祟り神の乱行 2
「なんか、遠くない?」
遅れはじめた裕貴の息切れした声が、晴彦の背中にかぶさる。
境内までの距離が遠いと言いたいのだろうが、少年には、むしろ、裕貴の歩みのほうを異常に感じる。自分の3倍、いや、5倍の時間はかかっているのだ。極端に身の重い体質ならともかく、むしろ痩せ型の青年が、この程度の傾斜でへばるのは奇妙だった。
それに、空気が不穏に冷たい。真冬の神社などという寒々しさを考慮しても、この体感温度は納得できなかった。ついさっき佇んでいた蛇神の丘のほうが、ずっと穏やかな気候を示していたはず…。
目を上方に転じると、石段を上りきった口に陽炎が立ちのぼっていた。…冬に陽炎? 肌を刺すほど乾燥した大気が、高湿度の気象現象を起こすものだろうか。揺らいだ気体が、まるで向こう側の景色を隠す壁のように立ちふさがっている。
後方をふり返ると、裕貴は歩みを止めて、周囲をきょろきょろと見回していた。まるで、行く先を迷っているように。
場所が場所だからだろうか。
「松原さん…狐さんに化かされてませんか?」
そんな、半分軽口を、少年は裕貴に投げかけた。
「境内はこっちですよ。まっすぐ上がるだけです」
「ああうん…。…わかってるんだけどさ…」
言いよどんだ青年は、
「このまま行きたくないっていうか…」
嫌な光景を見そうでさ、と苦笑してつけ加える。
裕貴の目に猜疑の気配が濃くなってきた。彼の心の中では、先に行った2人の関係が、すでに決定的な修復をされたとして描かれてしまっているのかもしれない。
崇志兄にそこまで疑われるほど不実な要素があったかな、と晴彦は思い返してみるが、むしろ、場に流されることなく、頑固に目標から目を逸らさない性質のほうばかりを思い出す。
仏教大学でも、学部が違えば女学生はかなりいるようで、毎月のように、「また声かけられた」と得意げに話す長身の青年の様子を見てきた。けれど、その一方で、「俺、相手から言ってきてもらうのって好きじゃないんだよな。それに、将来は坊主だし」と、茶化しながらも申し訳なさそうに目を伏せる誠実さも知っている。
この人がよっぽど嫉妬深いんかな、と裕貴から視線を逸した少年は、その性格に気づかないふりをして、
「オレ、崇志兄を早く連れ戻したいんです。さっさと行きますよ」
と努めて明るく、逡巡する同行者を促した。
足元に伸びる、鎮守の杜が作りだした濃い影が、なぜか蒼を帯びてきた。神域にふさわしい清廉な色ではなく、死者の顔色のような悪意を持った色彩だった。
錯覚…? 目をこすってもう一度地面に目を向けた晴彦は、その一部が細長く剥がれて、自分の足首を掴もうとしている光景を見た。ぎょっとして反射的に足を上げると、ひょろっと持ちあげた先端を空振りさせて、また地面の中に戻っていく。
後ろで悲鳴が上がった。
「うわっ。何?!」
裕貴にも同じことが起こったようだった。大仰に右足をふり上げて、何かを払いおとしている。ただ、絡みついているはずの物体は見えない。
蛇神さんか? 憑いてきてしまったかもしれない祟り神の存在を、少年は即座に思い描く。あの黒い姿をした神にとって、この場所は『自分の地位を奪い取った忌むべき稲荷神』を祭っている。侵入を妨害されたとしても不思議はなかった。
「崇志兄を迎えにいくだけやって」
宥めるようにそう言う。
気味の悪い現象から逃がれようとしてか、駆けるように石段を上りはじめた裕貴。無造作に晴彦を越えていくが、その先で、やはり足を止める。
「行きたくないなあ…」
再度呟く彼に並び、少年は歩を揃えて、
「大丈夫ですって」
と、自信をこめて歩みを促した。
上方を塞ぐ陽炎の境界が、晴彦が見据えると、まるで道を開けるように、左右に霧散した。




