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当たらないだけの男

「……いいか」


監督の声は低かった。


「相手は青陵だ。正面からやって勝てる相手じゃない」


誰も、何も言わない。


地区大会三連覇。

ここ数年、一度も負けていない常勝校。


それが相手だ。


「とにかく時間を使え。無理に取りに行くな。全滅さえしなけりゃ上出来だ」


作戦というより、確認だった。

“勝ちに行く試合じゃない”という。


一瞬だけ、視線がこちらに向く。


「……お前も、わかってるな」


短く頷く。


わかっている。


——勝てない。


だから。


体育館の空気が、やけに軽い。


試合前だというのに、緊張感がない。

むしろ、その逆だ。


諦めきったような、乾いた空気。


「相手、青陵だってよ」


その一言で、すべてが決まる。


「終わったな」

「1人も当てられずに終わるんじゃね?」


笑いも起きない。

ただ事実をなぞるだけの声。


コートの向こう側では、青陵の連中が軽くアップをしている。


短い距離で、ボールを回す。


それだけなのに——速い。


空気を裂くような、鋭い音。


「おい」


声をかけられて、視線だけ動かす。


「今日はちゃんと取れよ」


チームメイトが、露骨に顔をしかめていた。


「また避けるとかナシだからな。あれマジで意味ねえから」


反論はしない。


事実だからだ。


ドッジボールで、避けるのは弱い行動だ。

取れなかった奴の逃げ。


攻撃権を捨てる、無意味な選択。


わかってる。


それでも——


「始め!」


審判の声が、体育館に響いた。


空気が変わる。

全員の視線が、ボールに集まる。


——来る。


思った瞬間、もう投げられていた。


速い。

一直線。迷いがない。


青陵のエースだ。


味方の一人が、反応できずに胸に受けた。


「アウト!」


開始数秒。

誰も驚かない。


「次、行くぞ」


青陵の声は冷静だった。

ただ順番に処理していくだけのように。


ボールが回る。


——来る。


今度は、俺。


視線が合う。


右肩が、わずかに下がる。

指のかかり。踏み込み。


一直線じゃない。巻いてくる。


——遅い。


体が勝手に動いた。


半歩だけ、後ろへ。


ボールが頬をかすめる。


「は?」


短い声。


当然だ。

今のは、取る場面だった。


「おい!!」


味方の怒鳴り声。


「なんで避けんだよ!取れよ!」


視線だけ向けると、舌打ちされた。


「マジで使えねえ……」


その間にも、試合は進む。


二人目。

「アウト!」


三人目。

「アウト!」


「残り三分!」


審判の声が響く。


早すぎる。

もう半分以上削られている。


「持たねえって……」


次の瞬間。


また一人、当たる。


「アウト!」


残り二人。


——来る。


避ける。


「残り二分!」


その直後。

最後の一人が、当たった。


「アウト!」


静まり返る。


コートに残ったのは——


俺、一人。


外野の味方が、諦めた顔で言う。


「……終わったな」


青陵の連中が、ボールを回す。


「囲むぞ」


二方向。

挟み撃ち。


逃げ場はない。


——来る。


右。フェイント。

本命は左。


さらに遅れて、もう一球。


普通なら、終わりだ。


——でも。


見える。


ボールが通る“線”が、残る。


踏み込む。


一発目を外す。


反転。


二発目の軌道から外れる。


風だけが、通り過ぎた。


「……いや」


観客席のどこかで、声が漏れる。


「さっきから、一回も当たってなくね?」


「運だろ」

「いや、全部避けてるぞ」


ざわつきが、変わる。


最初は同情だった。


——今は違う。


「なんだあいつ」


「残り一分!」


青陵の連中の動きが、変わる。


速い。

だが——雑だ。


「仕留めろ!」


声が荒くなる。


投げるタイミングが早い。


——崩れてる。


全部、見える。


踏み込む。

ずらす。

消える。


全部、外す。


「……チッ」


エースが舌打ちする。


「残り三十秒!」


包囲が狭まる。


逃げ場は、ない。


それでも。


全部、見える。


青陵のエースが、ボールを握ったまま止まる。


初めてだ。


迷っている。


「……避けてるんじゃねえな」


低く、呟く。


「見えてんのか」


——当たったら、終わるからだ。


あの時みたいに。


「終了!!」


ホイッスルが鳴る。


誰も、すぐには動かなかった。


コートの中央。


一人だけ、立っている。


「……一回も」


観客席の誰かが、呟く。


「当たってない……」


静寂。


その中で、それだけがはっきり響く。


俺は——


当たらない。


試合が終わっても、誰もすぐには動かなかった。


ホイッスルの音だけが、やけに長く残っている。


コートの中央。

まだ、さっきまで立っていた場所を見てしまう。


「……で?」


最初に口を開いたのは、味方だった。


「何なんだよ、あれ」


空気が一気に現実に引き戻される。


「すげえのはわかったよ。でも——」


言葉が詰まる。


代わりに、別のやつが吐き捨てた。


「意味ねえだろ」


視線が集まる。


「お前、1回も取ってねえじゃん」


「攻撃できねえんだよ、こっちは」


「外野回ったら終わりなの、わかってるよな?」


反論は、ない。


全部、その通りだ。


「……」


何も言わない俺に、苛立ちが増す。


「なあ」


一歩、近づいてくる。


「なんで取らねえんだよ」


答えない。


答える理由も、ない。


「……はぁ」


大きくため息が落ちる。


「もういいわ。どうせ勝てねえし」


その言葉で、会話は終わった。


体育館の外。


観客席の近くで、知らない声がする。


「あいつ、一回も当たってなかったぞ」


「運じゃなくね?」

「いや、あれ全部避けてたろ」


「……なんだあれ」


笑い混じりの声じゃない。


純粋な疑問。


「面白いな」


誰かが、そう言った。


「いいか」


監督の声で、現実に戻る。


「結果は見ての通りだ」


短い沈黙。


「——負けだ」


誰も顔を上げない。


「だが」


一拍置く。


「一つだけ、確認しておく」


視線が動く。


今度は、はっきりとこちらに向く。


「生き残るだけじゃ、勝てない」


静かな声だった。


「どれだけ避けても、相手は減らない」


「攻撃できなければ、意味がない」


「……」


わかっている。


そんなことは、最初から。


「お前さ」


声をかけられて、振り返る。


知らない顔。

同じ大会に出ている、別のチームのユニフォーム。


「面白い動きしてたな」


軽く笑っている。


「でもさ」


一歩、距離を詰めてくる。


「お前は何をしたんだ?」


言葉が、やけに正確だった。


「取れないんじゃなくて、取らない」


一瞬、間が空く。


それから、少しだけ口角が上がる。


「キャッチしねえやつは、試合に参加してねえのと同じだ」


視線が、まっすぐ刺さる。


「——で、お前」


ほんの少し、首を傾ける。


「何のためにドッジしてんの?」


何も言わない。


その沈黙が、答えになっている。


「避けてるだけじゃ、終わりだ」


それだけ言って、男は去っていく。


体育館に戻る。


まだ試合は続いている。


別のコートで、ボールが飛ぶ。


——来る。


反射的に、体が動く。


イメージの中で、ボールを避ける。


いつも通りだ。


問題はない。


当たらない。


でも——


その先が、ない。


避けた後、何も起きない。


誰も減らない。


何も変わらない。


「……」


コートの中で、一人残る自分が浮かぶ。


周りは、誰もいない。


外野も、いない。


ただ、避けるだけ。


それで、終わる。


「……」


視線を落とす。


手を見る。


ボールを、持ったことがない手。


「……」


わかっている。


最初から。


でも——


「……避けるだけじゃ、勝てない」


小さく、呟く。


誰にも聞こえない声で。

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