六章 御常御殿 03
――やはり母ではなく禍物だった。
藤皇后の姿が黒い霧を放ちながら骨へと変化するのを目の当たりにして、千晃は改めて実感した。
いや、寧々が彼女の右腕を斬った瞬間にわかってはいたのだ。
羽々斬は理を外れたモノを討つ退魔の剣で、生き物や器物は斬れないのだから。
父の血肉を喰らう姿も、獣のように唸る姿も、上品で躾に厳しかった母がするはずのない行動だ。
白骨になった母后が崩れるのと同時に瘴気も薄れていく。
その様子を凝視していた千晃は、寧々の唇から漏れる荒い息、そして血の匂いに現実に引き戻された。
「寧々さん、大丈夫ですか!?」
「痛いですけど、何とか……」
寧々の受け答えはしっかりしていたが、顔色が悪い。
左腕は動かせないのだろう。ぶらんと垂れ下がり、指先からはぽたぽたと鮮血が流れ落ちていた。
「申し訳ありません、千晃様。私、皇后陛下を……。あのままでは千晃様が死んでしまうと思って……」
「どうして謝るんですか? 斬ってくださって助かりました」
「禍物にしか見えませんでしたが、皇后陛下のお姿をされていたから……」
寧々の返事に千晃は絶句した。
「いいに決まっています。あれはどう見ても化け物でした!」
きっぱりと言い切ってから寧々の肩口に手を伸ばす。
「そんなことよりも傷の状態を見せてください。上着は脱げますか?」
「千晃様、その手……」
寧々は千晃の手を凝視している。
なぜそんな目で見られなければいけないのだろう。
自身の手を確認して千晃は驚いた。
両手の平が焼け爛れたようになっている。
「痛いと思ったら……。おそらく草薙を使ったからですね」
寧々を助けるために晃成の助言に従ったものの、柄に触れた瞬間燃えるように熱かったのを今更ながらに思い出した。
本来の所有者ではないから剣の怒りに触れたのだろう。草薙は皇権の象徴たる三種の神器の一つで、皇帝以外を拒むと伝承されている。
きっと興奮状態になっていて痛覚が麻痺していたのだろう。爛れた手を認識したせいかずきずきと痛みだした。
しかし自分よりも明らかに寧々の方が重傷だ。
千晃は精神力で痛みをねじ伏せると、寧々に向き直った。
「大したことはありません。先に寧々さんの手当てをしましょう」
「治療します」
それまで自分の治療に専念していた晃成が申し出た。
「大丈夫なのか? 草薙で斬られたのに……」
「完治はしていませんが傷はほぼ塞がりました。千晃様を生贄として利用するおつもりだったようなので、手加減はされていたんでしょう」
晃成はゆっくりと立ち上がると、こちらにやってきた。
「座れますか?」
「はい」
寧々は晃成に返事をするとその場に腰を下ろそうとして――その途中でがくりと崩れ落ちた。
「寧々さん!」
千晃は慌てて手を差し伸べて受け止める。
「ごめんなさい。目眩が……」
寧々の様子が先程とは随分と違う。
焦点が定まっていない上に真っ青だ。
「血を失いすぎたのかもしれません。傷口から瘴気が入り込んでいますが、まずは傷を塞ぐのを優先します」
晃成は寧々の肩口に手をかざし、治癒術を使い始めた。
ぐったりと千晃に寄りかかる彼女の姿に胸が痛む。
人手が必要だと思ったから同行を頼んだが、危険な目に遭わせるつもりはなかった。
(俺が母上に動揺したしたせいだ)
寧々が前に出たのは、自分が中途半端な攻撃をしたせいだ。
あそこで本気の攻撃神術を使っていたら、寧々に怪我を負わせることはなかったかもしれない。
小夜を呼び戻すなり他の武技に長けた式神を喚ぶなり、方法は他にもあったのに、あの時の自分は冷静ではなかった。
腕の中の寧々はあまりにも華奢だ。
母后の形をした禍物に立ち向かった時は大きく見えた背中は、本当はこんなにも細くて小さい。
(そんな寧々さんに、俺は……)
自分の不甲斐なさが許せなくて、千晃は唇を噛んだ。




