表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
江ノ島の海の家で、君に好きと言えない夏 〜7月1日から8月31日まで、湘南で少しだけ大人になった〜  作者: ちょこまろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/5

第5話 八月の海で、君に近づきたかった

八月に入り、片瀬東浜の海も、海の家「夕凪」も、いよいよ夏本番。


忙しい毎日の中で、夏実と陽太の距離は少しずつ近づいていきます。


何気ない会話。

ふと触れた手。

さりげなく体調を気遣ってくれる優しさ。


まだ言葉にはできないけれど、夏実の中で陽太への気持ちが、少しずつはっきりしていきます。

 八月になると、東浜の色が変わった。


 七月の海は、まだ始まりの色だった。


 人も、店も、私自身も、どこか浮き足立っていた。


 けれど八月の海は違う。


 夏が本気を出してきたみたいに、空は濃く、砂浜は熱く、人の声は大きくなった。


 片瀬江ノ島駅から東浜までの道は、朝から混んでいる。


 すばな通りの方へ向かう観光客、江の島大橋へ流れる人たち、えのすいへ向かう家族連れ。夏休みの湘南は、毎日がお祭りみたいだった。


 海の家「夕凪」も、毎日忙しかった。


「夏実、かき氷二つ!」


「はい!」


「陽太、テーブル七番、水!」


「了解」


「すず、レジお願い!」


「任せてください!」


 私たちはもう、最初の頃よりずっと動けるようになっていた。


 私は注文を聞きながら、お客さんの流れを少しだけ読めるようになった。りこ先輩に頼らなくても、かき氷を作れる。焼きそばの注文も通し忘れない。


 初日にペンを落とした私とは違う。


 少しだけ成長している。


 そう思えることが、嬉しかった。


 でも、それ以上に嬉しかったことがある。


 陽太と話す時間が増えた。


 朝、開店前に一緒にテーブルを出す。


 昼、忙しい合間に目が合う。


 夕方、閉店後に片づける。


 何か特別なことを話すわけではない。


 でも、毎日少しずつ、陽太が私の夏の中に増えていく。


「七瀬、そっち持って」


「うん」


 閉店後、私たちは看板を移動させていた。


 夕方とはいえ、まだ暑い。Tシャツが背中に張りつく。


 陽太が片側を持ち、私が反対側を持つ。


「重くない?」


「大丈夫」


「また大丈夫」


「これは本当に大丈夫」


「信用回復した?」


「少しは」


「よかった」


 陽太が笑った。


 私は手元を見ながら、胸の中でその笑顔を受け止めた。


 最近、陽太が笑うと、私はすぐに目をそらすようになった。


 見続けると、何かがばれてしまいそうだから。


 看板を店の横に運び、砂を払った。


 その時、私の手が陽太の手に触れた。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 でも、私はびくっとした。


 陽太も少し動きを止めた。


「ごめん」


 同時に言った。


 そのせいで、余計に変な空気になった。


「いや、こっちこそ」


「ううん」


「……」


「……」


 たった手が触れただけ。


 それなのに、心臓がうるさい。


 波の音より大きい気がする。


 私は急いで手を引っ込め、看板の砂を払うふりをした。


 陽太も何も言わなかった。


 でも、顔が少し赤かった気がした。


 気のせいかもしれない。


 そう思いたかった。


 その夜、すずに全部見られていたことを知る。


「手、触れてたね」


「見てたの?」


「見てたよ。青春の現場を見逃すわけないじゃん」


「やめて」


「で、どうだった?」


「どうって何」


「きゅんとした?」


「……すず」


「したんだ」


「言ってない」


「顔に書いてある」


 すずはラムネを飲みながら、にやにやしていた。


 私たちはバイト終わり、片瀬江ノ島駅近くのコンビニ前で少し休んでいた。制服ではなく、海の家のTシャツに着替えた後の私たちは、なんだか学校の友達とは違う顔をしている気がする。


「夏実、もう認めなよ」


「何を」


「佐倉くんのこと、好きでしょ」


「……わかんない」


「わかんないって言う時点で、だいたい好き」


「すずは簡単に言う」


「だって外から見たらわかりやすいもん。夏実、佐倉くんが近くにいる時だけ、ちょっと声が違う」


「声?」


「うん。少し柔らかくなる」


「嘘」


「本当」


 私はラムネの瓶を見つめた。


 中のビー玉が、かすかに音を立てた。


「好きって、どうやってわかるの?」


 思わず聞いていた。


 すずは少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。


「その人に何か言われた日の夜、何回も思い出しちゃうとか」


「……」


「その人が他の子と話してると、少し気になるとか」


「……」


「その人と明日も会えるって思うと、ちょっと嬉しいとか」


「……全部、あるかも」


 すずは声を上げずに笑った。


「じゃあ、好きだね」


 私は何も言えなかった。


 好き。


 その言葉が、胸の中に落ちてくる。


 重いわけじゃない。


 でも、軽くもない。


 私は陽太が好きなのだろうか。


 そう思った瞬間、今までの景色が少しだけ変わった。


 朝の片瀬江ノ島駅。


 東浜の海の家。


 夕方の西浜。


 手が触れた看板の前。


 全部に、陽太がいる。


 そのことに気づいたら、急に恥ずかしくなった。


「でも、言わないよ」


 私は言った。


「なんで?」


「だって、気まずくなったら困る」


「まあね」


「八月三十一日まで一緒に働くんだよ。もし告白して、変になったらどうするの」


「付き合えばいいじゃん」


「そんな簡単に言わないで」


「じゃあ、佐倉くんが夏実のこと好きじゃなかったら?」


 胸がちくっとした。


「……それは嫌」


「ほら」


「でも、わかんないし」


「わかる気もするけどね」


「すずにはわかるの?」


「佐倉くん、夏実のこと見てるよ」


 私は顔を上げた。


「見てない」


「見てる。夏実が気づいてないだけ」


「本当に?」


「本当に」


 すずの声が、少しだけ真面目だった。


 八月上旬のある日。


 午前中から暑さが強く、海の家は開店直後から混雑した。


 私は朝から動きっぱなしだった。


 かき氷を作り、ラムネを渡し、テーブルを拭き、注文を取り、またかき氷を作る。


 昼過ぎ、頭が少しぼんやりした。


 水分は取っているつもりだった。でも、暑さは体の奥にじわじわ入ってくる。


「七瀬」


 陽太の声がした。


「顔、白い」


「え、赤いじゃなくて?」


「今日は白い。休め」


「でも、まだお客さん」


「俺が入る」


「でも」


「でもじゃない」


 陽太は、私の手から注文票を取った。


「裏、行け」


 少し強い言い方だった。


 私は言い返そうとしたけれど、頭がふらっとして、素直に奥へ下がった。


 裏の椅子に座ると、急に体が重くなった。


 陽太がスポーツドリンクを持ってきた。


「飲め」


「またそれ」


「言われなくても飲むようになれ」


「はい」


 私はペットボトルを受け取った。


 冷たい。


 キャップを開ける手に力が入らず、少しもたつく。


 陽太がそれを見て、無言でキャップを開けてくれた。


「あ、ありがとう」


「うん」


 私は一口飲んだ。


 喉が思っていた以上に渇いていた。


 陽太は私の隣にしゃがんだ。


「無理すんなよ」


「してないつもりだった」


「つもりが一番危ない」


「佐倉くん、お父さんみたい」


「高校生なんだけど」


「知ってる」


 小さく笑うと、陽太も少し笑った。


 その距離が近かった。


 近すぎて、私はペットボトルを見つめた。


「七瀬」


「うん」


「最近、楽しそうだな」


「え?」


「バイト。最初より」


「そうかな」


「うん」


 陽太は少し考えてから、視線をそらした。


「七瀬が笑ってると、なんか、店がちゃんと夏っぽい」


 胸が、止まった気がした。


 そんなことを言われると思わなかった。


「……何それ」


「わかんねえ。思っただけ」


「急にそういうこと言わないで」


「そういうこと?」


「そういうこと」


「わかんねえって」


 陽太は本当にわかっていなさそうだった。


 ずるい。


 こういうところが、ずるい。


 何気ない顔で、私の心を変に揺らしてくる。


「佐倉くんがいるから」


 小さく、言いかけた。


 でも声にはならなかった。


 陽太が聞き返す。


「何?」


「何でもない」


 私はペットボトルを強く握った。


 言えない。


 まだ言えない。


 好きだなんて、言えるわけがない。


 八月の海は、眩しすぎる。


 でもその眩しさの中で、私は陽太に近づきたくなっていた。


 近づけば、きっともっと好きになる。


 それがわかっているのに、離れたくなかった。


 その日の帰り、片瀬江ノ島駅までの道を陽太と並んで歩いた。


 すずは「用事あるから先帰る」と言って、わざとらしく先に行った。


 絶対に気を遣った。


 ありがたいけれど、恥ずかしい。


 夜の駅前は、昼とは違う賑わいがある。


 日焼けした人たち。疲れた子ども。浴衣姿の人。コンビニの明かり。海帰りの匂い。


「七瀬」


「うん」


「明日、休みだよな」


「うん。シフト入ってない」


「何するの?」


「たぶん家で寝る」


「それがいい」


「佐倉くんは?」


「朝、西浜行くかも」


「また海?」


「うん」


「本当に好きなんだね」


「まあ」


 陽太は少し照れたように言った。


 私はその横顔を見て、また思った。


 好きだ。


 はっきりと。


 もう、ごまかせないくらい。


 でも、言えない。


 八月はまだ半分ある。


 海の家はまだ続く。


 毎日会える。


 だからこそ、言えない。


 この関係を壊したくなかった。


「じゃあ、明後日」


「うん。明後日」


 明後日も会える。


 その約束だけで、私は少しだけ幸せだった。


 でも、帰りの電車を待ちながら、ふと怖くなった。


 この夏が終わったら。


 八月三十一日が来たら。


 私たちはまた、ただの同じ高校の二年生に戻るのだろうか。


 海の家のTシャツを脱いだら、陽太との距離も元に戻ってしまうのだろうか。


 そう思ったら、胸が痛くなった。


 私はスマホを開き、カレンダーを見た。


 八月三十一日まで、あと二十日。


 まだ二十日ある。


 でも、もう二十日しかない。


 夏は、思っていたより早く終わりに向かっていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第5話は、夏実が陽太への気持ちを、少しずつ自覚していく回でした。


手が触れただけで意識してしまう。

何気ない優しさに胸が揺れる。

明後日も会える、という約束だけで嬉しくなる。


夏実にとって、陽太はもう「同じ高校の人」ではなくなっています。


けれど、好きだと気づいたからこそ、言えなくなる。

この関係を壊したくないという怖さも生まれてきました。


次話では、夏の終わりを少しずつ意識しながら、夏実の気持ちがさらに深まっていきます。

続きも読んでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ