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4 公爵家の館

作中に虐待描写が出てきます。苦手な方はご注意下さい。

 ふわふわと身体が揺れている。


「気づいたか?」


 公爵の黒曜石の瞳と視線が合う。


「きゃあっ!……いつも勝手に担がないでよ!私は荷物じゃないわ!」


 私は彼の肩の上に荷物のように担がれていた。


「熟睡してる君が悪い。起こそうとはしたが、起きなかった。暴れると落ちるぞ」


「もう起きてるわ! 下ろして!」

「無理はしない方がいいとは思うが…」


 ふわりと地面に足がつく。屋敷の玄関だった。屋敷の正面玄関の前にはピンク色の可憐な花が咲き乱れている。

 見覚えがある花だ。あれは……何の花だっけ?


「我が館へようこそ」


 大きな扉を主自らで押し開けた。ホールは静まり返っている。普通ならいるはずの従者や侍女の姿が見えない。


「やっぱり貴方公爵なんかじゃないわね。使用人が一人もいないなんて…」


 偽者の公爵を、見上げた瞬間。ぐらりと視界がゆがむ。


「大丈夫か?」

「へ、平気よ」

「丸二日、眠っていたんだ。何か飲んだ方がいい」


 偽公爵は私を横抱きに抱き抱え、流し目で私を見下ろす。


「この抱き方なら不満はないだろう?」

「よ、横抱きにしたからって一緒よ。自分で歩くわ。下ろして」

「青い顔で言われても説得力に欠けるな」


 私の言葉を無視して偽公爵は歩いていく。




「やはり、水分不足だったな。顔色が少し戻った」


 渡された井戸水を飲むと、空腹でお腹が鳴った。


「使用人達はどこにいるの?」

「素直に何か食べたいと言えばどうかな?」

「ち、違うわよ。私達の他に誰もいないじゃない。不自然だわ」


 偽公爵が立ち上がり、鍋にミルクを注ぎ、手際よく釜に火を入れる。


「皆、休暇を楽しんでいるだけだ。君が来る事もまだ伝えてはいない。色々とうるさくてね」

「使用人に休暇?」

「おかしいか? 彼らも同じ人だぞ。たまには故郷に帰らせてもいいだろう?」

「屋敷を空けるなんて随分不用心ね」


「ははは。領民が盗みに入るようなら、その領地の領主は無能だね。王都や他の領地と違ってそういう心配は不要だよ」


「今、さりげなく自慢した?」

「自慢? つまり、君は私を領主だと認めてくれるのかな? パン粥をどうぞ」


 スプーンと共にミルクの良い香りのするパン粥が目の前に置かれた。


「領主……公爵が貴方なら自分で料理をしないと思うわ」


 公爵?は自分の前にもパン粥を置いて、席に座った。


「そうかな?料理に限らず……作り、産み出すことは全ての基本だと思うが」


 そう言うと、優雅に両手を組み、背を伸ばして目を伏せた。


「育てた民と豊かな恵みに感謝を」


 誠意を示す謝意は厳かで、息を呑むほど美しい。元婚約者だった王太子と全く正反対の振る舞い。


 公爵は閉じた瞳を開く。黒い瞳が私を見つめる。


「どうした? 食べられないのか?」

「……いただきます」


 ほのかに甘いパン粥が身体に沁みていく…と同時に急な眠気に襲われた。


 何か混ぜた?


 スプーンが手から滑り落ち、身体は床に着く前に力強い腕に受け止められる。何か声が聞こえた気がしたが問い返す間もなく、


 ……私は意識を手放した。





 暗闇の中、甘い匂いがする。

 知ってる。これはカリテの実だ。甘くてねっとりとした南国の果実。その種をすりつぶしたクリームは母の愛用品だった。


『かあさま。アイリスと一緒に寝て。夜中にお化けの悲鳴が聞こえるの』


 幼いアイリスが母に言う。


『ごめんなさい一緒は無理なの。こうして耳を閉じて。お母さんは……勤めがあるから』


 亡き母の滑らかな手が幼い私の耳を覆う。


『つとめ?つとめってなぁに?』

『知らない方が幸せなこともあるのよ、アイリス』


 母が私を抱きしめる。


『そうだわ。私のクリームを塗ってあげましょう。私が側に感じられるように。大きくなったら作り方も教えましょうね』


 母が私の小さな両手にクリームをつけて刷り込む。


「……母さま」


 その色白の細い両手首は赤く黒ずんでいる。

 その意味を幼いアイリスまだ知らない。


 前世の記憶が幼いアイリスの代わりに目覚めたのは、初めて『見分』されたあの晩だった。




「止めてっ!」


 自分の叫び声で目が覚める。見慣れないベッドに私は寝かされていた。


 天蓋は王城の自室にあった物より装飾は少なく、質素な作り。身につけているのはドレスではなく、大きな白い男物のシャツだ。慌てて重たい身体を起こす。


「大丈夫か?」


 黒髪の男は読みかけの本を閉じ、私の横で向き直った。


 パシン!


 男は驚いた顔で叩かれた左頬を押さえ、そして眉をしかめる。


「ルイにだって身体を許さなかったのに………最低な男ね!」

「服を着替えさせたことは謝る。だが理由も聞かず叩くのは最低に含まれないのか?」


 私の額に張り付いていた布がベッドに落ちる。


「君が熱を出して倒れたから寝台へ運んだ。酷い汗だったから着替えさせただけだ」

「やっぱり、私の裸を見たんじゃない!」


「君を着替えをさせたのは近くの農婦、エルダだよ」

「農婦が屋敷に出入りするなんておかしいでしょ!」

「王都の常識ではね。でもここは私の領地だ。親しい者は何人か出入りしているよ?」


「だからって、これは貴方のシャツでしょ!」


「君のドレスは汚れていたし、予定より早かったからドレスが仕立てられていない。君は病人を裸で眠らせるのか?」


 目の前に落ちた布を見つめる。確かに身体はまだ熱っぽい。シャルルは寝台から下り、水差しの水をグラスに注ぎ私に差し出した。

 気まずくなりグラスを受け取る。


「一つだけ聞いてもいいか?」


「……なに?」


 黒曜石の瞳が私を覗き込む。左頬は赤くなっているが、表情は真面目だ。


「背中の大きなアザは、誰がつけた?」


 アザを見た?


「っ!よく農婦だって嘘ついたわね!」


 私はグラスの水を振りかけようとするが男は素早く手首を掴み、グラスを奪う。


「人の話を聞け。私が詳細を聞いてエルダが答えただけだ」


 黒曜石の瞳が片手を掴んだまま、私を見上げる。


「大切な事だ。(あざ)はルイにされたのか?」


 ルイに襲われ、天蓋の柱に打ちつけたのを思い出し、私は目を閉じる。荷物を送り返す度、王太子の紅い眼が暗く沈むのを知ってもなお私は止めなかった。

 否、そうなることを私は望んでいた……はずだった。


「……仕向けたのは私よ」


「そうか」


 おそるおそる目を開ける。黒曜石の瞳は切なく、わずかに潤んでいた。瞳の色と同じまつ毛を伏せ、静かにシャルル・マルラン公爵は立ち上がった。


「アイリス。君は『悪女』だったな」


 彼は私の手首を離し、布を水に濡らして絞ると私に差し出す。


「もう少し寝ていろ。人を呼んでくる」

「待って!」


 背を向けた黒髪の男が足を止める。彼の表情は見えない。


「その………叩いて、ごめんなさい」


「……君は本当に『悪女』だな」


 カチャリと扉が閉まる音。その音が私の心を締め付けた。






「あ、奥様。お身体の具合はどうだ」


 屋敷のキッチンで農婦のエルダさんが洗い物の手を止めて私に駆け寄った。


「ありがとう。エルダさんのおかげですっかり回復したわ。着替えも貸してくれてありがとう」


「私の服じゃだいぶ大きいだね。ああ、もったいねぇ。奥様が食器を片付けたら仕え人に叱られますだ」


 恰幅の良い彼女は腰巻の裾で手を拭き、お盆を受け取る。


「このくらいさせて頂戴。野菜と鶏のスープも、鹿肉のソテーも、豆のシチューもどれもとっても美味しかったわ」


 私はあれから三日ほど寝込んだ。その間、農婦のエルダさんが私の世話をした。


「もったいねぇお言葉だ。野菜が新鮮だからですだ」

「エルダさんの腕が良いからよ」


「あははは。私は野菜を洗っただけですだに。わたしゃ豆のスープか、じゃがいも料理くらいしか作らんで」


「じゃあ、料理は誰が作ってくれたの?」


「公爵様に決まってますだに。仕えの者がいない間、ご自分で色々されるのがあの人の趣味ですだ」

「そう……館の主人はどこに?」


あれから公爵は私の前に姿を見せていない。


「工房か……今の時間ならお庭だと思いますだ」


 ……食事のお礼くらい言っておかないと。


 私は庭へ出て公爵を探す。屋敷の庭にはピンクの花が咲き乱れている。これは……ジャガイモの花だ。


 よく見ると敷地の隅にパプリカ、ズッキーニも植えられている。庭園というより菜園に近かった。何だか懐かしい。前世で祖母と一緒に家庭菜園の野菜を収穫した遠い日々を思い出す。


 庭園の名残で水路が引かれ噴水もあるが、今はもっぱら菜園の水汲み場として使われているようだ。


「公爵家の屋敷なのに花は少ないのね…」


 貴族の屋敷の植栽に相応しい、薔薇や常緑樹は見当たらず、庭はもっぱら食物が植えられていた。


「ああ、奥様。お元気になられてよかだなぁ」


 麦わら帽子を被った農夫が雑草を取る手を止め、立ちが次々と立ち上がり、帽子をとってお辞儀をする。

 エルダさんが色々手配したらしく、今では不在の使用人に代わり、敷地内を頻繁に農民達が出入りしているようだ。


「仕事の邪魔をしてごめんなさい。館の主人を見なかった?」

「旦那様は、ロイツ様に引きずられてお屋敷に行かれましただ」


「ロイツ?」


「この屋敷の仕え人ですだ。さっき帰ってきましただ。あの角部屋に連れて行かれましただ」

「色々と教えてくれてありがとう。行ってみるわ」


 屋敷に戻り階段を上がると、言い争っている声が聞こえた。

 駆け足で二階の部屋へ近づく。


 扉の隙間は僅かに空いていた。


「シャルル様、結婚式の費用までケチらないで下さい」


「ロイツ! 何度も言わせるな! 契約結婚で十分だ」


 言い切った、黒髪の公爵と目が合った。


お読み頂きありがとうございます^_^

評価、感想、大変励みになります!


不遇な環境に置かれたアイリスの今後はどうなるのか?

今後ともお付き合い頂けると嬉しいです^_^

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