首飾りを差し出せ(終)
昼前に離れの戸が叩かれた。
マグダが出ると、戸口に年老いた侍従が立っていた。きのうの朝、回廊で指輪を外していた老侍従だった。両手で、小さな布の包みを捧げ持っていた。
「王女殿下にこれを」
老侍従はマグダに包みを渡すと、深く頭を下げた。台所の奥にいるオルティーネのほうへも、もう一度頭を下げた。顔を上げたとき、その薬指には、細い銀の指輪がはまっていた。関節のところで、指が少し赤くなっていた。
「家内が、生きていたころに作っておりました。冬になると、毎年」
老侍従はそれだけ言って、帰っていった。
包みを開くと、干したりんごの薄切りがきれいに重ねて入っていた。一枚一枚が、向こうが透けるほど薄い。端があめ色に光っていた。
「わたし、何かお礼をいただくようなこと、したかしら」
オルティーネが言うと、マグダは包みを見下ろしたまま、ぽつりと言った。
「指輪が戻ったんですもの」
オルティーネは干したりんごを一枚つまんで、窓の光に透かした。
薄い果肉の向こうに、王宮の中庭がぼんやりとあめ色に見えた。
◇
昼すぎ、離れの台所の食卓でファルは帳面を閉じた。
宝物方の返却の控えだった。集めた品を一つずつ、持ち主の名前と照らし合わせて、返したかどうかを書きつけていく。ゲルダに頼まれて、ファルが朝から写しを作っていたのだ。紫の文官の服を着ていると、そういう仕事も頼まれるらしかった。
「全部返した」
ファルは言った。
「二十三箱。三百十二品。持ち主の分からない品が四つあったが、宝物方の頭が持ち主を探してくれた」
「ゲルダが?」
「宝物方の頭は、王宮の品をほとんど全部覚えている。四つのうち三つは、品を見ただけで持ち主の名前を言った。残る一つも控えと照らし合わせて、つい先ほど返し終えた」
それからファルは懐から小さな布の切れ端を取り出した。
黄みがかった麻布の片割れだった。王家の紋の半分と、裏に「持ち主の許しなく」の墨書き。ゆうべ、マグダが目録の紐に結んだほうだった。
「宝物方の頭から預かってきた」
オルティーネは目を丸くした。
「ゲルダが?」
「検分のあと、目録を片付けるときに結び目からほどいたらしい。俺を呼んで、これを渡して、こう言った」
ファルは少し声を低くした。ゲルダの乾いた声を、まねしているつもりらしかった。少しも似ていなかった。
「書き役の方。この布は、あなたが籠から拾っていかれたものでございましょう。目録の結び目に、見覚えのある布が下がっておりました。どなたがどこで二つに切られたかは、年寄りには分かりかねます。ただ、先代の王妃さまの札でございます。できましたら、二つそろえて、三番の箱へ戻していただきたく」
オルティーネは片割れを受け取った。
「……全部、ばれてるの?」
「分からない。宝物方の頭はそれきり何も聞かなかった」
ファルは首を横に振った。
「ただ、目録の結び目のことは、陛下にも、若い者たちにも言わなかったそうだ」
オルティーネは裁縫箱の底から、もう片方の片割れを取り出した。ゆうべ、儀式のあいだ右手に握っていたほうだった。
二つを食卓の上で並べた。
炎の上に冠の紋が真ん中の裂け目をはさんで、もとの形に戻った。裏の墨書きもつながった。持ち主の許しなく、開くべからず。
オルティーネは裁縫箱から一番細い針と黄みがかった白い糸を出した。
裂け目の両側を合わせて、針を通した。一針ずつ、布目を拾うように細かく縫った。紋の縫い取りの糸を傷つけないように、そこだけは糸の下をくぐらせた。ファルは食卓の向かいで、その手元を黙って見ていた。
縫い終わると、裂け目はほとんど見えなくなった。指でなぞると、細い縫い目の盛り上がりが、紋の真ん中を縦に一本走っているのが分かるだけだった。
「これ、ゲルダに返してくれる?」
「返す」
「三番の箱、また中身がなくなったんでしょう」
「品はすべて返したから何も入っていない」
「じゃあ、先代の王妃さまの箱に戻るのね」
オルティーネは縫い合わせた札をファルに渡した。ファルはそれを両手で受け取って、ていねいに懐へしまった。
それからオルティーネは首飾りの留め金を確かめた。
黒ずんだ銀の小さな留め金だった。細い輪に、小さなかぎを引っかける形をしている。オルティーネはかぎを輪に掛けて、外して、また掛けた。輪のつなぎ目が、少しだけ開きかけていた。きのう、自分で緩んでいると言ったのは、ゲルダに首飾りを返してもらうための口実だった。口実のつもりだったのに、本当に緩んでいた。
オルティーネは裁縫箱から細いやっとこを出して、輪のつなぎ目をそっと締めた。
もう一度、かぎを掛けた。今度は、かちりと音がした。
「あの指が留めてたのも、この留め金ね」
オルティーネは首飾りを持ち上げて、窓の光に透かした。
「ひび割れた指だったわ。爪が短くて。きっと、毎日なにか手を使う仕事をしてた人」
ファルは何も言わなかった。
オルティーネは首飾りを首にかけて、自分の手で留め金を留めた。留め金は、うなじのところで小さくかちりと鳴った。
「もう外さない」
オルティーネは胸元の石を服の内側に落としこんだ。
「お風呂のときだけは外すけど。それ以外はずっと着けてる。寝るときも」
ファルはオルティーネの胸元を見て、すぐに目をそらした。
「……そうか」
「ファルさん」
「何だ」
「三日後も見に来るんでしょう」
「来る」
「じゃあ、また何か作っておくわ」
ファルの肩がぴくりと動いた。
それからファルは閉じた帳面の上に両手を重ねて、少しだけ考えるような顔をした。
「……豆の」
「豆の?」
「豆の煮込みが、まだ鍋に残っていた」
オルティーネは、かまどの上の鍋を見た。鍋の底に、二人分には少し足りないくらいの豆が残っていた。マグダの分まで入れたら、きっと誰かが我慢することになる。それから、ファルの顔を見た。
ファルは、まっすぐオルティーネを見ていた。目の奥が、ほんの少しだけ光っていた。
オルティーネは立ち上がって、かまどに薪をくべた。
三日後の鍋には、今日より少し多く豆を入れようと思った。
第2章完結です。
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noteに解説記事も置いてあります:https://note.com/ten_division/n/n804584159471




