聖しこの夜
小さな鐘の音が響く。
交互に鳴らされ、重なり合い、それは一つの曲を構成していく。
窓の外を横切る雪。
暖炉に灯る炎は暖かく、僅かに薄暗い室内をゆらゆらと照らし出していた。
子どもたちはただ見つめていた。
奏でられた賛美歌に聴き入り、その神秘性に惹かれるように。
5人の少女たちはそんな子どもたちの様子を笑顔で見守りながら鐘を奏で続けた。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!!すっごくキレイだった!!サプライズってこれの事だったんだね!!」
一人の少女が演奏を終えたミラへと駆け寄った。
「あらソフィア、そうよ。私達この日のためにすごく練習したんですから」
「喜んでもらえたみたいで安心しましたわ。あなたも、他のみんなもね」
ミラは笑みを浮かべながら告げ、そっと彼女を抱きしめた。
彼女のぬくもりに触れ、喜ぶ彼女の様子を自身もまた喜々としながら。
なんてことのない、平穏な日常だった。
クリスマスイブに賛美歌を演奏することも、愛する家族と時間を共にすることも。
その施設は中部の北西に位置していた。
最終戦争による被害の痕も少なく、村にはいくつもの家屋が並び、住人達は少しの自然と共に生きていた。
彼女たちは孤児だった。
戦争や事故、その他の理由で両親を亡くした子供達が集まる孤児院。
大人はおらず、年長者となるミラたちが他の孤児たちの面倒を見て生活していた。
村の人々は寛容で、誰もがそんな彼女たちの営みを暖かく見守り支えた。
決して豊かな生活とは言えない日々だったが、彼女たちには絆があった。
誰もが互いを支え合い、痛みを分かち合って歩み続ける日々。
苦労も多く、忘れ難い過去を誰もが持っていたが、彼女たちは心から幸せであった。
そんな、そんないつかの日々を、今でも思い出す。
その手を血で濡らす前。
今よりもっと高潔で綺麗な音を奏でていた過去を。
あの笑顔に焦がれ、幾度となく帰りたいと願った。
そこには確かに、自身が望み、自身が理想とする秩序が在った筈だから。
両手に武器を持ち、顔に仮面を被り、道に死体を並べる日々を呪った。
自身に重くのし掛かり、その首を締め付ける罪悪感に苛まれ。
それでも信じ続けた。
その行いが正であることを。
そのすべてが秩序に繋がることを。
あの日々を取り戻すために戦っているという事を。
だからこそ、疑念を抱いた。
興味が湧いた。
同じ年頃、同じ環境、同じ得物を持ち、同じ呪いを浴びたであろう彼女に。
シャルという名の少女に。
あるいは、こんな出会い方をしなければ。
私は、私達は友達になれたかもしれない。
同じ痛みを分かち、慰め、共に歩みだすことが出来ていたのかもしれない。
いつかの日々のように。
だが、それは叶わない。
これもきっと秩序のためなのだろう。
彼女を超え、彼女を殺し、彼女より優れている事を証明すること。
それはきっと何物にも代えがたい自信になる。
この世界と戦い、生き抜くことができるという確信。
己の願望を成就できるという確信に。
鏡を壊し、自身が唯一無二である事の証明を手に入れることが何よりも重要だった。
本当は理解している。
任務のためじゃない。
秩序のためじゃない。
私が選んだ最大の我儘はきっと、そういうことなのだろうと。
そして、そんな我儘に心を躍らせ躍起になる私はとっくに道を誤ってしまっているのだろう。
◇
「さぁシャル、二発目を。準備はできていましてよ」
ミラは催促する。
早く撃てと言わんばかりにシャルからの銃撃を渇望し、心底躍起になった様子であった。
その心の内や心境の変わり様を理解する事はできないが、少なからずシャルは同情していた。
「憑かれたようですね、まるで」
やれやれといった面持ちでシャルは呟くように告げた。
銃声────
それでもシャルは真剣だった。
敵である彼女の技量とその武器を評価し、己の全身全霊の速度を以て二発目の銃撃を繰り出す。
でも、敵わなかった。
待望に笑みを浮かべた彼女の腕はすぐさま迎撃の体制を整え、彼女の意識の外で得物を弾く。
繰り出された互いの弾丸は空中でその威力を相殺し合い、地面へと転がり落ちた。
二度、目にした光景。
これ以上無いほどの速度をさらに凌駕し、それは鉄壁の防御を展開したのだ。
「ふふ、フフフ、あははははははは」
「……あぁ、失礼でしたわね。でもシャル、貴女やっぱり遅いわ」
「結局、貴女がどんな信念や宗教を持っていても私には届きませんわ。それが真実でしてよ」
先のシャルの言葉を思い浮かべてか、このレギオンでの実力主義という摂理を念頭に彼女は告げた。
どんなに強固な意志を持っていたとしても、その意志に反した否定を露わにしようと、そこに実力が追いつかなければ淘汰されるだけだと。
その真実をシャルへ見せつけんばかりに。
「今のは全力だったんですが……本当に感心させられますね」
「次の質問は何ですか?」
それでもシャルは淡々としていた。
笑みを崩さず、彼女の煽りにも似た主張に心を揺さぶられる事もなく。
ただ潰えた関心を内に、事務的な様相を見せていた。
それはまるで、構って欲しいと執拗に迫る子をあやす時のようであった。
「………いいですわ。本題に入りましょうシャル。貴女はなぜあの子にこだわるんですの?」
「貴女たちに、貴女にとって何の得があるんですの?」
「あの子は貴女にとって私達を敵に回すほどの価値があるのかしら?」
エミリアの事を指し示した質問。
記憶を失い、その失われた記憶に価値を見出された少女の事だ。
ムスターマンとの取引の事を知らぬミラにとっては当然の疑問であるが、その実彼女の仲間たちであってもその具体性は掴めずにいる。
意図せず「貴女にとって」と告げたミラだが、その質問は核心を突いていたかもしれない。
心の内を明かさぬシャルにとって、少女に何を見出しているのか。
その時点では、シャルは少女に対する一つの答えを得ていた。
いつかメイと少女について話した時とは異なる見解だった。
「その質問、保留にさせて頂いてもいいでしょうか?」
「この余興についてルールを説明した時、貴女は答えるタイミングまでは明確化してなかったですよね」
「だから……フフ、そうですね」
「6発目の後に答えてあげます」
ミラの問に、シャルは笑みを溢しながらそう答えた。
ルールの穴を突かれた事に不満げな表情を浮かべるミラであったが、己の落ち度に意義を唱える事はなかった。
「……いいですわ。皮肉な物ですけれど、確かに私はタイミングを指定していなかったですものね」
「ただし、次は無いわ」
ミラは最後に短く告げ、シャルをにらみつける。
そして、小さく片手を差し出した。
「どうぞ」と言わんばかりに。
シャルは微笑んで答えた。
その時、先の1,2発目に比べて間があった。
姿勢を落とし、ホルスターの前に腕を置いたシャルはゆっくりと呼吸を整えている。
視線はミラを見つめながら、それでいて標的を定めながら僅かに泳ぐ。
それは彼女なりの覚悟故か、それとも次なる銃撃がそれなりの準備を要する物であるのか。
答えは後者だった。
一呼吸置いてシャルは得物を弾く。
錯覚があった。
爆発的なエネルギーの開放。
音速を超えて放出される筈の弾丸。
そのすべてがゆっくりと、それなのに決してその軌道を目で追うことはできず。
強いて言えば、この場でそれを終始正確に捉えられていたのはミラの装着した機械のみであった。
シャルの弾丸は到底ミラの身体に被弾しないであろう角度へ射出された。
シャルの立つ位置から何メートルか先、地面へと向けて斜めに進む。
決してミスショットではなく、意図して行われたものだった。
それは、僅かな輝きを放っていた。
二人の居る空間に差し込む陽射しは、錆の腐食を免れた部分をキラキラと照らし出す。
表層を成すコンクリートが剥げ、僅かにむき出しとなった支柱部分。
建物自体の崩落が進む影響か、湾曲し地中にある筈のそれは表層近くへとその身を露わにし、その角度はミラの立つ方向へと向く。
程なくして銃弾は接触した。
小さく火花を散らし、直進で進む筈であったエネルギーは強引にその軌道を矯正される。
弾頭がライフリングによってその推力を強制されるように、あるいは空を飛ぶロケットがその行き先をローンチパッドによって支えられるように。
それは第二の発射台となり、その軌道をミラの身体へと修正された。
跳弾である。
シャルは再度微笑んだ。
本来、射出された弾頭は垂直に力が加わる事で変形し、その対象が高い硬度を持てば殆どの場合は潰れてしまう。
弾丸の入射角度と中継地点の射出台となる物体の角度を正確に把握し、狙った対象へと自由に角度を変えるなんて事は到底人間業ではなかった。
だからこそ、そんなトリックショットの成功を祝して彼女は笑った。
ミラの腕に装着されたアレは人間の技術を超える物であり、それに打ち勝つには人間の域を超えるレベルの一撃でなければ通用しないと。
シャルはそう考えたのだ。
だが────
またしてもその目論見は打ち砕かれる。
今まででは既に迎撃を行っていた筈の位置へ弾丸が到達してもミラの腕は静観を貫き、その弾頭が軌道を変えてから防御の姿勢を見せていた。
被害が生じるか否かを適正に判断し、まるで意志を持っているかの如く。
今回の銃撃に関して、流石のミラにもその顛末に違和感を抱いたようだった。
一瞬明らかに明後日の方向へと向けられた弾道と、先とは異なり自身の至近距離で撃ち落とされた銃弾に。
それらが意味し導き出された結論にミラは目を輝かせる。
「あはは!!シャル、貴女今跳弾を狙いまして?」
「貴女やはり素晴らしいですわ!とても!とっても!!!」
ミラは満面の笑みを浮かべ、声高らかに笑った。
シャルの技を見て感じて、人間離れした銃の腕前に称賛を送りながら。
「今までこうした局面は数あれど、貴女のような人は初めてでしてよ」
「私嬉しいわ。本当に……」
そう告げて、僅かにしおらしく微笑むミラ。
シャルへの称賛を経て、その視線は惚れ惚れと自身の腕に向けられていた。
「ええ、私も驚きました」
「最初の銃撃でその腕と貴女の意志が無関係であることは理解しましたが……」
「些か感度が良すぎるようですね」
ミラの腕が持つ動体視力と状況判断能力。
その賜物が何によって成されているのか。
恐らくどこかにカメラのような物が仕込まれ、それに付随するセンサーか画像処理によってそれらの判断を行っているのであろう。
とはいえメイなら兎も角、機械の専門家でもないシャルにとってその構造の全てを把握することは出来なかった。
「そうでしょう?貴女の持つソレのように、この腕は私の武器であり私の一部よ」
「私の能力を高め、たとえ貴女のような高い腕を持っていてもその先へ導いてくれるわ」
「対峙する全ての敵の先を行き、その全ての銃弾を撃ち落とすわ。古代の世界でゼウスが持ったアエギスの楯のように」
「この子は全ての敵から護ってくれるの」
ミラは自慢する。
その武器が持つ特徴、良さを声高らかに告げる。
神話級の物と例えられたその発言はある意味で的を射ているかもしれない。
人智を超え、人の技を超えるそれに対し、神聖視するのも無理はない。
「さて、シャル………。3つ目ですわ。3つ目の質問」
「今度は答えて頂きますわ」
浮かべた微笑みを崩さぬまま、シャルはミラを見つめた。
黒色火薬による硝煙が晴れ、快感に表情を歪ませ笑う彼女をまっすぐに。
「貴女、生まれは何処でして?」
「家族はいつ何処で死んだんですの?」
2つ目の質問で本題に対して質問を逸らされた影響か、ミラの質問はシャル自身に焦点が向けられる。
一瞬、シャルは口を閉ざした。
過去を思い浮かべているのか、あるいはまたこの質問を避ける口実を考えているのか。
「……私は、私はこの世界のどこでもない場所で生を受けました」
「そうですね、あそこはレギオンの外……あるいは中かも知れない」
「まだ在るかも知れないし無いかも知れない場所です」
懐古の中で、シャルの瞳には若干の哀愁が感じられた。
曖昧に質問の回答を濁しているかのように聞こえつつも、その言葉には真実を感じさせる。
ミラはその矛盾が意味する答えを見つけ出す事は出来なかった。
「貴女、自分が何処で生まれたか分からないの……?」
「いえ、あの場所の景色や人々の顔を鮮明に覚えています。ですが、場所はわかりません」
「今もあの時も」
「あそこはそういう場所なんです」
「それは正直に答えているんですの?言葉を濁しているようにも聞こえましてよ?」
「はは。私にとっても具体的に答えようが無い事柄ですからね」
「そう解釈されてもおかしくありません」
シャルは失笑した。
それはきっと自身の言葉に対しても、ミラの疑問に対しても。
明らかにおかしい言葉を口にしているという現実を直視するしかなかった。
その背景に在るものの正体も定かでないまま。
「私の両親……」
「母は死にました。父は…もしかすると生きているかも知れません」
「強いて言うのであれば…」
「母は私が殺しました」
淡々とシャルは告げた。
自身の親をその手で殺めたという事実を隠す事なく。
「本当に優しい人でした。慈愛に満ち、いつも私の味方をしてくれました」
「そんな母を殺したので、私は父に命を狙われたんですよ」
「おかげで今はこうして浪人しているという訳です」
恥ずかしげも、悔いる様子もなく、シャルは赤裸々にその過去を語る。
その事実が持つ残虐性を一切否定する様子はなかった。
「……何を言っているんですの?」
ミラは驚くしかなかった。
シャルの影に隠された過去を把握せずとも、まるで自身が完全に悪人であると言い切るかの口ぶりに。
そして、母親というかけがえのない存在を手に掛けたという事実も。
「シャル。貴女、不本意でも無く、貴女の意志で殺したと言うの……?」
「たったひとりの、貴女の母親を…?」
「はい。私が望んで殺したんですよ。あの人に否は一切ありません」
「………」
ミラはシャルの答えを聞いて、静かに怒りを露わにしていた。
得物を持つ手を震わせ、シャルを睨みつけながら。
「私は……戦争で両親を喪ったわ」
「今でもたったひとりの家族、妹の為に戦っていますの……」
「身寄りのない仲間を受け入れ旅を続ける貴女の事を聞いた時、私は本当に貴女と似ていると思いましたわ」
「背負うものが同じ貴女に惹かれていたの」
「でもシャル、それは許されないわ。決して許しがたい行いよ」
任務を外に、そう語るミラの姿は執行官の物ではなかった。
ミラ本人の想いを胸に赤裸々に彼女は語る。
シャルの残虐性を否定し、己の間違いを認めて。
「私たちはいつも誰かを殺して歩いているんです」
「私達が殺した人たちにも家族がいて、心から善人と呼べる人も中には居たかも知れません。ですが、私たちはそれぞれの目的のために手段を選んでいません」
「そこにその人を殺すだけの理由が、自身にとってその人を殺すだけの勝手な都合があれば、いつでも容赦なくこんなものをぶっ放しているんです」
「私にとっては母という存在が不要であっただけで、それは決して正義や悪という秤で測れる物ではありません」
「それが、この世界。レギオンという場所です」
「あなたもそうでしょう…?」
シャルは語る。
この世界を生きる者に平等に降り掛かる摂理について。
この世界を取り巻く呪いについて。
「それでも、それでもシャル……!貴女は間違っていましてよ…!」
「私は───
「妹のために」
「貴女はきっとそう言って沢山の人達を鏖殺して来たんでしょうね」
「……っ!」
「譲れない物を誰でも一つは持っています」
「それを護り貫き通す事だけがこの世界で生きる証明になるんですよ」
「きっと、きっと貴女は妹の為であれば貴女の仲間や肉親にも牙を剥くでしょうね」
「違う!!違う違う違う!!」
大きく否定を口にしながらミラは息を切らした。
額と頬を伝う汗、見開かれた瞳、思考を続ける脳内。
そして、決して完全に否定し切れぬ現実。
現実主義と倫理観の狭間で彼女は苦しんでいた。
そっと、シャルは銃口を向けた。
これまでのドロウの姿勢と異なり、片手でミラへと突きつけられた銃口。
4度目となる戦いの合図を、ミラへと突きつけていた。
「……いいですわ。シャル」
「それが貴女の言う貴女なりの秩序と言うのであれば……」
「私は貴女の上を行きますわ。銃の腕も、私の持つ意志でも」
「貴女はこの世界に居てはいけないわ」
シャルはミラの言葉を聞いて口角を釣り上げる。
何を思い、何を感じているのか。
その全貌をシャルが明らかにすることは決して無い。
それはきっと、この戦いの中でも。
仮に、彼女が死ぬことになったとしても。
「シャル」
「今回の質問だけれど、先に内容を決めてもいいかしら……?」
「いいですよ」
「貴女の本当の名前を聞かせてもらえるかしら」
「………」
シャルは答えなかった。
ただ不敵に笑みを浮かべ、ミラを見つめた。
そして、4度目の銃声は鳴り響く────




