The Assassin
レンの動きは明らかにぎこちなくなっていた。
脚部の痛みによりその速度の活用を大きく制限され、脚部を頻繁に庇いながら重心を傾ける。
運動量を超えた発汗は額を濡らし、歯を食いしばりながら地面に溢れた斑点を数えた。
一転攻勢───
大きく踏み込み、永い防御によりセーブされた体力はリジーの攻撃を怒涛の物にする。
斧を鞘へと戻し、左手に握られたカランビットと、持たざる右拳。
ジャブの要領で小さく、そして連続でカランビットを彼女の眼前へ突き出し続ける。
小さな反撃と抵抗を右手で躱し、受け流し、防ぐ。
ひとつひとつの動作と威力は決して大きくはない。
地を這い、執拗に獲物の喉元を狙う蛇のように小さな打点を蓄積させていく。
最大の一撃より、じわじわと身体を蝕み死に至らしめる毒の如く。
軍役時代に身に着けた祖国の格闘術にシラット格闘を合わせたような彼女の近接戦闘術は、それが最たる特徴であった。
刃先が彼女の身体へと触れる。
衣服を裂き、皮膚へ血を滲ませる。
拳が、肘先が、手刀が、彼女の身体へと触れる。
表層を伝い、骨子を響かせ、鈍痛は表情を歪ませる。
足先が彼女の側頭部へと触れる。
三日月を描くように繰り出された軌道は彼女の重心を大きく傾ける。
その様はまさに、圧倒的であった。
「はぁ……はぁ……うっ………ぐ…」
大粒の涙を溢し、苦痛と憎悪に歪んだ瞳でリジーを睨みつける。
自身の無力を嘆きながら。
目前に涼し気な表情で佇む敵の死を懇願しながら。
身体中を侵食するような痛みに悲痛を叫びながら。
彼女は地に堕ちた。
地面に座り込み、両手をつきながら肩を揺らす。
腕から、足から、胴体から流れた血液はいくつもの小さな水溜りを作り出した。
「立てよ三流。これで終わりじゃねーだろ」
床を金属音が伝った。
崩れ落ちた彼女へと歩み寄り、その1~2mほど手前に転がるククリを蹴る。
それは廊下を滑り、彼女の手の届かぬ壁で止まる。
「レンは……レンは弱くない…」
彼女を煽るリジーに、彼女の呟く声が聞こえた。
その身を震わせ、己に言い聞かせながら、彼女は力なく呟き続ける。
「弱くない…弱くないもん……お荷物でも、バカでもないもん……」
「殺してやる……嫌いだ…おまえなんか…」
よろよろとレンは立ち上がる。
がら空きになった両手で地面を押し、膝に手をつきながらゆっくりと。
そして、ゆっくりとベルトの鞘に収まるナイフを取り出した。
刃渡り10数インチ程、両側にヒルトが飛び出したフルタングのナイフだ。
刃は黒く、ヒルトの片側に作られたリング型の形状はそれが銃剣である事を推測させる。
「いいナイフじゃんか。そっちの方がお前の身の丈にあってるよ」
「賢明な判断だと思うぜあたしは」
先のククリと全長を比較し、皮肉に彼女をあざ笑いながらリジーは告げた。
とはいっても、殺意に理性を無くす彼女がその意味を理解できる筈も無いが。
「殺す!!殺してやる!!!!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!!!!」
殺意に身を委ね、小さな獣は駆け出した。
リジーは声もなく失笑した。
刃が虚空を切り裂く。
互いの得物は互いの身体のすぐ横を斬り、幾度となく繰り出される互いの殴打は受け流され続ける。
そうして打撃戦は終わり、戦いは超至近距離での掴み合いへと変化する。
時折ショートアッパーの要領で小さく拳が振るわれつつも、その重きは如何に相手に絡み、崩し、行動不能へとさせるかに向けられる。
リジーが言ったように、その選択は彼女にとって正解であっただろう。
最初に負った彼女の脚部の大きな裂傷は足へ大きく体重を乗せる事を不可能にした。
それはすなわち、以前のように機械の機能を以て長い距離を飛脚する事が出来なくなったという事。
そして、彼女の得物であったククリのような大振りの得物を振るう為の重心移動もまた同等である。
そこから導き出される選択肢は、小振りの得物による打数を稼ぐ戦闘を行うこと。
この戦いの中でリジーがそれを最も得意だとする事は彼女とて理解していたが、他に余地は無かった。
互いの両腕を、衣服を掴み合う。
その手を払い除け、あるいはさらに己らの腕と足を絡ませ合い、相手の姿勢を崩す事だけを目的とした戦闘は……ある意味で心理戦と呼ぶのが正しいのかも知れない。
矢先。
レンはリジーの胸ぐらを掴む事に成功する。
小さな身長を活かしすぐにその身を丸め、リジーのベクトルを利用して身体を浮かせる。
地面から足を離されたリジーは成す術無く、地面へ向けて身体を落としていく。
……が、その最中でリジーの足は彼女の腕を捕らえた。
足先を絡ませ、意図せずフライングアームバーの形で彼女を拘束し返す。
レンへ預けられていた体重は主導権を取り戻し、今度は逆にその全てが彼女の重心を傾かせる事に利用される。
そうして最初に地へ背中をつけたのはレンの方であった。
リジーはレンの得物を持つ腕を両手で抱え込んだ。
両膝は彼女の眼の前で山を作り、今まさにその腕をレバーのように引こうとしていた。
『腕挫十字固』
アームバーから流れるように繰り出されたそれは、世界の軍事組織における徒手格闘術でも高い実用性を持つ。
それは専ら相手を拘束すること。
そして、相手の腕部を破壊する事において。
レンは己が辿る顛末を予想した。
表情は青ざめ、無慈悲に彼女の腕を折らんと体重をかけるリジーに必死に抵抗しながら。
彼女は叫んだ。
「待って待って待って!!!!おねえちゃん!!!!」
鈍い音が響いた────
関節が本来曲がる筈のない方向へと傾く音。
骨が擦れ、砕け、歪む音。
「ぎゃあああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」
少女の幼い姿からは想像できぬ程、生々しく生物らしい悲鳴だった。
彼女のもう片方の腕と両足が暴れた。
そこに残る深い傷跡を忘れたみたいに激しく。
そして、彼女の下半身にはこれまでとは異なる液体が伝っていた。
暖かく、鼻先に香る刺激臭はリジーの表情を小さく歪ませた。
「う゛ああ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!あああぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!」
そこには、泣きじゃくる年相応の子供の姿だけが残されていた。
顔をくしゃくしゃにして涙を流し続け、深い悲しみに全ての戦闘的行動を停止させた彼女の姿が。
リジーは彼女の手中から得物を抜き取り、離した。
己の衣服や肌にまで伝った体液に不快感を露わにしながら立ち上がる。
そうして拘束から解き放たれたレンはすぐに自身の腕を抱えて蹲った。
「………」
リジーは何も言わなかった。
蹲るレンの背中を見つめ、しかめた表情で佇む。
それが彼女なりの罪悪感故か、はたまた敗北者へ向けた哀愁故なのか、あるいはそれ以外なのかも定かではないが、ただ……彼女は静止していた。
何分かして、ようやく彼女は口を開いた。
「ハッ……まるであたしが悪人みてぇじゃねぇか。お前みたいなガキ泣かして傷だらけにしてさ」
何を思い至ったのか、リジーはそんな感慨を口にした。
彼女より何歳か下であろうレンの年齢と、そんな子供が血だらけになりながら泣きじゃくる構図。
今現在自身を取り巻くそんな構図を俯瞰して彼女は何を思っただろう。
「正義とか悪ってヤツをさ、お前考えたことある?傍から見りゃあさ、だれが見たってあたしが悪人だよな」
「…でもさ、元を正せばお前が吹っ掛けてきた喧嘩だろ?」
「…プッ……アハハハ!!…なんてな、お前見てそんな道徳ってモンを思い出したんだよ」
「笑えるよな。あたしさ、こうして最後になると…ふと思うんだ。あたし達はなんの為に戦ってたんだろうなって」
「……どいつもこいつも自分勝手だぜ、まったく。これからあたしはお前を尋問するし殺しもする。たださ、悪く思わねーでほしいんだ」
「あたしだって地獄には行きたくねえ」
リジーはそんな独り言を彼女に聞かせた。
彼女の耳にそれが届いているかは定かではない。
リジーの言葉が意味すること。
彼女が抱いた心境は、どんなものだったろう。
強いて言うのであれば、彼女は許しを請うているようであった。
祭りは終わり、熱気は冷め、残ったのは変えようのない現実だけ。
後の結末は本来の目的に帰結するばかりだ。
そこで彼女が目にした景色は、この永い日常において異質の物であった事は確かなのだ。
リジーはカランビットを鞘へ収めた。
その右手には代わりに彼女のナイフが握られ、歩みはゆっくりと彼女の元へ向けられる。
その時だった。
再度───
それはきっと、最後───
レンの持つ機械が最期の声を上げた。
リジーの語る間にわずかながら和らいだ苦痛。
小さな心の余裕はレンの意識を呼び覚まし、その全てはただ逃走の選択へ向けられた。
地に向けられた足は蒸気を発する。
超速の瞬発力は一気にレンの身体を宙へと舞い上げ、廊下の端へと飛躍した。
その衝撃に彼女の脚部の傷は断末魔の叫びを上げ、酷い苦痛に表情を歪めるが、そんな事を気にも留めなかった。
この場から逃げ出すため。
結末を変え、その生命を紡ぐため。
敗者としての烙印を刻まれた彼女の最後のチャンスだった。
だが、リジーは許さなかった。
決して、許すことは出来なかった。
己の背に重く伸し掛かる物の為。
全ての現実に背を向けてまで成す物の為。
手中でナイフを回転させ、指先でその刃先をつままれた得物はレンの後を追うように放たれた。
鉄の塊に込められた生の鼓動。
全力の投擲により高速で回転しながら虚空を駆ける。
狙撃手が逃げ惑う標的を予測し、その偏差を補完するように、リジーの放ったナイフは回転数と距離を正確に把握した。
刃先が少女の白い肌に触れる。
肉を掻き分け、ズブズブと斜めに切り込むそれはじわじわと血を滲ませながら体内へと侵入する。
「っ…!!あぐ…っ!!!!」
レンは小さく喘いだ。
唐突に身体へ響く鋭い痛みに。
逃げ切る事を確信していた筈の絶望に。
ナイフはレンの左大腿部を捉えた。
筋肉繊維を切り裂き、逃走行動への制御を崩壊させたそれは彼女の身体を転倒させる。
そうして彼女が再度顔を上げた時、目の前には既にリジーの姿があった。
笑うことも無く、冷徹にその顔を見つめる眼光が。
リジーは右手でレンの胸ぐらを掴み、勢いよく左拳を振り下ろす。
拳が捉えた顎先は大きく揺れ、彼女の口に並ぶ真っ白な歯を飛散させた。
レンの目が虚ろぐ。
焦点を喪った瞳は泳ぎ、衝撃の正体も掴めぬまま混乱状態へと陥った。
レンは力なくうなだれた。
微かに開かれた目はリジーを見つめ。
己の最期を悟りながら無力感にその身を委ねる。
最後に彼女が目にした景色は、斧を振り上げたリジーの姿だった。
「……ハ…全く、何をしてるんだろうね、あたしは…」
座り込み、壁に背を預けるリジーの姿があった。
血に濡れた手を額にやり、やれやれと苦笑する。
空を、否───天井を仰いだ。
音が聴こえる。
近く、あるいは遠く。
誰かが奏でる銃声がひっきりなしに聴こえる。
今も、戦闘が終わった後の何十分間も。
リジーは己のプレキャリに装着されたユーティリティポーチに手を伸ばした。
閉じられたジッパーを開け、中からしわくちゃになった小さな紙箱を取り出す。
全長10cmにも満たぬ小さなそれから取り出されたのは一本のタバコだった。
茶色の巻紙に、仄かにバニラの甘さが香る。
口元に運ばれたそれはもう片方の手に握られたオイルライターの火に燻られ、彼女の呼吸によって送り込まれた空気に燃焼を促される。
口元から煙が溢れた。
溜息のように吐き出され、肺を満たす有害物質が脳を軽く揺らした。
時折、彼女は思い出すことがあった。
己の手を染める血と暴力の持つ残虐性の正体を。
機械的に身体に刷り込まれた殺人技術も、氷のように表情を覆い隠す冷徹な仮面をもっていても。
彼女はソレに染まり切れずにいた。
人として生まれ、誰しもが持つ幼い頃に育まれた筈の倫理観に頬をひっぱたかれる事があったのだ。
己の行いを自戒しろ。
己の行いを直視しろ。
己の行いの意味を考えろ。
お前がしている事は本当に正しい事か?
いつも、ひどくひどく心を責め抜くようにそれは語りかける。
殺人という行動に対し無を貫き実行する機械になり切れぬ思春期の少女の姿が、そこには在った。
「お前もそう思うだろ?」
リジーはそう告げながら、視線を己の横へ向けた。
床に寝そべるレンの姿。
仰向けで眠り、呼吸を繰り返す生命が、そこには残されていた。
身体中の傷は丁寧に治療され、折れた腕部には添え木代わりの廃材とバンド状の治療具が充てられている。
リジーは彼女を殺さなかった。
己や仲間の命を脅かすかも知れぬ存在である事も、容赦なく殺害しなければならない敵であることも理解している筈なのに。
結局、リジーは最後の一撃を彼女の装着する機械を破壊することに費やしてしまった。
意識を失った彼女に対するその後の行動は言うまでもない。
選択肢はいくつもあった筈だった。
されど、リジーの脳裏に浮かんだ物は一つだった。
たったひとつ、あどけなく、満面の笑みで微笑み己の手を握る一人の少女の姿だけ。
「……これでよかったんだ」
「あんたはまだ、あたしの手を取って笑ってくれるよな」
「アーシャ……」




