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黒い神  作者: 小春日和
巫女の正体
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荒神と悪心 3

 『おれ』のクニはいつも争いを起こしていた。持衰の話はそんなふうに始まった。

 顔に赤い装飾を施したモノたちが、日の出ずる地方からやってくる。持衰のクニの東端には高い(やぐら)が組まれ、それら敵襲に目を凝らしていた。本来は痩せた稲が羅列するはずの田に、稲わらで組んだ簡易な宿泊所が並ぶ。軍事拠点は生産性の高いムラから離れたところに置かれることが常だった。

 持衰は幼いころからムラ単位で集められた贄として、そこに常駐を強制されていた。贄とはいえ、仲間がそうむやみに殺されることはなかったが、戦局が悪くなれば、周囲は荒くれた成人の男たちのこと、命乞いなどするだけ無駄な状況下であった。

 年数を重ねた戦の旗色はだんだんと悪くなっていく。周辺のムラの、土地の撤退、もしくは殲滅の報告が、日常的に耳に入るようになった。持衰の集落も、徐々に南に後退を余儀なくされ、とうとう海に面した絶壁の地まで追いやられた。


 そこまで聞いて、父親が晴彦に、

「何の話かわかるかね?」

と確認した。少年は、

「持衰さんのいた古代で、何年にも及ぶ戦争があったのは事実です」

と答えた。


 倭国大乱(わこくたいらん)。中国の複数の歴史書にその名を連ねる日本最大級の内乱は、弥生時代の遺跡においても数々の証拠を残している。九州や山陰で、惨殺された多数の遺体が発掘されたり、村落の周囲に土塁を配した防御システムが遺されていたり。

「倭国大乱が起こったのは2世紀の話やって言われてます」

と補足した少年は、少し言い淀んでから、

「原因は……推論ですが……」

と、その1つを口にした。

「大陸から渡来してきた人間と、もともと日本に住んでいた倭人(わじん)、つまり日本人との土地の奪い合いだったんやないかって説が濃厚です」

 中国や朝鮮半島からの外来の民が、なぜ日本に来たのか。実は倭国大乱が起こる前から、日本と彼の国の間には交易があった。それどころか、長く不安定な縄文期を一変させた稲作という技術をもたらしたのも大陸人の知恵だったという説が一般化している。

 原始日本にとって恩人となった渡来人。その彼らが、富みはじめた倭国に牙を向けた理由は、大陸内部での激しい政権交代が大きく影響を与えている。

「詳しい話は省きますが、大陸では民族の大きな移動が起こってた。日本はその余波を被った、ということです」

国をはじき出された大陸の民族が、海を隔てた隣の島国に逃れた。そして追跡する他族の軍が追いかけて渡来し……そんな図式を少年は説明した。


 隣で聞いていた持衰は、急に表情を歪めたかと思うと、晴彦の袖を強く引いた。

「あれは荒ぶる神ではなかったのか?」

「『あれ』?」

持衰の言う対象が見えず、わずかに考えこんだ少年は、

「ああ。持衰さんたちのムラを襲った敵のこと?」

と納得した。

 戦争には武具が要る。金属といえば重くて扱いにくい青銅が主だった弥生期の倭人の武器に比べ、大陸渡来人たちは頑強な鉄を使っていた。その勢力は桁違いだったろう。『普通の人間』だった倭人たちにとって、彼らを『凶神』と見紛(みまご)うほどに。

 恐ろしい力を持った荒神が襲ってくる。それに対抗するために、古代の倭人は持衰という名の生贄を使った。自分たちも神を味方につけるために。人間を、神の機嫌をとる供物として捧げるために。

 晴彦は、そっと、傍らの哀れな存在の背をさすった。

「戦争は人間同士がするもんや。生贄なんか捧げても、戦争を終わらせることはできんよ」

罪なき持衰たちが不条理に屠られた理由を、神の襲撃などではなく、仲間の悪心が引き起こした妄想だと伝える。すると、

「それじゃあ……」

『おれ』は無駄死だったんだ、と、持衰は小さく呟いた。


※持衰のムラを襲撃した軍勢の外面はフィクションです。当時は日本でも魔除けとして顔に刺青をする風習があったこと、中国の赤眉軍の記述、などから、赤鬼を連想させる姿をイメージしました。

※同じく集落の形態についても推測の域を出ません。出雲大社の巨大神殿(塔)伝説などから、高層の建物(櫓)に対する信仰があったのではないかということ、軍事拠点という仮の集落に建てる住居は、縄文の竪穴式住居のような簡易な形だったのではないか、という点からイメージしました。

※倭国大乱は未だ研究課題の多い古代史です。晴彦が口にしている仮説はほんの一例です。

※『持衰』という名前は、3世紀の時代背景に該当する魏志倭人伝が伝えるものなので、2世紀の贄を持衰と表現した、との断定は作者の創作です。贄自体の痕跡は2世紀の遺跡に遺されています。


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