第145話 魂のリペアと、月下の代行
「……水、か」
フィルター越しに聞こえる声は、相変わらず渇きを訴えている。だが、俺の強化された目が捉えているのは、単なる水分不足なんかじゃなかった。
彼らの姿は、まるでノイズの走った映像のようにブレていた。恐怖や痛み、そして長年の絶望によって「自分が誰であったか」という輪郭すら曖昧になっている。名前も、愛する人の顔も、誇りさえも摩耗して、ただ「渇いた何か」になり果てようとしている。
(……これじゃあ、いくら水を飲ませても意味がないな)
底の抜けたバケツに水を注ぐようなもんだ。なら、やるべきことは決まっている。俺は神主でも除霊師でもない。ただの修理屋だ。
「プラン変更だ。ただの給水じゃなくて、大規模な『修復作業』を行う」
《……警告。リペアは物質の構造を復元する魔法です。霊体は非物質であり、物理干渉の対象外です》
リクが即座に正論を返してくる。だが、今の俺には「現場の理屈」がある。
「まあ、そう硬く考えるな。いいかリク、定義を書き換えるんだ。この人たちは幽霊じゃなく、『経年劣化でデータが欠損した3Dモデル』だと思えばいい」
《……3Dモデル、ですか》
「ああ。あちこち穴が開いて、テクスチャが剥がれ落ちてるだけだ。穴が開いてるなら、俺の魔力でパテを盛るみたいに補強してやれるんじゃないか?」
俺の無茶苦茶な理屈に、リクが沈黙する。数秒間、普段ならありえないほどの長い沈黙が流れた。おそらく、俺の暴論を処理するために演算プロセッサが悲鳴を上げているのだろう。
《……論理的飛躍が甚だしすぎます》
やがて、リクが淡々とした、しかし結論を告げる声を出した。
《演算リソースを90%まで割り当て、強引に『物理演算エンジン』を霊的次元に適用します。……極めて非論理的アプローチですが、シミュレーション結果は『成功』。……本当に、太郎さんの発想は私の学習データにはないものです》
「頼りにしてるぜ相棒。せっかく沖縄で拾った力なんだ。ここで綺麗に使って返してやろう」
俺は岩場に立ち上がり、両手を広げた。体の中で渦巻いている龍玉のエネルギー。その膨大な奔流を、指先へ集中させる。イメージするのは、高圧洗浄機のような激流ではない。もっと繊細で、優しい、霧吹きのような微細な粒子。
「『プチウォーター・ミスト』。リペア・バージョンだ」
俺が魔力を解き放つと同時に、崖下の空間が黄金色に染まった。龍玉の生命力を乗せた霧が、静かに、音もなく岩場へと降り注ぐ。
それは、傷を消して「無かったこと」にする魔法ではない。欠けていた手足、ひび割れた記憶、焼かれた心の隙間に、黄金の魔力が流れ込んでいく。
(傷はあんたらの生きた証だ。消すのは無礼ってもんだろ。……ただ、もう痛まないように、しっかり『修理』しとくからな)
バラバラになった陶器を、黄金の漆で繋ぎ合わせ、新たな価値を与える伝統技法「金継ぎ」。俺がやったのは、魂へのそれをイメージした。
やがて、光の霧が晴れていく。そこにはもう、痛々しく歪んでいた『苦悩』の影はなかった。
静寂が満ちる。彼らは一様に、呆然としていた。
子供の手を引く真似をしていた女性は、そっと自分の胸に手を当てた。そこにあったはずの空虚な穴が塞がり、確かな温もりが戻っていることに気づく。彼女の腕の中には、光で象られた我が子がしっかりと抱きしめられていた。南の海を睨んでいた国民服の男は、震える両手を見つめ、そしてゆっくりと涙を流した。痛みは消え、恐怖は去り、ただ「自分」という存在がそこにある。その静かな奇跡に、誰もが言葉を失っていた。
「……ふぅ。とりあえず、応急処置は完了だな」
俺の声に、彼らがハッとしてこちらを向く。俺はアイテムBOXから持ってきていた酒を取り出し、手頃な平たい岩の上にプラスチックのコップをずらりと並べて注いでいった。
「手渡しはできねぇから、ここに並べるぞ。実体は掴めなくても、封を開けて器に注げば、中身は飲めるって聞いたことがある」
俺は国籍も、かつての敵味方も関係なく、全員に行き渡る数を並べ終えると、手で「どうぞ」と示した。
「飲める人は一緒に飲もう。言葉は分からなくても、酒の味は分かるだろ?……あっちの人も、こっちの人も。今日はこれで勘弁してくれ」
彼らは不思議そうに顔を見合わせたが、やがて一人、また一人と岩場の「宴会場」へ近づいてくる。彼らはコップを手に取ることはない。ただ、並べられた酒の上に顔を寄せ、その香りを愛おしそうに深く吸い込んだり、啜るような仕草を見せるだけだ。
だが、その表情は明らかに変化していた。喉が潤い、酒精が体に染み渡った時の、あの安らいだ顔だ。
(……本当に届いてるのか?)
俺は気になって、彼らが口を寄せた後のコップを一つ手に取り、残っている液体を舐めてみた。
「……うわ、まじか」
俺は思わず声を漏らした。水っぽい。いや、味も香りも、アルコールの刺激さえも消え失せている。そこにあるのは、酒の形をした「抜け殻」だけだった。
「へぇ……本当に『味』だけ持っていくんだな。遠慮なくガッツリ頂いたようで何よりだ」
俺はニカっと笑い、自分の分の缶ビールを開けた。
ふと視線を感じて振り返ると、少し離れた岩陰に、軍服がボロボロになった大柄な男の霊が立っていた。彫りの深い顔立ち。かつての敵国の兵士だろう。男は、俺が岩場に置いたコップを、どこか懐かしそうに、それでいて少しだけためらうように見つめている。
俺は苦笑して、手に持っていたオリオンビールの缶を高く掲げた。そして「プハーッ」と、大げさに喉を鳴らして飲む仕草を見せる。
「……毒じゃないよ。仕事終わりの一杯だ。あんたもどうだ?」
男は一瞬きょとんとした顔をしたが、やがてニヤリと豪快に笑った。彼はコップを天にかざし、俺に向かって短く言った。
「……Cheers(乾杯)」
俺も無言で缶を掲げ返す。波音の合間に、カチンと音がした気がした。本来なら、神様の力が宿ったこの酒は、彼らのような霊には刺激が強すぎるのかもしれない。だけど、今はもう大丈夫だ。俺がさっき「金継ぎ」みたいに魂の欠けを埋めて安定させたから、この酒も「毒」じゃなく、乾いた心を潤す「薬」になってくれているはずだ。
月明かりの下、言葉もなく酒を酌み交わす。そこにはもう、憎しみも恐怖もない。ただ、過酷な時代を生き抜いて、疲れ果てた人たちが、ようやく肩の荷を下ろして休んでいる。そんな静かな時間が流れていた。
しばらくして、東の空が少しずつ白み始める気配を感じ、俺はゆっくりと腰を上げた。
「さて。魂のリペア(補修)は、とりあえずこれで完了だ。……もう、どこも痛まないはずだ」
俺が穏やかに告げると、彼らは自分の手足を見つめ、驚いたように顔を見合わせた。 俺は神主でもないし、立派な導師さまでもない。だから、気の利いた「引導」なんて渡せない。だけど、壊れたところは直した。あとは自分の足で、行きたいところへ行けるはずだ。
誰が促したわけでもなかった。子供を抱いた女性が、俺に向かって深々と頭を下げた。すると、彼女の足元から黄金色の光が溢れ出した。
「……あ」
それは消滅じゃない。重い荷物を下ろして、ようやく家路につくような、静かで温かい旅立ちだった。一人、また一人と、彼らは光の粒子となって夜明け前の空へと溶けていく。
俺はそれを、ただ黙って見送った。修理屋として、直したものが本来あるべき場所へ還っていくのを見届けるのは、やっぱり嫌いじゃない。
最後の光が消え、海岸に再び静寂が戻る。
《……報告。龍玉に蓄積されていた魔力を半分以上消費しました。緊急時の予備電源をこれほど使い切るとは。……計算上の収支は、完全な大赤字です》
耳元でリクが、いつもの事務的な、でもどこか呆れたような声を出した。
「いいんだよ、それくらい。バッテリーなんて、また充電すればいいだけだろ?」
俺は空になったビール缶を軽く握りつぶし、大きく息を吐いた。肩の荷が降りたような、心地よい疲労感だ。
「……直れば、また新しい場所ではじまる。……か。あっちでも、うまくやってほしいよな」
俺は夜明けの水平線を見つめながら、独り言のように呟いた。
「ま、俺の旅の思い出には、こんな夜が一つくらいあってもいいだろ? リク」
《……一般人には不可能な思い出作りですが。……ですが、波音の周波数、気温、そして今の太郎さんのスキャン結果。……全てにおいて、良好なバカンスの余韻であると判断を修正します》
「ははっ、ありがとな相棒」
本来ならリゾートホテルで優雅に過ごすはずが、幽霊相手に飲み会をするハメになるとは。だが、不思議と悪い気分じゃない。俺は今、会社に縛られているわけでも、誰かに時間を管理されているわけでもない。予定なんてあってないようなものだ。このままここで朝日を拝むのも一興かもしれない。
《太郎さん》
俺がのんびりと海風に当たっていると、リクがまた事務的なトーンで割り込んできた。
《生体スキャン完了。血中アルコール濃度が基準値を大幅に超過しています。運動機能、および判断能力の低下を確認。……当然ですが、レンタカーの運転は法律により禁止されています》
「……ああ、分かってるよ。このまま運転して帰るほどボケちゃいないさ」
俺は苦笑して、少し離れた場所に停めてあるレンタカーを見やった。さて、どうするか。酔いが醒めるまでここで仮眠を取るか、それとも車は置いてタクシーでも呼ぶか。焦る必要はない。気ままな一人旅だ、どうとでもなる。
《現状における最適解を提案します。……手配完了。これより『運転代行業者』がこちらへ向かいます。到着予定時刻は20分後です》
「代行? ……へぇ、こんな辺鄙な場所でも呼べるのか。さすが沖縄だな」
俺は感心してスマホを取り出した。車の中で縮こまって寝るより、プロに運転してもらって、宿のベッドで泥のように眠る方がよっぽど魅力的だ。
《セルフヒールを発動して、酔いを醒ましますか?》
「いや……今は、このままがいい」
俺は岩場に腰を下ろし直し、夜の海を眺めた。波の音は優しく、酒の余韻は心地よい。 迎えが見えるまで、もう少しだけ、この静かな時間を楽しむとしよう。
※本作はフィクションですが、この地に眠るすべての方々へ、心より安らかな眠りをお祈りいたします。




