020
スノフェザを早朝に出発し、雪原の街道の終わりまで馬車を走らせること2日。
俺たちは、ようやく雪山の入り口に到着した。
ここからは、徒歩だ。《名も無き神殿》へは、険しい坂道や、崖、細い道などあるから、馬車でいくことはできない。
一面の白い世界だった。
地上にあるものは全て、白に塗りつぶされている。
青いはずの空ですら、雲が覆い尽くし、薄灰色をしている。
頬が痛い。降りやみそうにない雪が、風に乗って間断なく吹きつけてくる。なんだか、俺たちまで白く塗りつぶそうとしているかのような錯覚に陥る。
何もかもを、真っ白に。
内側に毛皮のついたロングコートのフードの襟元を、俺は絞った。
顔に雪風が当たって、かなり、寒い。
地図を表示したロッソが先頭に立つ。
「じゃあ、出発すっぞ!」
おー!という勇ましい掛け声を上げ、隊列は雪山の奥へと出発した。
俺たちは最後尾だ。
ジェイスとロージーを前衛に、スティング、双子、俺と並んで進む。
「おお、寒い寒い。ちょっとこれは、吹雪きそうだねー」
スティングがマフラーに顔をうずめて、身を震わせた。
「うん……」
視界が、かなり悪い。
遠くから竜の姿を見つけることは難しいかもしれない。気づいたらもう逃げられない距離にいた、なんてことがありそうで怖い。
ジェイスは出発する朝、街の入り口で待っていた。
合流してから、あまりしゃべらない。
何かを探すように、時折、辺りに視線を走らせている。
そういえば、確かめたい事って、一体なんなのだろう。
100メートルは軽くありそうな大きなクレバスにかかる、吊り橋。
底は深すぎて、暗く見えない。
橋は、3人ぎりぎり並んで通れるくらいの幅しかない。
レフとライが、釣り橋の手前で立ち止まった。
「どうした?」
双子の耳はピンと立ち、しっぽは毛羽だち内側に丸まってしまっている。
警戒と、脅え。
「……びゅうびゅう、大きな音、する」
「……ぐわうぐわう、大きな音、する」
「音?」
俺は釣り橋を見た。
肌を突き刺す冷風が、頬を叩く。
底から吹き上げる風が強い。釣り橋が、頼り無く揺れている。随分古いのか、揺れるたびに悲鳴のような軋みをあげる。
「だ、大丈夫だ! こんなゆらゆら橋、さっさと渡っちゃおう!」
双子が何か物言いたげに空を見上げ、俺を見上げ、珍しく硬い表情で頷いた。
揺れるとかなり怖いです。
俺が丁度真ん中辺りを歩いていた時、それは起こった。
最初は、女性冒険者の悲鳴だった。
騒めく集団の中、誰かが空を指さす。
「──竜だ!」
「いたぞ! 雲の向こう側に、竜が飛んでる! でかい……!」
俺は空を見上げて、目を細めた。
見えるのは雪と、黒灰色の重たい雲しかない。
黒灰色の雲?
俺はぎょっとした。
あまりの大きさに、気づかなかった。
暗い雲の向こう側。
長くうねる、黒い影が灰色の雪雲の上を移動しているのが見えた。
長い影の両側には、大小の羽根が一対ずつ、尾の近くまで生えている。
全部で、18枚あった。
「あらら〜。とうとう御大がお出まししちゃった?」
「──お前ら、走れ! とにかく渡りきれ!」
先頭を走るロッソが叫ぶ。
「レフ、ライ、向こう岸まで走れ!」
「「あ、あい!」」
俺も双子を急かし、駆け出した。
このパターン、何かの映画で見たことあるぞ。
登山客を襲う怪物パニック物。丁度、細くて頼りない吊り橋を慎重に渡っている時、タイミングよく襲ってくるヤツだ。
それで、追いかけてきた怪物の重さに耐えられなくなった橋がちぎれて、渡りきれてない人々がパニックになるんだよな。
あと、20メートル。
俺だけかなり遅れている。息が切れて、心臓が破裂しそうだ。超魔導士系の体力の無さをなめんなよ。
双子が心配そうに振り返った。
「「青いお兄さん! 急ぐ!」」
「解ってる! 俺は大丈夫だから、振り返らずに走れ! 出口まで競争だ! 俺に勝ったら、二段重ねのケーキ作ってやるぞ!」
双子の尻尾が立ち上がった。
「「ケーキ!」」
双子が目を輝かせて走っていく。
俺も後を追うべく、萎えそうな足を叱咤して駆けた。
かなり離れていたジェイスが、走りながら振り返るのが見えた。危ないぞ。前向いて走れ。
しかも方向転換して戻ってくるとは何事だ。
あほか。あほだろお前。
クレバスの端に立って、渡りきったロッソが何か叫んでいる。
「──お前らもっと早く走れ! 来るぞ!」
ばかやろうふざけんな、無茶言うな、これで、精一杯だ!
息が苦しくて、叫ぶことも出来ないので抗議の念だけ送っておいた。届け、俺の害電波。
ジェット機が飛ぶような、空気を切り裂く音がした。
天空を見上げる。
俺の視界いっぱいに、羽根を広げた銀の竜が、うねりながら猛スピードで降りてくるのが見えた。
あまりに大きすぎて、視界に全貌をとらえきれない。
竜が、吊り橋の丁度真ん中辺りを、鼓膜を破るような轟音をたてて突き抜ける。
なんか、こんなシーン、映画であったよな。
吊り橋が半分に割れ、ゆっくり傾いでいく。
渡りきれなかった俺たちと、前のパーティの数人が橋にしがみついた。
レフとライはどうなった。必死で双子の姿を探す。いた。
双子はもう陸地に着いていた。よかった。
嫌な浮遊感が身体を包んだ。
あれ、俺、浮いてない? 軽いからか?
腕を掴まれて、俺は橋桁に引き戻された。
吊り橋のハンガーロープを掴んでいるジェイスが、俺を引き戻してくれたようだ。
「あほか! 俺にあんな術かけといて、お前が先に死んだら意味ないだろう!」
「お前の方があほだろ! なんで戻ってきた! 早速あの術、発動させる気か!」
谷底で咆哮がした。
風が轟音を響かせて、徐々に吹き上がってくる。
「あー、また戻ってくるよーアイツー。急げー!」
いつのまにやらさっさと崖に辿り着いていたスティングが、額に手をかざしてクレバスを覗き込んでいる。
「しゃべってないで、早く上がってこい! アイツが戻ってくるぞ!」
「宵月様、ジェイス様、急いで!」
「急いで、と言われても……!」
上昇気流に巻き込まれて、ちぎれた橋が浮き上がった。
俺は、ジェットコースター系は、大嫌いだ。この、内蔵が浮き上がる浮遊感、吐きそう。
『──人間。何故再びこの地を踏み荒らす。即刻この場から立ち去れ』
聞き取れる可聴音域ぎりぎりの低重音の声が、鼓膜を震わせた。
何かがしゃべった。
遮る物はなにもないはずなのに、辺りが暗くなる。
何かが、影を落としている。
見上げると、
長い胴体に18枚の羽根を広げた銀の竜が、鎌首をもたげていた。
銀色の鱗が、僅かに発光しているのか、じわりと青白い光を放つ。
白い角と牙は、オパールのように内部が様々な色の光を反射している。
羽は粉雪をあつめたかのように、きらきらと白く輝く。
綺麗な、銀竜だった。
俺は状況も忘れて、一瞬魅入ってしまった。
『去らぬなら、我が氷の息で全て氷像に変え、この谷底へたたき落としてやろう』
木っ端微塵になりますよね、それ。
『抗える者がいるのならば、抗ってみせるがいい』
銀の竜が、息を吸い込み始めた。
ブレスだ。
冷却系ブレスがくる。
それも凄まじいのがきっとくる。
銀色は、天属性以外の属性全てを内包する。
特に特化しているのは水と風と闇だ。一発でもくらえば即死だろう。
上を見る。
崖上まで、8メートルはありそうだ。
間に合うだろうか。でも行くしかない。
俺はなんとか筋力不足で震える腕を伸ばし、揺れる橋桁に指をかけた。
「──トゥティアブロイングスノァ!」
ジェイスが叫んだ。
何と言ったのはわからない。聞き取り難い発音だった。
なんて言ったんだ、お前。何語だそれは。早口言葉か。
ぴたり、と竜が息を吸い込む音が止まった。
「お前は、【切り裂く吹雪】か! 答えろ!」
竜が目を細めた。人の頭ぐらいある銀色の瞳が、こちらを見ている。全てを見透かされそうな視線に、俺は脂汗をかいた。
ディスプレイを通して見れば、すげえ迫力だなあ、で済んでた。もう少し登場に捻りがあってもよかったかも、とか呑気な感想を述べたりして。
リアルで対峙すると、もうそれどころではないことが分かった。泣き叫んで逃げ惑う住人の気持ちがわかった。
頭の先から足の先まで、震えが走る。
頭の中で、逃げろ、と赤いアラームが鳴り響く。
空気が振動した。
竜が、喉の奥で笑っていた。
『我が名を呼ぶは何者かと思えば。世の流れとは、なんとも予測しがたく、奇しきものよ……。このような場所で、まさかお前と再びあいまみえる事になろうとは。──【色無し】よ』
竜が口を開けて笑った。さも愉快だと言わんばかりに。
「俺の質問に答えろ!」
『生きていたのか。 哀れな【色無し】よ。 哀れに思い、一思いに殺してやろうと谷底に落としてやったが、幼子の身でも死ねなんだとは。色の濁ったその目、その姿。人にもなれず、竜にもなれぬ。誠、醜く、哀れで──愛しく、忌まわしい姿よ』
竜の顔が近づく。俺は硬直してしまって、少しも動けなかった。
「宵月! ジェイク! 援護する! 早く上がってこい!」
ロッソが上で指示を出しているのが聞こえた。
ダメだ。
今攻撃したら、ダメだ。
全員、間違いなく、死ぬ。逃げろ。
伝えたいのに、俺は喉の声帯まで硬直して声が出せなかった。
「何故、母さんを連れ去った! どこへ連れて行った!?」
『人の身で、竜を生むは死と同義。竜の強大な魔力を、人の腹の内に抱え続けることなど到底できぬ。産み落とすまで、消耗し続けるのみよ。我は、止めておけと言ったのだ。なのに、フロレアは頑としてきかなかった。お前を生まねば、フロレアは──』
「やはりおまえが!」
『もはや死を待つ身体は、ただ朽ちていくのみ。どこへやろうと我の勝手だろう?』
「ふざけるな!」
『そうだな。悪ふざけが過ぎた』
竜の手が伸びた。
ジェイスを掴んで、崖に叩きつける。
ジェイスが灰色の血を吐いた。
しかも大量に。
【内臓破裂】したんじゃないのか。
俺は血の気が引いた。だったら早く回復しなければ。HPが秒速で消えていく。
『──気紛れの産物よ』
「気、紛れ……?」
『お前は何者にも望まれぬ。無に帰すが、お前の為でもあろう……』
骨が折れる断続的な音が、上から聞こえてきた。
『この場で殺してやるが、情けというもの』
動け! 動け、俺! 固まってる場合じゃない!
俺は震えの止まらない片腕で橋桁をどうにか掴み、つま先を隙間にねじ込んでなんとか身体を固定した。
戦闘モードに切り替えて、黒本を出す。
黒本なら、ダメージを与えられるかもしれない。
とにかく、ジェイスから銀竜を引き離さなければ。引き離したら、すぐに回復。魔法スキルを選択すれば、口が動く限りスペルはオートで発動する。どうにでもなる。
「我、アイテールを通じて、──」
銀色の視線がぎょろりと俺に移動した。
え、なんで。
今まで完全無視だったのに。俺なんて、空気的な扱いだったのに。
『それが、異界の神の黒き書だな。……成程。あの男の言ったとおりか……もしも我に抗おうとする命知らずな魔道士がいれば、十中八九、黒本の所持者だと』
銀竜の視線が、俺の持つ黒本に注がれる。
──黒本は、あまり人に見せないほうがいいでしょう。
あの同郷の青年の言葉を、思い出す。
そういえば、ロッソにも、まだ言ってなかったな。なんか言いそびれて……
でも、見せるなって……あれって、竜も対象だったのか?
そうなら、そうと──
ジェイスを掴んでいた竜の手が離れた。
灰色の血を流しながら、ジェイスが谷底に落ちていく。
「ジェイス!」
声の限り叫んだが、ぴくりとも動かない。
「ジェイス──!」
落ち葉のようにゆらゆらと、力なく落ちていく身体。
暗い谷底が、大口を開けてジェイスを飲み込んだように見えた。
俺は力が抜けるのを感じた。
巨大な手が、今度は俺の方に向かってきた。
俺を掴むと、橋桁ごと引きはがし、凄い力で握り込んだ。
うそだろ。
こんなところで【死に戻り】になるのか?
『──待っていれば、勝手にやってくる、か』
銀の竜が、また喉の奥で笑った。
「はなせ! 放せよ!」
ジェイスを助けなければ。
でもどうやって?
何か、何か考えろ、考えろ──
地響きのような、絶叫のような、鼓膜を破壊しそうなほどの咆哮が、谷底に響き渡った。
続いて、壁をめったやたらと打ち付ける、激しい音と振動。
俺は谷底の暗闇に目を凝らした。
真っ黒で、何も見えない。
ジェイスは──
ギシリ、と空気が軋んだ。
谷底に引き込まれるかのような錯覚に陥る。
強引に引きずり込まれるような。
取り込まれるような。
『……あれでも死なぬか』
「な、なに? なんなんだ? 谷底で、何が起こって、」
『自らの形すら保持できなくなっているようだな。壊れた身体を修復する為に、周辺のありとあらゆるものを取り込み始めた。それも多量に無作為に。このままいけば──暴走するぞ』
銀竜の言葉が終わると同時に、暗闇から何かが飛び出してきた。
灰色の、大きな、歪にねじ曲がった竜が。
六枚の羽根で羽ばたくが、骨格や爪や皮膜が歪んでいるため、真っ直ぐに飛べていない。
飛びかけては右へ左へと壁に激突し、壁面を削り落としながら上昇してくる。
銀竜と同じくらいの大きさに肥大した身体は、昔、小学校の授業で隣の席の友人が作った、粘土細工の怪獣を思い起こさせた。あまりに不器用すぎて、かえって現代アート並に前衛的なフォルムの、奇怪な塊にしかみえない怪獣。
機能性をまるきり無視した身体の形状。肉塊のような翼や腕が無造作に盛り上がり、身体のあちこちから飛び出している。
在り得ない形に折れ曲がった灰色の竜の腕が、銀竜の足を掴んだ。
銀竜は振り落とそうと、鋭い爪で灰色の腕を切り裂いた。
灰色の体液が飛び散る。
その切り口は、しばらくすると肉が膨れ上がり、再び歪な腕が再生した。
身体のそこかしこで肉塊が膨れ上がり、もう一本、もう一本、と歪な翼と、折れ曲がった腕が次々と生えてくる。
複数の腕が、銀竜の左足と翼を掴んだ。
逃がすまいと灰色の爪が、銀竜の綺麗な翼に食い込む。
深く。
翼を一つ引きちぎられた銀竜が、絶叫した。
銀竜は飛び上がった。
左足と数枚の羽根をもぎ取られながらも、灰色の異形の竜を何度も壁に叩きつけ、どうにか振り落とした。
『なんとも、恐ろしき力よ……。だが、我はお前の相手をしている暇はない』
銀竜は槍のような氷塊を無数に纏うと、灰色の竜に向かって放った。
氷塊は灰色の竜を壁に磔にした。
灰色の竜の、傷ついた箇所が膨れ上がった。
氷塊さえもその肉塊に取り込もうとしている。
「ジェイス!」
俺は叫んだ。
何度、名を呼んだかもわからない。
返事は、一度も返ってこなかった。
灰色の、無数の腕が伸びてくる。
銀竜はそれらをひらりと躱しながら、高く高く上昇した。
その後の、記憶はあまりない。
あまりに急激な旋回と上昇移動により頭の血液が下がり、とうとう俺は意識を失ってしまった。




