安定した一週間
それから一週間程の間、桔音はHランク冒険者として依頼をこなす日々を送っていた。生活は半月程確保出来てはいるが、生活費は稼がねばならないし、リーシェに返す為のお金も出来るだけ早く確保したいところだ。
店の手伝い、荷物運び、老人介護、子供の世話役、一日使用人、街の掃除活動、等々様々な依頼をこなしている桔音。Hランクの簡単な依頼故に、彼の依頼達成率は現時点で100%だ。
冒険者になるものは、基本的に憧れや夢といった大層素敵な理由で冒険者の道へと入っている。ただ単に稼ぎやすい職業というのもあって、金が欲しい連中もたまにいるが、どちらにせよ彼らは冒険者として大成したいと思っている。
彼らは冒険者として大成したい、となればより高いランクへと上がりたいという向上心が高いという訳だ。
なのに、
桔音という男は、Hランクの冒険者から抜け出そうという意思が感じられない。基本的に、魔獣討伐を任せられるFランクになるには元冒険者のギルド役員に認められることが原則だが、Hの次、Gランクに上がることは本当に簡単だ。Fランクに上がりたい意思表示をして、元冒険者役員の開いている訓練に参加するだけ。たったそれだけで一つランクを上げることができる。
にも拘らず、その訓練にも参加しようとしない桔音。常にHランクの大した事のない、普段誰一人としてやろうとしない依頼をこなし続けるだけの冒険者。最弱の冒険者。
故に、桔音はこの世界にやって来てから向けられていた奇異の視線に、より一層晒されるようになった。
何故上を目指さないのか、冒険者達ひいては受付嬢の面々全員が思っていた。
「は?」
先程も言った通り、冒険者は全員―――桔音を除いて全員が向上心猛々しく、自身の中にある冒険者の姿を追い求め、憧れを越えようと日々努力している。それゆえか、自身の想い描く冒険者像というのは、譲れないプライドとも誇りともとれるような大切なものになっている。
だから、そんな誇りを持った冒険者からすれば、桔音という冒険者らしからぬ存在は酷く心をざわつかせた。苛々させてくれる存在だ。
「だから、お前みたいな奴が冒険者なんて認めない。これ以上冒険者を穢すようなら、今すぐ冒険者を止めろ」
だから、こうして桔音に突っ掛かって来る冒険者が出てくるのは、当然のことと言えた。
「君誰? 正直言って僕は君のことを知らないんだ、知りたいとも思わないけど」
今日、ギルドへやってきた桔音の前に一人の男が立ち塞がってきた。良く見る野暮で大柄な濃い男ではなく、その男は青年だった。おそらく、桔音よりも数年年上だろう風格と、桔音が見上げなければ視線を合わせられない高い身長、腰に下げた剣は素人目から見ても中々に迫力を放っていた。
一目で分かる、格上だと。
「お前の話はよく知っている。Hランクの冒険者で、日々Hランクの低レベルな依頼を受けている様だな。街の人々に媚び諂い、残飯を喰らうドブネズミのような男――――きつね」
「残飯でも食べないと死んじゃうんだぜ? 僕はそういう人間だ」
「だからこそ、貴様は冒険者失格だ! 冒険者とは自由の人、上を目指し、魔獣を狩り、何よりも強く気高い存在だ! 貴様の様な男が踏み荒らして良い道ではない!」
桔音はその言葉で理解する。
彼は冒険者に強い憧れを持っている男だと。だからこそ、自分の行動が許せないのだろうと。
「ま、だからどうしたって話だけど……」
「何か言ったか?」
「君と僕でどう違うっていうんだい?」
「なに?」
だからどうした。桔音は反論する。一日一日を生きる為残飯だろうがなんだろうが漁って喰らう。桔音は死ぬわけにはいかないのだ、篠崎しおりとの約束の為にも、それだけは絶対に譲れない。一宿一飯の恩義もまだ返せていないのに、つべこべ言っている余裕はない。
「君はどうやら冒険者に並々ならぬ思い入れがあるようだけど、ランクは幾つ? 僕は知っての通り、Hランクだ」
「……Eランクだ」
桔音の問いに、彼はそう答えた。Eランク、魔獣討伐の依頼をこなせるようになり、更にランクを一つ上げた者。当然、桔音よりも数段強い。
だが、桔音は臆さない。格上だろうと、自分の生き方だけは否定させない。
「Eランク、凄いね。でも、EランクとHランクにどう違いがあるっていうんだ? 住民のお手伝いと魔獣討伐の重要さに、どう違いがあるんだ?」
「なっ……!?」
「魔獣を討伐したいだけなら外行って好きなだけ狩って来いよ、気高くありたいのなら騎士でだってそうあれるよ、お前何のために依頼を受けてるんだ?」
桔音の精神は、あの瘴気の怪物に会ってから強くなった。死を経験して、何も怖い者などなくなった。故に、桔音が彼を自分の生きる道を邪魔する者、敵だと認識したその時点で、このスキルが発動する。
―――『不気味体質』
桔音の目の前に立つ男は、桔音の雰囲気が変わったことを感じ取り、恐怖を感じた。一歩二歩と後ずさりし、その分だけ距離を取った。
「魔獣を討伐するのは人の為だろう? それは素晴らしいことで、とても尊い行動だと思うよ」
「そ、そうだ……! 冒険者はそういう存在だ!」
「じゃあ、人々の小さな悩み事はどうでもいいのかな? 来るかも分からない危機を君達が懸命に排除している間、僕は人々の小さな悩みを解決していたんだ。それは、全く、一切、何の意味も無い行動かな?」
「………っ」
桔音の言葉に、雰囲気に、迫力に、男はなんの反論も出来なかった。ただ、桔音の放つプレッシャーに足を震わせ、関わり合いたくないと思わせる弱者の威圧に困惑していた。
「もしも、君がそう思っているんだとしたら」
「何を言って……」
「お前、冒険者失格だぜ?」
残飯を漁って何が悪い。住民を媚び諂って何が悪い。それで冒険者失格だというのなら、それこそおめでたい頭に呆れかえる馬鹿らしさだ。
弱い奴は死ぬ、簡単に死ぬ。だから必死に喰らい付いているのだ。
「っ……な……!」
男は桔音に言われたことに反論出来ない。何も言えない。ただ、冒険者失格だと思っていた相手に、冒険者失格だと突き付けられた事実にショックを受けていた。
冒険者は自由の人、気高く、強い存在、そう思っていた。いや、実際それは合っている。だが、彼は見失っていたのだ。何のために自由で、何から気高くあって、何のために強い存在なのかを。その意味を。
桔音の言う通りなのなら、強くなるのは何かを護る為、人を護る為、命を護る為だ。ただ強いだけの人間に、人は気高さなど見出せない。その強さを正しい方向へ向けられる者こそ気高いのだ。それを思い知らされた。
「じゃ、僕は仕事をするから。困っている人は見逃せないんだ、僕ってほら、清く正しい正義感溢れる青少年だからさ」
桔音はそう言って、薄ら笑いを浮かべながら男の横を通り抜けた。その際、茫然とする彼の肩をぽんと叩いたのだった。
男は、最後まで桔音に言い返す事が出来なかった。
◇
男の隣を通り過ぎた桔音は、茫然としている男を放置してミアの下へとやってきた。桔音は依頼を受ける際、ミアとその隣の青髪の受付嬢の下へ気まぐれに代わる代わる対応をお願いしている。今回はミアだったようだ。
「やぁミアちゃん、おはよう」
「おはようございます……あのきつね様、少し言い過ぎでは?」
「え、なんのこと? おはようと言っただけだけど」
「……そうですか……ところで、今日はフィニア様はいらっしゃらないんですか?」
知らぬ存ぜぬを通す桔音に、ミアは追及を諦めた。
そして桔音の右肩を見て、ミアはそう聞いた。いつも一緒にいるフィニアが桔音の傍にいないのだ。それはいつも見ている光景の一部が欠けた様なもの寂しさを感じさせている。
桔音はそんなミアに苦笑しながら答える。
「フィニアちゃんは今寝てるんだよねー」
「寝てる……?」
「うん、この中で」
そう言って、桔音はお面を指差した。実は眠ってしまうと結構朝が弱いフィニア、此処一週間は睡眠を必要としない故に夜更かししまくりだったのだが、昨晩は気まぐれにお面の中で眠った。故に、まだ眠っているというわけだ。
だが、それを聞いたミアは驚愕に瞳を目を見開いた。
「つまり……フィニア様は思想種……ということですか……?」
「あ」
桔音は思い出した。フィニアの妖精についての説明を。
思想種と自然種は見分けが付かない、そして思想種はこの世界に数十体しか存在しない超希少な存在であると。お面の中で寝ている、つまりお面はフィニアの想いの媒体ということになる。それはフィニアが思想種であることを指している。
「…………」
「…………」
沈黙する両者。冒険者達は先程桔音に言い負かされた男を気に掛けているのか、聞こえていなかったようだ。しかし、ミアとその隣に座っていた青髪の受付嬢はバッチリ聞いていたようだ。
「いや、違うよ。お面の中ってそういう意味じゃなくて、お面と僕の頭の間の空間で寝てるんだ」
「あ、ああそういうことですか……ですよね」
「……ほっ」
桔音はとりあえず誤魔化すことにした。目立つのは面倒極まりない、フィニアが超希少種の思想種だと知られた時のことを考えれば、それはあまりよろしくない展開だ。
桔音はお面をコンコンと叩いてフィニアを起こす。そしてお面を外し、内側をミア達に見せないようにして、寝ぼけたフィニアがお面の内側から出て来たのを捕まえた。服の襟を摘まんで、ミア達に見せる。
すると、ミア達は安堵の息を吐いた。もしかしてとは思っていたが、やはり違ったようだ。
「フィニアちゃん、依頼受けるよ」
「ん~……五秒待ってね…………んっ! おはようきつねさん! フィニアちゃんのお目覚めだよ!」
「うんおはよう。さ、今日も仕事しないとね」
「えー、でももう結構お金溜まったじゃん。私そろそろ身体を動かしたいな!」
「そう、僕はインドア派だからぶっちゃけ動きたくないな」
「インドアとか言ってるけど引きニート根性が染みついてるね! 本格的に駄目人間だよ!」
いつもの二人、ミアはそんな光景にふと笑った。この一週間、彼女は二人の言い合いを見慣れて来ている。一つの日常として享受している。ある意味一日の楽しみになっていると言っても良い。二人の掛け合いは見ていて面白いのだ。
「んー……じゃあどうする?」
「遊びに行こう! 今日は仕事を忘れて楽しもうよ!」
「あー……そうだね、息抜きも必要かな」
「うん!」
「じゃあリーシェちゃんでも誘って何処か美味しいものでも食べに行こうか」
「やった!」
桔音の言葉に、フィニアが喜ぶ。この一週間、リーシェと同じ宿に泊まっていながら桔音はリーシェに会っていない。朝早くにギルドを出て、かなり遅くに帰って来るからだ。朝食と夕食は食べているが、昼食は宿屋の女将にお願いして弁当を作って貰っている。
故に、桔音はまだ彼女に借りたお金を返せていない。一週間も借りっぱなしというのも気が引けるので、これを境に金を返すのも悪くないと考えた。
「うん、それじゃ今日は休むとしようか」
「賛成! たまには良い判断をするね! きつねさんも!」
「褒めてないよねそれ?」
「うん!」
「認めちゃうんだ!?」
桔音はフィニアの言動にツッコミを入れつつ、嬉しそうなフィニアの顔を見て苦笑する。なんだかんだ言って、桔音はフィニアの笑顔が好きなのだ。
「リーシェ……様ですか?」
とそこへミアが話に加わってきた。
「うん、僕のちょっとした恩人なんだ」
「名前からして女性のようですね」
「うん、僕と同年代位の女の子なんだ」
「……随分と親しげですね」
「妬いてる?」
「妬いてません。仕事の邪魔ですので、依頼をお受けにならないようならお帰り下さい」
ミアは唐突に仕事モードに入って、桔音に事務的な反応を返す。なんというか、不機嫌な様子だ。
最近、あの言いよってきたジェノを桔音が追い払ってから、度々ミアは不機嫌になる。桔音はなんでミアがそんな態度になるのか全然理解出来ない。やったことと言えば目の前で巨乳と言い放ったり、ジェノに殴り飛ばされたり、胸を揉ませてと言ったり、碌でもないことばかりだ。余計分からなくなった。寧ろそんな自分になんとなく落ち込んだ。
とりあえず、その理由をフィニアに聞いてみる。
「フィニアちゃん、なんかミアちゃん怒ってる?」
「女の子には色々あるんだよ! 詮索しないであげて! きっと生理だから!」
「ばらしてんじゃん、盛大に乙女の秘密大暴露じゃん、もし本当だったらミアちゃん公開処刑しちゃってんじゃん」
「やっちゃったね!」
「そういえばフィニアちゃんは生理とかあるの?」
「お、女の子になんてこと聞くの! 駄目だよきつねさん! でりかしーのない男の人はモテないんだよ!」
「僕もうフィニアちゃんが分からないよ」
フィニアに聞いても桔音は余計疲れるだけだと悟り、溜め息を吐いた。
とりあえず、今日は仕事は中止にすることにし、一旦宿に戻ってリーシェを遊びに誘うことにしたのだった。
「それじゃミアちゃん、また明日」
「じゃあね!」
「………はい」
ミアは視線を寄越さないまま、桔音を見送った。ギルドから桔音の姿が消えたのを確認すると、仏頂面を浮かべる。
何故かは知らないが、胸がむかむかするのを感じるミア。それから今日一日、不機嫌オーラを放ったまま、やって来る冒険者達の相手をするのだった。