事の顛末
ちょっと遅れました。すいません。
「きつねさん! 無事でしたか!」
「だから言ったろ、その内帰って来るって」
宿に帰って来た僕達に、クロエちゃんとフロリア姐さんが駆け寄って来た。まぁ姐さんは後ろの方から歩いて来ていたけれど、それでもどこかほっとした様な表情で僕達に笑みを向けていた。
クロエちゃんは、僕達に傷や大きな怪我がないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。それほど僕達の心配をしてくれたということだろうね。アイドル級の美少女に心配されるなんて、中々ないだろう。凄まじく希少な経験だね、超ラッキーってことで。
ただ早々に僕から1歩下がって貰って良いかな? さっきから僕の背後に抱き付いているレイラちゃんが、そこそこ首を絞めにきてるんだよね。これは不機嫌だよ、女の子と近づいたらこれだよ、面倒だなぁ……これはちょっと焚き付け過ぎたかも知れない。
「クロエちゃん、ただいま。取り敢えず危機は去った」
「はい、おかえりなさい。無事でなによりです。死なれでもしたら約束の歌を聞かせられませんでしたよ?」
「そうだった、これは生きてて良かったよ」
そう言って、僕はクロエちゃんの微笑みに苦笑を返した。
「とりあえず、今日はもう疲れたから休むよ。またね」
「ええ、お疲れ様です」
さて、そういう訳で僕達は部屋に戻る。集まるのは、リーシェちゃんとレイラちゃんの2人部屋だ。この部屋の方が広いし、ベッドに加えて椅子もあるから、皆座れる。
そこで、今回の発端から事の顛末まで全て把握して整理しないとね。ドランさんにも色々説明する事があるし、僕の固有スキルの詳細も大体纏めておかないとね。
僕達は、疲労で重い身体に鞭打って、宿の部屋へと繋がる階段を上るのだった。
◇ ◇ ◇
今回の事の発端は、おそらく僕がこの世界にやって来てしまったことがそもそもの原因だろう。
魔王は言っていた、僕の魂は異世界人の魂の質をしていると。だからこそ、魔王は僕を『勇者』だと思った。勇者だと間違えたんだろう。まぁ僕がこの世界にやって来てしまった原因がまだ分からないのだけど、原因は僕を異世界へ送り込んだ何かが原因だ。
それに当たって、僕が異世界の人間であることをレイラちゃん達に、改めて教えた。勇者という存在が異世界の人間だという認識が、世界中で認知されている以上、異世界人であることを隠す必要はないだろう。まぁ、しおりちゃんの事とか、異世界出の僕の人生とか、死んでしまったこととかは言ってない。
ただ、原因は分からないけど、僕は異世界からこの世界にやって来てしまったとだけ説明した。
そしてドランさんに、『赤い夜』について説明する為にも、レイラちゃんに出会った所から順を追って説明しよう。今の『赤い夜』が、どんな存在となっているのかをドランさんは知る必要があるし、復讐するかどうかは、それから決めて貰おう。
まぁ復讐しようとしても、レイラちゃん相手だし返り討ちだろうけどね。
「まずは『赤い夜』について教えるよ。ドランさんはそもそも『赤い夜』の正体すら知らないでしょ?」
「あ、ああ……確かにな」
「最初に言っておくよ、『赤い夜』は……つまりレイラちゃんは、元々人間なんだよ」
「なっ……!?」
驚愕に、言葉を失うドランさん。
それは驚きだろう。なんせ、魔族だと思っていた相手が、元々は人間だなんて信じられる筈がない。しかも、それが自分の妻の仇だというのだから驚かない訳にはいかない。
僕は、そんなドランさんを余所に、更に説明を続ける。
「『赤い夜』っていうのは、病気なんだよ。多分理解出来ないだろうけど、その病気の元凶である『ウイルス』と呼ばれる病原体が、そもそも『赤い夜』の本体だよ。だから正確に言うと、レイラちゃん自身は『赤い夜』じゃないんだよ。もっと言えばレイラちゃんの肉体は、だけどね」
「じゃ、じゃあレイラはなんなんだ? 良く分からんが、そのういるすってのは、あの瘴気のことなんだろう? それを操るレイラは人間だってのか?」
「いいや、厳密には人間のレイラちゃんはもう死んでる。ここに居るのは、自分を魔族だと認識した魔族としてのレイラちゃんだよ。『赤い夜』っていうのは、罹った人間の精神を破壊して、自分を魔族と認識し、人間を欲望のままに喰らう怪物に変貌させる病気なんだ。ドランさんが遭ったのは、この欲望のままに暴れ回る『赤い夜』としてのレイラちゃんだ」
レイラちゃんはその生涯で自分の存在を何度も変質させている。
まずは人間として生まれ、『赤い夜』に感染し、僕と出会って魔族となり、今では人間の心すらも理解した異質な魔族だ。
その中で最も人間を殺しているのは、僕と出会う前のレイラちゃんだ。ドランさんが遭ったのもこの頃のレイラちゃんで、今のレイラちゃんが覚えていないレイラちゃんなんだ。
つまり、ドランさんの仇であるレイラちゃんはもう存在せず、張本人であるレイラちゃんは当時の事を覚えていない以上、ある意味レイラちゃんだって『赤い夜』の被害者だと言える。
人間のレイラちゃんだって、好き好んで感染したわけではないだろうし、好き好んで人を殺して食べていた訳ではないのだから。
「……じゃあ、今のそいつは何なんだ? 俺が遭った『赤い夜』とは違うのか……?」
「うん、大きく違ってしまってるね。ドランさんの知ってるレイラちゃんは、僕に出会って変わったんだ。具体的に言えば、我を失い欲望のままに暴れていた『赤い夜』が、その力を理性的に振るう完全な魔族としてのレイラちゃんになったんだ」
「……ってことは、俺の妻を殺した時のことは……」
「ごめんね、覚えてないの」
「…………はぁ……なんてことだよ」
ドランさんは、天井を仰ぎ見ながらぽつりと、そう言った。やるせない想いがあるんだろうね、僕にはさっぱり分からないけど。妻どころか彼女自体いたことないからね。
とはいえ、レイラちゃんが暴走していた時の自分を覚えていないってのも中々気まずい物があるんだろうけどね。
「……まぁ、俺の事はもういい……次の話に行ってくれ、ちょっとこの事実を受け入れるのには時間が掛かる」
「うん分かった、じゃあ次行こう」
ドランさんが中々落ち込んでいる様子だから、とりあえず立ち直るまでは別の話をしよう。
というか本題だね。魔王についてだよ。まぁ目を付けられた原因はそれとして、次は事の顛末についてだね。
魔王が最初に現れた時、そこには僕しかいなかった。レイラちゃんは朝帰りで恋愛感情に戸惑っていた様子だし、リーシェちゃんは寝てたし、ドランさんも帰った後だったからね。宣戦布告ではないけれど、魔王は僕を勇者として勘違いしたまま、偵察に来た様子だった。
まぁ、その勘違い自体は直ぐに解けたけど、あの魔王ウザい事に僕に興味持って来たんだよね、勇者気取りといい、どうしてこうも面倒臭いんだ。
「……今回の件は、ドランさんが魔王に精神を破壊されて、復讐心に囚われた廃人になった事が始まり。多分、僕の前に現れたしばらく後、ドランさんに接触したんだと思う。僕が十数分外に出て帰って来たところで廃人となったドランさんが襲い掛かって来たからね」
「成程な……魔王がきつねを狙ったのはやはり異世界人だったからか?」
「そうだね、元々は勇者が目的だったみたいだけど、僕も勇者と同じ異世界人だから勘違いで目を付けられたみたい。ドランさんはその為に利用されたって訳だ」
まぁ、その廃人となってしまった状態は、僕の『初心渡り』で元に巻き戻すことが出来たから良かったけどね。
「ふむ……それで、今回事の解決に一役買ったお前の固有スキルというのはどんなものなんだ? 私が知る限りでは、状態の巻き戻しということだが……」
「うん、『初心渡り』っていうのはそもそも対象の状態を、巻き戻す力なんだ。でも、多分巻き戻せる対象と戻せない対象が大きく分かれるね」
これが僕の予想だけど、多分合ってるだろう。
『初心渡り』というスキルで巻き戻せるのは―――『僕が知っている範囲』だけだ。
例えば、ドランさんの肉体の状態を巻き戻すとして、僕が巻き戻せるのは、最大でも僕がドランさんと初めて会った時のドランさんまで。それ以前のドランさんの姿形を知らない以上、僕はそれ以上巻き戻せない。
つまり、僕が巻き戻せるのは、僕が知っている対象の姿形、状態まで。
だから例え枯れてしまった川があっても、以前の川の姿を知らない僕はその川を巻き戻せない。
気に入らない相手が居て、赤ん坊の状態まで戻したいと思っても、その相手の赤ん坊の時の状態を知らないのなら、赤ん坊の状態に巻き戻すことは出来ない。
重傷を負った人間が倒れていても、元の万全の状態を知らないのなら、万全の状態に巻き戻すことは出来ない。
だから、ドランさんのレベルに干渉出来なかったのは、僕がレベル1に巻き戻そうとしたからだ。レベル1の時点のドランさんを知らない以上、僕はドランさんのレベルを1に巻き戻すことは出来ない。
つまり逆を言えば、ドランさんのレベルを巻き戻す場合、僕が知っているバルドゥル戦の前のレベルまでは巻き戻せる訳だ。
「まぁそういう訳で、僕の『初心渡り』で巻き戻せるのは、僕が過去に見たことがある物且つ、見た事のある状態まで、僕の知らない状態に巻き戻すことは出来ないんだよ」
「……なるほどな、しかも1回の発動で1つの対象のみ。かなり使い勝手が悪そうだな」
「使いこなせれば大きな力になるさ」
それこそ、この『初心渡り』は魔王の右腕を切り落とす事が出来た要因でもあるんだから。
「それじゃあ、魔王との一騎打ち……あの時も、その『初心渡り』で何か巻き戻したんだな?」
「うん、あの時は世界中の時間を巻き戻した」
「なっ……!?」
そう、あの時僕は、この世界の時間の流れを巻き戻した。どうやら時間を巻き戻した場合、使用者である僕自身は巻き戻しの対象から外れるらしい。だから、魔王があの一騎打ちの提案をして来た時、密かに10秒巻き戻した。すると、魔王やレイラちゃん達はそれに一切気が付かなかった。そして、魔王は同じ提案をして来たし、レイラちゃん達は同じ様に心配そうな表情で僕を見た。
それを経験して、僕は1つの初見殺しの必勝法を思い付いた。
一瞬を、巻き戻し続けたんだ。時間を一瞬巻き戻し、一瞬進んだらまた巻き戻し、それを繰り返し続けた。するとどうなる? 巻き戻しに気が付かない魔王達は、巻き戻しの対象外の僕から見れば止まっている様に見える。
時間停止を擬似的にやってのけたんだ。そして僕は時間の巻き戻しが連続して行使され、擬似的に時間の止まった世界で魔王の背後を取り、その右腕を斬り落としたと同時に『初心渡り』を解除した。
故に、魔王は僕が消えたように映っただろうし、右腕を斬り落としたことにも気付かなかったという訳だ。
「といっても、僕が時間を止めてられるのはほんの3秒程度だけどね。それ以上やると、巻き戻される時間に逆らってるからか、身体に激痛が走るんだよね。魔王戦の時も実は結構足にキてた」
『痛覚無効』では打ち消せない痛み。
物理的な、また魔法的な痛みではなく、これ以上の行使は出来ませんよ、という固有スキルの副作用というか、無視出来ない負荷が感じさせる、概念的な痛みなんだと思う。
だから僕の『痛覚無効』では打ち消せなかったという訳だ。正直、好き好んでやろうとは思わないね、今後も戦闘で使おうとは思わない。だって痛いし。
「……むぅ」
「どうしたのリーシェちゃん?」
「……きつねもレイラも、ちょっと成長速度が早過ぎ……ずるい」
「拗ねないでよ、少なくともリーシェちゃんだって強くなってるじゃないか。正直、僕は君がドランさんに勝つとは思ってなかったんだよ?」
「……ずるい」
ああ、リーシェちゃんが拗ねた。
頬を膨らませて、まるで子供の様だ。まぁ僕はちょっと『初心渡り』で成長しまくってたし、レイラちゃんに関しては地のポテンシャルが高いんだ。リーシェちゃんがそう言うのも仕方のないことだろう。
でも、ちょっと置き去りにし過ぎたかも知れない。仲間なのに、此処までステータスに差が出来るとちょっと嫉妬してしまうのは当然だよね。
「……レイラちゃん」
「?」
僕は、リーシェちゃんに聞こえない様に、レイラちゃんに話し掛ける。すると、レイラちゃんは首を傾げて、耳を寄せた。
「リーシェちゃんの為にも、この先戦闘はちょっと手加減しよう」
「あ、うん♪」
リーシェちゃんの機嫌が直ったのは、それからしばらく後のことだ。
とりあえず、これからしばらくは『初心渡り』でレベル1に戻すのは控えようと決めた僕だった。
初心渡り、何でもかんでも巻き戻せるチート能力、という訳にはいきませんでした。あと使い過ぎると、時間の巻き戻しに限らず激痛走ります。