月夜 ~再開~
蛍が出かて2日後の夜。
かほは、紺碧色に広がる夜空の中に輝く月を見ていた。肌寒さはあったが、心地よい外気温で、かほはいつまでもそこにいて月を眺めていたい気分だった。精神的にも安定していて、とても穏やかな気分で、全てが調和のとれた瞬間なようにさえ思えた。
瞬間。
インターフォンの音が、その調和を一気にかき消してしまい、かほの心がまるでパリンと真っ二つに割れた陶器のような、穏やかなそれを割いた心が湧き水のように体の中に現れていた。
「はい?」
インターフォンのカメラには、二人の男が立っていた。見覚えのある、その男を見てかほの口角が小さく上がり、思わず綻んだ。
「東大和田署の牧と長谷川と申します。阿久津 かほさんいらっしゃいますか?」
警察手帳をカメラに向けた牧の姿に、かほはおずおずと返事をした。
「私………ですが」
「夜分にすみません。お話したいことがあります。よろしいでしょうか?」
「はい………」
インターフォンを切り、かほは玄関のドアを開けた。
牧と顔を合わせたかほは、落ち着きある中にじっと牧を見た。牧は、もの言いたげな雰囲気があったが、小さく息を吐いた後、口を開いた。
「阿久津さんの内縁の夫である、久遠 蛍さんが今朝、逮捕されました」
「蛍が………?」
かほは、真っ直ぐに牧を見つめたまま問いかけた。
「はい………。金田という詐欺師とそれにかかわった男たちの暴行と殺害容疑で………」
「そんな………」
かほは、伏し目がちになり下唇をかんで、涙を堪えた。
「それに………」
牧が言いかけると、かほは視線を上げて牧を見た。最後にこの男に会ったのは一年以上前になるが、なんとなく老けたような、そんな印象がしていた。
かほは、黙ったまま視線だけを牧に合わせ、その先の言葉を待っていた。落ち着きのあるかほの様子に、牧は何かを悟りけれど役目を果たすことを怠らなかった。
「過去に、あなたの元ご主人が亡くなった連続殺人事件ですが」
牧は言葉を止め、かほの目をじっと見た。胸の内を探るかのような何かを見透かそうとしているその眼力を、かほはふと笑んで意表を突かせた。
「何が可笑しいんだ! 自分の夫が死んだんだぞ!」
隣に立っていた長谷川が、我慢に耐え切れずかほに強い口調で怒鳴った。かほは、長谷川の声に怯むことなく緊張の糸が切れたように、柔らかなそれでいて笑んだ表情を見せていた。
「私は、ずっとあなたがあの連続殺人事件の犯人だと思っていました。いや、まだそう思っていたい。けれど、自白したんです。久遠が。自分がすべてやったんだと」
「蛍は、人殺しなんかしないわ」
変わらない表情と淡々とした口調で、かほは牧に言葉を投げた。
「連続殺人事件ではそうでした。あの事件では、全て鷺沼が被害者を殺害した。しかし、依頼を受けた闇サイトは金田が作ったもので、金田のパソコンからそれは確認できました」
「それじゃ、金田が依頼したのかしら?」
かほは、牧に尋ねると牧が口を開く前に、隣で長谷川が憤りを抑えながらもかほに言葉を投げつけた。
「おまえも、久遠も、金田も幼馴染だっていうことは分かっているんだ。久遠は、全て自白した。闇サイトを作った事も、おまえの為に、おまえの双子の姉を虐めた奴らの復讐のために人殺しを依頼した事も。金田を使って高齢者から金をだまし取ったふりをして、逆に高齢者を騙した詐欺の話に乗った平戸達を誘拐した挙句、裏界隈の奴らをつかって袋叩きにして重傷負わせた事も」
「そんな………。あの人達は、ここで介護をしてくれて更生していたのに………」
「あなたにも、憎悪な何かがきっとあると私は見てます。けれど、全て久遠が罪を認めてしまってます。弁護士もこれでは裁判に太刀打ちできないくらい」
牧の瞳に映る自分の姿を見つめ、黙ったままだった。
「蛍は………どうなるの?」
「それは、今後の裁判によります。それまでは拘置所で過ごしてもらいます」
かほは、牧の肩の向こうをぼうっと見つめ、目の前の二人の存在がただの景色でしかないほど、意識がどこかへ飛んでしまっていた。
二人が去ったあと、一滴の涙がかほの頬を伝い零れ落ちた。
翌日、かほは蛍の居る拘置所へ出向いた。向かい合わせになった透明の壁を隔て、少し窶れていた蛍の姿が現れると、かほは椅子から立ち上がり、声をかけた。
「蛍………」
「かほ………。すまない。けど、これでよかったんだ」
「それじゃ、蛍はどうなるの? 全部自分で背負うなんて………私の為に………だって………」
「かほ。お前は、何も悪くないんだ。俺が、自分でそうしたいと思ったからしたことだから」
かほの目からは涙が溢れ、ぼやける視界の中必死に蛍を見つめていた。
「俺は、ガキの頃からずっと、かほが大事だった。金田に負けないくらい。体の弱かったかほに、早く元気になって欲しくて毎日家に遊びに行って、よくかほのじいちゃんやばあちゃんに叱られた。かほの大事なナホが死んでしまった時から、俺はもっとたくさんかほの事を守っていこうって、決めたんだ。かほの為なら、なんだってできた」
蛍は、奥歯を食いしばりながらも笑みを見せ、涙を堪えていた。
「かほの手は汚させない。辛い思いをするのはお前じゃなくて、俺で十分だ。けど………」
蛍は堪え切れずに、涙をぼろぼろと零した。
「これから生まれてくる子供を、かほ一人で育てる事になることが、俺にとって辛い………でも………」
蛍はかほの頬を撫でるように手をさしのばし、壁に手を付けた。
「俺が、守ってやりたいけど。かほはかほの人生を歩いて欲しい。俺が幸せにできない分、誰かと幸せになって欲しい。子供の分まで」
「蛍………そんなの、嫌よ。何年でも待つから。また、私とこの子を守って。だから、そんな悲しい事言わないで………」
かほは、声を震わせ泣きながら言った。かほの鼻先が赤くなり、ぐずぐずと鼻をすすりながら、かほは真剣に蛍を見つめていた。
「金田は、俺が痛めつけたのは事実だ。あいつの堕落した考えが嫌だった。年寄から金を簡単にだまし取ろうとして。史子を使って、逆にあいつを騙し返し、年寄が金をむさぼり取られないよう、阻止した。けど、それでも俺の腹の虫がおさまらず、俺は金田を痛めつけた。結局はあいつは死んでしまった。だから、きっともう元には戻れない。かほ、もう、ここにくるな。守るって言ったくせに、随分酷いと思うだろうけど。かほは、歩き出してほしい」
蛍は、席を立つとかほの顔を見ずに去って行った。
「待って! 蛍っ! そんなのイヤよっ………」
掌で目の前の壁を叩きながら、必死で蛍を引き留めるが、かほの声は既に蛍が部屋を出た後、ただその場で虚しく響いていた。
2週お休みしました。
お話は次回いよいよクライマックスです。
(今回もさらりとした回になったような………反省)
ここまでご覧くださいまして、ありがとうございます。
残りあと1話。
どうぞよろしくお願いいたします。