山の神の祟り 4
山の神を元の祠に戻した晴彦は、取れかけていた鳥居の貫柱を手近の蔓で修復し、葉月に帰途を促した。
山の神は田の神と同一のものであるが、一方では山野で仕事をする猟師や木地師などにも崇拝されている。つまり、田の神よりも広範囲に信仰が及ぶ強い神である。その神が祟り神、すなわち人間に害を成す鬼、となってしまったのではないかという危惧は、実のところ、漠然と不安を感じている葉月より、少年のほうにずっと大きな恐怖を与えている。
…が。
晴彦にとっては、美耶の中に潜む持衰と接点を持つ大きなチャンスでもあった。持衰が美耶を死に誘う原因がこの蛇神なら、祀りなおして祟りを薄めるか、完全に壊して御霊を天に返すかを腐心すればいい。『病気じゃない』と言い張る疲れた美耶の顔を思い出し、それから、妹に対して『代わってやれたらなあ…』と苦悩する崇志の表情を思い出す。解決してやれるかも、と自分の本能的感情を後回しにする。持衰を縛めている黒い神の脅威を、己で体感することができれば、停滞した道のりに活路を見出すことも可能だろう、と。
突然、前方を歩いていた葉月が立ち止まった。
「…晴くん…」
振り返って、泣きそうに表情を歪めながら、晴彦の後ろに逃げこむ。不審な行動に、少女の立っていた位置を目で追った少年は、
「う…わ…」
と上ずった声を上げた。
地面から這い出して首をもたげる、蛇、蛇、蛇。あちこちからせり出した枝に垂れ下がる長い体。すべてがこちらを見ている。赤い目を光らせて、何十という意志が囲んでいる。
耳元にシュルシュルという爬虫類の呼気が纏わりついた。顔のすぐ横で大きな口から毒牙を覗かせる気配が迫る。思わず頭を下げて回避しようとした。が。
思いとどまる。
12月の極寒の中、生身の蛇が這いでてくるわけがない。きつく目を閉じて、眼前の光景から逃避した。山の神の祟りが始まったのだとしたら、視覚で惑わされてはならない。
オレ、神さんに対して悪いことはしてない。泥の詰まった胴体を綺麗にしたことを誇り、剣呑な表情をした顔を磨きあげたことを心の中で訴えた。鳥居を直し、祠に風を通した。それは祟られるようなこととは違う。
何度も自分の正当性を反芻し、不条理な祟り神の思惑に抵抗する。
…どれぐらい経っただろうか。
「晴くん、晴くん!」
葉月の震える声が鼓膜に響いた。目を開けると、少女が泣きながらすがりついている。
「蛇…もういなくない…?」
言われて見渡すと、足元には浮きあがった木の根が、枝葉には大小の蔓が絡みついていただけだった。
「…うん。もういない」
葉月の頭を撫でながら、晴彦は蔓の1つを掴む。…蛇に変わったりはしなかった。
「ごめんね」
巻きこんだ少女に謝罪する。事情が掴めずに困惑する葉月に、もう一度、
「オレのせいやから」
と頭を下げる。