一章 邂逅 01
『織姫』で跡継ぎの美栄と守人に過ぎない寧々は、同じ里長の娘でも衣食住に明確に差をつけられている。
自宅の中は居心地のいい場所ではないので、寧々は基本的に毎日守人衆の詰所で過ごしていた。
里のほとんどの人間は権力者である勢津子や美栄に遠慮して距離を取るが、命を預け合う仲間である守人衆の男達は寧々を尊重してくれる。
だから詰所は、寧々にとって心の拠り所になっていた。
朝、いつものように詰所に移動すると、守人達が山狩りの準備をしていた。
そして寧々を見つけた孝雄が話しかけてくる。
「寧々ちゃんにも参加して欲しい。野槌は絶対また里にやってくる。何とかして昼のうちに見つけて仕留めたい」
禍物は太陽の放つ陽の気に弱く、日中は弱体化するのでたいてい暗がりに身を潜める。
「ごめんなさい、頭。私が手負いにしてしまったから……」
「寧々ちゃんのせいじゃない」
孝雄は否定するが、寧々は首を横に振った。
野槌を手負いにしたのが自分なのは揺るぎない事実である。
(私が始末をつけないと)
寧々は決意すると、山に入る準備を始めた。
織部の里は帝都の南西、摂津国有馬郡の山中に位置しており、霊布の製法を守る為に外界から隔絶されている。
地理的な条件だけでなく、蚕草に惹かれて集まってくる禍物が天然の要害の役目も果たしていた。
里を守る結界の外には、基本的に二人以上で出るのが決まりだ。
山狩りで寧々の相方を努めることになったのは、若手の中で一番の弓の腕と感知能力を持つ孝志という守人だった。彼は孝雄の息子でもある。
「全っ然わからん……」
孝志は顔を顰めた。
結界を一歩でも出ると雑多な気配が渦巻いている。それがあまりにも多すぎて、感知能力の高い彼でも何も感じ取れないようだ。
「寧々はどうだ?」
「孝志にわからないなら私にわかる訳がない」
寧々は一応周囲を探ってみてから首を振った。寧々の感知能力はあまり高くないのだ。
山の中は木々が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く不気味だ。
暦の上では既に春だが、山深いこの辺りはまだ一日中肌寒い。寧々はこっそりと服の下に仕込んだ懐炉に手を添えた。
割り当てられた区域をあてもなく歩いていたら、唐突に孝志が立ち止まった。
「人が禍物に襲われてる」
彼のつぶやきに寧々は目を見張る。
「守人衆の誰か?」
「いや、そんな気配じゃない。襲われてる……というより戦ってる……? この人凄いな。寧々よりも霊力が高い」
寧々は霊力だけなら里の誰よりも高い。織姫の美栄よりも。
「何だってそんな人がこんな所にいるのよ」
「さあ……。どうする?」
「見に行くしかないでしょう。ただの迷い人とは思えない」
「そうだな」
孝志は頷くと先導して駆け出した。寧々もその後を追う。
民間の巫覡が最高品質の霊布を求めて来たのか、帝都の神祇官か――。
神祇官は禍物への対処や祭祀を司る太政府神祇庁に所属する官吏で、誰もが高度な神術の使い手である。
織部の里は隠れ里ではあるが、霊布の納品先で後援者でもある帝都の中枢や神祇庁の人間なら場所を把握している。里の結界は神祇官の手によるものだ。
「寧々、里長から何か聞いてるか?」
移動しながらの質問に寧々は首を横に振った。
「お母様が把握していたら私は今ここにはいない」
里には結界の維持管理のため、定期的に神祇官が視察を兼ねて訪れる。
寧々は勢津子から家の恥扱いされているから、その知らせがあると外出禁止を言い渡されるのだ。
「それもそうだ」
孝志は同意すると顔を曇らせた。
◆ ◆ ◆
「そろそろかち合うぞ」
孝志の忠告に寧々は移動の速度を落とした。
二人揃って息を潜めるように移動すると、その途中で孝志が寧々を手で制した。
「あれだ」
孝志は茂みの陰から崖下を指さす。
そちらに視線を向けると、行商人のような風体の男と袴姿の女の子供が猿猴と呼ばれる猿に似た禍物の群れと交戦しているのが崖下に見えた。
「助けに入るか?」
孝志が問いかけてくる。
「問題なさそうだから様子見しよう」
寧々は二人組を注視しながら返答した。
おそらく少女は男が使役する式神だ。
式神は術者に恭順し、使役契約を結んだ禍物を指す言葉である。彼女の本性は猫又ではないだろうか。黒い三角耳と二股にわかれた長い尻尾がついている。
少女の得物は双剣で男は神術だ。
二人は巧みに連携し、確実に一体ずつ猿猴を屠っていく。特に男の神術の展開速度は見事だった。
また、ここまで近付けばわかる。彼の着物は霊布製だ。それもかなり質がいい。守人に支給されるものとそう変わらないのではないだろうか。
複数匹いた猿猴は、またたく間に二人組によって滅されていた。
「あの人、たぶん神祇官だよね? 神術の発動が早すぎる」
神の力を借り受ける術を神術、それ以外は呪術と呼ばれる。
神祇官はそれらに精通する専門家だ。
男の神術の展開速度、精度、威力、何もかもが寧々のような民間の術者とは格が違った。正規の専門教育を受けた者にしかできない芸当である。
「神祇官だとしたら何なんだ? 抜き打ちの視察?」
孝志が疑問を口にした直後だった。
予備動作も何もなく、男がこちらに向かって電撃を放った。
寧々はすんでのところで察知し、孝志の着物の首根っこを掴んで背後に飛び退る。
「わっ! 寧々、何すんだ!」
孝志の抗議に返事をしている暇はなかった。うなじがピリピリするのを感じ、寧々は慌てて振り向きざまに刀を抜く。
「反応が速いですね。まさか避けられるとは思いませんでした」
そこには、直前まで崖下にいたはずの男が立っていた。
遠目にはわからなかったが、寧々とそう変わらない年頃の青年である。
どこにでも居そうな素朴な顔立ちなのに妙に迫力があった。
「な、何なんだ、あんた。どっから湧いて出た!」
孝志がうろたえながら尋ねる。
「答える前に質問です。あなた方は織部の守人衆ですか?」
「……そうです」
戦ってもたぶん勝てない。
猿猴と戦っていた時の術の精度からそう判断した寧々は正直に認めた。
「ああ、よかった。里への道はしっかりと調べて山に入ったものの今一つ自信がなくて。私は三等神祇官の藤澤晃成と申します」
青年は官僚の身分証明書である印章を懐から取り出して、こちらに見えるように掲げた。
「……確かに神祇庁の印章だな」
孝志は印章と青年の顔を見比べてつぶやいた。
「里長からは何も聞いていませんが、ご要件は何ですか?」
「ありのままの里の様子を見たくて、あえて先触れは出さずに来ました」
孝志の推測通り抜き打ちの視察のようだ。
やましい所はないはずだが緊張感が走る。
「蚕草の栽培地や職人が作業している所など……。できれば里長には知らせずご案内いただけると助かります」
「……かしこまりました」
神祇官はほぼ華族――かつては神祇系公卿と呼ばれていた元公家の出身者で構成されている。
寧々に断るという選択肢はなかった。
承諾しながら刀を鞘に納めると、藤澤神祇官は表情を和らげた。
「下に降りてきてくださいますか? この体は幻術で作ったものなんです。私の本体はあっちにいます」
藤澤神祇官は背後を手で示した。
寧々は驚きながら崖下を確認する。
彼の言う通り、そちらにはもう一人の彼がいて寧々に向かって手を振っていた。その隣には耳と尻尾の付いた少女がいる。
寧々はまばたきをしてから背後を振り返った。すると、藤澤神祇官の体が透けており、すうっと空気中に解けるように消えた。
「本当に幻だったんだ……」
寧々は狐につままれたような気分だった。
「……さすがは帝都の神祇官様だな」
孝志も寧々と同じような顔をしていた。
「小夜、影に戻れ」
崖下に降りたら、藤澤神祇官は少女に話しかけていた。
「報酬、忘れないでよね」
そう告げた直後、少女は二本の尾を持つ黒猫へと姿を変えて藤澤神祇官の影の中へと飛び込んだ。
やはり式神だったのだ。寧々は驚きながらも確信する。
藤澤神祇官は小さく息をついてから、こちらに向き直った。
「降りてきてくださってありがとうございます。お二方の名前を教えていただけますか?」
「織部寧々です」
寧々は名乗ると孝志に視線を向けた。
「俺……いや、私は織部孝志です。二人とも守人衆に所属しています」
「女性で織手ではなく守人とは珍しいですね」
藤澤神祇官は寧々をまじまじと見つめた。
「才能がなかったんです。それで……」
寧々は告白するのが恥ずかしくて目を伏せる。
「適材適所ではないですか? まさか私の術を避けられるとは思いませんでした」
さらりと何でもないように言われて、寧々は驚いて顔を上げた。
藤澤神祇官の表情には、里の人間が見せる侮蔑や哀れみはなかった。どちらかと言えば興味深そうに寧々を見つめている。
「術を避ける時も、幻の私の喉元に刀を突きつける動きもとても素晴らしかったです」
初対面の人に褒められると、嬉しい反面どう反応していいかわからない。
「藤澤様、もしあれに当たってたらどうなっていたんでしょうか……?」
困惑する寧々に変わって孝志が尋ねた。
「かなり手加減したので少し痺れるくらいだと思います。捕まえて素性を確認したかったんです。突然攻撃して申し訳ありませんでした」
頭を下げられて寧々は驚く。
藤澤といえば寧々でも知っている。皇族から枝分かれした神祇四家と呼ばれる特別な家柄だ。本家は侯爵位を持つ華族である。
(偉い人だよね……)
以前視察のためにやって来た神祇官はもっと横柄で、直接応対した母や妹が陰で愚痴を漏らしていた。
寧々はまじまじと藤澤神祇官の顔を見つめた。




