鱗雲 ~幸せのかたち~
休日の商店街のアーケードは、ほぼ半分くらいの店のシャッターが閉じており、人気も少なく閑散としていた。そんな日常を運転しながら横目で通り過ぎ、カーラジオからは、週刊ヒットチャートらしいJ-POPが繰り返しのように番組が変わるごとに流れ、ただそれを聞き流しながら、久遠 蛍は町から外れた山奥へと向かっていた。
運転中、かほからのメッセージが入っていた事に気が付いたが、蛍は金田の息の根が止まったのだろうと、予想して薄く笑みを浮かべ右の口角をあげただけで、メッセージの確認も、かほへの返信もせずに、放っておいた。
山道を走り、時折トンボが宙を飛び交う光景が目についた。快晴とは言えないが、青空には鱗雲が広がり、日の光がそれで遮られ雲の白さが輝いて見えた。蛍にとっては、真っ青に澄み渡る空よりも、この表情のあるような空の方が好きだった。ほんのつかの間、秋の景色に気を緩めたが、もうすぐ目的地である場所へと近づくと蛍の顔は次第に淡々とそれでいて冷えた表情に変わっていった。
辺りは、杉林が広がり人里離れた辺鄙な光景が広がっていた。一見すると避暑地の別荘のようなログハウス上の建物が見え、その建物の入り口には『シニアホーム 木の葉の里』と木を模って作った看板があった。
その建物を通過し、さらに奥に立つ戸建ての家の前で蛍は車を止めた。車から降りると、少し肌寒い外気温に、蛍は車の後部座席に置いた鞄と一緒に、パーカーを手に取るとそれを羽織った。
家の鍵を開け、中に入るとレモングラスのさわやかな香りが室内に漂っていた。また、かほがアロマオイルでも炊いているのだろうと、蛍は察しながらリビングへ向かった。
「お帰り」
かほがソファーで本を読んでいた視線をあげ、帰宅した蛍を見た。黒い艶やかな髪は少し目にかかり、蛍の表情はかほからあまり見えなかった。
「金田、死んだわよ。私、少しどぎまぎしたのよ。中途半端に痛めつけて、そのまま回復したら………って」
かほの目は力強く、前髪に隠れた蛍の目をとらえようとしていた。
「心配なかっただろ。結局死んだ。さて、あいつらの後片付けしないとな」
鞄を床の上に置いて、蛍はリビングからマグカップを取り出し、コーヒーを入れた。
「蛍、私にもちょうだい」
「カフェインは、良くないだろ?」
蛍はソファーでくつろぐかほの、大きく膨らんだ腹部を見て言った。
「じゃぁ、一口だけ」
かほは、やわらかい口調でぽつりと言った。そのかほのリアクションに、蛍は小さく顔を綻ばせ、笑みを浮かべた。
「少しだぞ」
レモングラスのアロマオイルと、コーヒーの香りが混ざり合い、それでも蛍にとっては嫌な感じはしなかった。
妊娠中のかほは、つわりがひどくレモングラスの香りで少し体調が安定していた事から、最近はほとんど家の中がレモングラスの香りで充満していた。
マグカップに注いだコーヒーをかほに差し出し、かほは読みかけの本を開いた状態で伏せると、湯気の立つコーヒーの香りをかいだ。
「やっぱり、いいかも」
口を付けずに、マグカップを蛍に返した。少し苦い表情をしたかほを見て、蛍はその顔を覗き込んだ。
「気分悪いか?」
「大丈夫。コーヒーの最初の香りが良かったから飲みたいなって思ったけれど、ずっと嗅いでいたらなんだか胸いっぱいになっちゃった」
耳にかけていたかほの黒く長い髪がほつれ、さらさらと耳から落ちた。またそれを耳にかけ直し、かほは蛍を見上げた。
「あの人たちは、返しましょう。とてもよく、彼らのお世話を手伝ってくれたけど。少しは、反省してくれたみたいだし」
「喜一郎さんにかかれば、それはそうだろう」
「ふふ。手厳しいけれど、ただの頑固おじいさんじゃないし。スタッフの話では、みんな喜一郎さんと仲良くやっているみたいだしね」
「かほがそういうなら、あいつらは明日返そう」
「うん。もう、金田がいなくなったならいいもの」
かほは、リビングの白い壁を遠くを見るような目で見つめて言った。
「心配するな。もう、大丈夫だから」
蛍はかほの肩をなで、言葉をかけた。かほは、小さく頷き蛍のその手を取って握りしめた。
「大丈夫………」
かほは、自分に言い聞かせるように、蛍の手を握り左手で膨らんだ腹部を撫でた。
その夜、蛍は釈放された史子に電話をかけた。
「俺」
「もー。けーさつ二度とイヤだからねっ! 化粧直せないし、取り調べのおじさんの息臭いし。唾は飛ぶし。さいてー」
開口一番、史子は怒りをぶつけるように言い切った。
「悪かった。それより」
「ちゃんと、白切ったわよ。おにーちゃんとかほちゃんの為だもん」
「そうか………」
「それはそうと、金田の奴死んじゃったのねぇ。せーせーした。あの男すっごくウザかったから」
スピーカー越しで史子がケタケタ笑っている声が聞こえた。怒ったり笑ったり、忙しい奴だなと蛍は思いながら、「あぁ」と言葉を返した。
「取り調べのおじさんに、防犯カメラに映っていた写真見せられたけど、あれ、すごいじゃん!」
「服は、お前のクローゼットから適当に借りた。あれは、いつ着る服なんだ?」
「あれは、ラウンジで仕事していた時のドレス。けど、様になってたなぁ。顔ははっきり映ってなかったけど、美人さんだったよー。おじさんたちも、女だって思い切ってたし」
笑いながら話す史子に、蛍は少し機嫌をそこねた。
「そんなに言うな。それに、その事はかほにも言うなよ」
「あは。かほちゃんにも、見せてあげればよかったのにぃ」
「史子」
冷やかなトーンで蛍が名を呼ぶと、史子は笑うのをやめた。
「ごめんなさーい」
「明日、連れ去った奴らを返す。後は、お前に任せるから」
「いいよー。おじさんたち使って運ぶから。その後、どーする?」
「うまく片付けとけ」
「アタシよりも、楽しんでくれる人に手伝ってもらう」
「じゃぁ、明日な」
蛍が電話を切ると、机の上の写真に目を止めた。幼い頃のかほと自分が並んでいた。かほは人形を大事そうに抱え、もう片方の手で蛍の手を握っていた。嬉しそうに笑む自分の隣で、かほは今と変わらない黒く長い髪をして、凛とした表情にはにかみが見えた。
2週お休みしました。
牧のシーンから、久遠 蛍のシーンに変わりサブタイトルのジャンルも変わりました。
新たな登場人物が第二の主人公となりました。実は、二人主人公で交互に描くのが好きなのですが、今回は大きく分けてみました。
ここまでご覧くださいましてありがとうございます。
お話は、もう少し続きます。よければ、どうぞよろしくお願いいたします。