第144話 理屈での解決とおっさんの優しさ
「……っつぅー……!おい、マジかよ……!」
耳を塞いでも無駄だった。爪が食い込むほどこめかみを押さえても、この「頭痛」は一向に引く気配がない。昨晩、龍からもらったエネルギーのせいか、あるいはここが「そういう場所」だからか。最強の防御壁を張ったつもりだったが、どうやら俺は、不具合だらけの不良品を掴まされたらしい。
意識がグラグラと揺れる中、そんな俺の窮状を解析するかのように、リクの声がやけにクリアに響いた。
《……推測ですが》
パニックになる俺とは対照的に、リクの声は冷静そのものだった。
《太郎さんが展開したのは『物理音』を遮断する結界です。空気の振動は止まっても、彼らの声は物理音ではありません》
「物理じゃなきゃなんだってんだ!」
《特定の魔力波長による『精神感応』です。念話と同じ原理ですね。コンクリートの壁で、Wi-Fiの電波を遮断しようとしているようなものです》
「電波?じゃあどうすりゃいいんだよ!頭割れるぞ!」
俺はこめかみを強く押さえた。このままだと、せっかくの休暇が頭痛と発狂で終わってしまう。
《解決策を提示します。既存の結界術式に、新たなモジュールを追加する必要があります》
「モジュール!?」
《はい。特定周波数帯域―特に残留思念波に対する『帯域除去フィルタ(バンドストップフィルタ)』を実装し、結界のメッシュ構造に組み込んでください》
「だーかーら!もっと分かりやすく言ってくれ!」
バンドなんとかと言われても、俺にはちんぷんかんぷんだ。俺の悲痛な叫びに、リクが一瞬沈黙する。
《……失礼しました。では、こうイメージしてください。今の結界は『ただの分厚いガラス窓』です。これに『遮光フィルム』……いえ、『ノイズキャンセリング機能』を貼り付けるイメージを持ってください》
「……ノイキャンか。後付けで機能追加しろってことか」
それなら分かる。現場でも、防音シートを追加で貼ることはよくあることだ。
「よし、それならイメージできる」
俺は深呼吸をし、結界を維持したまま意識を集中させた。半透明のドームの表面に、もう一枚、薄い膜を重ねる。ただの膜じゃない。細かい網目状のフィルターだ。
「フィルターは張ったぞ。だが、どれを通せばいい?」
《私がナビゲートします。今、全ての『念』がザルのように通過しています。網目を絞ってください……もっと……特定の『黒い波長』だけが引っかかるように……そうです、もっと絞って》
「くっ……こうか!」
俺は一気に網目を絞った。その瞬間、世界がグルンと回転した。視界が歪み、地面が斜めになったような浮遊感に襲われる。
「うおっ、気持ち悪ッ!?」
《絞りすぎです!平衡感覚を司る信号までカットしています!すぐに戻してください!》
「くそっ、加減がシビアすぎるだろ……!」
俺は脂汗を流しながら、見えないダイヤルをミリ単位で戻していく。締めすぎれば吐き気がするし、緩めれば絶望のノイズが襲ってくる。針の穴を通すような、職人芸の微調整だ。
《そうです。物理的な音は通し、魔力の念だけを弾く。……あと2レベル絞って。……ストップ!そこです!》
カチッ、と頭の中で何かが噛み合う音がした。 その瞬間だった。頭の中で反響していた大音量のノイズが、嘘のようにスッと消え失せた。
「…………」
静寂――いや、完全な無音ではない。ザザァ……と、心地よい波の音が戻ってきている。風の音も聞こえる。ただ、あの悲痛な「声」だけがきれいにカットされていた。
「……ふぅ。やっと静かになった」
俺は額の汗を拭い、大きく息を吐いた。結界は維持されている。空気は美味しいし、波音も聞こえる。目の前の群衆……いや、残留思念たちは、今はただの半透明な影となり、口をパクパクさせているだけに見える。ミュートボタンを押したテレビのようなものだ。
《『魔力フィルタリング』の構築を確認。……お見事です、太郎さん》
「よせよ。リクの分かりやすい説明のおかげだ」
俺は苦笑して、張り詰めていた肩の力を抜いた。さて、これでやっと休憩できる。そう思った矢先、リクから新たな提案が飛んできた。
《提案があります。構築したこのフィルタリング術式を、常時展開している『結界』の方にも追加実装することを推奨します》
「結界に?」
《はい。現在のドーム型結界は『拠点防御用』です。このままでは、移動の際にも結界を維持せねばならず、魔力効率が悪すぎます》
「……あー、なるほど。肌着にもノイキャンをつけろってことか」
俺はリクの言われた通り、体の表面を覆っている魔力の膜に、さっき掴んだ「網目の感覚」を重ね合わせた。馴染むのを確認してから、周囲のドームを解除する。
ヒュウゥゥ……と潮風が直接肌を撫でる。だが、頭を割るようなノイズは戻ってこない。波の音だけが優しく鼓膜を揺らす。完璧だ。
「よし……これでやっと、俺の休日が始まる」
俺は岩場に腰を下ろし、クーラーボックスに手を伸ばした。キンキンに冷えたオリオンビールを取り出す。プシュッ、と小気味よい音が響く。最高の一杯になる……はずだった。
「…………」
俺は口元まで運んだ缶を止めた。音を消し、静寂は手に入れたが……視界までは消していなかった。
岩場に座り込んでいる数十人の「彼ら」が、一斉に俺の手元…冷たい水滴がついたビール缶を凝視していた。
そこには、虚空に手を伸ばし、見えない子供を探す母親がいた。 南の水平線を睨み据え、固まったまま動かない青年がいた。 彼らの瞳は虚ろだが、その奥底には消えない「渇き」と「未練」が澱のように溜まっている。
(……飲みづらい。死ぬほど飲みづらいな、こりゃ)
俺は溜息をつき、ビールを岩の上に置いた。見えてしまった以上、無視して自分だけ喉を潤すなんて芸当は、俺の性分じゃ無理だ。
「おいリク、フィルターの設定を変えるぞ。全カットじゃなくて、ボリュームを絞って『会話』できるレベルに通したい。……どれくらい緩めればいい?」
《……推奨しません。精神負荷が再発するリスクがあります》
「分かってる。だが、このまま睨まれながら飲むのも寝覚めが悪いんだよ。……少しだけでいい。彼らの『言葉』が拾える程度に調整してくれ」
《……了解しました。現在のフィルタ強度から、15%下げてください。網目をわずかに広げるイメージです》
「15%だな。よし」
俺は目を閉じ、肌を覆う結界のイメージに干渉する。きつく締めていた蛇口を、指先ひとつ分だけひねるような、繊細な調整。
カチリ、と感覚が決まった。直後、無音だった世界に、ザラザラとしたノイズ混じりの「声」が流れ込んできた。
――水…… ――……たい……のみたい…… ――あついよぉ……
さっきのような脳を破壊する爆音ではない。まるで遠くのラジオから聞こえてくるような、弱々しく、乾いた訴えだ。
「……やっぱり、そうか」
俺は彼らの姿を見渡した。ボロボロの服。乾いた唇。彼らが求めているのは、俺の命でも、祟ることでもない。ただ、喉が焼けるように渇き、そして心が壊れてしまったまま、立ち止まっているだけだ。
(……はぁ。このまま放っておく訳にはいかねぇよな)
俺は頭をガシガシと掻いた。不思議なもんだ。昔の俺なら、こんな数の幽霊に囲まれたら、悲鳴を上げて逃げ出していただろう。だというのに、今の俺は彼らの『修理』について考え始めている。
「俺の感覚も、ずいぶんと麻痺しちまったもんだな。これだけの怪奇現象を前にして、驚くよりも先に『やれやれ』が出てくるとは」
俺が自嘲気味に呟くと、リクが淡々とツッコミを入れた。
《訂正します。それは『麻痺』ではなく『適応』です。直近で『封印のマジムン』や『龍神』といった特級の高密度エネルギー体に接触しすぎたため、通常の霊体に対する恐怖値がバグっています》
「……辛辣だな」
《不具合を抱えた存在をどうしても見過ごせない……。まさに、修理屋の職業病ですね》
「ほっとけないだけだよ…」
俺は苦笑した。確かに、枕元にドラゴンが置き配していく生活をしていれば、幽霊くらいじゃ動じなくなるか。すっかりこちらの世界に馴染んじまった自分に呆れるばかりだ。
「さて、どうしたもんかな」
俺はぬるくなりかけたビールを片手に、渇きを訴える彼らを見つめた。俺の体の中には、昨晩もらった使い切れないほどの「龍のエネルギー」が渦巻いている。そして目の前には、エネルギー(魂の修復材)を必要としている人たちがいる。
需要と供給は一致している。だが、これは単なる除霊じゃない。バラバラになった彼らの『尊厳』を、もう一度繋ぎ合わせる作業だ。
「……ほんと、どうしようか」
俺は夕暮れの迫る海を見つめながら、修理屋としての次の一手を思案した。




