♯32 その目で見ない事には
カチャン、
と音がしてダグの仮面にグラスがぶつかる。やや遅れて中のジュースもかかる。
マルタはダグが庇ってくれたので何の被害もなかったが、ダグは大丈夫だろうかと見上げると、彼の顔からスルリと仮面が外れ、少し遅れて帽子も地面に落ちた。
そこで現れるのは骨の顔。マルタの見慣れたガイコツのダグの顔だ。それが太陽の日差しの下に晒される。
一瞬、ギブソンの口の端が上がったのが見えた。
「あらま、これは良い香りだなぁ。あとでちゃんと飲も」
「あ、私も私も。それはさておきハンカチです」
「ありがと、マルタ」
しかし、それだけだ。
マルタがハンカチを差し出せば、ダグはにっこり笑って受け取って顔を拭いた。
するとギブソンの顔にたらり、と冷や汗が流れる。
「――――何故」
無意識にと言った様子で、ギブソンがそう呟いた。
その声は気付けば静かになっていた庭園でよく響く。
「おや、何か不思議でしたか?」
そんな彼に向かってダグは言う。
「い、いえ、そんな……その、驚いてしまってつい……」
「アハ。いいですよ、慣れていますから」
「あら、でもダグ。驚きや言い訳の方が、謝罪より先に出て来る事が私には不思議ですよ」
ダグは笑い、マルタがそうツッコミをいれると、ギブソンはようやく自分の状況を思い出したのか、ハッとした顔になった。
「た、大変失礼しました。躓いてしまって……あの、お怪我はありませんか?」
「服にダメージがあったくらいですね」
「そ、そうですか。……ええと、あの。だ、大丈夫なのですか、その……お身体は……」
ギブソンはちらちらと、太陽に晒されたダグのガイコツの身体を見て聞いて来る。
ダグは太陽の日差しに弱い――と見せかけていたラズの天恵は今使われていない。だから白い煙も上がらない。
ダグの身体の事情を知らされていない参加者の一部も目を丸くしていたが、それでも「なるほど、大丈夫なのか」くらいの反応だ。
今ここでしどろもどろになるくらい驚いているのはギブソン・ローレルだけである。
「平気ですよ。意外でしたか? それとも――――」
ダグは少し間を空けて、
「叔父から聞いていた話と違う?」
ギブソンの目を見て言うと、彼はその細目を見開いた。
そしてサッと青褪める。
違和感こそ感じていただろうが、ここではっきりとはめられた事を実感したのだろう。
ぎょっとした様子でギブソンは周囲に視線を走らせ、そして、一部の者達から冷ややかな目で自分が見られている事に気が付いたようだった。
「……は、ハハ。何の冗談ですか。私がカイさんから何を聞いたと? 太陽の日差しに弱いという事は、皆様知っているでしょう?」
「おや、俺は太陽の日差しとは言っていませんけれどね」
「状況的に見ればそうでしょう」
旗色が悪くなってきた事を察したのか、ギブソンの声が少々険のあるものへと変わって来た。
取り繕おうとしてボロが出るくらいには焦っているようだ。
マルタはにこりと微笑む。
「先程は驚いたと仰っていましたが、見た瞬間に判断が出来たのですね。それで最初に出て来た言葉が『何故』だった、と。状況的にそれは少々無理がある」
「…………」
ギブソンは考えるように視線を彷徨わせる。
ほんの少し間の後、彼は胸に手を当てた。
「私は……実は、その」
「はい」
「頼まれて、いたのです」
そして絞り出すような声でそう言った。どうやらまだ白を切るようだ。
ふむ、と思いながらマルタが見ている前で、彼はさも苦しげな風を装っていた。
「頼まれた? 誰にです?」
「カイさんにです」
「はあ、叔父ですか」
「ええ。自分の息子を領主にするために、あなたが邪魔だと。消す手伝いをしてくれと。――――そうですよね、ラズさん?」
そう言ってギブソンはラズへ話を振る。
ラズは静かにギブソンを見つめていた。
ここで初めて諸々の事実が判明していれば、ギブソンの揺さぶりも効いたかもしれない。だが、あいにくとマルタ達はすでに事情を知っている。
しかし、そうとは知らないギブソンはさらに言葉を重ねる。
「あなたも協力していたではないですか。知らないとは言わせませんよ」
「……そうですね。そうするようにと、俺は父に脅されましたから」
「脅し? ハハハ、何を。脅しも何も、あなたはご自分でそうしようと選んだではありませんか。私だけに罪を被せて、今更逃げようなんて虫の良い話がありますか? ねぇ?」
……本当に演技が上手い。
ギブソンの言動を眺めながらマルタはそう思った。
たぶん、何の情報も得られていないままだったり、天恵が働かなかったりしたら、騙されていただろう。
それに以前のラズであれば彼の言葉に口を噤んだかもしれない。
(もちろんミゲルさんの事を知られたくないとラズさんが思っている――という前提でなら、ですけれど)
ギブソンはそれを理由に言いくるめようとしているのだろう。
けれどもラズは焦らないし、ギブソンの言葉に動揺もしない。
何故――そんな心の声が聞こえて来るかのように、ギブソンは目に見えて焦り始めた。
「……ラズさんっ?」
「そうですね。あなたがある人間を唆した事がきっかけで、俺は、父の悪だくみを手伝うはめになった」
「唆した? 私が? 御冗談を……」
「エール商会の人間ですよ。覚えていませんか、ギブソン・ローレルさん」
「はて、何の事やら……」
あくまで白を切ろうとするギブソンに、ラズは目を細くする。にこりと笑みを深めれば、その顔はまさに捕食者のようだ。
「エール商会に確認を取りましたよ。あなたがその従業員の身元を問い合わせたのをね。あの商会は真面目だ。そしてその従業員も真面目にこつこつ働いていた。だから、商会は不審に思ったそれをちゃんと記録に残してくれていた。記録の写しもすでにいただいており、然るべきところへ提出もしています」
「何――」
「フフ、リブロ辺境伯領に配達に行っているのは誰か、なんて問い合わせ――よほど奇妙に聞こえたのでしょうね。いくら『良くしてもらったからお礼を言いたい』なんて建前でも」
そしてラズはそう続けた。
おや、とマルタが思ってダグを見上げれば「この間の夜会の時にね。……俺の父さんと母さんが、あっちで手を回してくれていたらしい」と答えてくれた。
そう言えばラズが情報収集に出かけていたのを思い出す。どうやらエール商会の話をしに行っていたようだ。
……それはそうと、もう一つとても気になる事を言われた気がする。
「お義父様とお義母様、見つかったんですか!?」
「うん。どうもさ、これを調べに行っていたらしいよ。だからまだあっちにいる」
「あらまあ」
苦笑するダグにマルタもぽかんとしていると。
「あらあら、興味深いお話ですね。詳しく聞かせてくださるかしら?」
そのタイミングでメアリー王妃が護衛を連れてやって来た。
「ギブソン・ローレルはエール商会の人間を利用して、リブロ辺境伯の暗殺を企んでいたのです」
「冤罪です! 私は、そんな……そんな恐ろしい事を企んでなどおりません!」
「でも実際に、あなたは今、ダグさんに危害を加えようとしていたのではなくって?」
「それは……頼まれて……」
圧を感じるようなメアリー王妃の笑顔に、ギブソンはしどろもどろになり始める。
ふむふむ、と思いながらマルタは口を開いた。
「いつですか?」
「え?」
「いつ、頼まれたのですか? ずっと前?」
「――――!」
マルタがそう言うとギブソンが目を見開いた。糸目のそれがギラリと輝いたように見えた。
「八日前です! ええ、その時に頼まれたのですよ!」
ギブソンは堂々とそう言い放った。
釣れた、とマルタは思った。
その答えにダグの口元がニッと上がる。
「八日前ですか? 確かに?」
「ええ、そうですとも! リブロ辺境伯領の喫茶店で、何なら、店に問い合わせて貰えれば――」
「なるほど、なるほど。……ですが、おかしいですね」
「何がです?」
「八日前であったなら、すでにカイ・リブロは、領主夫妻の殺人未遂の現行犯で捕らえておりますが?」
「――――は?」
勢いを取り戻したかのようなギブソンは、ダグの言葉にぴしりと固まった。
「な、何を……」
「それこそうちの記録を見ますか? 余罪もあったので、ずっと心配してくださっていたカルム陛下にもご相談させていただいておりますし」
「…………」
ぱくぱく、とギブソンの口が魚のように動く。
「なら、私が会ったのは――」
「ですが、まぁ、言った言わないは証拠になりませんけれどね」
「そ、そうですとも! 実際にその目で見ない事には、何も――――あっ」
そこまで言ってギブソンは口を押えた。
しかしもう遅い。出てしまった言葉は取り消す事は出来ない。
にこり、とダグは笑みを深める。
「ええ。実際に目で見ないとね。あなたがこの場で、俺の仮面の下を、太陽の日差しに晒そうとしたように」
「…………っ」
ダグの言葉にギブソンは、ふらふらと一歩、二歩、後ずさり、そして。
膝の力が抜けたのか、その場にへたり込んだ。




