二章 帝都へ 03
千晃と次に顔を合わせたのは夕食時だった。
一花の案内で食堂に移動すると、浴衣に着替えた千晃が食卓についており、何かの書類に目を通していた。
こちらに気付いた彼は、書類を脇に避けて目を見張る。
「寧々さん、髪を切ったんですか?」
「はい。一花さんに揃えてもらいました」
伸ばしっぱなしだった髪があまりにも見苦しかったのだろうか。整えようかという申し出が一花からあったので任せたのだ。
「千晃様が一花さんを褒めていた理由がよくわかりました。妖力で髪を乾かしたり、着付けを手伝ってくれたり……凄かったです」
食事の後は寝るだけだと思うのだが、着替えとして用意されていた浴衣の帯は、自分には絶対にできない凝った形に結ばれている。
「お褒めに預かり光栄です。では、食事をお持ちしますね」
一花は嬉しそうに微笑むとぱちんと手を叩いた。
すると食卓の上に千晃が置いた書類が消え、代わりに二人分の食事が現れる。
焼き魚に野菜の小鉢が三品、汁物に白いご飯に漬物。大ご馳走である。
「手品みたい……」
「そうですね。この建物の中では私は何でもできる奇術師のようなものです」
一花はふふっと微笑んだ。
「冷める前に食べましょう。寧々さん、どうぞ席に着いてください」
千晃に声をかけられ、寧々は彼の向かい側の席に腰を掛けた。
「寧々さんに斬って頂く呪詛の件ですが、今からお話しても構いませんか?」
食事を終えたら千晃が切り出してきた。
「あの、私も聞いておきたいことが……」
寧々は姿勢を正すとおずおずと申し出る。
「では先に寧々さんからどうぞ」
千晃は寧々に発言を譲った。
「羽々斬はどうしたらいいですか? 部屋に置いてきてしまったんですが、一度お返しした方がいいでしょうか?」
「いえ、そのまま持っていてください。呪詛を斬っていただくのは何日か後になると思います。それまでに扱いに慣れておいて欲しいです」
「かしこまりました。このままお預かりします。お聞きしたかったのはそれだけです。ありがとうございました」
寧々の返事を聞いた千晃は頷いた。
「では、俺から今後の話をしますね。まず、呪詛に苦しんでいるのは兄です」
「……そうでしたか」
「あまり驚かれていないということは、予想されていましたか?」
千晃の質問に寧々は頷いた。
「凄い好待遇ですし、こんなに勿体ぶるし……。呪われたのは皇帝陛下かと思っていたんですけど、東宮様なら納得です」
東宮はこの日和帝國の皇太子を指す言葉である。
「いつやるかは兄に相談中です。決まったらお知らせしますね」
「わかりました」
「決行の日まで寧々さんにはここで過ごしていただきます。申し訳ないのですが外出は控えてください。十分に気を付けてはいますが、もし寧々さんが兄の呪詛を破り得る存在だと知れ渡ったら狙われるかもしれません」
取引の条件が良すぎるから覚悟はしていたが、大変なことに巻き込まれてしまった。
今更ながらに恐怖を覚えて血の気が引いた。
「すみません、怯えさせてしまいましたね。ここにいる限り滅多なことはないと思います。一花と俺が張った二重の結界がありますので」
「そっか。そうですよね。わかりました。ここから出ません」
寧々は千晃の言葉に安堵した。
「寧々さんが呪詛を壊せたら犯人がわかると思うので楽しみです。呪詛は返るものですから」
千晃はいい笑顔を浮かべた。
人を呪わば穴二つ――術を扱う者が最初に習う言葉だ。
他者の運命を捻じ曲げるために使用された術は、破られると術者に倍になって跳ね返る。これは世界の理である。
法律上も呪詛は大罪だ。皇族を呪ったとなると極刑が適用される。正直割に合わないと思うのだが、昔から呪詛事件は後を絶たない。
「犯人の目星って付いているんですか?」
寧々は好奇心から尋ねた。
「兄には敵が多いんですが……。特に疑わしいのは櫻皇妃ですね」
「えっと……今上陛下の二番目のお妃様でしたっけ……?」
「そうです」
「確か千晃様のお母様は最近亡くなられた皇后陛下……?」
「はい。最近といってももう三年になりますが」
「も、申し訳ありません!」
(どうしよう……)
寧々は青ざめた。
皇后の亡くなった時期だけでなく、今の皇帝の后妃も皇子皇女の人数もあやふやだ。
御一新と呼ばれている四十年前の大改革を期に、日和帝国は西洋に倣い一夫一妻制に改められた。
だが皇帝と東宮は例外で、神の末裔たる皇統の維持のために複数の妻を娶ることができる。
(確か一番格の高いお妃様が皇后で、それ以外の方が皇妃よね……)
東宮の配偶者は東宮后、東宮妃となるはずだ。
そして后妃は、神祇四家と呼ばれる特別な四つの家柄から選ばれることが多い。
藤澤、橘高、櫻井、梅園――新たな身分制度が発足した時に、いずれも侯爵位に叙爵されたこの四家は、旧公家の中でも皇室との繋がりが深い特別な家系である。
櫻皇妃と呼ばれているということは、櫻井侯爵家の出身者なのだろう。寧々にわかるのはこれくらいである。
(お母様に聞いておけばよかった)
知らないと白状するのは不敬になる気がして、寧々はうつむいて黙り込む。
「もしかしたら既にご存知かもしれませんが、一応ご説明しておきますね」
千晃は穏やかに微笑むと、自分の家族について教えてくれた。
今上帝の后妃は藤皇后と櫻皇妃の二人で、藤皇后は藤澤侯爵家の、櫻皇妃は寧々の推測通り櫻井侯爵家の出身らしい。
初めて出会った時に千晃が藤澤姓を名乗っていたのは、おそらく母方の外戚の名前を拝借したのだろう。
子女は四人で、生まれた順に第一皇子にして東宮の千弘親王、第二皇子、第一皇女の礼子内親王、そして第三皇子の千晃だ。このうち第二皇子は満一歳の誕生日を迎える前に逝去している。
(千晃様って第二皇子じゃなくて第三皇子だったのね……)
子供の死産や早世は珍しくない。御一新をきっかけに西洋の先進医学が入ってきたが、今でもちょっとしたことで幼い子供は亡くなってしまう。
藤皇后は嫁いですぐに東宮を産んだが、なかなか次の子供を授からなかった。そこで櫻皇妃が迎えられた。
櫻皇妃は東宮が五歳の時に夭折した第二皇子を産み、その二年後に礼子内親王を産んだ。
藤皇后腹の千晃が生まれたのはその翌年だ。
「えっと、じゃあ東宮様と千晃様は八つ歳が離れているということですか……?」
寧々は指を折って数えながら尋ねた。
「はい。俺がもっと早く生まれていたら、父は櫻皇妃を迎えなくてよかったかもしれません」
千晃は返事をしてから小さく息をついた。
「櫻皇妃は兄にとって一番の政敵なんです。兄には既に二人の子がいますが、満七歳になるまでは皇位継承権は与えられません。だから今兄に何かあれば東宮位は姉に移ります」
七歳までは神の内――そんな言葉があるくらい乳幼児の死亡率が高いため、この国の相続の仕組みはそうなっている。皇族も例外ではないのは理解できたが寧々は首を傾げた。
「あの、東宮様の次は千晃様ではないんですか?」
「御一新の時に帝位の継承は男女を区別しない長子先継制に改められました。だから兄の次は異母姉です。ですがあの人は帝位を嫌がっているので、もし兄が廃されたら手段を選ばず俺に押し付けてくると思います」
千晃は顔をしかめた。
「お姉様とは仲がいいんですか?」
「いえ、そこまででは……。母親が違うのでこれまであまり関わったことがないんです。ですが、この件に関しては利害が一致しているので信用してもいいと思います。実は兄の呪詛を解く鍵が織部にあると教えてくれたのは異母姉なんです」
「えっ……」
「異母姉は斎宮です。斎宮はご存知ですか?」
「巫子として神にお仕えする皇族の方ですよね……?」
寧々の返答に千晃は頷いた。
「異母姉の巫子としての力は本物です。そういう神託を賜ったと連絡してきた時は驚きました。兄に西洋の呪詛がかけられたことは伏せていたのに言い当てられたので……」
「神託……? 神様のお告げ?」
「はい。国にとって大きな岐路にある時、神は夢を通して神託を皇族に降されます。俺も賜ったことはありますが異母姉ほどの精度は……。あの人はこれまでも疫病の発生や洪水、嵐の経路など、これまでも大きな天災の発生を予知して被害を抑えるのに貢献してきました。だから異母姉の方が皇帝として相応しいのではという声は根強いですね。父は兄を東宮として立ててはいますが、本当は異母姉を推したいという気持ちを持っているかもしれません」
一気に告げると千晃は息をついた。
「……そんなに便利な力があるのなら、犯人を見つけることはできないんですか?」
「残念ながら……。神託はそんなに都合よく降りてくるものではありません。異母姉も残念がっていました」
「残念がるって……実のお母様が犯人かもしれないんですよね?」
寧々は眉をひそめた。
「まさか櫻皇妃も肝心要の異母姉が自分を裏切っているとは思っていないでしょうね。どうやら恋愛感情が肉親の情を上回ったようです」
「恋愛……?」
「想いを交わした男性がいたのに、櫻皇妃の猛反対を受けて引き離されたらしいです」
「それは……お気の毒ですね……」
「それ以外にも理想の押しつけや私生活への干渉が酷かったみたいで、異母姉は櫻皇妃と距離を置きたがっています。いっそ犯人だったらという思いすらあるようです」
異母姉への同情だろうか。千晃は眉を下げた。
「他の誰よりも櫻皇妃を怪しいと思う理由はそれだけではありません。あの方の父君は西洋魔術収集の任を受けて留学した人物なんです」
「櫻皇妃のお父様って……」
「櫻井実嗣。現在の櫻井侯爵です。前侯爵が亡くなって爵位を継ぐ前は神祇官でした」
「……すごく怪しいですね」
「はい。ですが怪しいだけでは何もできません。母が亡くなってから、父は櫻皇妃に依存するようになりました。呪詛は大罪ですが、確実な証拠がないと摘発は難しいです。父に妨害される可能性もあります」
寧々は目を丸くした。
「父と母は子供の俺から見ても仲睦まじくて、櫻皇妃は一歩引いて控えていたという印象でした。母が亡くなって父は寂しかったのかもしれません」
「…………」
寧々には複数の妻がいる家庭がどういうものなのか想像がつかない。どう返事をしたらいいのかわからなかった。
「父には兄の呪詛のことは知らせていません。この件を知るのは兄が信頼できると判断した数少ない人間だけです。寧々さん、ここまでお伝えしたらおわかりかと思いますが、くれぐれも外部にこの情報を漏らさないようお願いします」
「わ、わかりました」
動揺しながらも寧々は承諾した。
どうやら予想していたよりもずっと面倒な事態に自分は巻き込まれてしまったようだ。
(……でなければこんな厚遇、ありえないわよね)
だが、不思議と後悔はなかった。
それだけ自分は閉塞した里での生活に嫌気がさしていたのだろう。




