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黒い神  作者: 小春日和
巫女の正体
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持衰の思慕

 相変わらず食べ物に手をつけようとしない持衰に、晴彦もつきあう。母が置いていってくれた盆は、部屋の隅に片づけられたままだ。

「持衰さんが食べ物を受けつけんのは、何の意味があるん?」

昨日の朝、朝食を見ただけで吐き戻した美耶の様子を思い出して、そう尋ねる。あれはたぶん、持衰が美耶の肉体に食物を入れたくなかったのだろう。美耶を弱らせて意識を乗っ取るためか、それとも、他に理由があるのか。

「『おれ』は、いま、ミソソギの最中だ」

少女の中に転生した幼い魂は、憮然としてそう答えた。

「明日の祓えの前に、己の(たま)を浄化しておかなければならない。迂闊な態度でいれば、『おれ』だけでなく、『ミヤ』も危ない」


 ミソソギ、と聞いて、晴彦は納得した。と同時に、古代の巫女が、いともたやすく荒行に臨む姿勢に感心する。

 ミソ・ソギ。『()』で身体を浄めて己の邪な心根を『削ぐ』、という意味の古語だ。現代の言葉に直すと『禊』。神との交信が日常化していた古代において、その役割を担っていた、巫女でもあった持衰たちは、己の心身を常に高めておく必要があった。食物の選別や食事の量などをコントロールするのも、必要不可欠の神事だったのだろう。

 空っぽの腹部を押さえ、空腹の苦痛に平気な顔をしている持衰に対し、

「持衰さんはすごいな」

と尊敬を伝えた。とたん、子どもの表情に戻った持衰は、

「だが、お前たちは、こんな『おれ』を嫌っているのだろう?」

と口を尖らせる。

「嫌ってるんと違うよ。お腹空いてるのに可哀想だな、と思ってる」

笑いかけると、

「……『ミヤ』には悪いことをしている」

と、俯いて、ぼそりと呟いた。


 ベッドにもたれ、気だるそうな態度を見せ始めた持衰。

「疲れた?」

と聞くと、

「少し」

と素直な返事を返す。

「そのままでいいから、1つずつ、教えてくれん?」

確認すると、

「うん」

と頷く。


 いつから美耶ちゃんの中に転生していると自覚したん? そう聞くと、持衰はしばらく考えこんだあと、わからない、と答えた。

「幼き日の記憶は確かにある。父母(ちちはは)と、血統を別にした兄がいること、それを『家族』と思っていたことを覚えている。ただ、そのころに、己が過去の人間だと気づいたことはない。たぶん、『おれ』と『ミヤ』は、まったく同じ意識を持っていたのだろう」

「美耶ちゃんは、崇志兄が義理の兄さんだとは知らんと思うけど……」

持衰の告白の矛盾点を指摘すると、持衰は驚いた顔をして首を振った。

「知っているはずだ。『ミヤ』は『おれ』の能力を使って、兄に纏わりつく荒魂を見ていたからな」

「崇志兄の荒魂?」

初見の話に、少年は思わず会話を乱す。

「崇志兄に、荒魂がとり憑いてるってこと?」

繰り返して確かめると、持衰は、少し嬉しそうに頷いた。明日の大祓まで自分が存在したかった理由に、やっと耳を傾けてもらえた、そんな表情だった。

「そうだ。『タカシ』には厄介な人霊が寄り添っている。それが、明日の大祓で、『タカシ』自身に降りようとしている」

嬉々として、そう説明する。

 荒魂、というのは、本来は神の荒ぶる側面、すなわち祟り神のことを言うが、神道においては、二面性を持つ人間の悪心と同義にされることもある。持衰は、崇志にとり憑いているモノを『人霊』と表現した。つまり、それは、人間の悪霊、という意味ではないのか。

 崇志に悪霊が憑いている。だが、持衰と魂を共有する美耶のように、明らかに行動のおかしいパターンならともかく、兄にはその兆候はいっさい見られない。それに、晴彦には、悪霊の正体にも心当たりが持てなかった。

「……それ、持衰さんの勘違いと違うん……?」

持衰の機嫌を損ねないように控えめに尋ねると、案の定、悲しそうな顔が向けられた。

「『おれ』はずっとその御霊と闘っている」

拗ねたように視線を背ける。


 持衰が、自分の身を犠牲にすることすら覚悟して大祓に臨んだ理由。蛇神の祟りを受けた美耶の身を守っているのだとばかり思いこんでいた少年にとって、その告白は意外そのものだった。

「持衰さんは、崇志兄のために、ミソソギをしたり、さっきの……神さんを招魂……しようとしたりしたんやな?」

確認しながら、話の続きを促す。

「荒魂はいつも『タカシ』のそばにいる。ふだんはそう恐ろしい存在ではないが、ときどき魂が濁って、兄を地の国に連れていこうとする。『おれ』の身につけた神力で抑えることは可能だが、祓うことはできない。それほどに強い」

持衰は、そこに己の能力が詰まっているかのように、両の掌を重ねて晴彦に突きだした。

「『おれ』はカガ神を身に受けている。通常の人霊ごときならば、彼の神の力に及ぶものではない」

そう補足する声は、わずかに得意げだ。


 カガ神。蛇を意味する『カガ』という古語。先ほど帰宅した直後に、この部屋で見た光景を思いだす。たくさんの蛇に埋め尽くされた、あの幻覚。

 そっか、持衰さんが招魂していた神さんは、蛇神さんやったんやな……、と、納得する。

 古代よりあった地母神信仰。持衰の時代には、もう『蛇の姿をした神』という認識ができあがっていたのだろう。生存時に巫女として蛇神の依代(よりしろ)となった持衰は、転生した後も、その神通力を失わずに済んだ、ということか。


 そうとわかれば、符合することは幾つかあった。崇志が稲荷神社で危機に陥っているとき、事情を知らずに石積邸からまっすぐに早川家に帰ろうとした晴彦を、電話口で叱りつけた持衰の行動。そのあとで、稲荷神社の結界に取りこまれていた崇志が現実世界に戻ってこられた現象。

 いや、その前の、石積邸での門松作りのときに、初めて発現した持衰が崇志に頭痛を起こしたこと、あれすら、意味があることなのかもしれない。

「なあ、持衰さん。あのときは……」

尋ねると、持衰は、

「ああ」

と心当たりを口にしながら解説した。

「あの竹の飾りは土地の神を招く依代になると、お前は話していた。土地神の神力を授かれば、人間は荒魂に対抗する力を強める。崇志に纏わりつく荒魂はそれを聞きつけていたからな。『おれ』が止めなければ、あの場の者に憑依して、害を成していたかもしれん」

「崇志兄に頭痛を起こしたのは、もしかして……」

持衰ではなくその荒魂のほうだったのか? そう聞くと、持衰は面食らった顔をしながら、

「『おれ』がそんなことをするわけはない」

と膨れた。


 持衰が兄に対して献身的な協力をしている。それを知って、いや、知ったからこそ、晴彦には、なおさら湧く疑問があった。崇志は、持衰に対して、何かメリットになることをしてやっただろうか? 見るかぎりは、むしろ逆の行動しか取っていないような……。

「持衰さんは、なんでそんなに崇志兄に親切なん?」

単刀直入に聞くと、持衰は表情を曇らせた。

「親切にしているつもりはない」

とりあえずという感じでそう答え、沈黙して考えこむ。

 少女の容姿で物思いに耽る持衰に、なぜだろうか、晴彦は、内面の少年っぽさを見出すことができなかった。美耶と同じぐらいの年齢の、やはり美耶と同じく女の子の印象を受ける。

 でも……、と思う。自らを表現する『おれ』という代名詞はともかく、持衰の性別が女だという可能性はありうるだろうか。


 魏志倭人伝の持衰の記載には『婦人を近づけず』とある。つまり、持衰になるのは男だったわけだ。様々な要因が考えられるが、当時の人々が『淫ら』という認識を持っていたことを照らし合わせると、女性を神に捧げること自体が禁忌だったのかもしれない。

 3世紀になって卑弥呼が台頭し、そのルールは破られるが、それまで、倭国大乱でどれほど国が乱れようと、女性の統治者という解決策が出てこなかった点からも、女性が公の儀式に関わる慣習がなかったと思われる。


 目の前の持衰はイレギュラーな存在だったのか。それとも、単に晴彦の思い違いだろうか。

 それとも……、男とも女とも関係なく、持衰になるべき立場の人間がいたのだろうか。


 「どうして持衰になったん?」

答えを聞きそこねていた前回の質問をもう一度ぶつけてみると、持衰は、言いにくそうに、顔をベッドに突っ伏した。

「お前はそういうことを聞くから嫌いだ」

「聞かれたくないことやったん?」

感情的な返事に人間味を感じて、思わず笑った少年に、持衰は顔を真赤にして反論した。

「そうではない。穢れを口にするのはよくないことだからだ!」

「……持衰になったこと自体は平気で口にしてるのに?」

拘りどころがわからず首をかしげると、持衰はますます憤然とした。

 持衰になったということは、風呂に入らせてもらえなかったり、性交を制限されたりという処遇があったということだ。不潔な身体や性衝動を指摘されることは、それなりに恥ずかしいことだと、晴彦には思える。それを抵抗なく公言してきた持衰にとっても口憚られる、『持衰になった理由』とは何なのだろうか……。

 無意味に髪の毛をいじりまわしていた持衰は、

「お前にだけ言う」

とぼそりと呟いた。

「『おれ』は生まれつき穢れを持った人間だった。だから持衰になるしかなかった」

と。


 女でもあり男でもある。『おれ』の体はそんなふうにできていた。持衰はそう告白した。

「……両性具有……」

現代(いま)でこそ医学的に分類された異常体だが、持衰のころは、神の怒りに触れた人間の証だったようだ。

「忌み子だった『おれ』は、父と母から棄てられたらしい。長じて、ムラの中に『家族』という集団があることに気づいてから、聞かされたことだ」

俯いて、淋しげに床を見据える。

 ああ、そうか。少年は得心した。持衰が早川家の『家族』に強い執着を示したのは、その過去の想いがあったからなんだ、と。

 持衰は続ける。

「そんな『おれ』の体を労る者などいなかった。時が来ればカガ神に捧げられるだけ。他の持衰の中には、(おさ)の機嫌を取って生き延びる者もいたが、『おれ』にはその道も選べなかった」

泣きだしそうになった喉元をぐっと引き締め、気丈な態度を見せる。

「それでも、『おれ』には恵まれていた部分もあった。他の持衰と違って、独りで住めるイエを与えられていたからだ。月の穢れのあった『おれ』は、男と住むことができなかった」

そう言いながら、完全な女性として生まれてきた美耶の肉体を愛おしげに抱きしめる。


 生まれてすぐに親から離され、『独りで生活できることは恵まれていた』と重ねるほど孤独に慣れきっていた持衰。他人を頼ることもできず、それを不幸と嘆くことすら憚られる存在だった過去。

 いまは、……たとえ正規の娘として認められなかったとしても、優しい言葉をかけてくれる母や、自由になる行動、可能性のある未来に、幸せを感じることができているのではないか。

 晴彦は柔らかい態度で持衰の生き方を応援した。

「持衰さんはいい時代に生まれ変わったね。いい時代と、いい家族と」

だから、と続ける。

「崇志兄のことなんかほっといて、自分の体を大事にしたほうがいいよ。崇志兄も、そのほうが喜ぶ」

 そのとたん、持衰は激しい拒否反応を示した。

「『タカシ』に感謝して何が悪い?!」

掴みかからんばかりに怒鳴りつける。

「『タカシ』はそのように軽んじていい相手ではないっ!」

 崇志兄は、持衰さんに対して、何かメリットになることをしてやったやろうか? 少年はますます混乱する羽目になった。


※『当時の人々が『淫ら』という認識を持っていた』。これも魏志倭人伝の記述からの情報です。

※両性具有を祟りの末路としたのは、直木賞を受賞した某小説を参考とさせていただきました。


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