第22話【英子、目を覚ます】
毎日投稿予定。
薪のはぜる音が聞こえる。暖かい布団の中で英子は薄く目を開けると子供の声がした。
「お父さん、お姉ちゃん起きたよ」
おぼろげなのだが、目の前に女の子の姿が見えた。そばにいた男の人が英子の顔を覗き込んだ。
「どうやら気がついたらしいな」
英子の意識が次第に戻ってきた。しかし、まだ頭がぼんやりしており、記憶がはっきりしないままでいる。英子は体を起こそうとして掛けられている布団をどかそうとしたが体が思うように動かない。
「あ、まだ動かない方がいい。特に怪我は無いようだが、ずいぶん水を飲んだようだ」
「あの、わたしはどうしてここにいるのですか……?」
英子は少し呼吸が楽になったようで、何とか話ができる。
「川に落ちたようだ。上流から流されてきたところを娘の紗智子が見つけた。紗智子の声を聞いて急いで川沿いまで行くと、浅瀬の中に横たわっているあなたがいた」
英子は驚きの表情を浮かべたのだが、まだ状況が掴めない。
「すぐさま岸に上げて介抱し、しばらくして息を吹き返したのだが、意識が戻らなかったので家まで連れてきたんです」
「すみません、ありがとうございます」
どうやら自分は川でおぼれかけたようだ。しかしなぜそうなったのか思い出せない。
「あの、ここはどこですか?」
「紫峰山の中腹になるかな。この家は今は使われていない炭焼き小屋に少し手を入れて何とか住めるようにしたんです。私は栗林健作、この子は娘の紗智子です」
小学校2,3年生だろうか、背の低い紗智子が小さい両手を前に重ねて深々とお辞儀をする。
「お姉ちゃん、お名前なんて言うの?」
「わたし、わたしは……」
あれ? 私の名前は? 思い出せない。混乱する英子。頭の中にある記憶を引きずり出そうと懸命になるのだが、どうしても自分の名前が出てこない。それどころか、自分がいったいどこから来たのかさえも思い出すことができないのだ。焦る英子の様子を見た栗林が声をかける。
「あなたは溺れて気を失っていた。意識が飛んで一時的に記憶が無くなっているのかもしれない。しばらくゆっくりしていれば次第に思い出してくるでしょう」
栗林の言葉を聞いて少し安心した英子は急にお腹がすいてきた。家の中には小さな囲炉裏があり、くべられた鉄鍋からはおいしそうなにおいが立ち上がっている。
「焦っても仕方がない。お腹がすいたでしょう、キノコ雑炊です。お食べなさい」
栗林が英子に優しく微笑んだ。
隆之は英子がいなくなり、捜索が打ち切られてからも毎日英子を探し続けた。風岡にも連絡し、藤原や渡瀬にも協力してもらい英子の行方を探したのだが、何の手がかりも見つからないまま1年がたとうとしていた。そんなある日、黒澤家使用人である高柳栄作から南郷家に連絡があった。高柳は黒澤財閥が所有している青葉山の管理をしている。猟師でもある高柳は地元の猟友会にも顔が広かった。その猟友会の知り合いから聞いた話で『もしかしたら』との情報が入ったのだ。
高柳の話によると、『青葉山の麓に流れる川の対岸を登ったところに紫峰山という山があり、そこの中腹にある炭焼き小屋に地元では見かけない人が住みこんでいる』とのことであった。民家が殆どない場所だ。もしその情報が本当だったら、そこに住んでいる人から英子について何らかの手掛かりがつかめるのではないかと一途の望みを抱いた。隆之は高柳に連絡し、その場所を案内してくれるよう頼んだ。
英子は記憶が戻らないまま、帰る場所さえ分からず栗林と暮らすこととなった。栗林が山で暮らし始めたのは2年ほど前だそうだ。山菜などを取り、獣の通り道に罠などを仕掛けるなどして器用に猟もこなし、川釣りも得意で、まだ幼い紗智子と二人暮らししていた。いくばくかの貯金もあるようで、米や生活に必要な雑貨などは時々町に出て調達しているとのことだ。それにしても人里離れたところに親子連れが住んでいることに疑問を持った英子は、栗林に聞いたことがあった。
「あの栗林さん、一つ質問してもいいですか?」
「何でしょう"里美"さん」
記憶を喪失し自分の名前を思い出せない英子であった。一緒に暮らすにあたり名前が無いのはどうも不自由である。そのため、娘の紗智子が英子に、仮ではあるが名前を付けてくれたのである。
「里美さんに隠し事をする気はないので、何でも聞いてください」
「ありがとうございます。なぜこのような山奥に親子お二人だけで暮らしておいでなのですか? 町でお暮しになった方が便利だと思うのですが」
栗林の説明によると、栗林は元は高校の教師をしていたそうで、政府の戦争政策に反対し、駅前で反戦活動の一環としてビラを配るなどしているところを憲兵に見つかり、政府転覆を企てる思想犯として指名手配される身となってしまった。
妻はずいぶん昔に結核で亡くなっている。一人残った娘の紗智子を手元から離すことができず、致し方なく一緒に逃亡生活を続けているとのことであった。紗智子は小学3年生なのだが学校へは行っていない。戦時の波に翻弄された家族の苦労を理解するには、英子はまだ知らないことが多すぎる。紗智子のことを思うと、このまま山の生活を続けるのはどうかと考えていた。しかし、栗林の包み隠さぬ人柄に好感を持ったのも事実である。栗林のこの状況を救う手立てはないのだろうかと思い悩んだ。しかし英子自身、自分が何者であるのかさえも分からない。どうにもやるせない気持ちに戸惑う日々が続いた。
しかしそんな英子にとって山の生活は楽しかった。栗林は自然の中で暮らす方法を熟知している。食べ物に困ることは殆どなく、冬場の雪に埋もれる生活はさすがにつらく感じたのだが、栗林は寒さの対策も怠ってはいなかったため何とか乗り切ることができていた。そんな生活が1年続いた。そのころになると、英子にとっては栗林親子と一緒に住む山小屋が自分にとってとても大切な居場所であるかのように思えてきたのだ。
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