157話
俺の声が小さくて聞こえなかったのか。黒髪の男、ヴィルは首を傾げてそのすぐ後ろに立つアメットさんに何か話しかけているのが見える。
だが、そんなものを考えることもできないほどに冷や汗と震えが止まらない。
まるでひっかき棒で頭の中をぐちゃぐちゃに混ぜられたように気持ちが悪い。
今さっき、俺は誰だった?
俺は俺だ。どれだけ前の、『俺』の記憶を持っていても、それはあくまで他人事。『俺』が生きていた世界を羨むことはあっても、そこに郷愁は感じたことなどない。だって、俺は、ライモンドは、この世界で生まれて生きているのだから。
他人の生きた記憶が頭の中にあっても、その記憶を思い出す時は本を読むみたいにいつだって俺自身とは切り離されている。
まだ幼い頃は自分自身の自我というものがあやふやで、本の中の『俺』という存在に感情移入して『俺』が俺であるかのように振る舞ったこともあったかもしれないが。
それでも、俺はライモンドであって前世の『俺』ではない。
それなのに、今のはなんだ?
まるで、自分の記憶のように、川で石を拾うという行為を懐かしんだ。
「ライ。ずいぶん顔色が悪いぞ」
「ぇ……?」
いつの間にか。ズボンが濡れることもいとわずに川に入ってきたヴィルが石を持った俺の手を掴んだ。
「指先も冷え切っているな。初めて川に来てはしゃぐのは構わないが、少しは自分の体調を気にしろ」
「ぁ、はじめて……」
そう。初めてだ。だって、俺は王宮から出ちゃダメだったから。
王宮の中の庭園では、万が一にも幼い俺たちが溺れたりしないように近づいちゃダメだった。
「上がろう」
「………ん」
ヴィルの温かい手に引かれ、そのまま川から上がる。濡れた足で土を踏めば渇いた砂が俺の足についた水を吸って引っ付き、泥のようになって足の裏から指先にまでひっついた。
「ライ様。僭越ながら、こちらはお返しした方がよろしいかと」
「……は?」
珍しく主君であるヴィルが川に分け入るのを外で待っていたアメットさんが、そう言って俺の握りしめた指に手を添える。
おもむろに指を開けば、先ほど拾ったまあるい石が、やはりつやつやと輝いてそこにある。
でも、返してしまうなんてもったいない。これは俺の宝物だ。
「お返しいたしましょう。それは、あなた様には必要のないものです」
「でも、これはおとうとのお土産なんだ」
「本当に?」
そう問いかけられたからふと顔を上げてアメットさんの目を見る。それから、俺とずっと手を繋いでくれているヴィルの方を向いた。
二人ともやけに真剣な目でじっとこちらを見るものだから、先ほどまで素敵に見えていた石がどんどんみすぼらしく見えてくる。
「ライ。土産に持ち帰るならば石よりも宝石のほうがいい。そちらの方が妹も喜ぶだろう」
「…………ヴィルの目みたいに、綺麗なルビーを探すよ」
俺は、手首を返して石を川底へとお返しした。
◆◆◆◆◆
「いや、こっわ。何、今の体験。まじで怖い」
さてさて、先ほどまでの急なホラー展開に動揺が隠せない子は誰かなー? はいはーい、俺でーす! まじで怖い!
「ボウヤ、マグ・メルの石拾っちゃったんですって?」
「ぶわって、急に知らない記憶が頭の中に入ってきてめちゃくちゃ気持ち悪かったんですけど……ッ!」
「カタラータは強い魔物こそいませんけど、マグ・メルの石のせいで毎年死者が絶えませんからね」
「何それ! 今すぐ国を挙げて排除すべきではッ⁉」
「と、言ってもなぁ。マグ・メルの石は精霊様にお返ししなきゃならねぇしなぁ」
「みんな他人事だからって!」
キィーッ! と苦笑いを浮かべる大人三人組を威嚇すれば、俺のとなりで焚火にあたりながら一緒に服を乾かしていたヴィルがドウドウと肩を抑えて落ち着かせようとする。
俺は馬じゃない!
「ていうか、マグ・メルの石って何……!」
川と謎の石のせいですっかり冷え切った体を温めるためにと、ウルリカさんの用意してくれた紅茶のカップを両手で握りしめてそう聞けば、アメットさんが寒いと勘違いして俺の肩に毛布を掛けてくれた。
優しいけど、チガウッ!
「マグ・メルの石は、何と言えばいいんだろうね。郷愁の石、忘れじの石、後悔の石。 まぁ、言い方はいろいろあるが、簡単に言えば誰かの想いの宿る石だ」
「……ホラーじゃん」
「なんの変哲もない石なんだけど、それを手にすると無性にどこかに帰りたくなる。でも帰るべき場所はそこになく、ただただ帰りたい想いばかりが募る。そして最後は自分の帰るべき場所がないことを知り、自ら命を絶つ」
「ホラーじゃんッ!」
ギャンッと泣き出したい気持ちを抑えて顔をしわくちゃにして叫んだ俺に、ヴィルは焚火であぶっていたマシュマロをくれた。おいちい。
「まあ助ける方法は簡単だよ。つながりの深い者が呼びかけ、それに魅入られた者が応える。 そうして会話や接触を通して自分が自分であることを思い出させる。そして、石は精霊にお返しする。今回は私が一番君とつながりが深いからね。呼び戻す役は私が担った」
「なんというボッチ特攻の怪異なんだ……」
一人なら致死率百%なのでは?
「怪異と言うとおどろおどろしいが、精霊の気遣いだよ。未練を残して死んだ者の未練を今一度現世へと送り、魂を慰める。現世を旅し、自然に帰ったマグ・メルの石に宿った思いは浄化され、さまよう魂は輪廻を巡る。カタラータの水は、そう言った思いを運びやすいらしい」
ふんふん、なるほど。慰霊の意味もあるんだね。
でも。
「やっぱり、ホラーぢゃんッ!」
ついに耐えきれなくなってビャンッと泣き出した俺を、ヴィルはしばらく戸惑った後慈愛の表情で抱きしめてくれた。
ヴィルの気遣いが心に沁みる……。




