立ち止まれた臆病者
復讐は、俺の生きる理由だった。
3年前の今頃、俺はとある片田舎の小さな村で、夫婦睦まじく……というかは分からないが、それなりに仲良く、そして凄い幸せな日々を送っていた。
妻の名前はミシェル。気が強く、そして優しい女だった。
容姿は特筆して可愛いわけではなかったけれど、村の中では人気があり、アイツにプロポーズしてオーケーを貰った時には思わず大声を上げてしまったほどだ。頬を赤らめながら、好きだと言ってくれるアイツの顔は、世界で1番可愛いとさえ思ったさ。
結婚の儀を取り行う時は、村の全員が祝ってくれた。涙を滲ませて手を叩く友人や、茶々を入れてくる女。どいつも馬鹿ばかりだったが、最高の友人達だと思ったよ。
でも、幸せは長続きしなかった。
その日は、村の男衆の何人かで狩りに出ていた日だった。
少し遠出で、獲物も多く狩れたことから、俺も含めて全員が大喜び。あたかも勇者の凱旋とばかりに村へと戻っていた。
そして、狩りに出ていた数名の男衆が見たのは―――
「―――♪ ―――♡」
ぐちゃ、ぐちゃり、と生々しく、肉を食い千切る音を響かせて、燃え盛る村の中心で村人の1人を喰い散らかしている途中の、真っ黒な化け物だった。
噴き出す様な漆黒の瘴気、その中心に爛々と輝く赤い瞳。
一目で分かった。アレは、世界でも有名な天災級の魔族……『赤い夜』だと。
そして、次の瞬間俺は身体の芯から湧き上がる様な不安と焦燥心に駆られた。
「……ミシェル……ミシェル!!」
俺の妻は無事なのか?
それが真っ先に浮かんだ。自然と駆け出した俺の足。向かった先は、俺とミシェルが住まう小さな家。燃え盛る炎は村中に広がり、そしてその炎は全ての家を燃やしている。俺達の家も例には漏れない。
そして、その燃え盛る家の前で立ち尽くしているミシェルの姿を見た瞬間、俺はドッと脱力した。生きている、それだけで俺はこの惨劇を惨劇と思うことはなかった。我ながら、自分だけ良ければいいのかと思う程に自分勝手であったけれど、そう思えたんだ。
「……ドラン……皆……皆死んじゃったよ……オヨッチも、ロココも……皆、皆……!!」
「ミシェル……!」
俺に気が付いたミシェルは、ボロボロと涙を流してそう言った。俺は炎の中、彼女を抱きしめた。
煤塗れの顔は涙でぐちゃぐちゃになり、抱き締めた俺の服をじわりと濡らす。普段は気の強かった彼女も、この惨劇を目の当たりにしてはか弱く泣くことしか出来ない様だった。
そして、俺は考える。抱き締めながら、考える。
遠くから聞こえて来た、男衆の誰かの叫び声。俺は奴に気付かれる前に駆け出し、此処へやって来たから無事だったが、置いて来た男衆は奴に気付かれたらしい。心が痛む、だが俺は怖いくらいに冷静だった。
「ミシェル……逃げよう……アレは立ち向かっちゃ駄目だ、この村から出て……別の場所でまたやりなおそう……!」
「ドラン……でも、此処は私達の生まれた故郷なのよ……! 皆死んじゃった……私だけ生き延びるなんて……!」
「それでも俺は! お前にだけは……生きて欲しいんだよ……俺のことを恨んでも構わない、一生口を利かなくたっていいから……! 逃げてくれよ……!」
故郷を想い、人を思いやれるミシェルは、ここから逃げることに乗り気ではなかった。けど、その気持ちは俺にも分かるし、自分1人だけ生き延びろと言っているのだからそれも仕方ないと思う。
でも、それでも俺はミシェルに生きて欲しかった。嫌われても、恨まれても、生きて欲しかった。
そして、ミシェルに俺の言葉が届いたのか、彼女は歯を食いしばりながら、涙をより一層溢れさせて、ミシェルはこくりと頷いた。
分かってくれたかと、俺は安心する。こんな状況下で、ふっと笑みが漏れた。
―――これで、ミシェルだけでも生き延びられる。
そう安心した。して、しまった……。
「っ! ドラン!!」
「なっ―――!?」
ミシェルは俺の背後を見ると、顔を青褪めさせながら俺の身体を押し退け、前に出る。
そして―――背後に迫っていた『赤い夜』の手によって、その華奢な身体を引き裂かれた。
目の前の光景が、時間が遅く進んでいる様にゆっくりに見えた。肩から腰まで爪で引き裂かれた様な大きな傷を負ったミシェル。大量の血を噴き出しながら、攻撃の衝撃で俺の方へと吹き飛んでくる。
そして、ミシェルの顔が俺の方を向いた。彼女は自分が怪我を負ったというのに、笑っていた。笑って、俺も見ていた。
「ド……ラン…………大好き……!」
時の流れが遅い光景の中、その言葉だけがはっきり聞こえた。
それは、ミシェルの命が終わる感覚。俺の目の前で、ミシェルの瞳から光が消え、脱力した俺の身体にぶつかり、押し倒すようにして俺の上に倒れる。
俺の身体も地面に倒れ、服越しに伝わるミシェルの体温がどんどん無くなっていくのが分かった。
やめろ、やめてくれ……消えるな、駄目だ、消えるな消えるな、死ぬな、頼むから、頼むから俺の……俺の大事なモンを……奪わないでくれ……!
倒れた俺は、燃え盛る火が生み出す黒い煙で澱んだ空を見上げながら、眼を見開いてそう祈った。倒れた状態で、動けなかった。ただただ、茫然と現実を受け入れられなかった。
「―――♪ ――――☆」
だが、俺の視界の端で、黒い瘴気の怪物が、俺の身体に覆いかぶさっているミシェルの身体を喰らうのが見えた。
やめろ、喰うな、俺の大事な、何を、やめろ、違う、こんなの違う、やめろ、やめてくれよ……!!!
内心で、やめてくれと何度も叫んだ。
でも、俺の身体は動かない。間近に居た瘴気の怪物の赤い瞳に、俺の身体は恐怖に竦んで動けなかったんだ。戦う力も、護るべきものもなくなった今の俺に、この怪物に立ち向かうだけの勇気はなかった。
そして、
「ァ……ァ゛―――――――――――!!!!」
声にならない叫び声をあげた。ぐちゃぐちゃと肉を喰らう音の響く中、俺は空気が漏れ出る音の様に掠れた叫び声で、現実に絶望した。世界に絶望した。最愛の人間を失った俺は、全てに絶望した。
そして、力なく脱力し、ミシェルの身体を喰らう怪物が、俺の命を掻き消してくれるのを待った。
せめて、最愛の人と共に……ここで死にたかった。
だというのに―――!!
あの怪物が、俺を喰らうことはなかった。
満足した様に身体を震わせると、食べ掛けの状態でミシェルを放し、その場を去った。俺は、ミシェルに護られて、無様に生き延びたんだ。
生き延びちまったんだ……!!
「う……ァ……ひぐっ……うああああああああああああああああ゛あ゛あ゛!!!!!」
今度こそ、俺は叫び声を上げた。
涙を流し、燃え盛る村の中で、子供の様に泣き声を上げた。血塗れの肉塊になってしまったミシェルの亡骸を抱き締めて、俺は何故自分が生き延びてしまったのかと、世界に、神に、怒りを覚えた。
「何故だ! 何故俺を生かしたのだ!? 俺は、ミシェルと共に死んでしまいたかったのに!!」
叫ぶ。変わらない現実を前に、俺は叫んだ。喉が張り裂ける程、叫んだ。
後悔、悲嘆、憤怒、喪失感、様々な感情が胸中で渦巻いて、俺の頭の中を掻き乱す。狂気に身を任せ、もう全てを投げ打ってしまいたくなった。
「ぢ……ぐ……しょ……ぉ……!!」
枯れてしまった声で、呻くように俺は―――そう言って、気を失った。
◇
そして、眼を覚ました時。村は燃え尽き、青々とした晴天の空が視界に入って来た。
俺は全てを思い出し、自分が抱き締めていたミシェルの亡骸を丁寧に横に寝かせると、立ち上がって村を見渡す。
燃え落ち、全てが炎に飲み込まれて消えた村の残骸と、喰い散らかされた村人の無残な遺体。生きている者は、俺だけだった。
「……は……ァ……」
何かを喋ろうとして、俺は自分の喉が枯れていることを思い出し、止めた。
茫然自失、俺はそれからふらふらと動き出し、気が付いた時には大量の墓の前で座り込んでいた。
日が暮れている。どうやら俺は無意識に全員分の墓を作っていたらしい。目の前にある墓は、きっとミシェルの墓なんだろう。どれが誰の墓なのか分からないけれど、なんとなく、目の前にある墓はミシェルの物だと分かった。
「……」
無言だった。俺は何も考えず、ミシェルの墓の前で、ただただあの惨劇を思い出していた。
瘴気の怪物、死んだ友人、燃え盛る村、俺を護ったミシェル、そして生き残った俺。繰り返し思い出し、そしてふつふつと湧き上がってきたのは、あの瘴気の怪物に対する憎悪と怒り。
そしてその時から、俺はあの『赤い夜』への復讐を誓った。
今でも、昨日のことの様に思い出せる。あの時の怒りを、あの日の屈辱を。
「―――ろす……ぜっ……ぁいに……殺し……ぇ……やる……!」
生まれた憎悪は、加速して、俺の頭の中を赤く染め上げる。その赤すら憎かったけれど、俺はその真っ赤に染まった思考に感謝した。
これで、嫌でも忘れずに済む。待っていろ、『赤い夜』……必ずお前を殺してやる……!!
◇ ◇ ◇
―――そして時は現在に戻る。
きつねに言われた事が、今も胸に突き刺さっている。
3年前からずっと真っ赤に染まっていた思考は、今では燃え尽きた様に真っ白だった。
「……絶対に殺すって……思って来たのになぁ……」
宿の廊下で立ち尽くし、俺は頭を抱えて溜め息を吐いた。
レイラ・ヴァーミリオン。あの日の『赤い夜』張本人、最悪の悪魔。
俺は、あの化け物が目の前に居ると分かって、バルドゥルとの戦いを終えた後、すぐに斬りかかろうとした。殺してやろうとした。剣を抜いて、さぁ復讐の時は今だ、と思った。
なのに、きつねに駆け寄って、普通の少女の様に、恋する乙女の様に、幸せそうな笑顔を浮かべるあの悪魔を見て、俺は動けなかった。
無論、なんで俺は最愛の人を失ったのに、お前は幸せそうなんだと思った。頭に血が上るのとは裏腹に、こうも思ったんだ。
―――俺のやろうとしていることは、俺がやられたことと一緒なんじゃないか?
だとすれば、あの悪魔と俺に、何の違いがある。
俺は、復讐の為に費やしてきた3年間を思い出す。
「……空っぽだ……俺の3年間……何処に価値があるってんだ……!」
思い出せなかった。ただひたすらに、何かを殺す為の技術を磨いて、武器を磨いて、実力を付けて、冒険者が聞いて呆れる。『自由』じゃないじゃないか。
復讐に囚われて、自分の殻に閉じ籠って、一体俺の今までになんの価値があったんだ。
きつねに言われたことは、全部的を射ていた。俺は復讐が出来なかったんだ、怖気付いて、ミシェル達を殺された恨みを持ちながら、あの日と同じで動けなかったんだ。
「あの日となにも変わらねぇ……俺は、弱いままだ」
呟いて、歯噛みする。
だから止めて欲しかった。復讐を止める理由が欲しかった。俺が怖気付いたんじゃなく、きつねが俺を説得したから、復讐を止めたんだという理由が欲しかった。
そうでないと、俺はただの臆病者に成り下がってしまうから。
でも、きつねはそんな俺の考えを全て見抜いた。見抜いた上で、同情もせず、感傷もなく、そこにきつねとドランの関係を持ちこまず、ただ現実を突き付けて来た。
俺を臆病者だと、突き付けて来た。
「……きつね……お前もあるのか? 大事な奴を、失ったことが……」
だとしたら、お前は辛くないのか? 悔しくないのか? 苦しくないのか? なんでそんな風に笑って居られるんだ? 現実は非情で、残酷なのに、どうしてそんなに強く在れるんだ?
「……明日、また来る」
多分、聞こえてはいないだろうけれど、俺はそう言ってその場を後にする。
明日、俺の3年間に終止符を打とう。レイラ・ヴァーミリオンに全てを話そう。真正面から、ぶつかろう。どうなるかは分からない。でも、全てに決着を付けなければならない。そうしないと、ミシェルにも、村の奴らにも、何より俺にも、けじめが付かない。
―――終わりにしよう。
だが別に許す訳じゃない。恨みが無くなる訳じゃない。憎悪が消える訳じゃない。怒りが収まる訳じゃない。
それでも、ミシェルが返って来る訳じゃない。村が元に戻る訳じゃない。3年間が戻って来る訳じゃないんだ。
「悪いなミシェル……嫌ってくれても良い。俺は臆病者だ……」
自分への嫌悪と、罪悪感を背負いながら、俺はそう呟いた。
これで終わりと思うなよ......!!