敵の正体は
特に何か確証がある訳じゃない。
それでも、僕にはちょっとした違和感、というか気になることがあった。
異世界からの来訪者である僕だからこその違和感、かもしれない。異世界の常識を持った僕だからこそ感じた、ほんのちょっとした常識の違い。
あの不気味な屋敷の話が出てから、僕はこの世界でとある存在のワードを聞いていない。
もしかしたら、可能性としてはあり得ないモノだと切り捨てられ済みだからこそ、出なかったのかもしれない。その可能性は、重々理解しているし、確認した訳でもないから確証もない。
でも、もしかしたら、この世界でアンデットと呼ばれる存在がいるからこそ、この世界の住人は知らないのかもしれないと思った。
―――『幽霊』という概念を。
人が死んで、尚且つその姿を見せるとしたら、この世界の住人にとってそれはアンデッドであり、幽霊という存在は知らないのではないか、そう思った。
なまじ、この世界には『アンデッド』を始めとして、『魔族』や『呪い』、『魔法』といった超常的な力が存在する。それ故に、死んだら見えない魂となって現世を彷徨う亡霊と化す、なんて発想は無かったのかもしれない。
でも、僕は知っている。
この世界はファンタジーそのもので、『幽霊』が存在してもおかしくは無い程、様々な不思議に溢れている事を。
そして、あの声を聞いた時から考えていたんだ。もしかしてあの声は幽霊なんじゃないかって。初代女王の死、存在した孤児達、謎の集団、どれをとっても謎に満ちた現実だけれど……もしもあの屋敷の歴史が、あの声の主それほど関係が無いのだとしたら、あれは何かの幽霊なのかもしれない。
普段なら普通にあり得ないと笑い飛ばす様な考えも、この世界でならばあり得る可能性だ。
「幽霊だったらどうしようかなぁ……全く、厄介だ」
呟き、目の前に佇むその巨大な屋敷を見上げる。
深い霧に包まれて、相変わらず腐った土の臭いと、不気味な程大量の墓、廃れた屋敷が歓迎する様に門と玄関の扉を開いて待ちかまえている。まるで僕のことを嘲る様な笑い声が聞こえてくるようだった。
「……さて、行こうか」
でも、僕はその門を潜った。今度は門を潜り抜けた後、すぐにその扉が閉まる。甲高い金属の擦れる音が、少し耳障りだ。
腐った土の上を歩き、屋敷の玄関に辿り着く。薄暗い屋敷の中を覗きこむと、以前と同じ様にリーシェちゃんが2階へ上がる途中の踊り場で座らされ、その両隣りにドランさんとレイラちゃんが座っていた。
屋敷の中へと足を踏み入れる。扉が音を立てて閉まった。
「ほら、また来たよ―――出て来い悪趣味野郎」
僕は扉が閉まったことを一瞥し、薄ら笑いを浮かべながらそう言った。
すると、直ぐにあのスピーカーを通した様な声が聞こえてくる。
『うふっ……ふひひっ……来たんだ、来ちゃった、来るんだねー……不思議、びっくりしちゃったぁ。でもでも、どうするつもり? ふひひひひっ……貴方に私は掴めないでしょう? うふ、うふふっ、ふひひひっ♪』
この声は、何処までも余裕そうだ。この状況を楽しんでいる様な、この状況がお遊びの様な、そんな口調でそう言ってくる。
貴方に私は掴めない、か。それは中々面白い発言だ。掴めないなら、捕らえるまでだよ。僕は生憎と諦めが悪いんだ。
それに、レイラちゃん達を返して貰わないといけないからね。
「君なんてどうでもいいんだよ。僕は僕の仲間を取り戻しに来ただけだ」
『へぇ……ふひひっ、面白い面白い♪ でもどうするの? その子達、私が解放しない限りは目を覚まさないよ? あったまわるーい!』
「ハッ、知らねーよ馬鹿。姿を見せない臆病者になんて言われた所で……痛くも痒くも無い」
『……くふっ……ふひひっ……臆病者かぁ……まぁ仕方ないかな? 良いよ、私の姿を見ることが出来たのなら……貴方にもちょっとは勝ち目があるかもね? ふひひひっ』
僕の言葉にその声はそう言った。楽しそうに、そう言った。姿を見せる、見せてくれる。是非も無い。ならば必ず見透してやる。僕が必ず、この声の主の姿を見抜いて、その上で叩き潰す。
この屋敷の不気味さなんて、僕が丸ごと飲み込んでやる。負ける要素なんて一切無いね、こと不気味さにおいては―――僕は生まれつき最強なんだから。
瞬間......屋敷が、一瞬震えた。
パラパラと埃や小さな破片が落ちてきた。僕の身体にも多少当たるけれど、特にダメージにはならない。放っておいても問題ない。
それよりも注視すべきは―――目の前に現れた数個の蒼い焔だ。
鬼火、とでも言うべきだろうか? 蒼焔とでも言うべき鮮やかな蒼い焔。それが、空中をゆらゆらと浮かびながらくるくると舞っている。僕の近くを通り過ぎた時、ちっとも熱いと感じなかったことから……あれはきっと本物の炎とは少し違う代物だろう。
『―――うふふ……ふひひひっ……アハハハハハハハ!!』
笑い声が、甲高く屋敷に響き渡る。怖い位に、楽しそうな狂笑。不気味で不気味な存在感が、屋敷中を埋め尽くす。
そして、それは現れた。
蒼い焔の取り囲む中心に、すぅっと現れた。
リーシェちゃんの座っている椅子の後ろから、半透明のソレが、現れた。
ソレは、まさしく僕達地球の人間が思い描くようなとある存在と全く同じ姿をしていた。想像通りの姿をしていた。
短い黒髪にリボンの付いた花の髪飾りを付け、紺色を基調としたポンチョと、ボロボロで多少破けた灰色の服を着ている。脚は黒いタイツで覆われており、靴は履いていない。そんな少女だった。
でも、それは問題じゃない。肝心なのは、その姿が半透明であること。少女の身体の向こう側が、若干透けて見えている。もっと言えば、彼女の瞳は死んだように光が無かった。瞳孔が開いていて、ハイライトの無いぼんやりとした瞳。
笑みを浮かべているけれど、死体が笑っているようで、物凄く不気味だった。
そう、それは幽霊。僕達異世界人なら誰しもが知っている、死んだ人間の魂そのもの……この世に未練を残した人間の、思念体とでも言うべき存在。
「……幽霊、本当に居たんだね」
『あれ? 視えてる?』
現れた彼女は、その身体を空中に浮遊させている。そして、姿を現したからか声もスピーカーを通した様なものではなく、はっきり少女の声として聞き取ることが出来た。
すいーっと僕の目の前まで浮遊してきた幽霊の彼女は、僕の顔をまじまじと見てくる。死んだ様な瞳が間近にあると、あまり良い気分ではない。押しのけようと彼女の顔に手をやると、すいっと僕の手は彼女の身体をすり抜けた。
やっぱり触れられないらしい。
『へぇ……貴方、知ってるんだ? 幽霊の存在を』
「それがどうかした?」
『いーや別に? 私の姿を見ることが出来るのは、幽霊って概念を知っている者だからね……普通、この世界の生物は私を見ることは出来ない筈なんだよ』
「随分と流暢に話すじゃないか、さっきまではあんな演出をしておいて」
『あんな風に喋った方が不気味でしょ? ふひひっ……ふひひひひっ!』
楽しそうな口調でそんなことを言う彼女。死んだ瞳が、愉快に笑っている。不気味さ具合じゃ負けないとは言ったものの、この子の不気味さは恐怖というよりは奇々怪々というべき不気味さだろう。正直、この子と僕とじゃ不気味さの方向が違っている。
とはいえ、それでもこの子が敵であることは変わりない。こうしている今も、彼女はレイラちゃん達の生殺与奪権を握っているんだから。
「レイラちゃん達を、解放してくれるかな?」
『ソレは嫌だ。くふっ……ふひひひっ……! だってそんなのつまらないでしょう? 私は退屈してるの、誰も私を見ることが出来ない、話すことだって誰とでも出来る訳じゃないもの……そんな中で貴方みたいなのが現れたら……逃がしたくなくなっちゃうじゃない?』
「やっぱりか……じゃあ、どうしたら解放してくれるのかな?」
彼女はクスクス笑いながら、空中を自由自在に浮遊する。天井まで舞いあがったと思ったら、今度は僕の背後まで降りてきたり、屋敷中に反響するその笑い声が、少しだけ不快だ。
それほど変な笑い声ってわけじゃない。寧ろ、普通の女の子と同じ様な笑い声だけど、その声には何故か不快感を煽る様な何かがあった。
多分、死体が喋っている様な感覚に、本能が嫌悪感を感じてしまうんだと思う。人間として、生理的に感じる普通の感覚だ。
すると、彼女は一頻り笑った後、僕のことを嘲る様な表情を浮かべて答える。
『ふひひっ♪ そうだねぇ……それじゃあ2つ選択肢をあげる』
「へぇ……」
『1つは、貴方にとってこの子達と同等の価値があるものと交換する』
同等の、価値……僕にとってリーシェちゃん達と同等の価値があるものなんて、特に持ち合わせてないんだけど。というか、今の僕にはこの身1つしかないんだぜ? 正直、僕の命と引き換えにするくらいじゃないと、ちょっとつりあわないね。
『もう1つは……私に"敗北"を認めさせること』
「……」
無理じゃね? ちょっと無理じゃね? 触れられない相手にどうやって負けを認めさせればいいんだ。戦闘じゃ勝ち目が無いじゃないか。
どうしたものかな……僕の命と引き換えにレイラちゃん達を開放して貰うか……それともこの子に負けを認めさせるか、どっちも難しいだろうなぁ。
彼女は不気味に笑って、僕を嘲る様に見てくる。まるで負ける筈が無いと確信しているかの様な彼女の顔が、僕の癇に障る。
僕は別に、負けず嫌いって訳じゃない。必要じゃないなら負けるのだって構わないし、多少何かを失うとしても、仕方が無いと割り切ることが出来る性格をしてると思う。
だから無理に勝とうとしないし、勝負自体それほどしたいと思う人間じゃない。
でも、この勝負は負けられない。この世界では負けられない戦いが多過ぎる気がするけれど、それだけ僕にも大事な物が増えたってことだ。元の世界じゃ何も無かった僕が、いつの間にか色々抱え込んだものだなぁ。
「分かった……絶対君に負けを認めさせてあげよう」
『うふふ……ふひひひひっ……! それは楽しみだねぇ……貴方は私を掴めない、そう言ったのは今でも変わらないよ――――貴方に勝ち目は一切無い』
彼女は不気味に嗤ってそう言った。
確かに勝ち目は無いに等しい。僕には彼女に触れる術は無い、けれど掴めないといったのはそういう意味だけじゃない筈だ。負けを認めさせる……それは実質彼女の心を屈服させるということ。例え彼女を戦闘で叩き伏せたとして、彼女が負けを認めない限りレイラちゃん達は解放されないだろう。
つまり、絡め手や卑怯な手段は一切禁じられたも同然だ。不正を認めて敗北を受け入れるほど、彼女は優しくは無い。更に言えば、言葉だけの敗北宣言でも駄目。
本当の意味で、彼女に『敗北した』と思わせなきゃならない訳だ。かといって、僕の命を差し出すのも論外だ。
「勝負だ、幽霊娘」
『受けて立つよ、『きつね君』?』
だから僕も、負けじと笑った。『不気味体質』を発動させて、彼女の不気味さに対抗する様に。
幽霊娘登場、名前はまだ無い。