二章 帝都へ 02
里から汽車の停車駅がある町までは、寧々が思っていたよりも遥かに平和的にたどり着いた。
結界から出た直後に狢と出くわしたが、その後は千晃と小夜の感知能力のおかげで禍物を回避できたのである。
「そろそろ戻るわ」
木々の隙間から町並みが見えると、小夜は行李の上からむくりと起き上がった。
「ありがとう、小夜。助かった」
千晃が感謝すると、小夜は大きく伸びをした。
「ご褒美はなまり節でお願いね」
「ああ。用意しておく」
「よろしく」
小夜はゆらりと二本の尾を揺らめかせてから千晃の影の中に飛び降りた。
「猫又の式神って可愛いですね。人を襲う心配がないからそう思うのかもしれませんけど」
猫の姿はもちろん、人の姿もつり目がちの猫の時の面影を残した顔立ちで可愛かった。
「褒めてくださってありがとうございます。生意気で申し訳ないです。そういうところも可愛くてつい甘やかしてしまって」
千晃は眉を下げた。
「小夜は元々俺が子供の頃に飼っていた猫なんです。亡くなった時に受け入れられなくて大泣きしたのがいけなかったんでしょうね。猫又になって帰ってきまして……。十匹以上の子供を育て上げた母猫でもあるので、俺のことを子猫だと思ってるんですよ」
「ええっ、小さな女の子に見えましたが……」
「人に化ける時子供の姿を取るのは、よその人からちやほやしてもらえるからですね。買い物の時にちょっとおまけをしてもらえたり、通りすがりに可愛いと言われたり……」
「ちゃっかりしていますね」
「そんなところも可愛いです」
千晃はきっぱりと言い切った。
「鰹節や煮干しで色々と手伝ってくれるのも安上がりで重宝しています。他の式神はもっと代償に要求してくるものが面倒なんですよ」
「そういうものなんですか?」
「はい。自分に利があるから禍物は人と使役契約を結ぶんです。強い禍物ほど要求してくる代償も大きくなります。寿命とか体の一部とか……」
「へえ……」
式神の使役術は神祇官の専売特許だ。
便利そうで羨ましいと思っていたが、簡単に使える術ではなさそうである。
町に入ると千晃は真っ直ぐに駅舎を目指した。
「思ったより早く山を抜けられましたね」
彼は駅舎の時計を見上げて話しかけてくる。
「帝都までは汽車を使うんですか?」
「はい。市内に着いたら都電に乗り換えます」
都電は帝都の市街地を走る路面電車の略称だ。
電力が豊富な都会の象徴で、帝都のそれは琵琶湖疏水を利用した水力発電によって賄われている。
「……そっか、汽車の駅から皇宮までは距離があるから乗り換えるんですね」
「目的地は皇宮ではないですよ? 一条堀河宮です」
「えっ」
「神祇卿は皇宮の鬼門を封じるためにそこに住むと決まっているんです。ご存知なかったですか?」
「ごめんなさい、無知で……」
皇帝の子供である神祇卿宮は勝手に皇宮に住んでいるものだと思っていた。
寧々は碁盤の目状になっている帝都の地図を思い浮かべる。
一条堀河宮という名前から、一条通と堀河通が交わる位置に建てられているのだと思うが、北から順に一条から九条まである東西の大通りの配置はわかっても、南北の通りの名前はうろ覚えだ。
唯一わかるのは、帝都の中央を貫く朱雀大路だけである。
まだ父が生きていた頃に一度だけ遊びに行ったことがあるが、小さかったのであまりよく覚えていない。
(鬼門封じということは、きっと皇宮の北東にあるのよね)
北東の鬼門、そして南西の裏鬼門は魔が入ってくる方角とされており、禍物が発生しやすい。
「寧々さんには例の件の決着がついて、嫁ぎ先をご紹介するまでの間、一条堀河宮に滞在していただこうと思っているんですが……最初はちょっと戸惑われるかもしれません。鬼門と歴代の神祇卿の霊力が影響し合って、建物自体が付喪神化しているので……」
千晃はもごもごと言いにくそうに説明した。
「どういうことですか? お化け屋敷になっているということですか?」
「そうですね。内装も外観も自在に変えられるのでお化け屋敷と言ってもいいのかもしれません。ですが不気味な雰囲気はないのでご安心ください。俺の式神になっているので、人に危害を加えたりはしませんし、むしろ人間の使用人十人分以上の働きをするので助かっています」
「そんなに……?」
「炊事、洗濯、掃除、何でもできるんです。俺は人が傍に大勢いる環境が苦手なので重宝しています」
「……どういう生活をされているのか全く想像がつかないです」
「百聞は一見にしかずと言いますからね。とりあえず汽車に乗りましょうか」
千晃はそう告げると、寧々を促して駅舎に向かって歩きだした。
「この格好なので三等車に乗っていただくことになるのが少し心苦しいです」
「お気になさらないでください! 汽車に乗るというのが私には既に贅沢です。上等な席に乗るなんて、それこそ恐れ多いです」
寧々はぶんぶんと首を横に振った。
◆ ◆ ◆
汽車と路面電車を乗り継ぎ、ようやくたどり着いた一条堀河宮は煉瓦造りの洋風建築だった。
寧々はその佇まいに目を丸くする。
「洋館なんですか!? 歴代の神祇卿宮様のお住まいとおっしゃっていたから、勝手に伝統的な平屋のお屋敷だと思ってました」
「外観も内装も自由になるので、俺が就任した時にこうしてもらったんです。洋館に憧れがありまして」
返事をしながら千晃は正門の前に立った。
すると、誰も何もしていないのに勝手に扉が開く。
重々しい鉄の扉なのに、音もなく滑らかに開く様子に寧々は驚いた。
「一花、寧々さんにご挨拶を」
千晃が中に向かって声をかけると、何も無い空間から垂れ目がちの目が柔和で優しげな印象の女性が現れた。
緩やかに波打つ髪を結い上げ、着物の上にエプロンを付けている。
「寧々さん、ご紹介します。この建物に宿った付喪神です。一条堀河宮にちなんで一花と呼ばれています」
「初めまして、織部寧々様。一花と申します。千晃様よりご事情はお伺いしております」
一花は寧々に向かって微笑みかけると頭を下げた。
強い妖力を感じる。相当な力を持つ付喪神だ。
「初めまして、一花さん」
緊張しながら挨拶を返すと、一花は洋館の方へと手を差し伸べた。
「お疲れでしょうからどうぞ中へ」
「そうですね。まずは中でゆっくりなさってください。今後の話は夕食の時にでもしましょう」
一花と千晃に従って、寧々は敷地の中に足を踏み入れた。
玄関で千晃と別れ、寧々は一花の案内で二階へと移動する。
一条堀河宮の内部は、外観と同じくどこもかしこも豪華だった。
ホール状になった玄関から二階へと至る階段は緩やかに湾曲しており、木製の手すりには精緻な彫刻が施されている。
天井からは、巨大なシャンデリアがぶら下がり、きらきらと煌めいていた。
廊下には風景画や花瓶などの美術品が品良く飾られており、お洒落な照明が等間隔に配置されている。
「どうぞ。滞在中はこのお部屋をお使いください」
一花に案内されたのは煌びやかな洋室だった。
壁際のベッドをはじめとして、明らかに舶来品とわかる揃いの家具が据え付けられている。
天鵞絨のカーテンに鈴蘭の形をした照明、曲線の美しい長椅子――まるで西洋のお姫様の部屋だ。
床には複雑な紋様が織り込まれた絨毯が敷かれており、山道を歩いて汚れた服で上がるのは気が引けた。
「本当に私、このお部屋で過ごしていいんですか……?」
寧々はおずおずと一花に尋ねた。
「お気に召しませんか? 和室の方がよかったでしょうか」
一花は顔を曇らせた。
「いえっ! 不満がある訳ではないんです! 綺麗だし広いし! こんな贅沢なお部屋……いいのかなって……」
「いいに決まっています。千晃様からは、お客様としておもてなしするようにと命じられております」
「でも……こんなに埃っぽい格好でお部屋に入るなんて申し訳なくて……」
「では、先に入浴されますか? そちらのドアの奥は洗面室と浴室になっております。私の力ですぐお湯の準備はできますので、いつでも好きな時に入っていただけます」
「あ、じゃあ、是非……」
お風呂に入ったらどんなに癒されるだろう。
その誘惑に寧々は勝てなかった。
「介助は必要ですか?」
「いえ、一人で入れます」
寧々は首を横に振って断る。誰かと一緒に入浴するなんて、寧々の常識の中ではありえなかった。
「では、使い方をご説明しますね」
一花はそう告げると、寧々を浴室へと誘った。




