるようだ。通常は本殿の裏手あたりに開いている参拝道。けれど老人たちは石段を下っていった。少年には奥の院の所在に見当がつかない。
ふと視線を感じて隣を見あげると、晴彦より少し背の高い神職の青年が、苦笑を浮かべながら、少年の手から湯のみを受けとろうとしていた。
「あ、ありがとうございます」
慌ててて礼を言い、盆に置く。
気まずい間を置いたあと、話しかけてきたのは青年のほうだった。
「さっきも聞いたんだけど、ここの神体が祟ったっていうのは、具体的に何が起きたってことなの?」
「その前に、オレからも聞いていいですか? ここでお祀りしてる『御霊さん』いうんは、ミケツカミとは違う、人間の怨霊なんですね?」
神社の体面を守ろうとする青年に、自分の聞きおよんだ情報をもたらしたとしても、正しい理解をしてくれないかもしれない。晴彦は警戒して話を逸らせた。稲荷で起こった怪異や黒曜石の蛇神の祟りのことは石積の長老にも伝えてある。宮司が連絡を取れば、長老から、直接、詳細を聞いてもらえるだろう。
青年は、壁を作っている晴彦の態度に気づいているのか、ますます困った笑顔を浮かべて、
「機密事項なんだけどなあ……」
と茶化した。それから本格的におどけた口調になって、
「でもまあ、俺、ただの手伝いだし。喋っちゃってもいっか」
と、長話に対処するために座りこんだ。
携帯で時刻を確認すると、晴彦が説教を受けてから、すでに50分近いときが経っていた。22時半。
未だかろうじて沈黙を守っている雪雲の動向を気にしつつ、少年は青年の隣に座を構える。
「今も言ったけど、俺、ただの手伝いなんで、あんまり詳しいことは知らないんだ。深田さん……宮司さんのことね、が、正月は手一杯ってことでつきあってるだけだから」
年若い神職は「深田さんにはこの会話のことは黙っててくれよ。怒られちまう」と釘を刺しながら、適当に正月の神事に奉拝したことを暴露した。
「神職さんの階位は?」
あまりに砕けた態度に、晴彦は面食らって、青年の神職身分を聞く。
「俺? まだ出仕。階位のない見習いだよ」
彼は無階の職員であるらしかった。
下位の身分でありながら、神社の管理人とも言える『宮司』に尊崇の念を表さない彼。晴彦は戸惑う。僧侶や神職などは階級に強くおもねる職業だと思いこんでいたからだ。
「神職さんは、あんまり階位とかにはこだわらないんですか?」
珍しく他人の人間性に関心を持った少年に対し、神職補佐は、
「俺、もともと神職じゃなくて一般職に就いてたの。だから、この世界の戒律っていうのに興味が持てなくてね」
と頭を掻いた。なるほど、と晴彦も納得する。
「そんな神職さんが、なんで神職になろうなんて思ったんですか?」
さらに追及すると、
「結婚しようと思った相手……あ、もう奥さんになってるけどね、彼女のお父さんが宮司だったんだ」
彼は照れたような苦笑いを浮かべた。
自分のことを『牧村』と名乗った青年は、改めて、
「俺、この世界に入ってまだ2年だから、神職同士の人間関係にも疎いんだよ。だから深田さんたちの立場に遠慮して、事実を曲げて伝えるようなことはしない」
と断言した。そして、
「神体のこともちゃんと話すから、君のいう祟りのことも聞かせてもらえないかな」
と続ける。
逆に、なぜそこまで晴彦に協力の姿勢を見せてくれるのかがわからず、少年は慎重に質問を重ねる。
「オレの祟りの話って、牧村さんにとってなにか有益なことになるんですか?」
「そういう話を集めてるんだよ。怨霊とか幽霊とか、日常の隣にあるはずの非日常とかね。……あんまりにも正常な時間ばっかり過ごしてると、そういうものがあるってことを忘れちゃいそうだから」
牧村はよくわからない理屈を返した。
案外、彼自身も祟りを受けたことのある人間なのかもしれない、と晴彦は思った。
感覚的なものだが、牧村に対して信頼が置けそうだと判断した少年は、自分の経験したことを正直に話すことにした。
※作中に出てくる『牧村』は、『屍ケ台』の『涼二』のことです。




