2人の絆
桔音がルークスハイド王国で屋敷を訪れ、幽霊娘に勝負を仕掛けた頃、勇者達は既にジグヴェリア共和国へと辿り着いて、一晩過ごした後だった。
そしてルークスハイド王国を桔音が経った頃、勇者達は武器の製作を注文した後だ。
現行、勇者達の目的は魔王討伐の為に強くなる事……その為に必要な事柄として、『桔音に会って、全てを謝ること』が優先事項だ。
その為に今、勇者達は覚悟を決めた。勇者としてではなく、1人の人間として、芹澤凪として……彼は桔音との決着を付けることにしたのだ。
だからだろうか? 凪は今、自分が成長するのを実感していた。意識の違いで、こうも見える世界が違うのかと思う。
正直、ルルとフィニアに罪悪感を感じていない訳じゃない。本当なら、今すぐにでも謝るべきなんだろうと思っている。それこそ、土下座じゃ済まない事も理解している。それでも彼が彼女達に謝らないのは、それで万が一にでも許して貰えるようなら―――いや、許して貰わずとも、責められたり殴られたりしてくれたのなら……凪は恐らく楽になれる。楽になれてしまう。
だから彼はまだ、彼女達に謝らない。謝れない。謝ってしまえば楽になれるから。
桔音はまだ悲しい筈だ、辛い筈だ、ならばソレを差し置いて自分が楽になるなど、おこがましいにも程がある。自分はまだ、楽にはなってはいけない。そう考えていた。
「で、きつね先輩は何処に居るか分かったか?」
「正確な位置は分かりません、が……どうやら彼は冒険者の間ではかなり有名になっているようです」
そして現在、凪達はジグヴェリア共和国の冒険者ギルドで桔音達の情報を収集していた。
実の所、桔音の知らない所で、彼は冒険者達の間ではかなり名の知れた人物になっている。
それもそうだろう、その理由は挙げれば多い。
まず、ミニエラで冒険者として姿を現し、当時Cランク冒険者であったレイラ・ヴァーミリオンを仲間に引き入れた。
レイラはあの容姿故に、パーティに誘われることが日常的にあったが、あの性格故にそれを断り続けていたのだ。容姿も美しく、実力もあり、そしてパーティを組む事を嫌う孤高の冒険者……それが多くの冒険者達の間でのレイラに対する認識だ。それをぽっと出の新人冒険者が簡単に仲間に引き込んでしまった―――噂にならない筈が無い。
後付けではあるが、冒険者達の間では実力のある冒険者に『二つ名』を付けて呼ぶ慣習がある。これは特にギルドのシステムという訳ではなく、何処かの誰かが実力ある冒険者に、賞賛と尊敬を込めて通り名の様な物を付けるだけだ。
レイラは、その慣習に則ってこう呼ばれていた。
―――『黒漆の紅姫』
当時は黒髪赤眼だったレイラの容姿に因んだ二つ名だ。
もっと言えば、最近仲間になったドラン。彼も実力者には変わりはない。彼にも二つ名がある。努力と技術でBランクまで駆け上がった巨漢の戦士。
―――『戦線舞踏』
その巨大な身体に反して、技術で生み出されるその速度からそう呼ばれている。まるで、流れる様に敵を切り裂く様子は、まるで戦いの舞い。彼も冒険者の間では確実に実力者として名を馳せているのだ。
レイラとドラン、確実に冒険者の間では名を馳せている実力ある冒険者。それを仲間に引き込んだHランクの冒険者……『きつね』。
正確にはドランとレイラのネームバリューに乗った感じではあるが、桔音の名前は本人の知らぬ間に数多くの冒険者達に知られているのだ。
だからこそ、凪達も桔音達の情報を冒険者を通じて手に入れる事が出来た。
「現在、ルークスハイド王国に居るという話を聞きました。おそらく、グランディール王国から私達とは別方向へと向かったのでしょう」
「なるほど……ここからどれくらいの距離かな?」
「恐らく……馬車で約1週間ほどですね」
ギルドの中、テーブルについているのは凪とセシルのみだ。シルフィ、ジークは共に依頼へ、ルルとフィニアもまた別の依頼を受けて出ている。ルルとフィニアを自由にしてもいいのかという考えが浮かばなかった訳ではないが、日が暮れる前には帰って来るというフィニアの言葉を信じることにしたのだ。
そもそも、逃げられたっておかしくはないし、責められるようなことでもない。
そんな中、セシルは桔音の情報を獲得してきた。ルークスハイド王国に居る、という噂は確証ではないが、グランディール王国で桔音にルークスハイド王国を勧めた冒険者から流れた情報だろう。
グランディール王国ではまだ仲間はレイラだけであったが、使徒ステラとの戦いと勇者との戦いが、桔音の名を広めていたのだ。実際、ルークスハイド王国方面に向かったという目撃者もいることから、この情報はかなり信憑性があるだろうとされている。
その桔音が件の『きつね』だと知られたのは、その後の話だ。
「にしても、そのなんだっけ? 『黒漆の紅姫』と『戦線舞踏』って冒険者……強いのか?」
「詳しくは知りませんが……『黒漆の紅姫』も『戦線舞踏』も、現在共にBランク。しかも、Cランクですが魔族を討伐したことのある冒険者らしいですから、恐らく相当に」
「そうか……きつね先輩、そんな人達と組んでるのか……」
実はレイラと対面したことはあるものの、凪はレイラは黒髪だと聞いていた故に、気が付いていない。レイラの事を良く知る人物はレイラだと分かるだろうが、今のレイラは雰囲気から見た目までかなり変わっている。初見じゃまず分からないだろう。
「なぁセシル……俺きつね先輩に会ったら殺されるんじゃないかな……」
「会わなければいいじゃないですか」
「いや、会うけどさ……」
「勇者である貴方が亡くなったら、誰が魔王を倒すんですか」
「いやまぁそうなんだけどさ……ちゃんと謝らないと行けないだろ? そこは譲れないよ」
それはさておき、桔音の情報を聞いてちょっと青い顔をする凪。相当の実力者が2人も味方に付いている桔音が、自分を恨んでいるのは確実。そんな中自分から顔を見せたら……確実に殺られるだろう。それはもう間髪入れずに襲い掛かられる筈だ。寧ろ闇討ちで殺される可能性もある。
ちょっと怖くなった凪。死んでも許されない様な事をしたのは分かっているが、それでもやはり死ぬのは怖いだろう。出来れば、魔王を倒すまでは生きていたいのが本音だ。
「どうしますか? 武器が出来るまで、この工業国であるジグヴェリアの職人の腕でも約4、5日程掛かりますし……出発まではかなり時間がありますけど」
「うーん……この国じゃそれほど問題も起こっていないようだし、基本的に争い事もなさそうだしなぁ……冒険者の数もそれほど多くないし。かといって、この国は国王とかがいる訳じゃないし……」
「依頼を受けますか?」
「そうだなぁ……」
とはいえ、桔音の情報が手に入ってもそれなりに出発まで時間が掛かる。その間何をしようかという話になるのだ。依頼を受けるにしても、他のメンバーが依頼で出ている以上国を出るわけにはいかないだろうし、凪としても中々動きづらい状況であった。
「とりあえず、ギルド裏にある訓練場で自主訓練でもしてるよ」
「そうですか、お付き合いしますよ」
だがまぁ取り敢えず、凪は束の間の時間で、己を磨くことにしたようだ。
◇ ◇ ◇
黒い瘴気が、彗星の様に駆けていた。それは、冒険者達が見れば一目でこう勘違いしただろう。
―――『赤い夜』だ。
だが違う。確かに、その瘴気の中には赤い瞳が煌めいている。しかし、それは片目だけだ。猛スピードで駆けるその速度は、人間の速度を完全に超えていた。
そして何より、かつての『赤い夜』とは絶対的に違うことが1つ。
周囲に振りまかれる、死の気配。死神の鎌が首に添えられている様な、心臓を直接鷲掴みにされている様な、後ほんの少しの弾みで死んでしまうのではないかと錯覚するほどの恐怖だ。
その瘴気の彗星の通り道に居た魔獣達は、全て怯えて逃げていく。瘴気の彗星が見えなくなっても、尚死から逃げる様に逃げていく。
瘴気の彗星が通った後、地面にあった草は消えていた。茶色い地面が剥き出しになっている。これは、瘴気によって草花が全て『瘴気変換』された結果だ。ソレが更に周囲への恐怖心を煽る。
瘴気の彗星の中にいるのは、あの幽霊屋敷にレイラが捕まっている以上、桔音しかあり得ない。何故桔音がこんな状態で走っているのか……それは、レイラが最初に遭った時の姿が、瘴気を纏った状態だったのを思い出したからだ。
「やっぱりそうだ……この状態、直線で動くのならかなり速い」
桔音は呟く。
試してみると、この状態は、瘴気を纏うことで空気抵抗を半減させ、更に周囲の空間把握も出来、地面を蹴る際に斜めの足場を作ることで、足全体の力で蹴り出す事が出来るのだ。だから普通の状態よりもかなり速く走る事が出来る。
ただし、直線で駆け抜ける時のみだ。複雑な動きをしようとすると、途端に機動力がガクッと落ちる。
もっといえば、この状態にはかなり重いリスクがある。
「―――ッ……! やっぱり長続きはしないね……1回休憩しないと……」
頭痛がして、桔音は表情を歪ませた。左目の赤い瞳が、普段よりも爛々と輝いている。意識が薄れるのをぐっと堪えて、桔音は瘴気を一旦掻き消した。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を整えて、桔音はぐしゃぐしゃっと頭を掻いた。
この状態のリスクとは、自我の消失だ。かつてのレイラがそうだったように、この状態になると、段々と自我が消失する。簡単にいえば、本能の赴くままに行動するようになるのだ。魔族だったレイラは生物を喰らい尽くしていたけれど、桔音の場合はどうなるか分からない。
故に、長時間その状態ではいられない。戦闘にも使えないだろうし、今使っているのは本当に急いでいるからだ。桔音が理性を保ったままこの状態でいられるのは、おおよそ30分ほど。耐性値の高さも関わっているのだろうが、それ以上は段々と思考が出来なくなってくるのだ。
移動速度は早いが、やはり少し負荷が大きい技であった。
「ふぅ……レイラちゃんを思い出してやってみたは良いけど、ちょっと厳しいかも……」
名付けるのなら、『瘴気暴走』とでも言うべきこの状態だが、連続して使い続けると多少体力も疲弊する。自我を失い掛けるのだから、それも当然だろう。
桔音は『不気味体質』を発動したまま、少し地面に座って休憩する。この状態なら、魔獣も寄って来ないし、襲い掛かって来ても耐性の高い桔音だ、対してダメージはない。
「……すー……はぁ……ジグヴェリア共和国までまだまだ遠い……なんかこうしてるとミニエラ目指して森を進んでいた頃を思い出すなぁ……」
呟き、桔音は進む先を見据えた。
「よし……それじゃ行きますか」
休憩もそこそこに、桔音は立ち上がる。耐性値の高い桔音は、そもそもの回復力が違う。傷の治癒力がメインではあるものの、疲労の回復速度だって人より高いのだ。規格外にという訳ではないけれど、全力疾走程度の疲労なら直ぐに立て直せる。戦闘の場合は人と同じ程度に時間が掛かるが。
そして、今度は『瘴気暴走』を使わずに普通に走り出す。他と比べれば低い筋力値も、馬車と同じ位速く走る事は出来る。そもそも敏捷値が高いのだから、同じ筋力値の相手がいれば、その相手よりは速く動けるのだ。まぁ、動きが素人なのは否めないが。
「今行くよ、フィニアちゃん……!」
呟き、桔音は地面を蹴る力を、一層強くした。
◇ ◇ ◇
「―――?」
「どうしました? フィニア様」
「…………きつねさん?」
「え?」
「いや……なんでもないよ。早く依頼を達成しよっ!」
桔音がフィニア達の下へと駆けているその時……フィニアはなんとなく、桔音の気配を感じた気がした。
だが、ルルはきょとんとした表情を浮かべているし、気のせいだろうと思いつつそう言う。
でも、もしも、もしかしたら―――そう考えてしまう程にはっきりと感じた気がした。懐かしく、そして優しい不気味さを感じさせる気配を。
「きつねさん……早く迎えに来てね……」
ルルに聞こえない様な小さな声で、フィニアはそう呟いた。
例えどれだけ離れていても、桔音とフィニア……2人の間にある絆は、
―――ほんの少しだって変わっていない。
桔音君とフィニアちゃん、やっぱりこの2人こそお互いがお互いの為に命を賭けられるパートナーなんだと思います。