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11.バース、アシュビー大佐との面会(3)

 サー・ウィリアムにやんわりと勧められ、化粧室を借りて顔をなんとかしてきたセシーリアは、椅子に戻った。

 少し落ち着いたものの、怒りと悲しみでへとへとだ。

 ぬるくなった紅茶を、一息に飲み干してしまった。


 もそもそと、父に問い合わせるのではなく、自分に訊ねてくれて感謝しているとセシーリアは2人に告げた。

 父が経緯を知ったら、必ずセシーリアと同じ結論にたどりついたはずだ。

 愛するカサンドラが妹にこんな非道をしていたと知ったら、父はさぞやショックを受けただろう。

 ヘンリーとサー・ウィリアムが、代わる代わるセシーリアを慰める。


「しかし、このメモが草稿の一部なら、求婚されて、翌日断るという場面になる。

 『高慢と偏見』にそんな場面がありましたか?」


 サー・ウィリアムが首を傾げた。


 現在の『高慢と偏見』では、エリザベスはダーシーに求婚されて、その場で断る。

 上から目線で求婚してくるダーシーの物言いにエリザベスは怒り狂い、その誇り高さと家族への愛情の深さを示すのだ。

 ダーシーは、自分の立場にはエリザベスはふさわしくないと思いつつ、彼女の魅力に負けて求婚したのだが、本当にエリザベスを愛するようになったのは、求婚を断られたこの場面からなのだろうとセシーリアは思う。


「『高慢と偏見』の初稿を、叔母は22歳の時に書き上げました。

 でも、祖父が出版社に送ったら、出版に値しないとすぐに送り返されてます。

 初稿は、今ほど面白い作品ではなかったのです。

 結局、出版されたのは38歳の時。

 叔母は幾度も幾度も改稿して、現在のかたちに仕上げました」


 スピーチのおかげで、叔母の年譜を覚えこんだセシーリアは、すらすらと説明した。


「そして、27歳の時、叔母は親友の弟から求婚されて……一度は受け入れたものの、翌朝、断っています」


「え、求婚!?」


 その話は聞いていなかったのか、ヘンリーが驚く。

 大佐にお会いする何年も前のことですと、セシーリアは苦笑した。


「『高慢と偏見』の大筋は、初稿から固まっていたのだと思います。

 でも、いまのかたちとは違うところが、あちこちにあった。

 初期の草稿では、エリザベスは一度はダーシーの求婚を受けてやはり無理だと断る、そういう展開になっていたのではないでしょうか。

 ですが、実際にほとんど同じ出来事が叔母自身に起きて、書き直さなければならなくなった。

 叔母と、叔母に求婚した方の姉妹は、ずっと友達づきあいをしているんです。

 いくら匿名出版でも、そんないざこざを蒸し返すわけにはいきません。

 それで、エリザベスは翌日ではなくその場で求婚を断ることになり、そんな思い切ったことも出来る女性として、初めて登場する場面から書き換えられて……エリザベスは今のエリザベスになったのでしょう。

 もちろん、周囲の言動も、エリザベスの性格の変更に伴って、すべて見直したはずです」


「そんな風に改稿するものなんですか。

 あんなに長い作品を、細かなところまで書き換えるのは大変な作業だろうに」


 サー・ウィリアムが驚いて言う。


「はい。

 私は『高慢と偏見』の初稿は読んでいませんが、『説得』の初稿は読みました。

 特に終盤は、最終的な原稿とかなり違っていて、より劇的になるようそっくり書き換えられていました。

 大佐がおっしゃった、男性の愛と女性の愛はどちらが長持ちするかという話は、初稿には出てきません」


 セシーリアは、ヘンリーの方に向き直った。


「叔母が、『説得』を書き始めたのは1815年。

 その年の6月にワーテルローの戦いがあり、翌年に『説得』が完成します。

 もしかしたら……叔母は、『説得』を書いているさなかに、新聞かなにかで大佐のお名前をお見かけしたんじゃないでしょうか。

 『説得』を書き始めたとき、叔母の作品はもう出版されていて、特に『高慢と偏見』は好評でした。

 『説得』は、最初から出版するつもりで書かれた作品です。

 それで、もし大佐がこの作品をご覧になることがあったら『私はあなたを忘れていません』と伝えるつもりで、わざと書き加えたのでしょう。

 叔母は、実在する人物や、実際にした会話を小説の中に出すことは、他ではまったくしていないんです。

 なのに、大佐との会話だけ書き込んだのなら、それはたまたま思い出して材料にしたのではなく、大佐へのメッセージとして書いたに違いありません」


 メモはヘンリーへの手紙ではなく、遺作『説得』がヘンリーへの手紙だったのだ。


「ああ、そういうことだったのか」


 ヘンリーの眼に涙が浮かんだ。


「あのままワージングを離れずに、ミス・ジェインに一言、どういうことなのか確かめる勇気が、私にあれば」


「いえ、大佐だけのせいでは。

 叔母だって、なにかにかこつけて手紙をお出しするなり、なんとでもできたはずですから」


 とはいえ、それはジェインには難しかっただろうと、セシーリアは思った。

 急にヘンリーが別れも告げずにワージングを離れたのだから、ヘンリーが不釣り合いな女性を相手に踏み込みすぎたと感じて、距離をとったのだとジェインは推測したはずだ。

 距離を置こうとしている若い男性を深追いするほど、ジェインは愚かではない。


「あの……

 上の叔母、カサンドラはどういたしましょうか」


 セシーリアは、おずおずとヘンリー、そしてサー・ウィリアムに訊ねた。


 さきほどは憤激のあまり、カサンドラをここに連れてきて、勝手にジェインとの仲を引き裂いたことを謝らせると叫んでしまった。

 だが、すべてはセシーリアの推測なのだ。

 仮に、カサンドラが、そんなことは知らないと言いはったら、どうにもできない。

 それに、少し落ち着いてみると、セシーリアはカサンドラが怖くなってきた。

 いくら仲の良い姉妹とはいえ、カサンドラのしたことは度が過ぎている。 

 次にチョートン・コテージを訪れる時、どんな顔をして彼女に会えばいいのだろう。


「いえ、ミス・オースティンにも父上にも、なにかおっしゃる必要はありません。

 この話は、ここだけのことにしましょう。

 すべては終わったことなんですから」


 ヘンリーは首を横に振った。


「ミス・ナイト。

 あなたが、この件を気にされたり、責任を感じる必要はありません。

 そもそも、私は、ミス・ジェインにずっと恋い焦がれていたというわけではない。

 ワージングを離れてから、こういう方と結婚すれば幸せになれるのではないかと思うような素晴らしい女性と、何人か出会いました。

 このまま進めば、結婚することになるのだろうなと思ったこともあります」


 サー・ウィリアムが軽く頷いている。

 アシュビー家から見ても、好ましい女性との出会いもあったようだ。


「ただ、真剣に将来を考えようとすると、『ミス・ジェインは、もっと朗らかに笑っていたな』とか『ミス・ジェインなら、この詩をもっと鋭く評しただろう』とか、余計なことをつい考えてしまった。

 たった数日のつきあいでしたが、ミス・ジェインは、私にとって、女性を測るものさしになったんです。

 彼女は大仰な物言いを嫌っていたから、こんなことを言ったらさぞや笑われたでしょうが……一種の呪いになったと言ってもいい。

 ただ、その呪いは自分で外そうと思えば、いつでも外せるものだった。

 私の人生がこういうことになったのは、叔母上達のせいではありません」


 真剣な話なのに、思わずセシーリアは少し笑ってしまった。


「大佐がジェイン叔母様を深く理解されていたことが、よくわかりました。

 叔母様なら、『自分の存在が呪いになった』だなんて言われたら、たっぷり1時間はからかってきますわ」


「そうそう。

 眼をキラキラさせてね。

 そして、私はごまかそうとしてさらにロクでもないことを口走り、もっともっとからかわれるんだ」


 ヘンリーも声を立てて笑った。


「ミス・ジェインは、魅力的な人だった。

 ほんの数日ばかりのことでしたが、彼女に出会えて……本当に良かった。

 あんな人は、どこにもいない」


 ひとしきり笑いあって、ヘンリーは呟いた

 その眼がまた潤んでいる。


「そうですね。

 私も、叔母の姪に生まれて、本当に良かったと思います」


 セシーリアもしみじみ呟いた。


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