朝日とススキ ~その瞬間~
かほさん、若い衆がいないけどどうしたんだろうか?」
杖を突きおぼつかない足取りでかほに近づき、声をかけたのは喜一郎だった。丸坊主頭に鼻の下には口元まで隠れた髭が、きれいにそろっていた。いつも、好んでつけている琥珀の石のついたポーラータイがかほのめに止まった。
「喜一郎さん、おはようございます。彼らは、使用期間が終了したんですよ」
皺でくっきりとした二重瞼の奥から、威厳のある瞳を凝らしてかほを見ていた。
「そうか。礼儀や言葉遣いはまだまだだったがね。ちゃんと社会に貢献できるのだろうか」
不安気な言葉を漏らし、かほの肩の向こうに見える窓の外を見た。
「どうでしょうね………“今回”は無理でも、“次”で変われたらいいと思います」
「ん?」
意味深なかほの言葉に、喜一郎はじろりと瞳をかほに移した。
「喜一郎さん。そろそろ朝食なので、リビングに参りましょう」
かほは、柔らかな笑みを浮かべ喜一郎の肩にそっと手を添えた。
「そうだな」
ゆっくり、一歩一歩慎重に歩く喜一郎とリズムを合わせ、かほは隣を歩いた。
「時機、生まれるのか?」
喜一郎はかほが着ている黒いワンピースの腹部を見て言った。大きく膨らんだお腹を、かほは片方の手で撫でた。
「はい。予定日は来週なんです」
「そうか。若い衆がいなくなって、人はどうするんだ?」
「ふふ。大丈夫ですよ。キヌさん達また手伝ってくれるから」
「あぁ。あの町の婦人会の人たちだね?」
「えぇ。この時季、畑の方は落ち着いてるから、お手伝いできるって言ってくださったから」
リビングでは、テーブル席にランチョンマットが並べられ、朝食の用意が揃っていた。既に、ソファーでうたた寝をしている花子が、かほと喜一郎の声で目が覚めた。
「かほさん、きいちゃん、おはようございます」
小柄でおかっぱ頭の白髪姿をした花子は、ゆっくりと立ち上がりテーブル席に近づいた。
「おはようございます、花子さん」
かほは、一定の音で静かに挨拶をすると、喜一郎を席に座らせ、次いで花子の椅子も引いて待ち構えた。
「かほさん、ありがとうね。今日は、おいしそうな卵焼きね」
「ほんと。丸山さんの作るお料理は、いつもおいしそう」
席に座った花子に、ご飯と味噌汁を配膳しに来た丸山が声をかけた。ふくよかな体格に割烹着姿がとても様になっていた。まだ30歳なのだが、老け顔を気にしていたが、その服装が似合うと、住んで居る高齢者に最初に褒められた時は真剣に老け顔を悩んでいたが、日が経つにつれ、それを前向きに受け止め笑顔や冗談も増えていた。
「あら、ありがとうね花子さん。卵は、今朝家で取れたてのだから」
「新鮮なら、生卵にして飲むのがいい」
車いすで移動しながら、正男がそう言いながらリビングに姿を現した。
「まー! 正男さんすごいわぁ。けど、今はしないで欲しいな」
車いすから椅子に慣れた手つきで乗り移り、正男は苦笑いして丸山を見た。
「残念だがそーだなぁ。今は喉も細くなったし、医者から形のあるものは誤嚥しやすいからやめてくれって、言われてるしなぁ」
正男の席の食事は、他の人たちに比べると形が無くペースト状になっていた。丸山は次々皆にご飯と味噌汁を配膳し、お茶もその後から入れてテーブルに添えた。
4人掛けのテーブル席の一つが空いており、花子が目の前の空席を見つめて言葉を漏らした。
「菊さん、戻ってこれるかしら?」
ため息交じりにそう言うと、その場に居た全員が空席の方を見た。菊さんは、90代の高齢な入居者で、先週高熱を出して県内の総合病院へ救急搬送された。ホームの中では最年長の彼女だったが、一番元気で背筋は伸び、何も使わずに自力でスタスタと歩き、他の方たちは、スタッフに手伝ってもらうような部屋の掃除や洗濯も、全部自分で行っていた。明るく、気丈な振る舞いで、常に皆のムードメーカー的な存在だったせいか、その存在が欠けた事で、彼らの中で心配や不安をリビングに来るたびに感じることは、ここ数日見られる事だった。
「子供の時代から過酷な時代を生き抜いた方だから、きっと回復されて戻ってきますよ」
かほが花子の肩に手をそっと添え、顔を覗き込んで答えた。
「そうだといいけど。若いお兄さん達もいなくなってしまったし。なんだか寂しい気持ちが増えてしまったわ」
しんみりとした空気となってしまったリビングの中で、かほは内心ほっとしていた。
金田が死んだ事、少しでもここにいる彼らのような高齢者からお金をだまし取ろうと、金田が考えたうまい話に乗って来た彼らを懲らしめ、金田と同じところに行ける事。そして、金田の下で動いていた小野と河原も、蛍の話によると史子がある人に依頼して同じように二度と発見されることない、失踪を装わせること。
全ては、今朝、この時間に事が起きている。
すがすがしい青空と朝日、ススキが小さく風に揺れているのが窓から見えていた。
蛍はその日の夜、帰ってこなかった。かほは、蛍の部屋でぼんやりと時を過ごしていた。満月が少し欠け、それでも月明りで部屋は照らされていたため、かほは部屋の電気をつけずに椅子に座っていた。机の上にあった写真に目を止め、それを手に取った。幼少の頃の自分と蛍の写真だった。
かほも同じ写真を持っているが、幼い頃のアルバムの中に入っているであろう、遠い記憶の彼方でしかない一コマなのだが、蛍にとっては大事にそれでいていつも目に入るよう、こうして飾っている事に、かほは蛍の想いを以前から察してはいた。
自分の部屋に戻り、クローゼットの奥からようやく見つけ出せた古びたアルバム。双子の姉が亡くなって以来、かほはそれを何度も見ては涙を流した事を覚えていた。二卵性の姉妹だったため、顔は全く似ていなかったが、二人はいつもお揃いの服を着てお揃いの人形を持っていた。
かび臭いアルバムのページをめくると、そこに蛍が飾っていた写真と同じものがあった。それは、かほの姉が亡くなった年、ある日、落ち込んでいたかほを励まそうと、幼馴染だった蛍と金田、蛍の妹が山の途中にある花畑に連れて行ってくれた。蛍と金田はバッタや蝶を捕まえるのに夢中になり、かほは史子と一緒に花冠や花束を作って遊んだ。帰り道、いつも親切にしてくれる近所のおばあちゃんに作った花冠や花束をあげ、帰って来た時に丁度、かほの祖父がカメラを手にしていて、皆を道端に並ばせて写真を撮った。そろそろ夕焼けになりそうな、薄いオレンジ色の光。蛍は史子の手を引きながら、もう片方の手をしっかりとかほと繋いだ。そうして、負けじと金田もかほの手を取り、全員が横一列に並んで祖父の構えるレンズを見つめた。
写真を撮った後、蛍はかほの祖父にもう一枚とって欲しいとお願いした。そうして、かほは、祖母に持っていてもらった人形を受け取ると、蛍に手を引かれ再び祖父の構えるレンズの前に立った。
「蛍? また、写真撮るの?」
蛍は真剣な表情の中、薄く頬と耳が赤くなっているように、かほは見えた。
「あぁ。これは、俺とお前だけしか映らないの」
「蛍、ずりぃーぞ!」
うらやましがる金田を無視し、蛍はかほの手をぎゅっと握り、写真を撮ってもらった。
甦る記憶に、かほは小さく笑ってしまった。
秋らしくなってきてるけれど、まだ半袖の服は片付けられないです。
スーパームーンが見られるという日は、その最中に会社帰りに同僚に教えられ、同僚とその場で見ました。(ロマンチックのかけらもなかった)
ここまでご覧くださいまして、ありがとうございます。
お話が、佳境に差し掛かります。
まだ続きますので、どうぞよろしくお願いいたします。




